ぼくのお日さまのレビュー・感想・評価
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懐かしさとせつなさがあふれでてきて
子どもが登場する話のなかには、自分が生きてきた過程をたどっていくような思いを持つものがある 自分の育ってきた環境とか周囲の友だちとか、また時に親以外の大人の存在も子どもの成長発達への影響は大きく、こういった作品にふれて、自分の子ども時代を振り返ってみる 主人公の少年にとっては、スケートをしていた少女と、そのコーチとの出会いがそれまでのうつむきがちな日々から、脱していくきっかけとなっていく
スポーツ選手を育成していく中で生まれた「コーチング」という言葉は、選手の実力をどう引き出すのか、という選手側に寄り添った考えが強いが、コーチの側に立っても、コーチ自らの力量を選手の成長を通じて確認できるものである コーチ自らの教え方によって、対象である選手の実力が向上すれば、コーチ自身が自信を獲得することになる
学校の先生の「画一的な指導」と違って、スポーツは「個々の能力・到達に応じた指導」となるだけに、池松さん演じるコーチが少年への指導に熱中し、その指導に応えて実力をつけていく少年の成長を、嬉しく観ておりました 話の展開は、どこか子ども時代に通り抜けた懐かしさを感じつつも、心地いいものでした 「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」でも学校生活と吃音・コミュニケーションが描かれていましたが、本作でも少年を見守ってくれている友だち・同級生の存在が暖かい気持ちにさせてくれました
たまたま出会ったコーチも子どもの人生に大きな影響を与えるかもしれない存在ですね
定員100くらいの劇場が9割くらいの入り 年配の方も多く驚きでした
(9月14日 テアトル梅田にて鑑賞)
スケートシーンの映像美は特筆もの。物語は思わぬ方向に転がり出しますが、ここは好みは分かれそうです。ラストシーンのあるひとコマで納得されることでしょう。
今年の邦画界は例年以上に、注目の気鋭監督の新作が次々と封切られています。中でもこの秋は目白押し。1996年生まれの奥山大史監督が脚本、撮影、編集も手がけ、カンヌ国際映画祭の「ある視点」部門にノミネートされた本作もご多分に漏れず、際立った才覚を感じさせてくれました。
「僕はイエス様が嫌い」で第66回サンセバスチャン国際映画祭の最優秀新人監督賞を受賞した奥山大史が監督・脚本・撮影・編集を手がけ、池松壮亮を主演に迎えて撮りあげた商業映画デビュー作です。
奥山監督が幼少期に7年間フィギアスケート習っていた経験をもとにプロットを考え、吃音をもつホッケーが苦手な少年と、フィギュアスケートを学ぶ少女と、少女のコーチの3人の視点で、雪の降る街を舞台に物語が描かれます。
撮影は2023年冬に北海道の各地でで行われ、作品では架空の街を舞台としています。
●ストーリー
始まりは秋。野球の練習中、外野に立ちながらも、飛んでくるボールはそっちのけで初雪に見とれる小学6年生のタクヤ(越山敬達)。彼は雪が積もる田舎街に暮らしていて、スポーツ少年団の一員なのか夏は野球、冬はアイスホッケーの練習にいそがしく通い詰めていました。でもホッケーは苦手で、さらにきつ音持ちで、人にうまく気持を伝えられない少年だったのです。
そんなタクヤがアイスホッケーの練習中にケガをしたとき、偶然同じリンクでフィギュアスケートの練習をする少女・さくら(中西希亜良)に目が止まります。ドビュッシーの「月の光」に合わせ氷の上を滑るさくらの姿に、心を奪われてしまうのです。
さくらのコーチを務める荒川(池松壮亮)は、さくらの練習をみていたある日、アイスホッケー靴のままフィギュアのステップを真似して何度も転ぶタクヤの姿を目にします。タクヤのさくらへの想いに気づき、恋の応援をしたくなった荒川は、タクヤにフィギュア用のスケート靴を貸し、ホッケーとは違うフィギュアの姿勢や滑り方を教えるようになります。
一方、荒川のもと、熱心に練習をするさくらは、指導する荒川の目をまっすぐに見ることができません。コーチが元フュギュアスケート男子の選手だったことを友達づてに知ります。
