「普段のTVシリーズとは違う、シリアスな忍たま」劇場版 忍たま乱太郎 ドクタケ忍者隊最強の軍師 緋里阿 純さんの映画レビュー(感想・評価)
普段のTVシリーズとは違う、シリアスな忍たま
尼子騒兵衛による『忍たま乱太郎』シリーズを原作とする、NHKの人気長寿アニメの劇場版第3弾。とある事故から記憶喪失となってしまった忍術学園の教師 土井半助が、敵対するドクタケ忍者隊に洗脳され、最強の軍師 天鬼(てんき)として乱太郎達の前に立ち塞がる。
ネットで「全国の女児から初恋を奪った人」と言われている土井先生が本作のキーパーソン。彼を中心に、乱太郎ら忍術学園の生徒達の先生を信じて連れ戻そうとする直向きさ、共同生活を送るきり丸の苦悩、義理の親子関係にある山田先生の親子愛、記憶喪失とはいえ敵対する組織に属した以上は暗殺を企てるという忍社会のシビアさと、様々な人間関係や思惑が交錯していく。
人気シリーズの劇場版ながら、乱太郎、きり丸、しんべヱの主要3人+本作のメインである土井先生の普段のキャラクターを何となく知ってさえいれば、初見さんにも理解出来る優しい作りになっている。実際、本作のレビューにも「子供の頃観ていた」という意見も多く、その上で高い評価を下している人も多いからだ。
ただ、本作をより楽しむのならば、劇場版の前作に当たる『忍術学園全員出動!の段』(2011)を鑑賞してから行くと、タソガレドキ忍軍の雑渡昆奈門(ざっとこんなもん)や諸泉尊奈門(もろいずみそんなもん)のキャラクターを知ることが出来、冒頭の土井先生と尊奈門の因縁についても把握した上で果たし合いのアクションを楽しむ事が出来るのでオススメ。
私自身も例に漏れず、幼少期にアニメを鑑賞していた以外は、1996年の劇場版第一弾を子供会の催しで、先述した劇場版の前作をTV放送で偶然目にした程度。しかし、そんな前作が、子供向けに分かりやすくコミカルに描かれながらも、合戦描写や戦術のリアルさや乱太郎が保健委員長代理として奔走する姿が印象的で、物語としての完成度も非常に高かった事から、「大人になって観てみると、実は侮れない作品なのだな」と感心させられた経験があるので、本作の劇場公開を内心楽しみにしていた。
本作を理解する上で、更に把握しておいた方が良い設定としては、
①きり丸は、戦争孤児で天涯孤独の身。
②土井先生は、かつて豪族の若君だったが、子供時代に家を滅ぼされ、きり丸と同じく天涯孤独。
この2つが、本作に於けるきり丸と土井先生の共同生活、幼い土井先生を引き取って育てた山田先生との擬似親子関係にも繋がるので、知っているとよりクライマックスでの感動が増すだろう。
そんなきり丸と土井先生の関係性が本作のメインの為、本来の主人公である乱太郎は、今回はサポート役に徹している。
普段の『忍たま』らしいコミカルさは残しつつも、全編を漂うシリアスな空気感は本作ならでは。高い戦闘力を持ち、兵法に精通している土井先生が敵に回るという展開が面白い。
捜索隊である六年生達(実力は既にプロレベルであるはず)を相手に、傷一つ負うことなく圧倒していく姿は、本作の白眉。
刀を手にしつつも、あくまで反撃は六年生達の投げた針や石を弾き返す、刀で斬った竹の鋭い断面に、六年生が脇腹を掠めるといった具合で傷を負わせるという「決して土井先生に生徒を斬らせはしない」というアクションの組み立て方の上手さが素晴らしい。また、多少とはいえ、流血表現を躊躇うことなく採用する思い切りの良さも個人的に評価ポイント。
そんな土井先生の記憶喪失の直接の原因となったドクタケ忍者隊の首領 稗田八方斎(ひえたはっぽうさい)も、同じく事故により普段より性格が狡猾に変質しており、目尻が鋭く尖っている。土井先生が記憶を取り戻す事を恐れ、「奴に生徒達を斬らせてしまえば、例え記憶が戻ろうとドクタケから抜け出すことは出来ない」と、乱太郎達を斬らせようとする残忍さは本作ならでは。とはいえ、流石普段のTVシリーズでも憎めない悪役なだけあって、ミュージカル調のダンスシーンで土井先生を洗脳する姿は面白い。
実は本作一シリアスなキャラクターだったのではないかと思われるきり丸の過去が切ない。決して深くは語られずとも、僅かな過去回想できり丸の過去が描かれる。
冬の空の下、廃寺(廃神社?)の軒下でボロ切れに身を包み、空を見上げる姿が印象的。普段は守銭奴キャラとして「小銭〜!」と目を輝かせるきり丸に、悲惨な過去があった事が示されると、お金に対する拘りの強さの所以が「生きるため」だと分かり胸が締め付けられる。忍術学園入学後初の長期休暇で、皆が家族の待つ家にウキウキしながら帰って行く中、「まぁ、雨風さえ凌げりゃ、俺は何処でも」と僅か10歳の少年が語っている姿は、大人になって観るとあまりにも重い台詞だと分かる。
そんな彼を、似たような境遇を持つ者として見過ごせず、「さぁ、一緒に帰ろう」と声を掛ける土井先生。「ただいま」と言うきり丸に「おかえり」と返してくれる存在になった優しさ。そんな土井先生の記憶を取り戻す為、今度はきり丸が「一緒に帰ろう」と声を掛けるクライマックスにグッと来る。
そんなクライマックスの展開にも、きり丸らしい守銭奴っぷりが発揮されている点は面白い。
「自分の命より銭大事!(これは前作の劇場版と繋がっている)」
「地獄の沙汰も金次第。だけど、払ってたまるか六文銭!」
という台詞が非常に彼らしくて素晴らしかった。
個人的に忘れてはならない賞賛ポイントが、冒頭から展開される本来過酷な時代であることを示す戦の記憶描写だ。恐らくは土井先生の過去回想であるが、全てが失われていく様子は戦争孤児のきり丸とも共通しており、“どちらの記憶”としても受け取れるのが素晴らしい。
振り下ろされる刀の軌道に沿って、暗闇を彩る彼岸花の数々、手に握られる一輪の彼岸花、倒れ積み上げられる藁で出来たカカシは、大人ならばその意味を理解出来るという絶妙な塩梅で、残酷さの中に美しさすら感じさせる魅力がある。直接的な残酷描写を避ける為の子供向け作品としての配慮が、下手な残酷描写を提示する実写作品をも凌いでしまう絵力を持つこのシーンに惜しみない拍手を贈りたい。
惜しむらくは、2度とないであろう敵として立ち塞がる土井先生と乱太郎達は組の生徒らとの直接的な関わりが少なく、アクションに乏しかった点。1番盛り上がっても良いクライマックスが、比較的大人しめに終わってしまったのは盛り上がりに欠けた。
は組の生徒らのいつもの能天気さと先生への思いから、記憶が戻りつつあるからこそ、頭痛や胃痛で普段の実力を発揮出来ない天鬼との追いかけっこ展開等のハチャメチャさが欲しかったところ。
普段のTVシリーズでは出来ない、劇場版ならではのシリアスなストーリー展開、忍術学園の上級生をはじめプロの忍を目指す、プロの忍として生きる者達の強さと厳しさ、そんなシリアスなストーリーを暗くし過ぎない“1年は組”の面々の安定したコミカルさと、かつてこのシリーズに触れた者としては非常に新鮮且つ懐かしさを感じさせてくれる作品だった。