先生の白い嘘のレビュー・感想・評価
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本当の白い私
本作を見るに当たって、公開直前の“問題”について自分なりの見解を。
主演の奈緒から要望あったにも関わらず、インティマシー・コーディネーターを監督が拒否。
配慮に欠けた判断だったと思う。
役者なら役の上と割り切って…と言うは易しだが、やる方はかなりの精神的心労負うと思う。実際見て、結構際どく、驚いた。
奈緒のようにこれからも飛躍期待出来る女優、若い一人の女性にとって、今後のキャリアやイメージにも繋がる。
監督は自分の口で直接なコミュニケーションと言うが、専門家でもないし、それがヘンに伝わったら…?
例えば、急遽予定に無かった性的描写を撮りたいとしよう。間に居ればクッション役となり、監督の意図や演者の理解の疎通が出来た筈。間に居なかったら、監督の突然の要請に演者は従うしかない。それがどんなに一瞬躊躇するものであっても。
そんな“ズレ”や“誤解”が後々問題を招く。最近も中島哲也監督の過去の問題が掘り返されたばかりだし。
濡れ場や女の情炎を描く往年の名匠たちから見れば怒号ものかもしれない。そんな臆病で演技出来るか、いい映画撮れるか!
双方の言い分は分かる。が、もうそういう時代ではないのだ。
変わらなくてはいけないのだ。
作り手と演者、相互の理解あって、良き作品作りを。
さて、作品の感想を。作品の方もスキャンダラス。
不条理な男女間の性の関係、不平等な男尊女卑、性や女である事を蔑む自らの複雑な心情…。
性描写も際どい。裸体をさらけ出すとか大胆な濡れ場があるとかじゃないが、嫌々ながらも暴力的な性交渉に喘ぎ悶え…。
おそらく演者にとっては身体と身体の絡みより難しさや抵抗や恥ずかしさだってあるだろう。
これでインティマシー・コーディネーター要望を排除したのは横暴。
つまり、それナシで奈緒はそれらのシーンを演じ切った訳だ。複雑な内面演技も含め称賛せずにはいられない。決してキャリアが傷付く事はないだろう。可愛いだけの若手女優じゃなく、難役もこなせる確かな実力派。
周りも迫真の演技見せる。
圧巻だったのは、風間俊介。朝の爽やかな顔とはまるで違うゲス男。彼が嫌いになるほど。
最近美貌際立つ三吉彩花も女優としての本領見せ、初めましての猪狩蒼弥もナイーブな存在で印象残す。
キャストの熱演は素晴らしいのだが、三木康一郎監督の演出にぎこちなさや台詞にも文章っぽさがあり、話の方もなかなかに取っ付き難い。
高校の国語教師の美鈴。
友人・美奈子の婚約者・早藤に犯される。早藤は女性を性欲の捌け口にしか思わず、侮蔑さえしている。
悪いのは弱い女である自分。早藤の呼び出しに応じ、性の隷属化に甘んじてしまう…。
美鈴の担当クラスで、一人の男子生徒・新妻にいかがわしい噂。人妻と密会。
事情を聞くと、人妻とラブホテルに行ったのは事実だが、行為の直前に萎縮し、何事も無かったという。
性の悩みを打ち明けた新妻に、美鈴も思わず性への本音を打ち明ける。
そんな美鈴に新妻は惹かれていく。
美鈴もまた新妻に立場を超えて想いを募らせていくが、その間も早藤から性の強要。
やがて二人の関係が早藤の知る事となり、美鈴はある決意を…。
男女の性関係、男尊女卑の上に、教師と生徒の禁断の関係。映画化や原作漫画もよく企画が通ったもんだなぁ、と。
しかし本作、心境など理解に難しい点が多々。
何故美鈴は女である自分を蔑む…?
世の中は結局、男が上に立つ。地位も性的関係も。どう抗ったって。端から諦めているのか…?