タクヤが、きちんと滑れるようになったのを見た荒川は、さくらと2人で組んでアイスダンスをするよう指導します。タクヤとさくらのアイスダンスはどんどん上達していき、2人は手を取りあって円を描くまでになり、タクヤの友だちのコウセイ(潤浩)が拍手するほど見事に。そんな2人を、荒川は車に乗せて、氷が張った湖に連れて行きます。お日さまが照らす凍った湖面で、氷上でアイスダンスをするタクヤとさくら。それに加わる荒川。3人が一つになり、陽光の下、氷上で滑り、踊り、じゃれ合うのです。まさに至福の時でした。
フィギュアスケートの大会出場を目指すふたりとコーチの幸せな関係は、ずっと続いていくかのようでした。、
●解説
季節は北海道の厳冬期にあたり寒々しいばかりなのに、景色は温かみすら感じさせるスケートリンクの映像が素晴らしいのです。
窓から差し込む光の中、フィギュアスケートの練習をする少女の姿がシルエットのように浮かび上がります。それは、アイスホッケーに興じる少年たちを捉えた画面にも通じるのです。光の捉え方、当て方がいとも繊細で美しいのです。
幼い頃フィギュアスケートを習っていた奥山監督だけに、時に氷上を滑りながら自然光と照明を生かして撮ったシーンの数々には見とれるばかりでした。
しかも、タクヤのさくらに対する思い、さくらの荒川への思いが、視線やかすかな表情、仕草から見て取れるのです。
氷上をぎこちなく一緒に滑る姿に、不安定な片思いが重なります。後半には関係性が崩れる展開もありますが、奥山監督は思春期の通過点として柔らかいまなざしを向けるのです。それは観客にとっても自らの思春期を思い起こさせ、深い共感を抱かずにはいられないでしょう。3人のスケーティングのシーンの輝きは、何かに夢中になった日々の輝きに見えることでしょう。そして、スタンダードサイズの画面が宝物のような時間を観客にも印象づけるのです。
ところで荒川が帰り道の車中でカセットテープをかけているところを見ると、時代設定は少し昔のようです。そして、ガソリンスタンドを継いでいた五十嵐(若葉竜也)の住む街に引っ越してきたようなのです。彼は荒川の恋人であり、作品の時点では同棲していました。この伏せられた事実が、3人の関係に波紋を呼ぶことになるのです。
こうした背景をテンポ良く、さりげなく観客に伝える脚本、演出が鮮やかです。
タクヤを演じた越山敬達と、さくらを演じた中西希亜良はそれぞれフィギュアスケートの経験があり、オーディションによって選ばれました。ふたりのスケーティングがそれらしく見えるのも納得です。そして越山は本作で映画初主演、中西は演技デビューを果たした新人とはいえない演技でした。
●最後に一言
物語は思わぬ方向に転がり出します。ここは好みは分かれそうですが、ラストシーンのあるひとコマで納得されることでしょう。
エンドロールでは今作に大きな影響を与えた「ハンバートハンバート」の曲が流れます。
♪こみあげる気持ちで ぼくの胸はもうつぶれそう~♪
歌詞を見ながら聴き入っていると、タクヤの心情に重なり、気づけば涙し、鑑賞後にこうも思いました。昨今の映画には派手な展開が求められがちですが、そんな中にぽっと現れた、宝物のような作品だといえるなと。
リンク上の師弟三人が織りなす透明な世界
全くノーマークだったけど、小品ながらとても心が浮き立つような作品でした。吃音の小6の男の子が、フィギュアのコーチと出会い、中学生の女の子とアイスダンス大会を目指すストーリーです。二人がコーチとじゃれ合うようにしながらスケートの表現がグングン上達していくのが微笑ましく、主役の男の子と女の子への作り手の暖かい視線が感じられるようでした。二人がリンクを滑るのをカメラマンが一緒に滑りながら撮影しているため、見ていて何か保護者みたいに応援したくなってきます。ところが、後半になってコーチの性的指向が3人の関係に影を落とす展開となり、今までのふんわりとした流れから変わってしまうのが痛し痒し、この展開必要だったのかな?役者では、池松壮亮が淡々とした台詞回しが上手くハマって、コーチと言うより子供達のちょっと歳が離れたお兄さん的な感じがよかったです。子役二人もよかったけど、中西希亜良ちゃんが正統派美少女で笑顔が魅力的でした。
なんと、まさかの。
少年&少女のフィギュアを通した成長物語かと思ったら、まさかの展開。中々こーいうシナリオは思いつかないよね。
ダブルベッドを観た時になんか怪しいとは思ったがやっぱり。。。
少女は中学生だったんだね。
気難しいねー。なんか腹立った。
そして最後まで謝らなかったね。
ま、いつか20歳過ぎた頃に悟るんだろうけど。
少年は無邪気で可愛いかったね。
いい意味で単細胞な男の子はいいなって思った。
最後の2人
どんな会話をしたんだろ?
