「暴力で抵抗すること」夜明けへの道 LSさんの映画レビュー(感想・評価)
暴力で抵抗すること
ミャンマーの著名な映画監督が、2021年2月のクーデターに抵抗する市民運動に参加して指名手配される。妻子を残し、仲間に匿われながらの逃避行と、合流した民主派の抵抗軍事組織(PDF)と共に生きる姿を、自分自身を被写体としモノローグを加えた記録。
監督はPDFでの自分の立場について明確に説明していないが、銃を取って戦闘に参加しているわけではない。民主派の闘争を宣伝するインターネット動画の制作をするかたわら、兵士に食事を作ったりもしている。また、PDFの訓練課程修了式で、NUG国防相のメッセージを代読するシーンがあり、文民幹部のように遇されているのかもしれない。
想像するに、彼の最大の役割は、内外での彼の知名度を活用し、国内では士気を高め、海外とのネットワークを通じて民主派への支援を集めることにあるのだろう。(この映画もその一環といえる)
強烈な印象を受けたのは、子どもにまつわるふたつのシーン。映画の初頭、逃亡途中の監督と家族との通話で、幼い息子が(国軍司令官でクーデター後の最高指導者の)「ミンアウンフラインを殺すんだ」とすごむ。父はその言葉をとがめず受け流す。こういう状況下とはいえ、暴力に傾倒するそぶりをみせる子どもへの大人の対応として違和感を覚えた。
一転して、PDFに合流した後、監督は他の地域の学校の校長と言葉を交わした話を披露する。監督は「不足しているものはないか。日本でも米国でも、海外から支援を得られる。教科書は?」と尋ねる。校長は答える。「教科書はいらない。(学校を爆撃する)戦闘機を打ち落とすミサイルがほしい」
国軍は、国民の民主派への支援を絶つために、協力者のいる集落を焼き討ちし、文民施設を空爆する。暴力でしか子供たちを守れない、その一方で子供に暴力はいけないことだと説けるのか、説くべきなのか?
ミャンマーの民主派が武力で抵抗していることについては、彼ら自身の選択なのでコメントできない。だが、自分が突然そういう事態に放り込まれたらどう行動するか。それを考える枠組みが自分にはあるのか。最初の違和感はナイーブなものだったと気づかされた。
なお、個人的にはこの作品をドキュメンタリーと呼ぶことには躊躇がある。以前にレビューした「ミャンマー・ダイアリーズ」に比べて、本作は明確にNUG/PDFへの支持を喚起することを意図しており、民主派のプロパガンダだと言ってもいい。だからよくないというつもりはなく、ただそういう意図を意識して観る必要があると思う。
補足:クーデターへの抵抗運動について。当初は市民不服従運動(CDM)と呼ばれる非暴力の抗議活動(デモ、職場や学校からの離脱、税や公共料金の不払いなど)が多かったが、治安当局の取り締まりで死傷、逮捕者が急増して下火となり、中心は武力での対抗(国軍、警察などクーデター政権当局者や協力者の殺害、国軍に対する軍事作戦)になった。民主派はクーデター前の総選挙で当選していた議員らを中心に並行政権、国民統一政府(NUG)と、その武装組織として国民防衛隊(PDF)を結成。PDFは長年ミャンマー政府・軍に抵抗していた地方の少数民族武装組織(EAO)と協力して軍事的能力を強化、EAOとPDFの連合作戦で国軍を攻撃し(映画内で「解放区」と呼ばれていた)支配地域を拡大している。