ぼくのお日さまのレビュー・感想・評価
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光の表現とスケーティングの成長が素晴らしい
映像として圧倒的な美しさ。そして、主人公のスケーティング技術の向上が素人目にもわかるところは素晴らしいです。
不要な描写を極力避けて、登場人物達の表情や仕草、ちょっとした言葉だけで物語は展開していきます。特に湖の上での三人の練習シーンは多幸感たっぷりで素晴しく、思わず涙が。
邦画としては2024No. 1かもしれないと思っています。
ただし、一部厳し目の評価をしてる人の気持ちもわかります。
「誰も悪くない」といえばそれまでのほろ苦い展開は、その後はっきりとした回収もなく、物語の展開のための装置になっている印象はあります。
主人公の吃音設定も劇中ではあまり効果的に活かされることもなく、エンドロールの曲の素敵な感じが逆にチグハグさ増しています。
ヒロインの成長がもう少し描かれれば、多くの人がより高い評価をしたかもしれませんが、逆にラストシーンがもたらす切れ味や余韻が失われたかもしれず……。
(続きが観たい)と思わせる良作だった。
文句の付け所がない良作。映画のキャッチコピーに惹かれた方であれば楽しめる内容だと思う。
最後のエンドロールではウルッときた。
(鑑賞中、(庵野版仮面ライダー)の事がずっと頭にチラついたのは仕方のないことかぁ)
え?ここで終わり?
普通になんやかんやあって、アレコレ乗り越えてうまい事いって大団円って訳にはいかなかったんでしょうかね
中盤までは、微笑ましいなぁ、こういう子いるよなぁ、未通女いなぁの中に気になるトゲがある
このトゲが思いのほか大きく鋭くて最後まで抜けずに終わっちゃった
トゲ抜いて終わって欲しかったなぁ
初恋
なんと爽やかな映画なのか。主演の越山敬達くんの初々しい演技がたまらない。冬だけのアイスリングが、ほのぼのとした初恋を輝かせている。エンディング曲が、グッとくる。この視点で、考えさせられた。見事な秀作。
目線と表情と、吃音
まず第一印象としては、抜群の雪景色と雪解け後の自然豊かな田舎風景、スケートリンクとスケーターの華麗さ、男の子の淡い恋、どのシーンも最高に絵になるし、たいへん綺麗でした。
ただ、綺麗という一言ではこの映画を全くもってまとめきれない、繊細で、非常に奥深い、見応えのある映画でした。
この映画はセリフよりも「目線や表情」で観客に強く語りかけてくる作品でした。
まず、この映画の時代設定はおそらく、スマホではなくガラケーである事や、ブラウン管のテレビやカセットテープが使われている事、荒川がスケーターの頃の写真を収めたカレンダーが1993年となっていた事や小学校のクラスの後ろの壁にあった皆んなの書き初めが「税金」であった事から、消費税が3%から5%に上がった97年ごろではないかと考えられる。(追記、荒川と五十嵐が食事してる場面、荒川とさくらの母親が事務室で話し合っている場面の後ろに写っていたカレンダーから95〜96年の出来事だと概ねの予想がついた。
追記、インタビューで2001年ごろの設定と仰っていました。)
この時代設定が物語後半に於いて非常に巧く機能する。
物語前半は、タクヤがリンク際で、ふと顔を見上げだ先にいた、さくらに目が止まる。その瞬間、タクヤの目にはさくら以外の人が見えなくなり、幻想的な光が射し、華麗なスケート姿に目が釘付けになり、絵に描いたような一目惚れをする。