美鈴と新妻は何がきっかけで惹かれ合うようになった…?
新妻は性に対して抵抗を感じている。美鈴は快楽を感じてしまう中にも、嫌悪感も。
性に何かしらの不快を抱く二人。自分一人だけじゃないというシンパシーか…?
理解や共感でなくとも、多少なりとも分かろうとしようとしても、やはり考え込んでしまう。
それに比べ、早藤はサディスティックなまでにストレートだ。己の貪欲の赴くままに。が、彼の性格や彼自身も一切の共感も無い。
これが男の本性とは思って欲しくない。しかし、世の一部の男たちやその心底には、女性を見下したり、支配しようとする輩がいるのも事実。それを増長した姿が早藤なのだ。本当に風間俊介はこの役をよく引き受けたと思う。
美鈴、早藤、新妻、美奈子の複雑な心情と関係が絡む。原作漫画ではさらに重層的に。Wikipediaによると、
美奈子は美鈴の友人ではあるが、心の中では見下している。
美鈴はそれを知りつつも友人関係を続け、一方、友人の婚約者と関係を持ち哀れに思っている。
映画ではこれらの関係はちと読み取り難いが、そもそも人は表面のその下で何を思っているかなんて分からないものだ。
早藤から新妻との関係をバラすと脅され、美鈴は早藤との決別を決意。
また性の強要と支配で言いなりに出来ると思った早藤だが、美鈴は屈せず。
男・暴力・支配への抗い。歪んだ性からの解放。
卑しい者は支配してきた相手の反抗にたじろく。早藤もまた。そしてまた暴力で抑え込もうとする。もはや憐れでもある。
二人の関係を遂に知った美奈子。修羅場の直後の場へ。散々いたぶられた美鈴が…。
そんな美鈴を心配しながらも、早藤とは別れられない美奈子。お腹には早藤との子。世間体には“人当たりのいいエリート”の早藤と共にしなければいけない。早藤の本性に気付いても。罪を背負うかのように。
出産。その誕生は、早藤の悔い改めや美奈子の重荷が軽減する希望の兆しか…?
美鈴への救いは…?
命には別状なく。
が、学校から新妻との関係を詰問。
弁解せず、自分の気持ちを。
生徒の前へ。顔に包帯を巻き、生々しい傷のまま。
その表情には解放感が見られた。
どんなに蔑まれ、いたぶられても、やっと見出だした私。
女である事、自分を受け入れ、愛や性への自由。
これが本当の、白い私。
映倫基準は甘くなったのか?
原作未読。映画館で観なかったので、DVDにて鑑賞。奈緒さんと三吉さんの体当りの演技が印象的な作品。早藤(風間俊介)が、最低な男を演じているが、こんな野郎が会社にいたら、いくら仕事ができても解雇だね😡⚡。個人的な意見として、この内容の作品(性的描写)が、映倫区分でいうR15+というのは、いかがなものか?と思ってしまう。昔と違って映倫基準が甘くなったと思う。(←確かに時代は変わってますし、映倫も社会状況によって区分を見直すとしていますが...) 2024年に公開された「湖の女たち」は、Gだったし。男女間の性格差の云々が、テーマになっているようだが、あまり理解できなかった。暴力的な性描写を入れるなら、R18にすべきだと思うのだが...
報道度外視しても2024年ワースト作品
配信(dmmTV)で視聴。
性描写問題で報道された作品。
報道度外視で作品として観た。
奈緒、風間俊介ら出演俳優はよく頑張っていたが、この作品は結局観客に何を伝えたかったのか全く分からなかった。監督の自己満足に思えた。当然2024年ワースト作品。
不快な作品でした
ひょっとして3人とも〇ズでは?
