ぼくのお日さまのレビュー・感想・評価
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女の子のスポーツを男の子にやらせて楽しいですか
映画っていいなー
映像ってステキだなーと改めて感じさせてくれる。
一方的な視線の曖昧な関係を曖昧なまま曖昧な距離感で映し出されていく。その映像に中に様々感情の動きを感じさせながら。一方的だった3人が一つのチームになり、多幸感が溢れ、また一方的な思い込みで関係が崩れていく。それが成長なのか、自覚なのか、自立なのか、そして最後はなんと声をかけたのか…
そう、全部わからんでええんよな(๑˃̵ᴗ˂̵)
なんだか、いい。
監督初の、商業映画とのこと。
吃音がある少年は、スケートリンクで見かけたフィギュアスケートの少女に美しさというか魅力を感じ、自分もフィギュアを真似てみる。それを見た少女のコーチは、彼にフィギュアの基礎を教え、さらに少年と少女をアイスダンスへの挑戦にいざなう、という話。
をを、書いてみるとまるでスポーツ映画。ただ、実際は、何も起きない。「これ、商業映画なのだろうか?」と心配になっちゃうくらい、何も起きない。
では、何もないつまらない映画なのか? これが不思議なことに、エンドロールで主題歌を聞きながらの時間、俺はこの上なく幸せに包まれていた。観ている間ずっと「何も起きないなあ」と感じていた俺が。
いや、これは観てみなければわからない感覚だったな、と、観た俺を褒めたいかな。
「僕はイエス様が嫌い」も、心の震え度合いを上手くレビューできなかったなあ、なんか控えめなレビューになっちゃったなあ、と思ったのだが、今回もその点はやはり変わらない。
監督は "映像の人" なのかな? 俺の言葉の中に、この映画の素敵さを上手く伝える言葉が、足りなすぎる。
ぜひ観てみてください。そして感じてみてください。
おまけ1
四角い映画でした。スタンダードサイズって言うのかな。
おまけ2
MVも手がけている監督なんだそうですね。米津さん(玄師)の「地球儀」のMV撮った人と聞きました。(ゆきさん、教えてくれてありがとうございました!)
言われてみれば、「映像の人」という感じは、よくわかります。「映像で語る人」と言った方がいいのかな。ともすればMVを手がけて、映画に来た人には、絵はきれいなんだけど、お話がなあ、と感じる人も少なくないと俺は勝手に思っているのですが、監督は前作「僕はイエス様が嫌い」に続いて、俺の心を捉えてくれました!
絵で語りかけてくれたんだろうな。絵のタイプは違うけど、岩井監督(俊二)のいる象限に位置している監督なんだろうな…
おまけ3
「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」を思いだしながら、「吃音を扱った映画にハズレなし!」と勝手な思いを馳せました。
おまけ4
朝の通勤電車で「ぼくのお日さま」聞いてたら、最後の方で涙が出そうになった。危ない、危ない。(実際は、ちょっと出た)
やさしい映画
さくらの行動に納得がいかない
さくらが先生の事でショックを受けたのは仕方がないとしても、本番をすっぽかしてタクヤを傷つけてもいいという事にはならない。
それがどれだけ今まで一生懸命やってきたタクヤを傷つけるか、彼女の年齢ならわかるはずだ。
先生に対しても暴言を吐いてたし、自分と違う生き方をする人を貶めても、さくらは後悔しないんだろうか。
とりあえず、さくらの事を一言も責めなかったタクヤに謝ってほしいと思った。
女の子見てたよね。見てます。
役所さんのコメント通りの映画でした。 追記
「清潔で美しい映画でした。」
3人でアイスダンスの練習を始めたら涙が出てしまった。悲しい涙でも嬉しい涙でもない、自然と涙が溢れてきた。
そして、多幸感につつまれた湖のシーンが観られただけでいい。
全く予想していなかったから、そっちへいくのか、その設定いるのかなとも思ったけど、まぁあれじゃ女の子ヤキモチ妬いちゃうよね。
こういう終わり方か、と思った途端にあの主題歌!
