劇場公開日 2024年8月30日

「モモコの心の表現」愛に乱暴 R41さんの映画レビュー(感想・評価)

5.0モモコの心の表現

2025年1月20日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

何とも不思議な作品
物語そのものはわかりにくくないものの、その意味していることに対する解釈は非常に難しく感じる。
基本的に描かれているのがモモコという人物で、その心理描写を映像だけで表現している。
彼女は普通の主婦であり、リフォームの話もあるように、改善箇所は古い住宅だけのように思える。
そのリフォームの話も進んでいたようだが、何故か夫のマモルは関心を示さないことで、この物語の不穏な部分が醸し出される。
発端は猫がいなくなったこと。
そもそも捨て猫に餌付けしていたモモコだったが、子供のいない寂しさがそこに垣間見れ、同時に様々な些細な影も見えてくる。
このスタートの空気感は「ねじ巻き鳥クロニクル」と似ている。
この染みのように舞い落ちてきたことが、やがて大きな問題がやってくることを告げている。
だが、ねじ巻き鳥とは違い、猫は帰ってこない。
猫はモモコ自身であり、最後にそれが靴音となって示される。
「明日からゴミは別々に出しませんか?」「もう今日からよ」
他人となったかつての義母
青いアイスキャンデーをかじるモモコの着ている真っ赤な服は、腹が煮えくり返っている象徴だろうか?
解体工が壊していたのはモモコたちが住んでいた離れだ。
「私はここを売ろうと思っているの。あなたは離れを自由にしていいわ」
タイトル 「愛に乱暴」
些細な他人への気遣いや気配りという日本人らしい気質を持つモモコ
会社を辞めて8年
この間にあったコロナ渦によって、日本人の日本人らしい気質や常識が大きく変化してしまったことを監督は忍ばせているようにも感じた。
彼女が持っていた常識的感覚は、夫が「ありがとう」と言わないことや、義母のいつもの含みのあるような態度と「また何かかくしているんじゃない?」という言葉、すべてがモモコの気遣いに対するありがた迷惑のような態度として示めされることで次第にモモコ自身が狂っていくようだ。
特にミヤケのアパートで、相手に対し思いをぶちまけた後、彼女が倒れたような音を聞いたことでドアを開けたことがモモコの持つ常識と周囲の感覚の乖離を表しているように思えた。
あのスイカもまた赤い服と同じで、中を割ることでモモコの腹の煮えくり具合という赤い色を表現していたのだろう。
憎い相手に対してさえも、その体への気遣いという常識がつい走ってしまう。
この気遣いという名の愛に対する人々の返事が、あまりにも乱暴ではないのかと監督は言いたかったのかもしれない。
モモコが時折見ていたSNS 流産のことや妊活の呟き
これはおそらく彼女自身がかつてマモルと不倫をしていた時に呟いていたもの。
それを見始めた理由
夫の浮気を直感
同じことをしていたからこそ気づいたのだろうか?
その当時の自分自身と被るミヤケの立場
モモコはきっと因果応報的な心情になったのかもしれない。
夫のシャツから感じた不倫のニオイ
会社の不誠実な対応もまた、タイトルの一部であり、いまの社会を表現している。
「いまだけ、金だけ、自分だけ」
このような言葉が今の日本社会の実態なのかもしれない。
さて、
連続するゴミステーションの不審火
これはいったい何を意味したのだろう?
おそらくそれはモモコの日常が少しずつ壊れていく象徴かもしれない。
彼女は最後に自分たちが住んでいた離れを壊すが、それは以前、マモルと前妻が住んでいた場所でもある。
不審火は形を変えて離れを壊した。
そしてそれはモモコ自身の心へも飛び火した。
でも彼女はその歪んだ部分だけを燃やし、日本人的な常識は残したいと考えたのではないだろうか?
だから青いアイスキャンデーで守りたい部分を消火をしていたのではないか?
モモコはニオイを嗅ぐくせがある。
それはこの現実に対する認識や記憶に残すことや自分自身を確認していたなどいろいろと考えられるが、モモコ自身の現在の位置を確認していたのかもしれない。
首輪をつけられたまま捨てられる猫
それは、モモコ自身のことだったのかもしれないが、彼女は気丈だ。
戻ってこなかった猫は、もっと別のいい場所を探しに出ていったのだろう。
エンドロールで流れるリズム感のある毅然とした靴音
その目的意識のある靴音は、もっといい場所に向かっていると解釈した。
モモコが、
実家で見た姉弟夫婦と子供たちは、かつてモモコが夢見た光景だったに違いない。
電車の音に合わせて大声で歌うのは、気丈を貫く昭和女性を思わせる。
他人に気遣いしても浮かばれることのない、変わってしまった社会
しかしそれを、外国人が見ていた。
やる気のないように聞こえる挨拶 客のクレーム 日本で委縮しながら生きている。
「商品の説明がわかりにくい」
サービスに対する苦情という返事もまた、タイトルとつながる。
少し前にあった茶店で出されるサービスの水 その中に垂らされたレモン水
それが気に入らないから普通の水と取り換えろと文句を言う客
サービスが気に入らなければ受ける必要はない。
彼が普段感じる歪さ だから同じように苦悩するモモコのことがわかったのだろう。
「いつもゴミ捨て場をきれいにしてくれてありがとう」
「ありがとうって言ってくれてありがとう」
これが彼女が原点復帰できた出来事だった。
「やっぱり私は間違ってない」
変わってゆく中でも変わらない日本人気質を続けていく決意。
そして、
シャツのニオイから感じた不倫の気配よりも、彼女は猫を探した。
それは、
もう失ってしまうものよりも、まだ残っている無償の愛を優先したいから。
床の下、もしかして出られなくなっているのかもしれない。
チェーンソーで床を切ってみたものの、そこに猫はいない。
そして掘り返した後を見つける。
発見した缶と中にあったベビー服。
それはマモルと前妻の、生まれなかった子供の服だろう。
流れてしまった子供。
モモコはその子に思いを馳せる。
あの時、一瞬たりともやまずに聞こえていた心音を思い出す。
当時の前妻の気持ちが、ベビー服を通してモモコに流れ込んできた。
ゴミ
吐出してゴミ出しシーンの多い物語
想い出を捨てられない義母
実家のクローゼットにあった、かつての思い出
捨てる決意
相手を気遣い、相手に合わせ、自分を殺し、相手に文句を言われ、自分の所為にされる。
最後に着ていた赤い服は、そんな風に他人に合わせて生きてきたモモコ自身に対しての怒りを表現していたのかもしれない。
青いアイスキャンデーはやっぱり消火で、そんな自分自身を諫めていたのだろうか。
やがて聞こえてくる靴音
彼女が目標に向かって歩き始めたサイン
帰ってこなかった猫は彼女自身だったのだろう。
非常に解釈が難しい作品だが、語られない彼女の心の中をとても豊かに表現している。
素晴らしい作品だったと思う。

R41
ゆきさんのコメント
2025年1月20日

こんばんは。私、この作品はとても印象に残っています。R41さんの鋭い考察のレビュー拝読し、再鑑賞した気持ちになりました。
私はこの作品は、桃子がもがき苦しみながらも必死に自分の居場所を探していくお話しと感じていました。桃ちゃんは愛に乱暴でしたが、シンプルで、普遍的なテーマが軸にあったと思いました。
しかし仰る通りで解釈が難しかったですね。
青いアイスキャンディーと赤い服のご指摘!なるほど!
江口さんの作品ではかなり好きな作品。又思い出して色々考える時間が持てました。
今年も色々考えて下さい。
よろしくお願いしますm(__)m

ゆき