遅れての鑑賞。
原作は講談社モーニングツー連載だったそうで、知りませんでした。
序盤、主人公の女性教師の女だから男だから系の強固な認知バイアス発言に次第に嫌気が差してきて、珍しく離席して帰っちゃおうかと過りましたが、堪えて最後まで観させていただきました。
このような、逃げようにも逃げがたい心理的だったり性的な搾取構造に嵌まり込んでしまい、強く極端なバイアスを抱いてしまう方は、おそらく実際に結構いらっしゃるのだろうな・・・とは思います。もちろんそれらについての個々人のケースについての配慮やサポートは必要だとも思いますが、作中のこの女性教師の男子生徒への的外れな実質ただの八つ当たりシーンは居たたまれなかったです。もちろん作品が良く出来ているが故に出てくる感想や印象です。
女性教師と男子生徒について。
どう見ても女性教師が男子生徒を「男」として意識しすぎていて、それが結果的に男子生徒を「誘っている」ように見えてしまい、そういう点はかなり んん???と首を傾げてしまいました。
終盤の、ラブホテルに駆け込んだ友人妊婦が彼女に対して何について赦してと請うたのかが、イマイチ判読しづらかったです。妊婦の彼女はコトが起きる前からある程度は知っていて(感じていて)織り込み済みとして過ごしていたんだろうな、というのはなんとなく伝わりましたけども、それならそれでこの妊婦も相当な〇ズじゃないかな?と思ってしまいます。原作漫画は未読なのでもしかしたら映画上では表現されていない事情などあるのかもしれませんが。彼氏で夫の男が友人である女性教師に浮気しているのを知りつつ嫉妬しつつ泳がせていた?とか。
女性に対する偏った思想を抱く〇ズ男。
こういう人っているよね~~、人を支配することでしかコミュニケーション取れない(親密になれない)人。
そういう人もそういう人で、発達障害的なものだったり人格障害的なものだったり養育歴や思春期の出来事などの積み重ねで結果的にそうなっちゃのかもわからんですけども、大して知らない他人からすれば迷惑千万この上ない存在には違いないわけですし、社会の秩序をかき乱す毒分子のような存在だと思うので、社会的な認知が進んでこういう人の治療やサポートや社会的な理解(もちろんやらせたいままやらせようという話じゃないですよ)がもっと必要なんじゃないかな・・・と思わなくもないです。
闇を抱えた(とされる)ク〇男は、女性教師に救われ(?)自らの罪を償うことになり、女性教師は自主的に退職をしそれまでの人間関係から一線を引きリセットするが…。という終盤展開の締めですけど、
これを男女逆転して捉え直してみて
同じ印象や感想(あるいは感動)を得られるかどうか?
女性恐怖症の男性教師が女子高生の生徒と…というようなね。
それで
その人の男女バイアスの一側面が垣間見れるのではないでしょうか。
わたしとしては、フィクション作品としてはまぁまぁの落としどころかな、とは思いました。ご都合主義的な部分は仕方ないにしても。良くも悪くも「ポルノ」作品だと思いました。人の弱さに寄り添うという意味でのポルノ。
素晴らしい演技だった
男子生徒役の子はまだこれからという感じで
それはそれで高校生らしく感じた。
正直おそろしい描写もあったし
痛々しくて目を背けたくなるシーンもあった
言葉にすると、苦しみがわかったような気になってしまうのではと思い
レビューを書くのをためらっていましたが
あまりに評価が低いのに驚き、自分なりに星を付けました。
観れる機会がある人はみてほしい作品。
男尊女卑の思想。
親友?の彼にレイブされて、なのにずるずると関係を続けてしまう主人公。
主人公が特に親友?を気遣うシーンもなく、親友でもないのなら、何で早く訴えなかったのかな?と思ってしまいます。
まだまだ声を上げにくい世の中なのかな?
それとも女性の性のせいなのかな?
