蛇の道のレビュー・感想・評価
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わかりやすくなった
本作のオリジナル版は、昔VHSを持っていた。何気なしに買ったらめちゃくちゃおもしろくて、今でも黒沢清の最高傑作ではと思っている。それを舞台をフランスに置き換えてセルフリメイクするという。本作は復讐を描くが、誰がなんの目的で復讐しようとしているのかよくわからない。でも、そこが面白かった。今回は、フランスを舞台に日本人の精神科医が出てきて、子供を巡る復讐劇というわかりやすいプロットになっている。それによってドラマの筋書きが理解しやすくなっているが、得体の知れなさは薄れた。単純に画面がオリジナル版に比べて明るいからかもしれない。あるいは哀川翔と香川照之の何を考えているのかわからない雰囲気のなせるワザだったのか。
リメイク版も面白く見たけれど、やっぱりオリジナル版の異様さは抜ききんでいる。オリジナル版は、わかりにくいんだけど、わからないから余計怖い作品なので。
でも、このオリジナルと本編を比べるとやっぱり映画って面白いなと思う。同じ題材でもこんなに違う。同じ作家が作っているにもかかわらず。映画は何にでも変化できるんだなとその可能性の広さに気がつける。
得体の知れないシュールな不気味さに推進力が加わった
私の中でオリジナル版『蛇の道』は、シュールな繰り返しによって観客を得体の知れない不気味さへと導いていった作品として記憶に焼きついている。このシンプルなれど核心を突く構造が国境を超え、かくも巧みに言語や文化が変換、翻案されたことにフレッシュな驚きを禁じ得ない。題材が噛み合ったのも意外だが、その分、映画の印象はガラリと変わり、物語のベクトルや力学すら大きく変わった。主演が柴咲コウ(流暢なフランス語の台詞回しに驚愕!)とフランス人俳優に置き換わったことで作品が持つ表情や人間味も増したように思う。オリジナルのシュールさや笑いは減ったが、代わりにどこかメルヴィルを思わせる硬質な色味、倉庫感、観客を突き放す孤高のタッチを迸らせ、そこにやはり黒沢清ならではの、肝心なものを見せずして感じさせる演出が際立つ。オリジナルかリメイクかで好みは分かれそうだが、これすなわち双頭の蛇として、いずれも等しく堪能したい。
To the Ends of the Underworld
Serpent recalls Creepy in terms of grisly rural captivity. This time the good guys find themselves in Mr. Vengeance predicaments as they get to the source of a child's murder. The director's signature style might remind one of the chilling abstractions in his horror film Cure. French actors Almaric and Dazi's performances show Kurosawa's destined for international ensembles. Not a happy one.
黒沢清監督の巧みなセルフリメイク。柴咲コウのアクションも意外に良い
ポスターとフライヤー用の縦長の画像(当サイトのフォトギャラリーでは14枚目)のアイデアにまずうならされる。本編を観た人なら、小夜子(柴咲コウ)とアルベール(ダミアン・ボナール)が引きずっているのが拉致した男を押し込めた寝袋だとわかるが、この黒い寝袋が禍々しい大蛇に、そして草むらを引きずった跡が「道」に見えるではないか。
高橋洋脚本・黒沢清監督のオリジナル版「蛇の道」は、たしか2000年代前半に知人から哀川翔主演「DEAD OR ALIVE」シリーズを推薦されたのがきっかけで哀川出演作をVHSでレンタルして観まくった中の一本。それっきりなので細部は忘れたものの、復讐のため拉致した男たちを廃屋に監禁してビデオを見せ精神的に追い詰めていく閉塞感が、今回のセルフリメイク版でも効果的に再現されたように思う。