そして次に、個人的には最も深く印象に残った、タクヤが初めてスケート教室に体験?(追記、体験ではなく、アイスダンスとホッケーの合同練習だったと考えられる)に来たシーンである。
荒川はコーヒー片手にタクヤを気にかける様子で見て、タクヤは、周りは滑っているなか棒立ちで、まさに目を奪われた状態で呆然と、たださくらだけを見つめる。そして、さくらは練習の最後の決めポーズをして、荒川がこっちを見てくれていると期待しながら振り向くと全く違う方向に顔を向けている事が分かり、落胆した様子で肩を落とし、観客に背中を向け、みんなが滑っている輪の中に加わろうとする。
荒川はタクヤを見つめ、タクヤはさくらに見惚れ、さくらは荒川を見るという視点の切り替えが非常にスムーズで見事なまでに綺麗で、あのワンシーンで三人の関係性を一瞬にして示した圧巻のシーンであった。
また、荒川は後々に真相が分かるが、上記のシーンでさくらの練習中にも関わらず、タクヤの方ばかり見る。
また、教室が終わってもなお一人で残り、必死に練習しているタクヤを遠目から柔らかな笑顔を浮かべながら眺める。
さくらに関しては、序盤に荒川と母親が話している様子を車のサイドミラー越しに荒川だけを見つめる。それも母親が車に乗ってくるまでずっとである。また、湖での練習を終え車で帰る際に、喋りかける事もないのに荒川の運転している横顔を少し見る。そして街中で荒川の車を見つけ、若干の笑みを溢しながら小走りで駆け寄ろうとする。
これらのシーンから、さくらは確実的な好意が含まれている感情を荒川に抱いているのは十分に伝わってくる。
上記のようにセリフが無くとも、三人の関係性が視点と表情だけで見事に表現され、素晴らしい演出の数々を写してくれた。
そして後半、さくらは荒川が同性愛者だと知るところで物語の大きな転換点を迎える。
これもまた、うまい演出で物語序盤から中盤まで、荒川と五十嵐の仲は恋仲であるかは確定的ではなかった。所々匂ってはくるのだが、めっちゃ仲の良い友達、もしくは兄弟や親戚とルームシェアしている、という線も捨てきれずにいた。
ただあの車内での、頬を触ったり、アイスの分け方は完全な恋人同士のイチャつきで、恋仲である事が確定的になる。(ただ、観客はダブルベットであることや、ベランダのシーンで五十嵐が荒川の肩に顎を乗せ、タバコを一服欲しがるシーンでほぼ確定的にはなるのだが)
荒川が同性愛者だと分かったさくらは、時代的な意味でもショックが大きかった事を想像するのは難しくない。
「時代的な意味でもショック」と言うのは、決して差別的な意味では無く、LGBTQの認知が広がったのは(体感であるが)ここ10年くらいの出来事ではないかと思う。
人は往々にして理解、認知の及ばない事柄は、歴史の流れからも分かる通り拒絶、排除してしまうモノであると思う。
だから96年〜97年当時のLGBTQに対しても、現在ほどの理解や認知が及ばなかったのではないかと思う。(当時を生きていた訳ではないため、見当違いでしたらすいません)
また逆にさくらの視点で荒川を見ると、前半のシーンにあった練習の最後の決めポーズも見てくれず、やけにジャンプやらスケーティングなどのエコ贔屓に近い扱いを新入りの男の子にしており、荒川からの提案で急に入ってきた初心者の男の子とペアを組まされ、荒川達がイチャついてた車が自分の目の前を通った直後のシーンで、荒川とタクヤが並んでストレッチしている姿を眺める場面へと至る。
眺める場面までの出来事を組み立てると「女のスポーツを男にやらせて楽しんでるんですか?気持ち悪い」と邪な発言ではあるが、さくらが拒絶してしまう事は分からなくはない。その発言が「良いか」「悪いか」ということは置いといて、その考えに至るのは「仕方がなかった」のではないかと、情報を少ないながらもしっかりと絶妙に描かれていた。