反則だ。泣いちゃうよ。
誰も死ななくても、誘拐されなくても、爆弾爆発しなくても、チェンソー出さなくても、過去や未来に行ったりしなくても、映画って面白い。
追記
「明日に向かって撃て」のバート・バカラックの主題歌にのせてポール・ニューマンとキャサリン・ロスが自転車に乗るシーンや、「小さな恋のメロディ」のトレーシー・ハイドとマーク・レスターが学校を抜け出して遊園地でデートするシーンと同じように、多幸感あふれるあの湖のシーンだけでも、宝物として記憶に残る作品になりました。
中西希亜良ちゃんは
映画の良さがいっぱい詰まっています。
もうあと20分くらいあっても良かったかも。
今年330本目(合計1,422本目/今月(2024年9月度)16本目)。
※ (前期)今年237本目(合計1,329本目/今月(2024年6月度)37本目)。
私が東京テアトルさんの株式を持っている(=株主優待券で映画が見られる)ので、ある程度は東京テアトルさん配給の映画には甘いのかもしれませんね。とはいえ、基本的に大ハズレを引くことは少なく極端にヘンテコな作品が少ないのでおススメはできますね(全体的傾向)。
本作品については、一つは北国の雪国を舞台にいわゆる「北国ならではのスポーツ」を扱った事情、さらに同性愛関係、あるいは吃音関係と色々と語る論点がありますが、惜しいのが90分という短さで、問題提起ははっきりしているものの、どれもが中途半端な部分がどうしても否めず、そこがかなり惜しいかなといったところです。この点、インディーズ映画系であれば40~60分の短編・準短編という作品も明確にありますが、東京テアトルさん配給の映画といえば超大手と比べると知名度は落ちるとしても、それほど「説明不足」というほど短くすることもなく、ちょっとその点が惜しかったかなという気がします。
ただこのことは各自で結論は考えてねというフランス映画のような問題提起型で余韻を残すタイプに思えるし(実際、この映画はフランス映画祭りに出されるとのことなので、その意味でのフランス映画という観点でも合うのでしょうね)、その「各自で考えてね」の部分についても明確に論点がはっきりして「投げっぱなしでもない」点は良かったです。
および、海外作品はもちろん、日本映画でもオープニング・エンディング、あるいは作内音楽の歌詞等が明確に字幕に出ることは案外少ないものの(歌詞に明確な意味があるものは除く。また、海外作品でも英語以外のマイナー言語ではつくことも)、この映画では明確にエンディングロールでテーマ曲の全歌詞が出ます。この点はとても良かったところです。「吃音に悩む少年」の部分との関係だと思いますが、明確に歌詞からも映画の述べたいところの推測も可能であり(日本語として聞き取るのは、背景音楽などが流れる「映画」では、日本映画であっても案外厳しいことが多い)、この点は配慮があってよかったです。
採点に関しては以下まで考慮しています。
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(減点0.3/もうあと20分くらいあっても良かったかも…)
映画で述べたいところであろう趣旨は色々あり、それらも明確な形で問題提起されているのでそこまでの減点幅ではないですが、もう少し「あと一歩の踏み込み」に相当する、あと10~20分くらいあっても良かったかな、といったところです。
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(減点なし/参考/ミニシアターでの鑑賞について)
いつもと違う映画館(シネリーブル神戸)で見ましたが、この映画は北国の氷上のスポーツを扱うなどする関係で、「白い」画面が多いです。ミニシアターだと法律の規定との関係でいわゆる非常灯が(相対的に)まぶしく感じることがありますが、この映画はまさにそれで、白銀の世界が見えにくい部分が多々あったのが気になりました(この点気にされる方は、非常灯などの影響を受けにくい大手の映画館か、ミニシアターでも真ん中の席などが良いかもしれません)。
美しいが
懐かしさとせつなさがあふれでてきて