かつて哀川が演じた役を女性に置き換えて柴咲コウに演じさせるというのは、黒沢監督にとっても柴咲にとってもチャレンジだったはずだが、結果的にうまくはまったと感じる。フランスの病院で働く精神科医(夫は日本に戻り別居中)が幼い娘を惨殺されたアルベールの復讐の手助けをするという設定は、ホモソーシャルなコミュニティーにおいて男性に頼らず自立した女性という面で現代的なアップデートにもなった(さらに推測するなら、外国人男性からは日本人女性がより謎めいて見えるという効果もありそう)。柴咲コウがアクションでも健闘していて意外だったのだが、フィルモグラフィーを見たら2008年の「少林少女」でカンフーアクションを披露していたのを思い出した。それでも現在40歳代前半でこれだけ動けるなら、シャーリーズ・セロンやジェシカ・チャステイン、あるいはだいぶ年上だが「エブエブ」のミシェル・ヨーらの出演作のように、熟女アクションを目玉にした企画がこの先続いたとしても不思議はない。
黒沢監督にとって初の海外作品「ダゲレオタイプの女」は、新しいことにチャレンジする意気込みが伝わった反面“よそ行きの顔”を見せられたようなさびしさもあったが、今回の「蛇の道」は海外作品でも“黒沢清らしさ”が随所に感じられてとても嬉しい。
サイコ × 洗脳 という視点
復讐劇をセルフリメイク… ですか…
何とも言えない雰囲気の作品
謎めいていて妄想せざるを得ないものの、その種明かしは妄想とは大きくずれていた。
それはまあよかった点ではあった。
視聴者に容易く読まれてしまっては面白くない。
さて、
初めから不可解な物語だが、物語の途中からいくつかの着地点があるように思った。
まず考えたのがサヨコ自身がサイコパスであるということ。
アルベールを洗脳して、最後にすべての犯人が自分であるということを彼に見せつけ、彼を完全に破壊するパターン。
そして、
デボラはサヨコと同一人物で、彼女が守ってきた子供たちと守れなかった子供たちがいた。
それは人身売買グループだったが、そこには組織のようなものはなく、売買目的で拉致するグループがあるだけという設定で、そのフランス組織を潰すという目的のパターン。
その他いくつか考えながら見ていた。
そもそもアルベールはドクタードラントルの患者であり、精神疾患者だった。
彼女は患者を横取りしたことが伺える。
患者の吉村と同様に、サエコはアルベールを洗脳した。
彼は少なくとも自分が娘にしたことに対する良心の呵責があったことを発見したのだろう。
アルベールの娘は実際には生きていて、死んだことを植え付けたのかなとも想像した。
彼を仲間に引き込んで、売買グループに対する復讐する物語だと思っていた。
しかし、
実際は、サヨコの娘が犠牲者だった。
それはビデオの中で連続して語る声がサヨコのものだとわかることで読める。
ただそれでも一般的な解釈として理解できないことが多数あって、それが矛盾していることから、物語の全体像がブレてしまっているように感じる。
矛盾に対する解釈が追い付かない。
例えば、
何人もの男を拉致できたこと。
多勢に無勢 素人が次々に見張り役を射殺できてしまうこと。
臓器目的で拉致されたにも関わらず、ローラの周りに集まる子供たち。
中でも疑問だったのが、サヨコの「復讐」という概念と「やり遂げる」意志の徹底的なこと。
物語の動機の根幹でもあるこの部分
従来から変わらない「動機の型」
そこに仕掛けたトリックは、人間の執念の怖さを演出する。
この作品は更に、夫への復讐心も描かれている。
最後のシーンは、サヨコが東京へ戻ることを示唆している。
当然目的は復讐だ。
矛盾はまだある。
アルベールにしても、サヨコの夫にしても、子供を売るという概念を持っていることがどうしても理解できない。
これが事実ではないと考える方が自然だろう。
ローラにしても、新しいパートナーのジェイクが死んだと聞かされ膝を落として嘆くが、周りの子供たちの様子が意味不明で、今から臓器を取られるんじゃないの? と首をかしげたくなる。
あの現場で、モニターを設置していた人物が、サヨコ以外考えられなく、サヨコがしたのであれば、どう考えてもデボラはサヨコ自身なのではないかと思ってしまう。
表面上示唆される物語と、実際の現実には大きな乖離があるように思えてならない。
これこそが監督が仕掛けたトリックなのではないだろうか?
この物語の流れそのものが実際の物語である場合、
私だったら、このセルフリメイクで内容を大きく変更するだろう。
まず、サヨコは自身の不注意で誘拐されて殺された娘が臓器売買されたと思い込んでしまっている設定を作り、最後に自分の夫が売ったと思い込むが、実際にそう思わなければ生きていけなかったという感じにする。
ただこれではどこかで見たことのある内容になってしまう。
この矛盾こそ最大の謎であり読みとかねばならない箇所だと思う。
さて、、
モニターを仕掛けた張本人は間違いなくサヨコだ。
彼女は男どもを拉致しながら、新しい敵をでっちあげさせ、それをアルベールに信じ込ませていた。
しかしそれではどう足掻いても真実になどたどり着かない。
サヨコはいったい何がしたかったのだろう?