少し脱線するが、それら行為を現在の価値観と擦り合わせて、私たちの物差しで、さくらは「加害者」ではあるかもしれないが、「差別する者」と位置付け非難してしまうのはやや傲慢な気がしてしまう。
さくらが荒川へ抱いた考えは否定しないが、ただ発言するという行為自体は、もちろん全くもって肯定出来ない。むしろ強く否定していかなければならない。それは過去から先人達が学び現在までに繁栄しくれた、または教育してくれた賜物であるし、感謝すべき事だとも言える。
そして自分は純粋に少年の恋を応援していただけだと思っていたが、さくら側から見るとそう見えてしまっていた、かもしれないという疑惑からの先の発言に答えるかのように、荒川は「羨ましかったんだ。ちゃんと恋してるのが」と吐露する。
荒川の言う「ちゃんとした恋」は今まで出来てこなかったであろうし、もし荒川がタクヤぐらいの年齢であったなら、同性愛はまず周りからは受け入れられなかったであろう。下手したらいじめなどの排除の対象にもなっていたかもしれない。だから「ちゃんとした恋」をしているタクヤを羨ましいと言った気持ちも理解できる。
それをあの短い一言のセリフと物悲しい表情で表していたのは圧巻の他言いようがない。
またタクヤとのキャチボールのシーンで「タクヤ、ごめん」と若干の涙目と声を震わせながら言う。その発言でボールのことも含まれているが、これまでの行いに対しての謝罪だと一発で分かる。あそこに池松さんの俳優としての凄さが十分に感じ取れた。
また、荒川がドライブする何気ないシーンにも音楽がかかるのに、前半で印象的だった各々の視線がすれ違うシーンと物語の転換点である車内でのシーンは音楽がかからずに、この映画の中でもたいへん際立った場面へと、より昇華していたのではないだろうか。
また、逆にこの映画の純粋性が最も高められていた、湖での練習のシーンは「going out of my head (君に夢中)」という曲が鳴り響き、周りの音は一切しない。
緩急が凄すぎる。度肝抜かれた。脱帽。
また瑣末な事ではあるが、登場人物の映画の本筋とは関係ない些細なセリフが良い。
食事中に母が「タクヤ、左手」と注意した事や、ガソスタで「社長」と声をかけ、「うぜぇーw」と返した所、車内で肉まんを食べる時に「いただきマンモス」と言って肉まんを頬張った場面。どれも似たような事を言われた事もあるし、言った事もある。
セリフが説明的では無く、演技してる役者と言うよりも、普段いる人間を写しているかのような気がして素晴らしかった。
ただ少々分からない点もあり、タクヤの父親も吃音を抱えていた事。これに関しては意図がよく分からなかったうえに、必要性も感じなかった。誰かこの意図が分かる方がいたら教えて頂きたい。
また、後半は主に荒川を軸にした物語なのに、結末はエンディングの歌もあいまってタクヤの吃音に軽く戻り帰結する事。荒川を軸にしたまま、船の上での汽笛を聞きながら終わるというエンディングでもよかったのではないかと少々感じた。(もちろん今作でのエンディング、春のあたたかな風景と、タクヤがさくらに何か言いそうな場面で終わるのも、最高によかった)
まぁでもこれまで書いた通りに、卓越した脚本と演出、自然なセリフと演技とで、たいへん素晴らしい見応えのある最高の映画でした!!
追記、パンフレットが非常に可愛らくて、素敵です。ぜひ買う事をおすすめします!