私が男性だからか、共感できませんでした。
冒頭の割り箸のシーンで男と女は50:50の関係ではないと主人公は言いました。実際に映画はその思想で進行しますが、私には古い考えな気がして違和感がありました。それが最後まで引っ掛かってしまいました。
性の描写については、騒ぐような事ではないと思いました。R15指定の必要もあったのかなと思います。ただ最後の暴力シーンだけは目を背けましたが。
男性と女性、感性と価値観により評価がわかれる作品だと思います。
レイトショーで鑑賞、大半が女性でした。
私的感じた、この映画の内容としての問題点とは?
(完全ネタバレですので必ず鑑賞後にお読み下さい!)
今作は上映前に様々な問題が立ち上がった映画でした。
ただその是非とは別に、作品中身として評価する必要を個人的には感じ、上映前の問題はいったん忘れて鑑賞をしました。
しかし作品の中身についてもこの映画『先生の白い嘘』は、問題をかなりはらんでいると思われました。
その大きな問題の中心は、主人公・原美鈴(奈緒さん)に性加害した、早藤雅巳(風間俊介さん)の人物像が、説得力を持って描かれていない点にあると思われました。
早藤雅巳は、主人公・原美鈴に性加害を行い、その性暴力はその後も継続しています。
そして、早藤雅巳の性格は、独善的で他者への想像力が著しく欠けた病的な性格として描かれています。
ところがこの早藤雅巳の病的な性格は、日常の仕事の場面や、彼と結婚する渕野美奈子(三吉彩花さん)との関係においても、そんなに変わらないように映画では描かれています。
すると、ではなぜ美奈子は早藤雅巳と結婚しようと思えたのか?という、映画の根幹にも関わる疑問が湧いてきます。
美奈子は映画の最後に、早藤雅巳を助けようとしたからだ、という趣旨の想いを述べていました。
しかし、相手の人間を救う福祉の想いと、相手の人間を愛する想いでは、両者は似ているようで次元が全く違う話です。
なぜ美奈子は、主人公・原美鈴に性加害を加え続ける病的な性格と行為を知っていながら、早藤雅巳との、良い面・悪い面も含めて同じ立場で何十年も共有して行くことになる結婚を願ったのか?
彼を救いたいという福祉的な話だけでは、とても観客に説得力を持った回答にはならないでしょう。
しかし仮に、早藤雅巳の性格に二面性があったのなら、まだ説得的な映画になっていたと思われます。
つまり、主人公・原美鈴に性加害を加え続ける早藤雅巳の性格は裏の性格で、普段の会社や美奈子に見せていた表の性格は仕事が出来て優しく思いやりのある性格であれば、この映画はまだ説得力のある映画になったと思われます。
早藤雅巳の性格に二面性があったのなら、彼との結婚を考えていた美奈子がある時、早藤雅巳の、性加害を続けていた裏の性格を知ることになり、その彼の裏の性格を性加害として主人公・原美鈴に【だけ】その性格を見せていたのだとすれば、美奈子が、親友の主人公・原美鈴と、愛している早藤雅巳とに、引き裂かれた複雑な心情が起こっていることが、観客にも説得力を持って理解されたと思われます。
そうではなく、性加害者の早藤雅巳の病的な性格がずっと映画を通じて同じままでは、仕事場での周りの反応や、美奈子の結婚の動機や、美奈子の両親が早藤雅巳との結婚を歓迎することに、説得力が感じられず、人間描写として根本の問題があると思われました。
この人間描写の問題は、例えば、初めての性行為の場面に遭遇した中学生の新妻祐希(猪狩蒼弥さん)と、何度も性加害を行い性行為に慣れてしまっている早藤雅巳が、同じ”女性器に対する恐れ”を持っているという(私には間違っていると思われる)解釈を、修正出来ていない点にも表れていると思われます。
もしかしたら女性側からは、男性は女性器に対してずっと恐れを持ち続ける存在であると勘違いはあるのかもしれませんが、男性側からすれば、性行為に慣れれば女性器に対する恐れはなくなっているのが通常だと思われます。