関係者はミナール財団 サークル仲間
そこに無理やり臓器売買と子供の拉致を結び付けている。
子供の臓器売買は中国でされているが、フランスでは考えにくいいし、そのニュースや新聞記事、そしてマリーの死因に臓器が抜かれていたなどとは書かれていない。
サヨコの夫の雰囲気から、娘を亡くしてしまった事実はあったのだろう。
その理由を、サヨコはまったく別物に置き換えることで、自分自身が忙しくて娘に何もしてあげられなかったことへの贖罪にしてしまったのではないだろうか?
責任転嫁による復讐 これこそ、サヨコがサイコとなった原因だろう。
実際には自分自身へと向けられなければならない責任を、彼女はすり替えたのだ。
それを、この物語を我々は、サイコのサヨコと、洗脳されたアルベールの視点で見せられているのではないか?
だから何もかもがおかしいのだ。
現場の見張りもただの見張りで、拳銃などは持っていなかったのかもしれない。
ただ、二人にはみんなが武装しているように見えているだけ。
誰もが入ってこられる場所
モニターを仕込んだのはサヨコで、彼女はアルベールを洗脳しながら先回りして事実を作り上げている。
彼に特定の事実の存在を思い込ませることで、サヨコは彼女自身にも自己暗示をかけていたのではないだろうか?
彼女はアルベールにスタンガンを使う。彼をアジトに幽閉しアパートへと戻る。
彼を生かす理由こそ、自信の暗示をとどめておくことなのではないか?
つまりこの物語は、二人の精神異常者によって表現されている「現実」ということになる。
ゲランが「蛇の眼」というセリフをいうが、それはサエコの執念を表現しつつ、その間違った考えこそが蛇の道へと誘うのだと、監督は言いたいのだろう。
私の妄想は飛躍しすぎかもしれないが、そう考えなければ何もかも成り立たなくなるように思う。
どなたかご意見お願いします。
哀川翔も「コメットさん」も出て来ない錯綜した復讐劇リメイク
黒沢作品は国際的な映画賞を獲ったり、評論家から褒められまくったりしてるが、如何せん小生はどうも感じるものがない。
普通の映画とは違う印象を与える部分とか、現実への視点の独自性とか、肯定的な言葉も無理すれば出て来ない訳ではないが、それより「現実感が希薄」とか「書割の世界で展開される下手くそな学芸会」とかのコトバの方がしっくりする。別に監督個人に恨みがあるわけではないのだが、単につまらないのだからしょうがないw
『地獄の警備員』しかり、『CURE』しかり、『蛇の道』(98)しかり、『蜘蛛の瞳』しかり、『ニンゲン合格』しかり、『カリスマ』しかり、『リアル~完全なる首長竜の日』しかり…である。しっかし、つまらないとケチをつけながら、何故、こんなにたくさん見てるのか、我ながら不思議に思わないでもないww
で、今回のリメイク版『蛇の道』である。
ストーリーはまあ、紹介するほどのこともない。単に「復讐する人間」の話というだけのことである。その復讐の仕方が怖いとか、惹きつけられるとか、鬱になる…というコメントもあったが、小生はまったくそんなことを感じなかった。
復讐するために誘拐するシーンはお笑い映画のようなドタバタだし、食事を汚れた床にぶちまけるのもウンザリだし、トイレさえ許さないのもバカげているし、弛緩した復讐劇だな~程度にしか感じない。
設定はオリジナル版が少女に対する性犯罪と拷問、そのビデオ販売が元凶だったが、リメイク版はそれが少女の臓器摘出とビデオ販売に変更されている。恐らくは政治的な配慮によるものだろうが、その犠牲となった少女の親たちの錯綜した復讐劇が絡み合うという点は同じ。
そして最後には、やたら拳銃でドンパチやりたがる日本映画にありがちなパターン。やれやれ、そんなにドンパチが面白いのか?
