「読み解く鍵は“分身”」Shirley シャーリイ 高森 郁哉さんの映画レビュー(感想・評価)
読み解く鍵は“分身”
本作については当サイトの新作映画評論の枠に寄稿したので、ここでは補足的な事柄をいくつか書き残しておきたい。
評では、映画の原作になった2014年発表の小説があること、シャーリイが1951年に発表する長編第2作「絞首人」の構想を練っていた頃に時代が設定されていること、シャーリイたちの家で暮らすことになるフレッドとローズの若夫婦が架空のキャラクターであることなどを紹介した。
さらに評の中で、「『絞首人』の構成要素を分解してリバースエンジニアリングにも似た手法で着想から執筆に至る過程を再現し、さらにはシャーリイ作品の幻惑的な世界に没入させることが作り手たちの狙い」と書いた。先に「絞首人」を読んでから「Shirley シャーリイ」を鑑賞した場合は、映画の人物らの関係性は小説のあの人物らの関係性をなぞっている、などと気づくことが多々あるのだが、もちろん未読だからといって映画を楽しめないわけではない。先に映画を観てから、答え合わせのような心持ちで「絞首人」を読むのもありだろう。
この映画と小説「絞首人」のネタバレにならない範囲でヒントを記すなら、作品を読み解く鍵のひとつは“分身”だ。評の中でも「(「絞首人」の主人公)ナタリーは小説後半で分身と思しきトニーと交流する」と書いた。シャーリイ・ジャクスンが「絞首人」で採用した叙述スタイルは「信頼できない語り手」に近いもので、序盤からいきなりナタリーと空想上の刑事とのやり取りが出てきたりする。そうした小説の傾向から、後半に登場しナタリーと行動を共にするトニーの存在そのものも空想でありナタリーの分身と解釈できるのだが、映画においてもシャーリイとスタンリーの分身として若夫婦を位置づけることが可能だろう。現実にはシャーリイが「絞首人」を準備していた頃すでに4人の子を産んで育てていたのだが、映画では子は存在しない。もちろん2時間程度の尺に収めるため登場人物を整理して減らすのは映画脚本でよくあることだが、この「Shirley シャーリイ」の場合はそれだけでなく、シャーリイとスタンリーの新婚の頃がローズとフレッドに投影されていると考えるとしっくりくる。ローズの出産を描いてシャーリイが母になる過程を想像させるためには、シャーリイが映画の最初から母親であるべきではないという作り手たちの判断ではないか。そう推測すると、あの断崖のシーンもわかりやすくなる。
ともあれ、この映画を機にシャーリイ・ジャクスンの再評価がさらに広がり、過去の映像化作品が配信で観やすくなったり、新たな映像化の企画につながったりするといいなと思う。スーザン・スカーフ・メレルによる原作小説も邦訳が出たらぜひ読みたい。