夜明けへの道のレビュー・感想・評価
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抵抗への呼びかけとプロパガンダ
2021年のミャンマー軍事クーデター以降の独裁政権による言論弾圧下、指名手配を受けた監督が民主派勢力地域に逃れ現在の国情を訴えるドキュメンタリーです。冷静な目で見ると、これはかなり辛い作品でした。
軍事政権の非人間的な圧政と、民主化を求める人々の映像が紹介されるのですが、それを世界の人々に訴えるだけでなく、ミャンマー国内の人々に対して、「武器を持って立ち上がる」事を訴えるのです。物理的・肉体的・経済的暴力に対しての武力による抵抗を安全な場所に居る僕があれこれ言う事は出来ません。でも、そうした場面から作品は「抵抗勢力によるプロパガンダ」の様な色彩を帯び始めます。きな臭いにおいに身を委ねる気がして、心の居心地が悪くモゾモゾしました。この映画自身を支持していいのかどうかすらも躊躇するに至ります。
「甘い事、言ってんじゃねぇよ。だったらどうしろと言うんだ?」
と監督に問われたら、口ごもってしまうしかありません。
軍事政権が誤っている事は恐らく間違いありません。だから、「互いに銃を置きましょう」なんて言葉は監督らの居る場所では何らの力も持ち得ない事はよく分かります。でもね・・なのです。
「戦争と平和」についての自分の考えの試金石となる一作でした。
監督のプロモーション・ビデオみたいになっているような気がしないでもなかった。そこがちょっと残念
6月19日、アウン・サン・スー・チー氏の誕生日に鑑賞。
軍に抵抗し、指名手配された映画監督の逃避行の記録ですが、思った以上に力のあるドキュメンタリーでした。
でも、監督のプロモーション・ビデオみたいになっている感じがしないでもなかった。そこがちょっと残念、というか気になりました。
自分自身ではなく、自分の周囲の状況を、たとえば監督が生活を共にすることになった地方の抵抗勢力の現状などをもっと伝えてほしかった。
だけど、そういう詳しい動きが国軍に知れたりするとまずいだろうし、いろいろと事情があるのだろうなぁ。
「夜明け」は、まだまだ遠いかもしれない。
けれど、「明けない夜はない」と信じて、ミャンマーの民主化を応援したいと思います。
追記
ぼくは、昔、ミャンマー(ビルマ)をひと月、旅してまわったことがあります。このときの旅行は、ほかのどの旅よりも充実したものとなりました。
仏教国ということもあるのでしょう、ミャンマーの人たちは、とても穏やかで親切でした。
長年の軍事政権支配の影響により近代化が遅れた国なので、あちこちで不便な思いをしましたが、近代化が遅れたからこその魅力がたくさんありました。そこでは、とても懐かしい空気——ぼくが子どもの頃の日本に漂っていたような大らかな雰囲気を感じることができました。
そのひと月のあいだ、ぼくは心地よい安堵感に包まれて旅をしていました。それまでぼくはいろんな国を訪ね歩きましたが、そのような感慨をおぼえた国はミャンマーのほかにはありませんでした。
帰国してからも、またミャンマーを訪れたいと思いました。そしてできれば移住して暮らしてみたいとさえ思いました。ですから、2021年のクーデターには少なからずショックを受けました。
ぼくはミャンマーの未来を案じています。……ミャンマーの人々が平和に安全に暮らせますように。
暴力で抵抗すること
ミャンマーの著名な映画監督が、2021年2月のクーデターに抵抗する市民運動に参加して指名手配される。妻子を残し、仲間に匿われながらの逃避行と、合流した民主派の抵抗軍事組織(PDF)と共に生きる姿を、自分自身を被写体としモノローグを加えた記録。
監督はPDFでの自分の立場について明確に説明していないが、銃を取って戦闘に参加しているわけではない。民主派の闘争を宣伝するインターネット動画の制作をするかたわら、兵士に食事を作ったりもしている。また、PDFの訓練課程修了式で、NUG国防相のメッセージを代読するシーンがあり、文民幹部のように遇されているのかもしれない。
想像するに、彼の最大の役割は、内外での彼の知名度を活用し、国内では士気を高め、海外とのネットワークを通じて民主派への支援を集めることにあるのだろう。(この映画もその一環といえる)
強烈な印象を受けたのは、子どもにまつわるふたつのシーン。映画の初頭、逃亡途中の監督と家族との通話で、幼い息子が(国軍司令官でクーデター後の最高指導者の)「ミンアウンフラインを殺すんだ」とすごむ。父はその言葉をとがめず受け流す。こういう状況下とはいえ、暴力に傾倒するそぶりをみせる子どもへの大人の対応として違和感を覚えた。
一転して、PDFに合流した後、監督は他の地域の学校の校長と言葉を交わした話を披露する。監督は「不足しているものはないか。日本でも米国でも、海外から支援を得られる。教科書は?」と尋ねる。校長は答える。「教科書はいらない。(学校を爆撃する)戦闘機を打ち落とすミサイルがほしい」
国軍は、国民の民主派への支援を絶つために、協力者のいる集落を焼き討ちし、文民施設を空爆する。暴力でしか子供たちを守れない、その一方で子供に暴力はいけないことだと説けるのか、説くべきなのか?