しかし、クサしてだけというのも何だから、98年版の魅力を上げておこう。
一つは哀川翔のパワフルなのに何故か透明感のある表情、いま一つは仕込み杖で容赦なく人をぶった切っていく「コメットさん」なるビッ〇のオバちゃんの奇怪な存在感。
ところが本作からは、その要素が二つとも消えてしまったのだった。
かわいそうな子供たち
8歳の可愛く美人な少女がピアノの前に座り、
その父親がナレーションする。
頭が損傷酷く歯型で身元判明、
内蔵の80%が‥‥、と
聞いてられない内容。
父親である男は🇫🇷人のジャーナリスト、アルベール。
女は🇯🇵人小夜子、精神科医で🇫🇷に長期滞在。
場所は🇫🇷。
ある財団の会計係の男を拉致して
人気の無い廃屋に鎖で繋ぐ。
少女の映像を見せ知らないか?と聞く。
男は知らないと言うからそのまま。
トイレも行かせない、
食事も一旦床に落として食べさせる。
その男が口にした別の男を拉致して隣に繋ぐ。
次の男も口を割らないので、また次の男。
先の二人容易く捕まったと思っていたら、
三人目なかなか手強い、ジムで鍛えているだけある。
小夜子はアルベールの手助けしている行動だが、
時折拉致した男たちに、アルベールを無視したり騙したり
したような言葉をかける時があり、何を考えているのか。
女の名前が出た。
アルベールもその財団に属していた時があるらしく、
その女の名前を知っていたが、死んだと言う。
代わりに自分の妻が、とも言う。
三人目に案内させてアジトへ。
途中から小夜子の姿が消え、探していると、
あの少女の映像が流され、小夜子の声のナレーション。
TV画面がいくつもあり少女の映像、と思っていたら、
違う少女だった。
その少女は小夜子の娘だった。
手や内蔵などが瓶詰めにされ、数多く棚に並べてあった。
アルベールは元妻に会い、
親しく近寄る妻が刺そうとするのより先に
銃で撃った。
だが、アルベールを小夜子が襲うのだ。
小夜子は自宅で日本の元夫とビデオ通話して‥‥。
タイトルの意味は?
竜頭蛇尾
黒沢清監督の作品ってやはりどうしても玄人好み。批評家筋からの評価は高いが、一般観客のレビューは鈍い事がしばしば。
次の米アカデミー賞国際長編映画賞日本代表に選ばれた『Cloud/クラウド』もおそらくキネ旬なんかでは黒沢清印でベストテンに入るだろうが、見た一般客のレビューは鈍い。(ちょうど今日オスカーショートリストが発表されたが、早々と落選)
さて本作だけど、やはりレビューは賛否だけど、これ、批評家からもウケ良かったの…??
何か、久々につまんねー映画見たなぁ、と。
フランス人男性が娘を殺され、出会った日本人女性精神科医と犯人を探し復讐を誓う。
やがてある財団の人身売買を突き止め、女医にもある目的が…。
…って話なんだけど、あらすじを見てなければちんぷんかんぷんだったと思う。
疑わしい人物を捕まえ、廃屋で拷問。名優マチュー・アマルリックが気の毒な水責め…。
似たシーンや展開続き、退屈極まりない。
朝のワイドショーで本作が紹介され、柴咲コウの身体を張ったアクション!…なんて言ってたけど、ただのぐだぐだ取っ組み合い。アクションが聞いて呆れる。
チープなアクションがちらほら。って言うか、二人でたった一丁の銃で財団と闘う気なの…?
柴咲コウ演じる女医の目的。ラストシーンの鋭い眼光と台詞、真意が明らかになっていくのがスリリングなのだろうが、全体を通してスリルも何も盛り上がらない。
1998年のVシネをセルフリメイク。
全編仏ロケでフランス人キャストを招きフランス語で撮った意欲作なんだろうけど…。
何故これをセルフリメイクしたのか謎。
見映えは一級に見えて、中身はスカスカ。まさに竜頭蛇尾。
黒沢清って時々過大評価されてる気がする。
実際に娘を殺された男よりも柴咲コウの方がよほど冷酷で残忍に感じた。...