また、早藤雅巳が性加害を行っているのは-(もしかしたら早藤雅巳が子供の頃に両親、特に母親との精神的な関係性に失敗しているのが原因とは考えられるかもですが)、”女性器への恐れ”が性加害の原因になるという解釈は、どう考えても、恐れている女性器に自らの性器を何度も触れてしまっている行為について説明不可能で、破綻した論理にしかなっていないと思われます。
そしてこの映画は上映前に、「10人くらいに主演をお願いしましたが、ことごとく断られました。」「奈緒さん側からは『インティマシー・コーディネーター(略)を入れて欲しい』と言われました。すごく考えた末に、入れない方法論を考えました。間に人を入れたくなかったんです。」という三木康一郎監督の不用意な発言で大問題に発展します。
私は、性描写の撮影場面に関して役者側のインティマシー・コーディネーターを入れて欲しいとの要望を断るという話に驚きしかありませんでした。
しかしそれ以上に、その後に役者側も納得してインティマシー・コーディネーターはなしで撮影が進められたのに、なぜわざわざ監督からその話を公開前のインタビューで公にしたのか理解不能でした。
また「10人くらいに主演を(略)ことごとく断られました。」などとのこの時のエピソードも作品内容的には不用意以外の何物もなかったと思われます。
そして、この監督の不用意な発言の根本は、特に、性加害を行っていた早藤雅巳や、彼と結婚する渕野美奈子を、深い人間理解の無いまま描いても問題ないと思ってしまった、作品内容にも現れていたと思われました。
作品題材的には重要な題材であり、他の監督であればもしかしたらもっと深みある作品になっていたと思われますので、1観客としても今作の内容演出とその後の不用意な振る舞いから来る三木康一郎監督には、痛恨以上の残念さを映画の鑑賞後に感じました。
ただ、主人公・原美鈴を演じた奈緒さんや、相手中学生の新妻祐希を演じた猪狩蒼弥さんには素晴らしさも感じ、今回の点数となりました。
個人的には猛省の後に、次こそはちゃんとした深い人間理解に基づいた作品作りを、今作の制作側や監督にはして欲しいと、僭越ながら思われました。
嫌いと恐いは似ている
意に沿わない愛もない性交の経験を重ねる美鈴が、同じ経験に悩む高校生・新妻との交流を機に自分を取り戻していく物語。以下は、性別における男女の間のグラデーションを便宜上省いた表現で書く。
美鈴が指摘するアンバランスには、男女差だけでなく、同性間に存在するヒエラルキーやそれに由来する不公平感、マウントの不快感も含んでいる。それらの象徴として早藤や美奈子というキャラクターを上手く配していた。
美鈴の内に渦巻く鬱屈の分、主題には様々な副題が絡みついている。本編は117分に収めるには話題が多すぎたのか、原作のインパクトを再現することを優先したのか、セリフに頼りがちで観客が共感するには感情面の描写が足りないと感じた。起承転結は理解できるが、そこに観客を巻き込むには駆け足すぎた。心の物語なので、もっとエピソードの取捨選択や演出の練り込みをして観客が美鈴の再生を体験できる物語にしてほしかった。
また、迫力を出す時の漫画の演出をそのまま落とし込んでいるせいで、前後のシーンから浮く場面もあった。原作がある作品故の制約やこだわりがあったのかも知れないが、原作再現よりも映画としての表現を優先しても良かったのではないだろうか。
こういった題材の作品には「拒まないのはおかしい・理解できない」という感想が散見される。残念ながら人間が動物である以上、理性やモラルだけでは説明・徹底できないことは数多くある。生存や生殖と言う本能に近い部分が関わればなおのことだろう。