ここで終わるなって思ったらやはり終わった(笑)
凄く気になる。
ドビュッシーの月の光
最高。切ない。
最近は映画で度々使われるけど飽きないなー。
エンドロールがMVみたい
ひと冬の出来ごと
純粋な想いが繋がっていって
ただ楽しい時間が
ふとしたきっかけて
それがプツンと切れる
人は出会ったり別れたりするし
その都度優しくなれるし
傷ついたりもする
当たり前の時間だけど
3人それぞれの目線での切り取りが
美しくてちょっと怖い
ハンバートハンバートのぼくのお日さま
久しぶりに聞いて映像と曲が繋がって
思わずもう一回観たくなる
エンドロールがMVみたいで
最後まで目が離せません
あと、なぜか池松壮亮と若葉竜也って
つい劇場で観たくなりますよねー
切なさと哀しみ
ラストシーン、ダブダブの中学の制服を着たタクヤが遠くの方から、こちらに向かってやって来る さくら を認める。少し躊躇気味に歩を緩めるが、すぐに何か決心したかのように速足になる。
そして立ち止まりお互い見詰め合う。
タクヤは何事かを言いたくて、言葉を発しようとするも吃音のためなかなか出来ない。かすかに何かくぐもった音が聞こえるか聞こえないか、その瞬間画面は唐突に暗くなる。
タクヤは何を言いたかったのだろう?
「ア、ありがとう」か 「アイスダンス楽しかった」か 「フィギュア頑張ってる?」か
でも結局、どんな言葉もその時のタクヤの気持ちを適確に表現する言葉はないのでは。
映画はすでに私たちにタクヤの経験した、愛おしくも哀しい日々、さくらも同様に切なくも哀しい過去、そして一瞬だったけど楽しく幸せな日々を共有出来たことを表現していた。
スケート場の周りの窓ガラスから射し込む溢れかえる光芒の中、さくらは生き生きと滑り舞い、タクヤの視線はその光の中からさくらを発見し、まるでフラッシュを浴びたかのような経験をする。
でもやはりタクヤはさくらとの再会で、何を伝えたかったのだろう
映画芸術が爆発している
北の国での点と点が一瞬線になってまた点と点に帰っていくが、確実に苦さを背負って次のステージにいく。つまりみんな大人になっていく。
意識してしまったがゆえに始まった幸せと、不幸せを、めちゃくちゃかわいくチャーミングな世界観の中で、しかも言葉でなく身体で、しかも北国の唯一の娯楽のようにみもみえるスポーツ施設の中での教え、教わるという設定の中に封じ込めて90分で描き切る。
徹底的な説話と台詞の引き算と身体描写と風景描写。映画的感性を持った人間がこの競技をやっているとこのような映画が生まれるのだな、と思いながら、これを20代で、かつ、脚本や編集だけでなく撮影までこなして、さらに滑りながらのオペレーションまでこなして成立させるなんてまたなんという才能だ。この映画は宝物のような輝きを放っているけれど、奥山大史という監督そのものもまた日本映画の宝物だろう。そしてやっぱり20代だからこその鮮度を持った題材だとも思う。
子どもたちも池松壮亮も若葉竜也とみんな素晴らしく、途中もうどうしようもなく美しく、また、思わず拝みたくもなる(笑)尊いカットが連続するが、もちろんさらっと撮れてるものであるはずがなく、単にかわいくみえるそれを狙いに狙って撮りにいく狂気を感じる。この映画はそんな一瞬で過ぎ去ってしまう輝きをテーマにしたものでもあり、確実にその輝きを捉え、残酷に突き放しもし、次の輝きに向かう「光」や「輝き」をテーマにしてるのだと思った。