実際に娘を殺された男よりも柴咲コウの方がよほど冷酷で残忍に感じた。
前半はおもしろかったが、財団が既に解散しており、最も憎むべきトップの人間も既に死亡していたのは拍子抜け。
また、一緒に行動していた男も正式には財団の人間ではなかったので、彼に対する復讐も今一つピンと来なかった。
あと、西島秀俊は何のために出てきたのだろう。
西島が物語にどう絡んでくるのかを注目していたのだが、意味不明な最期であった。
理解は上、怖さは…
哀川翔役が女性になり柴咲コウへ
え〜っ‼️と思ったが意外と良かった
哀川翔の方は意味不明の数式をもてあそぶ講師
映画に不気味さを醸し出していたので、より怖かった
柴咲コウの方は、タイトルの意味を外国人に浸透させるために選ばれたのかも
目力以上の価値&存在感を放ったのはさすが柴咲コウですね
ただ、ゲランのあのセリフは取ってつけたようでいただけないなぁ
しかもヤバいはずの彼が、無計画の弱者2人に、いとも簡単に拉致されるのは、膨大な数の監視カメラがあることも含めて考えれば、あり得ない
拉致自体は無計画で、雑すぎるのだけれど、振り返って考えると全て小夜子の思い通りに進めた、ある意味完全犯罪なんでしょうね
日本ではほとんど報道されないけれど、海外では、恐ろしいほど当たり前に行われているの児童の拉致・誘拐・臓器摘出・人身売買
現実の悲惨さは、きっとこんな生易しいものではないはず
結局アルベール自身もそれらに関わっていたのだから、自業自得な面もあるよね
日本版よりはそれぞれの登場人物の繋がりもあって理解しやすい分、不気味さ怖さは減ったかな
でもこれを見る外国人にとっては日本人が見るよりは
リアル度は高く受け入りやすいのでは?
西島秀俊の使い方が……
ちょい役で情けない役であっけなく自▲しちゃうなんて勿体ないよぉ
ラストの夫とのビデオ通話で小夜子の発したセリフは、日本人から見ると「あり得ない」けど、外国人から見ると「そうかもな」と思うんだろうね
終わらない復讐の歌を歌おう
黒沢清セルフリメイク「蛇の道」を観る。終わらない復讐の物語。評判悪かったけど、いや、良いじゃないですか。黒沢清作品でも上位にきますね。監禁場所の窓、小夜子の自転車とその横の壁の滲み、荒れた倉庫の天井、廃工場の水たまりと、黒沢清フェチにはたまらないカットも多数。愛好家はぜひ。
観てよかった。
前作は観ていませんが、リメイクのオファーがフランスからと言う事で期待して観ました。期待が大きいとガッカリする事が多いのですが、期待を上回りました。こんなサスペンスをもっと魅せてもらいたいです。監督!
柴咲コウと黒沢清を売り込む為の…
元作は観てない。
謎が明らかになる過程は強引で雰囲気を大事にし過ぎてか結末を急いだ感じ。
妖しい柴咲コウと鬱々としたフランス映画っぽさはマッチしているとは思ったけど、それだけで押し切った感じ。
…言ってみれば、柴咲コウと黒沢清をより売り込むためのプロモーション映画とでも言えばいいのか
この作品の後にもっと予算のついた脚本も練られた良いものができて欲しいな。
ルンバが怖い
思った以上にオリジナルに忠実だった。なので「何か新しい物を観た!」という興奮は無かったけど、キヨシ作品を観たという気分はちゃんと味わえた。どこがキヨシ作品かというと、ルンバがただ動いているだけで不穏、という場面だったりするのだが。もうそういうのだけで喜べたりする。あと柴咲コウの眼力に衰え無し、を確認出来たのも良かったよ。ほぼオリジナルの雰囲気そのままとはいえ、主人公が柴咲コウになったことによって、映画に新たな狂気が加わったのは間違いなかったし。
なぜもう一度?
惨殺された娘の犯人を捜索する男とそれを助ける女性医師。「こいつ」と睨んだ男を拉致し、かなりエグイ拷問。女児殺害の裏にあるものは? この女医はなぜ男に手を貸す? というお話。黒沢清監督が嘗ての自作を、舞台をフランスに置き換えて柴咲コウさん主演でセルフリメイクした作品です。前作は観ていません。
う~ん、細部の造りが雑過ぎて、「それはないだろ」「そんなの無理だろ」が次々頭をよぎり、僕にとってはホラーにもミステリーにもなり得ませんでした。黒沢監督は2024年になぜ本作をセルフ・リメークしたかったのかな。
フランス映画の皮を被ったVシネマ
ある作品を境に今まで熱心に追いかけていた監督の作品にハマれなくなる。そんな経験はないだろうか。
今回はたまたま調子が悪かっただけと思いつつ、作品を追うごとに違和感が増し、やがて追うのを止めてしまう。