以下、この映画と自分の事を多分に踏まえて書いています。
首を上下にリズムを取りながら発話したり、言葉の一音目を連発した後、一音目を伸ばしながら言葉を発したり、一音目が出た後は割とスラスラと言葉が出たりとタクヤの吃音の演技が大変素晴らしかったです。
僕自身、幼い頃から吃音を抱えていまして、今はだいぶマシにはなったのですが、まだ発音しにくい行があったり、人の目を強く意識してしまうと吃音が出てしまったりと日々苦労しています。
これは吃音症あるあるだと思うのですが、人と喋る時は発音しやすい言葉を選んだり、タイミングや抑揚を付けながら話したり、また発音を手助けしてくれるルーティンにも近いような動作をしながら喋ったりと、割と自由度が高くまだマシになるのですが、それらを全て制限されてしまう音読の時間は本当に苦痛でしかありませんでした。そして、音読のシーンの周りの反応がリアルでした。小学校低学年の時は笑われるんです。ただ、小学校高学年くらいからは周りも理解、または慣れからか、笑われなくなるんです。むしろやけに静かになって、危険物を扱うかのように教室全体の緊張感が増すんです。
それをタクヤが音読をしている姿のアップから、小さな笑い声も一切ない静かな教室を引いて写すという形でしっかりと表現されていて非常にうまいなと感じると同時に、当時のトラウマ的記憶も蘇り、昔の自分と完璧に重なって辛くなってしまいました。
また、吃音持ちとして印象深いシーンがあります。
それは、荒川とタクヤが初めてちゃんと会話をした、スケート靴を貸した時です。
「あげるんじゃないよ、貸すんだよ」とスケート靴を差し出し「使い方分かる?」と聞いた後に、吃りながら「ホッケーの靴と似てるから」とタクヤが答えます。
僕自身の経験上、その後の返しは吃音を気遣うような「大丈夫?」とか「そんな緊張しなくて良いよ」「ゆっくりで大丈夫」などの声がかかります。
僕としては、そのような反応は相手から自分への最大の配慮がなされていてありがたいのですが、おこがましいことに、やっぱり「自分の喋り方は変で、気を遣わせてしまうよね」と自覚してしまう瞬間でもあるのです。
それを荒川は特に触れずに(時代や認知度の低さから初めて吃音症に接したかもしれないという状況の中で)何かを悟ったような顔とコンマ数秒の間をおいて、受け入れるかのように「そうだね」とだけ返します。
そこの場面で、荒川という人となり、受容度の高さが垣間見れる非常に優しい良質なシーンでした。
上記のように、友達やコーチなどの登場人物が特に吃音に触れる事もなく、逆に過干渉的な行動や哀れみの目を向ける事もなく、また制作側の健全に話せる人達のエゴ的な偽善や、タクヤに何か成し遂げさせて美談に仕上げ商業的に消費するような事もせず、ただ淡々と吃音を抱えるタクヤを映していたのが、会話をしていてつっかえた時に待っていてくれた、自分が言いたい言葉を察してリードして少し言葉を言ってくれた理解ある友人の様な安心感というか、そっと寄り添ってくれ、ただ肯定して、励まされた気がして嬉しい気持ちになれました。
だからこの映画を作ってくれたことに感謝を申し上げたいです。
ありがとうございました。
その光がもたらすもの。
光の描写が柔らかくて、冷たいはずの氷や雪がとても暖かく感じられるまさにお日さまのような映画でした。人物その人より光がもたらす陰影で見せてゆく描写が多く、表情や感情もその光ひとつひとつで表現されています。