子どもが登場する話のなかには、自分が生きてきた過程をたどっていくような思いを持つものがある 自分の育ってきた環境とか周囲の友だちとか、また時に親以外の大人の存在も子どもの成長発達への影響は大きく、こういった作品にふれて、自分の子ども時代を振り返ってみる 主人公の少年にとっては、スケートをしていた少女と、そのコーチとの出会いがそれまでのうつむきがちな日々から、脱していくきっかけとなっていく
スポーツ選手を育成していく中で生まれた「コーチング」という言葉は、選手の実力をどう引き出すのか、という選手側に寄り添った考えが強いが、コーチの側に立っても、コーチ自らの力量を選手の成長を通じて確認できるものである コーチ自らの教え方によって、対象である選手の実力が向上すれば、コーチ自身が自信を獲得することになる
学校の先生の「画一的な指導」と違って、スポーツは「個々の能力・到達に応じた指導」となるだけに、池松さん演じるコーチが少年への指導に熱中し、その指導に応えて実力をつけていく少年の成長を、嬉しく観ておりました 話の展開は、どこか子ども時代に通り抜けた懐かしさを感じつつも、心地いいものでした 「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」でも学校生活と吃音・コミュニケーションが描かれていましたが、本作でも少年を見守ってくれている友だち・同級生の存在が暖かい気持ちにさせてくれました
たまたま出会ったコーチも子どもの人生に大きな影響を与えるかもしれない存在ですね
定員100くらいの劇場が9割くらいの入り 年配の方も多く驚きでした
(9月14日 テアトル梅田にて鑑賞)
スケートシーンの映像美は特筆もの。物語は思わぬ方向に転がり出しますが、ここは好みは分かれそうです。ラストシーンのあるひとコマで納得されることでしょう。
今年の邦画界は例年以上に、注目の気鋭監督の新作が次々と封切られています。中でもこの秋は目白押し。1996年生まれの奥山大史監督が脚本、撮影、編集も手がけ、カンヌ国際映画祭の「ある視点」部門にノミネートされた本作もご多分に漏れず、際立った才覚を感じさせてくれました。
「僕はイエス様が嫌い」で第66回サンセバスチャン国際映画祭の最優秀新人監督賞を受賞した奥山大史が監督・脚本・撮影・編集を手がけ、池松壮亮を主演に迎えて撮りあげた商業映画デビュー作です。
奥山監督が幼少期に7年間フィギアスケート習っていた経験をもとにプロットを考え、吃音をもつホッケーが苦手な少年と、フィギュアスケートを学ぶ少女と、少女のコーチの3人の視点で、雪の降る街を舞台に物語が描かれます。
撮影は2023年冬に北海道の各地でで行われ、作品では架空の街を舞台としています。
●ストーリー
始まりは秋。野球の練習中、外野に立ちながらも、飛んでくるボールはそっちのけで初雪に見とれる小学6年生のタクヤ(越山敬達)。彼は雪が積もる田舎街に暮らしていて、スポーツ少年団の一員なのか夏は野球、冬はアイスホッケーの練習にいそがしく通い詰めていました。でもホッケーは苦手で、さらにきつ音持ちで、人にうまく気持を伝えられない少年だったのです。
そんなタクヤがアイスホッケーの練習中にケガをしたとき、偶然同じリンクでフィギュアスケートの練習をする少女・さくら(中西希亜良)に目が止まります。ドビュッシーの「月の光」に合わせ氷の上を滑るさくらの姿に、心を奪われてしまうのです。
さくらのコーチを務める荒川(池松壮亮)は、さくらの練習をみていたある日、アイスホッケー靴のままフィギュアのステップを真似して何度も転ぶタクヤの姿を目にします。タクヤのさくらへの想いに気づき、恋の応援をしたくなった荒川は、タクヤにフィギュア用のスケート靴を貸し、ホッケーとは違うフィギュアの姿勢や滑り方を教えるようになります。
一方、荒川のもと、熱心に練習をするさくらは、指導する荒川の目をまっすぐに見ることができません。コーチが元フュギュアスケート男子の選手だったことを友達づてに知ります。
タクヤが、きちんと滑れるようになったのを見た荒川は、さくらと2人で組んでアイスダンスをするよう指導します。タクヤとさくらのアイスダンスはどんどん上達していき、2人は手を取りあって円を描くまでになり、タクヤの友だちのコウセイ(潤浩)が拍手するほど見事に。そんな2人を、荒川は車に乗せて、氷が張った湖に連れて行きます。お日さまが照らす凍った湖面で、氷上でアイスダンスをするタクヤとさくら。それに加わる荒川。3人が一つになり、陽光の下、氷上で滑り、踊り、じゃれ合うのです。まさに至福の時でした。