自分の例を挙げると、「フィフス・エレメント」、「ラスベガスをやっつけろ」、「ジャッキー・ブラウン」、「ミスター・ガラス」と枚挙に暇がない。
本作の監督黒沢清はどうかといえば「回路」からハマれなくなり、「リアル ~完全なる首長竜の日~」で止めを刺されて、以降追いかけるのを止めてしまった。
なので期待と不安半々で観に行った本作だが、これは良いんじゃない。
ストーリーは基本オリジナルを踏襲しているので驚きはなかったが、主演の柴咲コウとフランスのロケーションが素晴らしかった。
本作の楽しみ方としては、何を言ってるかわからないフランス語を聞きながらスクリーンに身を委ねるが正解であって、ストーリーに面白さを求めたり、過度に刺激的なシーンを求めたりすると、途端退屈な映画になるのではないかと思う。
なので、映画の雰囲気やトーンが合わない人はキツイので、予告編でチェックしてみて欲しい。
残念な点としては、クライマックスの倉庫のロケーションが凡庸でオリジナルの廃工場に比べて見劣りがするのと、組織のボスの件が蛇足に見えた所かな。要はアクションも含めてクライマックスがイマイチだった。
こちらも蛇足だけど、最初に挙げた監督の作品にハマれなくなる問題、時々考えるんだけど最終的にはいつも、やっぱスピルバーグってスゲーって結論に落ち着くね。結論になってないけど。
仏俳優は柴咲コウへの依存性を上手く表現し、ルンバも十分に不気味。ただ柴咲の怖さが期待以下。
黒沢清 監督による2024年製作(113分/G)のフランス・日本・ベルギー・ルクセンブルグ合作映画。原題:Le chemin du serpent、配給:KADOKAWA、劇場公開日:2024年6月14日
「バトル・ロワイアル」 で殺戮しまくっていた柴咲コウの目力と恐怖与える笑みが忘れがたく、この映画を視聴した。ただ期待が大きすぎたせいもあってか、少々物足りない印象であった。
黒沢監督のセルフ・リメイク作品ということだが、前作は見ていない。
舞台はパリで、柴咲は在仏の精神科医師新島小夜子を演じ、現地の方々とは特訓したらしいフランス語で会話。小夜子の協力を得て、娘を殺した人間への復讐を果たそうとするのがダミアン・ボナール。いざとなったら怖気付く彼を、冷静に復讐実行に導いていく小夜子。そして、その中で、精神的に次第に彼女への依存性を強めていくボナール。それをさり気なく示していく演技は、実にしっかりとしている印象で流石。
彼らに捕まり、袋詰めにされて運ばれ、鎖に繋がれてままの酷い扱いを受けるマチュー・アマルリックも印象に残る演技であった。そして、糞尿垂れ流しをさせられた彼に、冷徹な表情で放水をかけまくる柴咲コウの姿は、かなり不気味であった。
彼女は、ボナールに内緒で、でっち上げ犯人の提示を鎖に繋げた囚人たちに持ちかけ、挙げ句の果てに彼らを裏切り、殺し合いに追い込む。なかなかに怖く、不気味なストーリー展開。ただ、無表情すぎる柴咲に、あまり魅力は感じなかった。監督の演出力が、深作欣二に及ばないということかもしれない。
ずっと彼女の意図するところば謎であったが、最後の方でそれは明らかにされる。彼女も娘を殺され、その復讐を果たそうとしていたと。ただ、彼女の娘への思いが、演出のせいか演技のいたらなさかは不明だが、あまり伝わってこなかった。娘を売ったのは実は、妻おもいに見える優しげの夫(青木崇高)という意外性も、ネット上でのやり取りのみであったせいか、取ってつけた様に感じてしまった。
他の出演者では、精神科医小夜子の患者として、西島秀俊が登場。精神を追い詰められた患者を上手く演じていた。ただ解決策としての自殺を教えた様にも見えた小代子だが、スートーリー展開との繋がりは、自分には良く理解出来なかった。彼女が復讐心の蓄積で、もはや正常ではないことを暗示?
与えられた使命(清掃)をたんたんと実施していくルンバ映像は、不気味で印象に残った。小夜子が、娘の敵たちを冷徹に一掃(殺害)していくアナロジーには思えた。
監督黒沢清、製作ダビド・ゴキエ 、ジュリアン・デリス 、小寺剛雄、原案高橋洋、脚本黒沢清、撮影アレクシ・カビルシーヌ、編集トマ・マルシャン、音楽ニコラ・エレラ。
出演
新島小夜子柴咲コウ、アルベール・バシュレダミアン・ボナール、ティボー・ラヴァルマチュー・アマルリック、ピエール・ゲラングレゴワール・コラン、吉村西島秀俊、ビマラ・ポンス、スリマヌ・ダジ、宗一郎青木崇高。
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