都会から来た優しい異性の先生に密かに憧れる少女の儚い恋の終わりと、何をやっても上手くいかない吃音の少年が抱く初恋のような淡さが瑞々しくて、もうこれはこれは本当に素敵な話で終演後ロビーで思わずトリプルアクセルしたい気持ちになりました。
雪国の長い冬。スケートリンクに響く氷を削る音。恥ずかしそうに手を合わせアイスダンスを踊る少年と少女。それを見つめる先生の眼差し。楽しかった時間を壊す思春期の脆さ。でもやがて雪が溶け短い夏が訪れる。そしてまた小さな物語が動き出す予感。キャスティングもエンディングも完璧でした。
さくら と タクヤ
ついつい微笑みたくなるほのぼの感が漂う秀作。
多くを語らず表現力で気持ちが伝わる素晴らしい作品でした。湖の氷上のシーン🎬がサイコーに良かった。
エンディング曲も含めて一つの作品として完結するストーリーに脱帽でした。グッジョブ😊
ホントに観て良かったと思える作品。
是非映画館で🎦
112
3人でいた
輝いていた月日を 離してしまった手を 戻らない時間を
それぞれの持ってる時間は 皆違って
少年には 成長を
少女には 後悔を
青年には 旅立ちを
誰かに好意を持つコトが 物語の始まりならば 罪も不幸も ないんだと思う
エンドロールの ぼくのお日さま が 物語を補完するわけではないんだけど
音楽の力が 添えられたのが この物語の完結には 相応しい
あの後 タクヤが 何を言ったか
おひさまえいが
終始映像が美しくてその質感も大好だった。
キーンとした空気、温度が伝わってくる
けどぽかぽかあたたかいおひさまのような映画
とにかくみんな愛おしい
タクヤとお友達がおしゃべりしながら帰るところ、予告にもあったお友達が拍手するところが特に好き
純粋ゆえの残酷さもあって切ないけどそれも含めて愛おしい
情報はあまり入れないで見てほしいけど、時代背景がちょっと昔(90年代くらい?)なのは押さえておいた方がいいかも
ハンバートハンバート
元々ハンバートハンバートが好きで、
この「ぼくのお日さま」も、
コピーとかカラオケとか歌ってました🎤
「虎」「横顔しか知らない」
とかも良い曲だし、
往年のヒット曲をアコースティックでカバーしてる曲も多数あり、米米クラブ「浪漫飛行」大江千里「格好悪いふられ方」などもお勧めなので、是非聞いてみて下さい🙏
今の人たち、大江千里なんて知らんだろうなあ💦
あ、映画の話😅
タクヤとサクラがぎこちないダンスから、
コーチが居なくても2人で練習する所、
そこで拍手するタクヤの友だち、
あそこからずっとウルウル🥹
凍った池での3人の練習?戯れ?
あんな多幸感溢れる映像は
間違いなく今年一番👍😭
確かに敏感な思春期だと、
男同士のイチャイチャは受け入れられないだろう。
でもサクラは、タクヤの事は悪く思ってないだろう。
ラストは色んな事思わせる。
やられたー😱
サクラ演じた中西さんは、
今後本当の競技の方でも出てきそうな技術と、
抜群のビジュアル😍
タクヤは偶に女の子にも見える位だから、
女子人気出るだろうな👌
池松の配役は抜群👍
元フィギュアの選手っぽい。
若葉がまさか出てるとは意外でした😳
でも適役でした。
冒頭の話含め、
真っ先に観ようと思ってたのに、
上映回数が少ない❗️💢
「ス○○」とか減らしてもっとやって❗️
心の小箱に そっと大事にしまっておきたい
エンドロールで 号泣しました。エンドロールの少し手前あたりで 泣きそうになっていたのですが、エンドロールで 涙が出てきて 歌詞の最後で 涙が止まらなくなりました。
出演者が みんな いい!!!