美鈴が言うように、人は力や欲の前ではいつでも強く正しくいられるとは限らない。作中のシチュエーションで言えば望まない状況を拒絶できない、あるいは流されてしまう、という心理は、人によっては共感できないかもしれない。利害を計算した末に受け入れる場合もあれば、防御機能の一種として脳が抵抗よりも服従を選ぶこともあり、それもまた0か1ではなくグラデーションがある。
「おかしい」と断言する人には、相手との物理的・社会的な力関係や自身の主張の習慣・被虐歴が違えば、誰でもそこに至り得るということにいつか気付いて欲しいと思う。無論、そんな体験をする人が一人でも少なくあることが一番だが。
人が異性に抱く畏怖、同性間での不協和音、拗れたそれらを他者との共感と理解によってほどく物語を、もっと丁寧に描いてほしかった。また、テーマとアプローチは良い作品なのに、それとは別の点で作品が話題になったのも残念だった。
見どころは役者の奮闘のみ
心身共にハードであろう役所を精一杯誠実に演じ切った奈緒さんと、気持ち悪さが滲み出る最悪の人間に成り切った俊介、さらにあまり期待していなかった猪狩くんもなかなか奮闘していて、役者陣には拍手だが、原作に忠実かどうかはさておき、ただの偏りすぎの人間2人の攻防は誰にも共感できないし、問題提起するでもなく、狂った暴行の描き方も過剰で不快感を煽る。
ここまで激しいシーンをただ描くのに、依頼されたインティマシーコーディネーターをよくまあ断って自分たちでやろうと思ったなと、呆れるレベル。
ファイト!
レ◯プシーンが嫌いなので、それだけでマイナスでした。
もっと清楚な感じの作品かと勝手に思い込んでいました(事前情報一切入れず)ので…
音楽がコトリンゴさんだったので楽しもうと思っていましたが、内容が内容だけに耳に入ってきませんでした。
今回の作品では、野獣のような男が暴力を使って欲求を満たすという点に重きをおかれていましたが(そういう性癖?)、世間には、紳士的な面して不倫、二股三股掛けまくったあげく情け容赦なくポイポイと女を捨てては傷つけていくような奴も同じようなものだと思いました。おそらく後者の方が罪悪感は低いのだろうと思います。
昔、『女性は子宮で考えるいきものだから強い』という作家さんの言葉を聞いたことがありますが(内田春菊さん?)、今作の結末はそんな感じだと思いました。着地点を決めるのが難しかったのでしょうねぇ…女性の方が割った割り箸の大きい方を取っていた様にみえました。
まぁ結局のところは、
『私の敵は、私です~♪』
なんでしょうね。
ファイト!
現実離れしすぎて・・・。
早藤はもう勃たない
必見の映画だと思います。
多くの女性は美鈴に感情移入できないと思います。
暴力を伴うセックスを受け入れてしまう女性(美鈴:奈緒)。
犯罪を犯した男をなおも慕い続ける女性(美奈子:三吉彩花)。
子供を授かるヴァギナによる罪から解放と希望。
なるほど、まったく男性監督の男性目線から見た男の身勝手な欲望が展開されているだけかもしれません。
でも、
これ恐ろしい話だと思います。
「暴力を全く排除した性愛は成立するのか?」
「支配を伴わない欲情はあり得るのか?」
多くの男性はこれに心の底からの〇を付けることができない。
美奈子は最後に早藤から暴力的にセックスを強要され、妊娠したことに大きな喜びを感じている。
多くの女性はこのことを受け入れないでしょう。
男性も頭ではわかっています。
でも本当に暴力と支配を完全に排除した状態で勃つだろうか?
それは男にとって去勢ではないのか?
女性化することによってしか男は女と結ばれないのではないか?
そういうことを男は突きつけられてしまう。
最後に早藤(:風間俊介)は美奈子に許される。
目の前に自分の子供がいる。
美奈子の妊娠を知らされた早藤が起こすパニックは支配する側からの転落を意味していたとして、
果たして早藤は今後、美奈子を相手に勃つだろうか?
政治的に正しい世界で果たして欲情はあるのか?