フィギュアスケートの大会出場を目指すふたりとコーチの幸せな関係は、ずっと続いていくかのようでした。、
●解説
季節は北海道の厳冬期にあたり寒々しいばかりなのに、景色は温かみすら感じさせるスケートリンクの映像が素晴らしいのです。
窓から差し込む光の中、フィギュアスケートの練習をする少女の姿がシルエットのように浮かび上がります。それは、アイスホッケーに興じる少年たちを捉えた画面にも通じるのです。光の捉え方、当て方がいとも繊細で美しいのです。
幼い頃フィギュアスケートを習っていた奥山監督だけに、時に氷上を滑りながら自然光と照明を生かして撮ったシーンの数々には見とれるばかりでした。
しかも、タクヤのさくらに対する思い、さくらの荒川への思いが、視線やかすかな表情、仕草から見て取れるのです。
氷上をぎこちなく一緒に滑る姿に、不安定な片思いが重なります。後半には関係性が崩れる展開もありますが、奥山監督は思春期の通過点として柔らかいまなざしを向けるのです。それは観客にとっても自らの思春期を思い起こさせ、深い共感を抱かずにはいられないでしょう。3人のスケーティングのシーンの輝きは、何かに夢中になった日々の輝きに見えることでしょう。そして、スタンダードサイズの画面が宝物のような時間を観客にも印象づけるのです。
ところで荒川が帰り道の車中でカセットテープをかけているところを見ると、時代設定は少し昔のようです。そして、ガソリンスタンドを継いでいた五十嵐(若葉竜也)の住む街に引っ越してきたようなのです。彼は荒川の恋人であり、作品の時点では同棲していました。この伏せられた事実が、3人の関係に波紋を呼ぶことになるのです。
こうした背景をテンポ良く、さりげなく観客に伝える脚本、演出が鮮やかです。
タクヤを演じた越山敬達と、さくらを演じた中西希亜良はそれぞれフィギュアスケートの経験があり、オーディションによって選ばれました。ふたりのスケーティングがそれらしく見えるのも納得です。そして越山は本作で映画初主演、中西は演技デビューを果たした新人とはいえない演技でした。
●最後に一言
物語は思わぬ方向に転がり出します。ここは好みは分かれそうですが、ラストシーンのあるひとコマで納得されることでしょう。
エンドロールでは今作に大きな影響を与えた「ハンバートハンバート」の曲が流れます。
♪こみあげる気持ちで ぼくの胸はもうつぶれそう~♪
歌詞を見ながら聴き入っていると、タクヤの心情に重なり、気づけば涙し、鑑賞後にこうも思いました。昨今の映画には派手な展開が求められがちですが、そんな中にぽっと現れた、宝物のような作品だといえるなと。
リンク上の師弟三人が織りなす透明な世界
全くノーマークだったけど、小品ながらとても心が浮き立つような作品でした。吃音の小6の男の子が、フィギュアのコーチと出会い、中学生の女の子とアイスダンス大会を目指すストーリーです。二人がコーチとじゃれ合うようにしながらスケートの表現がグングン上達していくのが微笑ましく、主役の男の子と女の子への作り手の暖かい視線が感じられるようでした。二人がリンクを滑るのをカメラマンが一緒に滑りながら撮影しているため、見ていて何か保護者みたいに応援したくなってきます。ところが、後半になってコーチの性的指向が3人の関係に影を落とす展開となり、今までのふんわりとした流れから変わってしまうのが痛し痒し、この展開必要だったのかな?役者では、池松壮亮が淡々とした台詞回しが上手くハマって、コーチと言うより子供達のちょっと歳が離れたお兄さん的な感じがよかったです。子役二人もよかったけど、中西希亜良ちゃんが正統派美少女で笑顔が魅力的でした。
なんと、まさかの。
少年&少女のフィギュアを通した成長物語かと思ったら、まさかの展開。中々こーいうシナリオは思いつかないよね。
ダブルベッドを観た時になんか怪しいとは思ったがやっぱり。。。
少女は中学生だったんだね。
気難しいねー。なんか腹立った。
そして最後まで謝らなかったね。
ま、いつか20歳過ぎた頃に悟るんだろうけど。
少年は無邪気で可愛いかったね。
いい意味で単細胞な男の子はいいなって思った。
最後の2人
どんな会話をしたんだろ?