子役たちの快演
役者は素晴らしい。たぶん、カチッとした台本がない作品なんだろうが、特に小6男子役の演技が自然で、ほんとに可愛らしい。
コーチ役の若葉竜也は「市子」の人ですね。ベテランだけあっての安定感。一番、演技は初心者っぽかったJC女子は、クールな超絶美少女なので、これで良い。全くの新人らしいですが、透明感半端ない。
展開としては、残念なのはコーチのゲイカップ設定、必要でした?JC女子を嫉妬させるショタコン設定のために必要なのかな〜。どうも、最近は変なLGBTっぽさが流行っているのですが、結局ネガティブな扱いするなら、無理に出さなくても、、、
ただ、ゲイ設定のおかげで、JC女子からの「男に女のかっこさせて、気持ち悪い」って、最高のセリフを引き出すため、なら結果オーライかもね。
あれで、JC女子が三人の美しい努力の結晶を台無しのして、あれだけの美少女を残念ヒロインにしてしまうってのが、本作最大の推しポイントでしょ〜。
あのJC女子のおかげで、コーチは街に入れなくなり、小6男子の淡い初恋も霧散。なので、最後の小6男子(ラストは中1かな)が道で出会ったJC女子に向けたセリフ(本編では聞こえない)は、絶対に「くたばっちまえ」だと思います。
優しい光と切ない光
北海道、冬の綺麗な斜光を上手に組み合わせた
映像美。スケートリンクの光の撮り方は神がかってた。
タクヤ君やさくらちゃん、知人のコウセイ君
は優しいし可愛いらしい。
あの深々と降り積もる雪の時期には
沢山の想いと心情が詰まっていて、切なさと
儚さもあった。
そして春になり雪解けして、3人の気持ちも其々
飛びだった感じ。春は別れと再会の時でもある。
『月の光』も優しくもあり、切ない所が絶妙な
コントラストになってし、ハンバートハンバート
のEDの『ぼくのお日さま』も良かった。
エンドロールも優しさがたっぷりと滲んでたなぁ。
自然音の繊細な音も丁寧に組み込んで、劇中の
曲も心地好い。
あの一瞬、そこに居そうな空気感だけど
居なくて聞いてたり、観てたりする演出も
素晴らしかったと思う。
雪解けした気持ちが沁みる作品でした。
淡々と美しい映画
映画の前半は、固定カメラのロング・ショットを多用し客観性と同時にタクヤの感情の平坦さを表しています。タクヤが荒川からフィギュアを習い始めるとカメラは雄弁に動き回り、タクヤが味わう喜びの感情を躍動的に見せていきます。ほぼ正方形のスクリーンと練られた構図、日に褪せたフィルムの色調、スケートリンクに差し込む日光の表現。美しい映画だと思いました。楽しく充実していたかに見えた日々。タクヤにとってのお日さま。荒川にとってのお日さま。残念ながらさくらにとってそこにお日さまはありませんでした。だから「ぼくの」なんですね。
観終えるとタイトルはダブルミーニングだったことが分かります。視聴時は前提知識がなくタクヤが主演だと思っていたのですが、荒川が主演なのですね。なるほどこれは荒川のロードムービーなのだと思いました。カメラワークの躍動は荒川の感情の発露でもあったのです。荒川はタクヤに自分の成し得なかった可能性を重ねていたように思います。さくらは女子ゆえのカンの良さで違和感を感じ結果として荒川を誤解し離れてしまいます。
エンドロールはコケティッシュな感じで良かったです。
エンディングロールまで最高"Even the ending credits were outstanding."