舞台となる スケートリンクに 陽差しが入るのも いい。
湖のスケートリンクにも 憧れます。
パンフレットを読んで びっくりしたのですが、撮影は 湖のスケートリンクから 始められていたとの事。
あの 柔らかな わきあいあいとした 心弾む雰囲気を 引き出せたのは ひとえに 池松壮亮さんの 温かく静かな包容力が 深く大きかったからなのだなぁと 感じました。
言葉を呑み込んでいる人たちの物語
三者三様に、言葉を世界に向けて発することのできない人たちのお話でした。
タクヤは吃音で、実際に言葉が出にくい。
さくらは親にもコーチにも自分の気持ちを伝えられない。
ヒサシはおそらくあの町では口にできないセクシャリティと、それを直感によって悟られたことがもたらした誤解(彼は小児性愛者ではないので完全に誤解)を解けないまま街を出ていく。
吃音や同性愛が「取ってつけたような設定」であるというコメントがありましたけど、テーマを上記のように捉えればむしろ必然性のある設定ですね。
前半はむしろさくらが不憫に見えたのですが、呑み込んでいた言葉をようやく発する時が来たと思ったら、まるで異なる形で出てしまうという悲劇。
それも、何が原因で誰が悪いとも言えないような形で……
タクヤや友人があまりにかわいいのでそれだけで泣きそうになりますけど、しかし表面的にはそこまで悪意に満ちた人が出てこないのは、悪意は発する本人も予期せぬところで現れて人間関係を壊してしまうという世界の不穏さの対比のように思いました。
ラスト、二人の出合い直しになるといいなと思いつつ。
私、この映画は好きですが、かなりしっかりとミソジニーの匂いもすることを付記しておきます。
ローラーとバイオリン、じゃなくて
ローラーとバイオリンとは、タルコフスキーの卒業製作作品だが、あの瑞々しさったらない
あれは、バイオリンを弾く少年と
作業車運転手の、ささやかな交流であった
見せ物としては
取るに足らない、そんなはずのおはなしを
掘り下げて、掘り下げて、マクロかミクロかよくわかんないけれど、
いま、目の前に起きている、現実として
目と耳に訴えた
あー、ぼくのお日さまは、そんなすごい作品と並んでしまいました
名作でした
「美しさと残酷さ」
タクヤは、美しく光り輝きフィギュアスケートをしている少女さくらをうっとりと見つめ続ける。まるでなにかにとらわれたように見つめ続ける。さくらへの憧れから、タクヤもフィギュアスケートを始め荒川の指導をうけていく。タクヤと荒川にはいつしか信頼関係が築かれていく。
さくらのコーチをしている荒川は、さくらにタクヤとアイスダンスのペアを組む提案をしさくらは同意し荒川の指導のもと二人の練習が始まる。リンクには西日が差しこみ綺麗な光につつまれている。まさに冬の「お日さま」を浴びているようだ。そこで二人が手をつなぎ、タクヤがさくらの腰に手をまわし。足を手を振り滑る、シンクロして滑る姿は美しく目を奪われる。二人がうまく滑れたときタクヤとさくらの笑顔、ハイタッチ、心がなごむ。特に川の氷での練習は解放感にみち荒川、さくら、タクヤが一つのチームとなって強固な信頼関係で結ばれ目標であるバッチテストにむかっていた。すべてが順風満帆なとき、さくらは、荒川の「実態」を見てしまう。
多感な思春期にある中学生のさくらには、荒川の「実態」を受け止められない。さくらは、はっきりと荒川に自分の想いを伝え荒川から離れ、タクヤと再びペアを組むこともなかった。荒川もさくらに「実態」を突き付けられたとき、なに一つ言い訳をしなかった。それが「現実」だから。
タクヤはバッジテストに現れないさくらに自分が嫌われたと思う。ただタクヤは吃音で自分の想いをしっかり伝えられない。さくらになぜ来なかった問えず、心ここにあらずにリンクにいる姿が切なく描出される。
奥山監督は光り輝く三人の美しいコラボレーションを見る者の脳裏に刻み付け、吃音障害とLGBTQの「実態」を提示する。さくらの若さが「理解不能」をうみ、単に善悪ではなく、奥山監督の描出するさくらの荒川に対する「拒否反応」が一瞬にして残酷な結末に転じる。この厳しい終焉には輝く光はない。春をむかえても暗澹としたタクヤと荒川の姿に胸をえぐられる。終幕、道で再会したタクヤとさくらの笑顔に救われた。
純真
136本目。
設定は10年ちょっと前位か、それよりもうちょっとか?
