「もののけ姫」ザ・ウォッチャーズ SP_Hitoshiさんの映画レビュー(感想・評価)
もののけ姫
面白かった。ホラーとファンタジーの融合みたいな。
設定やストーリーに多くの暗喩が込められているように思う。
森、闇、異類婚姻譚、鏡、双子、自然の征服・環境問題、地下、インコ、鳥籠…。
この辺がキーワードだろうか。
主人公は自分のせいで母親を殺してしまい、自分の双子の姉妹の顔に一生消えない傷をつけてしまったトラウマを抱えており、そのことに正面から向き合えないでいる。
このことと、人類が自然の象徴である森を破壊してしまい、人類と自然が調和していない状態であることが重ね合わされている。
①主人公(人類)と母親(森・自然)はかつて幸せな関係を築いていた
②主人公(人類)の愚かな行為により、母親(森・自然)を殺してしまい、そのトラウマが主人公を苦しめている
したがってこの物語は、森の人格的表現である妖精との和解を通して、主人公が母親のトラウマを克服する話だということになる。
<妖精が象徴するもの>
妖精というと小人に透明な羽をはやした無害な存在のイメージがあるが、アイルランドの民話などに出てくる妖精は日本でいう妖怪や鬼のような恐ろしい存在。妖精と結婚するという民話や神話(異類婚姻譚)が存在するところも、日本の妖怪と似ている。異類婚姻譚というのは、人間が自然を畏怖し、またその恵みに感謝していた時代の自然信仰的感覚が反映されている。人間が自然とコミュニケーションをとる方法として、動物や妖怪・妖精が人語を話す、という話が日本にもアイルランドにもある。たとえば日本には「おいてけ堀」のような、人外の者が魚や動物の捕りすぎを戒める話がたくさん残っている。
<3つのルールが象徴するもの>
主人公の思い込みや恐怖を象徴しているのではないか。
ルールを守っていれば安全、ルールを破れば危険、というのは、この映画の前半部が「安全な世界と危険な世界」という2つの世界を前提としており、ルールを破ることは2つの世界の境界をおかすことを意味する。
・都市(人間の世界)と森(自然の世界)
・人間と妖精
・光と闇
・昼と夜
・地上と地下
・「鳥籠」の中と外
ルールを守っている限りは安全だが、問題に対する根本的な解決はできない。物語はこの二分法的世界観の緊張をどう解消するか、ということがテーマになる。
そしてこの2つの世界は主人公の「顕在意識」と「無意識」でもあり、「無意識」にひそんでいるトラウマに主人公が向き合えない状況を表している。
2つの世界は相対的なものではなく、後者「観る側」が前者「観られる側」を支配し、主導権をにぎっている。
<鏡・人間に擬態する妖精・双子が象徴するもの>
灯りをつけたガラス張りの部屋が、外からは中が丸見えになり、中からは外が鏡になる、というのはうまい仕掛けだと思った。
主人公がガラスに映った自分自身の姿を見つめるシーンがとても印象的だが、つまり主人公が怖れているのは自分自身だ、ということだ。
そしてそれは環境破壊を重ねる人類全体についてもいえる。自然の姿は人間のありかたを反映する。自然を守ろうと思えば恵みを、ないがしろにすれば牙をむく。
<地下に脱出のヒントがある>
この物語の世界では、単にルールを守るだけでは状況を変えることができない。この世界に変化をもたらした主人公の行動は2つあり、どちらも「地下に行く」ことだったのが興味深い。はじめに地下に行ったときの結果は失敗に終わった。二番目に行ったときは成功した。何が違っていたのだろう?
<なぜ主人公のトラウマは克服されたか>
主人公の再生のプロセスが丁寧に描写されている。まずは、他人のトラウマ(罪、自分が悪人であると認めること)を聞くことにより、苦しんでいるのが自分だけではないことに気づくとともに、自分自身の状況を客観視する。次に、避けていた自分の過去(罪)を直視する。次に、他人に自分の罪を告白し、自己開示する。そして最後に、主人公の双子の姉妹に会うこと。顔に傷をつけてしまった姉妹は、今は子供をもち幸せに暮らしている。過去の罪にばかりとらわれていたが、現在の幸せに目を向けることができた。
このプロセスがうまく人間と妖精(自然)との和解と対応している。
①何を考えているか分からない、恐ろしいだけの存在
②かつては人間と幸せな関係を築いていた神のような存在だったが、人間によりその力を奪われた被害者
③人間と混血し、生き延びて人間社会で暮らしている子孫もいる
②を主人公が知ることは、妖精の正体を知り、人類の罪を認めることを意味する。
③は、主人公が妖精は一方的な被害者というだけではないことに気づき、和解の可能性を見出すことを意味する。
ここで、妖精が「自由」の象徴である「翼」を回復したことに重要な意味があると思う。
この辺の展開に何か既視感があるな、と思ったが、これはまさに「もののけ姫」とテーマと同じだ、と気づいた。人間がシシ神を殺してしまったことで、自然が神としてあがめられていた時代は終わり(原生林は破壊され)、そのあと、人はシシ神の首を返すことで森は復活したが、かつての森は永久に失われ、人工林となってしまった。しかし自然と人間は対立しつつも一緒に歩むしかない(「だが共に生きることはできる」)。
<インコが意味するもの>
二つの世界をつなぐアイコンではないか。
インコを追って異世界から脱出するというのは、非常に神話的だ。
人間が「鳥籠」から出ることと、インコが鳥籠から出ることが同時に起こっている。
「鳥籠から出る」のは、二分法の世界の解消を象徴している。
ペットは人間に飼われている動物なので、人間と動物を仲介する存在である。
また、インコは人間の言葉を話す動物でもある。
さらに、「ダーウィン」という名前。
「ダーウィンの進化論」は、人間と動物は分けられた存在ではなく、連続したものであることを示した説である。
「死んじゃダメ」というセリフも、「死にたい」と思っている人間には不吉な皮肉に聞こえ、「生きたい」と思っている人間にははげましに聞こえるという意味で面白い。