ひと冬の物語。
タクヤと、さくら、コーチの荒川の物語が
リンクに残るスケートの跡のように交差する。
誰にも悪気はないけれど、
色んなことが起こってしまう。
描かれる日常は、
とてもリアルで、
この世界のどこかで
起こってるかもしれないな
と感じさせてくれた。
映像が美しいのだけれど
その美しさが、演出と完全に噛み合っていて、
使われる音楽も、物語の一部になっていた。
大人と子供の交流がありつつ
その背景にそれぞれの事情があり
子供はその事情を理解しないけれど、
終わりへと流れていく。
子供は未経験ゆえ
大人の気持ちが見えない描写に
唸ってしまった。
エンディングロールまで最高で、
ハンバート ハンバートの曲は
てっきり書き下ろしかと思ってたら
パンフを見て驚いた。
この後、少し成長してからの
主人公タクヤの心情を
歌ったものにしか聞こえなかったけれど
2014年の曲だと?
とにかく驚かされっぱなしだ。
邦画の未来は明るい。
観終わった後に、
竹内結子さんがヒロインをやっていた
「サイドカーに犬」(2007)を思い出した。
これは、ひと夏の物語。
もし良ければ。
“A Winter’s Tale”
The story of Takuya, Sakura, and Coach Arakawa intersects like the trails left behind on the skating rink.
No one means any harm, yet so many things happen. The daily life depicted feels so real that it makes you think, “This could be happening somewhere in this world.”
The visuals are beautiful, but what makes it special is how perfectly the beauty meshes with the direction, and even the music used becomes a part of the story.
There is interaction between adults and children, and behind that, each has their own circumstances. The children don’t understand these circumstances, yet the story flows toward its conclusion.
I was amazed by how the children, in their inexperience, couldn’t grasp the adults’ feelings, but the portrayal was spot on.
Even the ending credits were superb, and Humbert Humbert’s song—I thought for sure it was written just for the film, but I was shocked when I saw the pamphlet.
It sounded like it was about Takuya’s feelings after he’d grown up a bit, yet it was actually a song from 2014?
I was constantly surprised. The future of Japanese cinema looks bright.
After watching this, I remembered “A Dog in the Sidecar” (2007), where Yuko Takeuchi played the heroine. That was a summer’s tale. If you’re interested.
全てが泣きそうに美しい映画
夜明けのすべてに続き、今年観てよかった映画。静謐なストーリーに合わせたように縦横比率がほぼ同じミニマムな画面サイズで、セリフも最小限、登場人物も多くなく、ひと冬という限られた期間スケートリンクでの小さな物語。
ホッケーから転向したタクヤがフィギュアを習得していく過程、アイスダンスのバッチテストへ2人が練習を重ねる過程が丁寧に納められた全てのカット・シーンがとにかく美しい。屋外の池(?)での3人のシーンは幸せすぎて涙が出てしまった。
子役2人の瑞々しい演技が良かったのはもちろん、池松壮亮が素晴らしかった。