多感な時期にペアとかは嫌じゃないとかは杞憂で、純真さに心持っていかれる。
時代が時代だから、その辺の難しさはあったりもするけど、まだ始まったばかりだよと思ってしまう。
冬の雪道の、春溢れる緑の、通学路
いい映画だった
「たくや、さ、女の子のほう見てたでしょ」
『みみみみてない。見てないよー』
「じろじろー、じろじろー(笑)」
『僕はそう、思いません』
「僕はそう思います(笑)」
あの冒頭の下校の雪道のシーンで、すでにもってかれた。あの雪道の登下校は、北海道の小学生のあるある。そこで交わされる会話も。
男の子も女の子も、小学生同士の会話がどことなくユーモラスで、観ていて微笑みがこぼれてきた。あの頃は、ほぼピュアだから。皆んな。
大人たちがいるから、もちろん、それだけではないんだけれど…
スリージャンプの練習のシーン。
ぽろん、ぽろんと鳴っていたピアノが、ゆっくりと「月の光」のメロディになっていくところがよかった〜♪
窓のあるスケートリンクや、晴れた日の雪一面の外の景色や、あの湖の一日。まばゆい白い光(Photon!)は、あの時間、気持ち、動き、を永遠にしていた。
そう、あの頃って、今より瞬間瞬間に存在してたと思う。
考えてみれば…、あの頃、身の回りに起こった事件って、しっかり決着がつくことなんて、(逆に)なかった。
そうそう、中途のまんまでおわることばかりだったなあ。
初恋や憧れという思春期の少年が抱える仄かな想いをテーマに描いた青春グラフィティ、と思わせておいて、実は重めのテーマも抱えた作品です。ラストシーンの続きが気になります。
上映前に流れる「劇場内ではマナーを守りましょう」の映像の
この作品バージョンを観てから、何となく本編の方が気になって
しまい、鑑賞することに。・_・
さあ鑑賞。
舞台は北海道。
野球の練習中、ボーっと立ったままの少年。
目の前に白いものが舞い降りる。
雪だ。
空を見上げる少年の頭上をボールが越えて弾む。
※これだけで、この少年の感性・性格が伝わってきます。
静かで雄弁な人物紹介だなぁと感心。・_・
場面代わってスケートリンク。
アイスホッケーのゴールを守るのは、また同じ少年だ。
相手のシュートが飛んでくる。
プロテクターの無い脇腹にパックが当たる。
ああ、痛そう…
脇腹を気にしつつ道具を片付け、帰ろうとする少年。
視線の先、リンクの中には一人の少女。
今はフィギュアスケートの練習時間だ。
軽やかに滑り、ジャンプ。
華麗な演技に心を奪われ、じっと見つめ続ける。
友人から " もう帰るよ " と声が掛かるまで眺めていた。
次の日、皆が帰った後のリンクの上に一人
昨日の少女の滑りを真似ようとする少年の姿が。
ぎこちない滑り。ジャンプ。転倒。
スピン …のつもりで 回転。トテトテトテ。
そんな少年を見ている一人の男。
フィギュアスケートの少女のコーチをしている男だ。
見知らぬ少年の、フィギュアスケートの演技(?)が
気になっているようだ。
次の日もまたフィギュアの練習(?)をする少年に
コーチが声をかける。
” その靴では、フィギュアの滑りはムリだ ”
” … ”
言葉の出ない少年に、更に声をかける。
” 上手く滑れるようになりたいか? ”
” !! ” ※うん
” この靴を使え ”
” !? ” ※いいの?