ここで終わるなって思ったらやはり終わった(笑)
凄く気になる。
ドビュッシーの月の光
最高。切ない。
最近は映画で度々使われるけど飽きないなー。
エンドロールがMVみたい
切なさと哀しみ
ラストシーン、ダブダブの中学の制服を着たタクヤが遠くの方から、こちらに向かってやって来る さくら を認める。少し躊躇気味に歩を緩めるが、すぐに何か決心したかのように速足になる。
そして立ち止まりお互い見詰め合う。
タクヤは何事かを言いたくて、言葉を発しようとするも吃音のためなかなか出来ない。かすかに何かくぐもった音が聞こえるか聞こえないか、その瞬間画面は唐突に暗くなる。
タクヤは何を言いたかったのだろう?
「ア、ありがとう」か 「アイスダンス楽しかった」か 「フィギュア頑張ってる?」か
でも結局、どんな言葉もその時のタクヤの気持ちを適確に表現する言葉はないのでは。
映画はすでに私たちにタクヤの経験した、愛おしくも哀しい日々、さくらも同様に切なくも哀しい過去、そして一瞬だったけど楽しく幸せな日々を共有出来たことを表現していた。
スケート場の周りの窓ガラスから射し込む溢れかえる光芒の中、さくらは生き生きと滑り舞い、タクヤの視線はその光の中からさくらを発見し、まるでフラッシュを浴びたかのような経験をする。
でもやはりタクヤはさくらとの再会で、何を伝えたかったのだろう
映画芸術が爆発している
北の国での点と点が一瞬線になってまた点と点に帰っていくが、確実に苦さを背負って次のステージにいく。つまりみんな大人になっていく。
意識してしまったがゆえに始まった幸せと、不幸せを、めちゃくちゃかわいくチャーミングな世界観の中で、しかも言葉でなく身体で、しかも北国の唯一の娯楽のようにみもみえるスポーツ施設の中での教え、教わるという設定の中に封じ込めて90分で描き切る。
徹底的な説話と台詞の引き算と身体描写と風景描写。映画的感性を持った人間がこの競技をやっているとこのような映画が生まれるのだな、と思いながら、これを20代で、かつ、脚本や編集だけでなく撮影までこなして、さらに滑りながらのオペレーションまでこなして成立させるなんてまたなんという才能だ。この映画は宝物のような輝きを放っているけれど、奥山大史という監督そのものもまた日本映画の宝物だろう。そしてやっぱり20代だからこその鮮度を持った題材だとも思う。
子どもたちも池松壮亮も若葉竜也とみんな素晴らしく、途中もうどうしようもなく美しく、また、思わず拝みたくもなる(笑)尊いカットが連続するが、もちろんさらっと撮れてるものであるはずがなく、単にかわいくみえるそれを狙いに狙って撮りにいく狂気を感じる。この映画はそんな一瞬で過ぎ去ってしまう輝きをテーマにしたものでもあり、確実にその輝きを捉え、残酷に突き放しもし、次の輝きに向かう「光」や「輝き」をテーマにしてるのだと思った。
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