子役からのキャリア、アウトローやエキセントリックな役などを経て、原点回帰のような役を気負いなく若手に背中を見せるように演じていたのが印象的だった。
タクヤとさくらの淡い恋心と、若く眩しい2人への荒川の羨ましさ。ただ噛み合わなかっただけ。胸がギュッとなったけれど、季節が巡ることでそれぞれが一歩踏み出すラストは希望があった。
失われてしまった子供時代の繊細な感性を思い出した。
69歳になってしまった私には、懐かしい感情を動きを感じた。この歳になっても心の奥に潜んでいるのだろう。
時代設定が今ではなく、1980年代だろうか。懐かしい風景と映像美だった。
運動音痴で吃音癖がある少年の初恋を描いている。アイスダンスで自信を持って行く過程は微笑ましい。普通なら、いじめの対象だ。アイスダンスのコンビ解消の原因が同性愛になっている。薄々は感じていたが、私には残念だった。
優しさと切なさの狭間
とても素敵な作品でした。
優しさと切なさがサクラとタツヤ
その狭間にいる池松壮亮
3人の孤独とそれでも生き抜く姿に
胸がいっぱいになりました。
初見ですがサクラ役の中西希亜良さん、スケートのシーンが
素晴らしかったです。
タツヤ役の越山敬達さんも、キャッチボールのシーンがとても素敵でした。
日本映画の素晴らしさを堪能した作品でした
ほのかな恋
アイスホッケーが上手くないきつ音の少年タクヤは、フィギュアスケートの練習をしていた少女さくらに惹かれていた。ある日、さくらのコーチで元フィギュアスケート選手だった荒川は、タクヤがホッケー靴のままフィギュアのステップを真似してるのを見た。タクヤがさくらに恋してるのを知り、タクヤを応援しようと、荒川は彼にフィギュア用のスケート靴を貸してあげ、練習につきあうことになった。やがて荒川の提案で、タクヤとさくらはペアでアイスダンスの練習を始めることになったのだが・・・さてどうなる、という話。
さくらは荒川コーチが好きだったからタクヤの相手をしてただけなのに、荒川はBLで男と仲良くしてるからコーチをやめてもらった、という事なんだろう。
で、タクヤのほのかな恋も終わり、荒川は生徒が居ないから別の場所へ移っていった、というストーリーなんだろうけど、まぁ普通かなぁ。
特に刺さる所がなかった。
さくら役の中西希亜良のスケートは経験者らしく綺麗だった。
ふわり、ひと冬の思ひ出。雪の結晶のように儚く繋がる心は、溶けてなお何を残す。
その先の明るさを予期させる終幕に好感。
繊細で美しい撮影アートがそれと同質な物語を包み込む、ほんのりビターなコーティングショコラ。口にしたそれはクラシカルなレシピ通りの仕上がりに思えたのだが、どこか新しい感覚があって不思議。邦画らしからぬ作風、ミニマルに割り切ったストーリーのためかもしれない。
心のベクトルは三者三様で、それぞれの「→ 矢印」が向いている先が「ぼくのお日さま」ということらしい。三角矢印がスケーティングの演目のようにクルクルと輪になって気持ちを通わせる湖のシーンが、なんともホッコリとしていて微笑ましかった。
表題に書いたように、季節の変わり目と、チームが解散してしまう理由そのものは無関係だが示唆的であり、映画的だ。とても上手な描き方だとおもう。
***
本作では、言葉というコミュニケーションにスポットがあたる。
私にとって最も印象的だったシーンがある。土地を去る荒川とタクヤが交わすキャッチボールの場面、気持ちのぶれた荒川がタクヤの身長を飛び越えたボールを投げてしまったところ。荒川が言葉をかける「タクヤ、ごめん」。
物語では終始、あえて言葉足らず・主張足らずなコミュニケーションに抑えられていて、嬉しいシーンでもそうでない場面でも、その気持ちを表すセリフがあえて避けられていたように感じた。気持ちがとても通い合っていても、説明はだれもしていない感じ。
日常では当たり前のような「ごめん」だが、劇中がずっと感情をフワッと表現していたせいで、相手に自分の気持ちを表すセリフにコントラストが生まれた名シーンとおもった。
最大級の賛辞を送ることすらもどかしく優しい物語。
ミニマルで美しい本作は世界中どこにいっても評価されるに違いない。
ハンバートハンバートの同タイトル主題歌が、実は原作ということに驚き。
ハンバート・ハンバートで落涙
景色や演技はどこか懐かしい、良い映画。
性的マイノリティの理解は進んできたとはいえ、子どもたちに理解を求める方法も意識も足りてないってことを実感。
池松、若葉の手だれを食う子役2人の好演。
まあ、いい映画だったなと油断したとこでハンバート・ハンバート。
落涙。
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