” あげるんじゃない。貸すだけだ ”
” …!” ※…ケチ じゃなくて ありがとう
こうして、月謝を貰うわけでもない少年を相手に
コーチのフィギュア指導が始まった。
熱心な練習の成果か、次第に上手になる少年の滑り。
本来の生徒である少女も、少年が気になっているようだ。
そんな頃。
コーチが、少年と少女でペアを組むことを提案する。
” 私はシングルでの大会出場が目標なので… ”
渋る少女に、コーチはこう説得する。
” ペアでの練習は、シングルの滑りにも良い影響がある ”
いざペアでの練習を始めてみると、奥が深い。
相手の滑りを意識したスケーティングが必要になるので
一人で滑る時よりも考えて滑る事が増えるのだ。
ペアでの滑りがサマになってきた頃,コーチが切り出す。
アイスダンスの競技に出るための、参加資格を取らないか と。
その気になり、練習を続けていた二人だったのだが
ある日、少女が、コーチのある場面を見てしまう。
もしかしたら、あの少年に対しても…
急速に冷えていく少女の心。練習にも来ない。
そして、出るはずだった出場資格をえるための資格審査会場にも
とうとう少女はやってこなかった。 あららー。
少女が何を見たのか、気になる方は劇場まで。 ・-・;
…ということで
フィギュアの練習を通して、少年・少女・そしてコーチの間の
心の揺らめきを描いた作品でした。
鑑賞前に予想した程には軽くもない内容の作品で
ハッピーエンドとは言えない終わり方とも思うのですが
それぞれが新しい道に進むのだろうと思わせる、何とも
絶妙なバランスの上に成り立っている作品でした。
鑑賞後も不思議な余韻が残っている感じです。
観て良かった。
◇あれこれ
■舞台の街は何処?
どこなのだろうと、鑑賞しながらあれこれと予想。
北海道? 小樽? 函館? 北見?
ロケ地の地名を見たら、白糠。北海道の太平洋側か。
少年の家。犬小屋は家の外に。 寒くないのだろうかと心配。
※この柴犬クン、良い味出してました。 いいな♡
■お日さまは誰のこと?
タイトルにもある「お日さま」。そして「ぼく」。
少年にとってのお日さまは、たぶん少女。 そして
コーチにとってのお日さまは、少年。
自分に無い美しい演技をする少女への憧憬と
自分が失った純粋な情熱を持つものへの懐古と。
それに浸るだけでは無い、それぞれが前に進もうとすることを
予想させるエンディングだったと思います。
■少し感じた違和感
「男子に女子の振りつけを教えて楽しいんですか?」
自分が食べているものに、相手が口をつける。
自分には見せないような柔らかな笑顔を見せる。
恋人同士がするような行為を男同士でしている場面を目撃したさくらが
コーチにぶつけたセリフ。
同性愛者に対して、思春期の少女が感じた嫌悪感は、まだ分かります。
ただ、フィギュアスケートが女性の競技であるかのようなセリフには
かなり違和感を感じました。(この作品中、唯一の違和感かも)
いつ頃の価値観なのかと疑問だったのですが、パンフを見ていたところ
このお話の時代は2000年ちょうどの頃のようだと分かりました。
(携帯電話も折畳式のガラケーだった気が…)
その頃だと、世間一般の認識はそんな感じだったかなぁ…。
と、フィギュアスケートのペア競技を描いた漫画を思い出しました。
「愛のアランフェス( 作:槙村さとる)」は1980年ころの作品です。
ストーリー忘れました。・-・ もう一度読んでみたい気が…。
■少女を演じた子
13才ですか。若いなぁ。
フィギュアスケートも経験者なのでしょうね。とても上手。
作中でもスケーティングが上手くなる様子が演じられていた気がします。
(少年のスケーティングも、次第に上手になっていくのが分かりました)
清原果耶さんや芦田愛菜さんに少し似ているような気もしました。
今後の確約に期待したいです。
◇最後に
吃音に悩む少年が、野球やアイスホッケーよりもフィギュアス
ケートをやりたいと思う少年の心の機微。そして思春期の少女の
異性に対する敏感な感受性。
さらには同性愛嗜好のある(と思われる)コーチという、色々な
要素が丁寧にぎっしりと練り込まれた、無駄も隙も無い繊細な
ストーリーの作品だったなぁ と。
画面に映ったもの全てが、こちらに語りかけてくる感じで
意味の無いカットが無く感じられるくらいに充実の90分でした。
☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで。
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