新妻(:猪狩蒼弥)がおそらくその解を与えてくれるのだろう。
新しい性愛が発明されなければならない。
しかし多くの男性は恐ろしくて性愛から離れていくように思えます。
そして何も考えない男と女だけが欲情を満たしていくような…
追記
美奈子は病院を抜け出して、早藤のアパートでゴトッと音がして胸騒ぎを感じてドアをあける。首を吊って直後であったから美奈子に助けられて早藤は息を吹き返す。美奈子に全てわかっている、でも生きよ、と謂われた直後に、自首の為に警察に電話する。それでも美奈子は早藤への愛情を持続する。
美しい話と勘違いしてはならない。
早藤には地獄だ!
俊介se& ヘタなんだ
男女の性の不条理に切り込んでいる…のか?
サスペンスとして面白く観ていたのだが、キャッチコピーで原作漫画のテーマ性を大仰にアピールしている割にテーマが反映されているのか疑問に感じ、終盤はワケが分からなくなってしまった。
主人公の教師・美鈴(奈緒)が、自分はいつも損をする側の人間だと独白するところから映画は始まる。
だが、なに(誰)と比べて損をしているのかが、物語が進んでも現れてこない。
それどころか、別の視点、男との性に関する彼女のモノローグが再三挿入され、冒頭の言葉は置き去りなのだ。
例えば、友人の美奈子(三吉彩花)か、教え子の新妻祐希(猪狩蒼弥)か、せめてどちらかの人物像と美鈴との関係をもっと掘り下げて描写していれば、美鈴の心理にリアリティを出せたのではないか。
原作から何を切り取って映画にするのか、そこがしっかりしていないとこんな体たらくに陥る。
重要な要素を見失わなければ、映画の尺にそれを収めるために大胆な改変をしても良いはずだ。
なのに、原作のセンセーショナルな部分を忠実に映像化したいがためか、筋を考えずにブツ切りにして繋ぎ合わせてしまっている。
ならば、女性感・セックス感が異常なサイコ男と、その男に蹂躙・翻弄される二人の女性を描いたサスペンスだと宣言したほうが潔い。
下手に、男女の性の不平等とそこに生じる不条理をテーマとしてアピールするからいけないのだ。
でも、そこを無視してはこの原作を映画化する意味がないか…。
美奈子の婚約者・早藤を演じた風間俊介の鬼畜ぶりが凄い。
最近こそ好感度が高い彼だが、若い頃はジャニーズ(当時)としては珍しく陰湿な悪役をよく演じていたように記憶する。
主演の奈緒と三吉彩花も体当たりの熱演である。
風間との暴力的な絡みはこの物語で最も動的な要素なので、演出も力が入っている。
奈緒があんなことされて、三吉彩花もあんなことされる💦
奈緒は、地味で内向的な美鈴に見事になりきっていた。
この映画、インティマシー・コーディネーターの導入をめぐって三木康一郎監督の時代錯誤で無理解な発言が物議を醸し、遂には舞台挨拶で奈緒にフォローしてもらう始末だった。
これは三木監督だけが問題なのではない。監督を諭すことができなかった、否、恐らくしなかったであろう製作陣にも大いに問題がある。
なにしろ、三木監督はインティマシー・コーディネーターを入れなかったことを自慢気に話していて、世間の批判を浴びるまで事の重大さに気づいていなかったのだから。更には、舞台挨拶での謝罪で「私の不用意な発言」で迷惑をかけたと、この期に及んで本質を理解していないことを露呈している。
これは氷山の一角で、日本の映画界全体にこういう古き悪しき体質が残っているのだと見るべきだ。
とはいえ、三木監督のサスペンス演出には巧みな見どころもある。
原作者と出演者には申し訳ないが、やはりサイコ・サスペンスとして仕上げたほうがよかっただろうと思う。
愛も暴力も思い込み次第
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