ミャンマーの民主派が武力で抵抗していることについては、彼ら自身の選択なのでコメントできない。だが、自分が突然そういう事態に放り込まれたらどう行動するか。それを考える枠組みが自分にはあるのか。最初の違和感はナイーブなものだったと気づかされた。
なお、個人的にはこの作品をドキュメンタリーと呼ぶことには躊躇がある。以前にレビューした「ミャンマー・ダイアリーズ」に比べて、本作は明確にNUG/PDFへの支持を喚起することを意図しており、民主派のプロパガンダだと言ってもいい。だからよくないというつもりはなく、ただそういう意図を意識して観る必要があると思う。
補足:クーデターへの抵抗運動について。当初は市民不服従運動(CDM)と呼ばれる非暴力の抗議活動(デモ、職場や学校からの離脱、税や公共料金の不払いなど)が多かったが、治安当局の取り締まりで死傷、逮捕者が急増して下火となり、中心は武力での対抗(国軍、警察などクーデター政権当局者や協力者の殺害、国軍に対する軍事作戦)になった。民主派はクーデター前の総選挙で当選していた議員らを中心に並行政権、国民統一政府(NUG)と、その武装組織として国民防衛隊(PDF)を結成。PDFは長年ミャンマー政府・軍に抵抗していた地方の少数民族武装組織(EAO)と協力して軍事的能力を強化、EAOとPDFの連合作戦で国軍を攻撃し(映画内で「解放区」と呼ばれていた)支配地域を拡大している。
軍事独裁政治のもとで、それでも闘う人たちの姿を監督自ら描いたドキュメンタリー。あらゆる点で想像を超えているので、観るべき映像と思います。
2011年に民政になり、それ以降監督としてまた俳優としても、ミャンマーで活躍したコ・パウ監督。
2021年2月にクーデターが起き、それに対するデモを呼びかけ先頭にたったことで、指名手配され、以来自宅に帰ることができずに、最初は町の中でかくまってもらっていたけれど、やがて地方の森の中の解放区へ。そこでの暮らし(闘い)をご自身でスマホなどでとってつくったドキュメンタリーでした。
◇ミャンマーでは、長い間少数民族の人たちの闘いがあり、そこがミャンマー国軍の力の及ばない地域(解放区)となっていて、そこにクーデターに反対する人たちが逃れて、連邦制民主主義のミャンマー目指して、共に闘っていると知りました。
◇解放区での生活は、自分たちの部隊の訓練・闘いを支えながら、革命を目指した死と隣り合わせの 質素で規律ある暮らしですが、ギターなど芸術も共にある暮らしの様子が伝わってきました。
◇映画からは、未来のために闘おうという意思が伝わってきて、集団生活はこんな風にできるのだということにも、刺激を受け、観てよかった映画でした。「2011年から10年間民主主義を知ったからこそ、後戻りは許さない。。。民主主義の国を作るまで、闘う。」「最初は怖かったけれど、今は死を恐れない」という監督の思いがしっかり伝わってきました。
◇ただ日本の政治も、国民の声が届かなくなっている状況を思う時、「今の日本に人権と民主主義があるのか」「この映画をどう受け止めるのか」、複雑な気持ちになりました。
終わってから感想のシエア会で、いろいろな人と話したい映画と思いました。
日本にはミャンマーの人たちが大勢いて、海外からの支援活動をされていると聞きました。もしこれからミャンマーの方とつながることができるなら、応援もしつつ、一方的に支援の立場になるのではなく、日本の複雑な状況・日本にいるからまだわかる世界の状況を伝えられたらと思いました。
★映画には力があることを改めて実感しました。無事に生き延びて、次々に映画を作り続けてほしいです。
こんなに落ち着かない生活してたら、 内蔵的に弱ってしまいそう 強い...
こんなに落ち着かない生活してたら、
内蔵的に弱ってしまいそう
強い気持ちを持ちながら信念を貫き通す、
そんな精神性はどこから来たんだろう
これからも体に気をつけながなら、
頑張って下さい
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