ルックバックのレビュー・感想・評価
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漫画を好きな気持ち
1時間未満の上映とは思えないくらいの満足感と完成度でした。
漫画を通じて違う境遇の2人が一緒に漫画を制作するようになる、しかも藤田は自分の方が絵が上手くないので負けている気がしたのにその相手にファンと言われて舞い上がる様がなんとも可愛らしく、咄嗟に連載に向けて描いてるよ、って言ってくれて良かったと思う。
引きこもりだった京本と一緒の部屋で漫画を描くようになり、実際に賞を取り京本を外の世界に連れ出して楽しそうに遊んでる姿がなんとも楽しそうで、繋いでる手の描写が離れそうで怖かったがまさか本当に。。
藤田と京本、お互いに漫画に対する情熱と向上心が強いからこそ悲しい出来事が起こってしまったと思うとなんとも切ない。
認められる喜び、求められる嬉しさ
京本の才能に圧倒され、漫画をやめた藤野が、その京本に「ファンです」と言われた帰り道。スキップし、謎のステップになり、走り出す躍動感。それは藤野の抑えきれない喜び。認められることへの喜び。
不登校で引きこもりだった京本が、藤野と協力して作品を作り上げ、打ち上げで町に出て、クレープやファストフードを食べ歩き、自分の手を引く藤野の背中を見ながら頬を紅潮させる。自分を必要としてくれる誰かがいることの嬉しさ。
私自身は絵や芸術的な才能はないけれど、この普遍的な喜びと嬉しさへの共感が半端ない。
自分が外界へ連れ出さなければと後悔する藤野だけど、別のルートでも2人は出会う。そして、その出会いが掛け替えのないものだと再認識してくれたのが嬉しかった。
鑑賞後チェーンソーマンの作者による作品と知って、こんな喜びや嬉しさが原作者の背景にはあったのだろうと思いを馳せました。
秀作アニメ短編
ポスターの少女達の表情に惹かれて鑑賞。1時間弱ととても短いが、原作者と製作者の想いが密に込められていて後を引く作品。
このところ理不尽な理由で若いクリエイターの命が突然奪われることが続いた。美術大学での通り魔事件、大震災もそうだろうし、何より京アニ事件。この作品は原作者や製作者による犠牲者達への鎮魂歌のような気がした。
ストーリーはエモいし(二人で制作に打ち込む姿やドア越しのパラレルワールド展開)、精細な背景を含めて画がとても美しい(特に、嬉しくて舞い上がった主人公が畦道をチャポチャポしながら弾んで行く場面)し、主人公二人の声の演技もリアルですごく良かった。
振り返ってから前に進む
どういう映画か知らなかったが、好評だと目にし、癖のあるキャラ絵に引かれて鑑賞。
二人の若き創作者の関係性だけでも十分にエモかったのだけれど、悲劇的な事件と絶望からの物語の再生に揺さぶられて涙を抑えられなかった。
終業式後に逢わなかった世界の私の解釈は、自分が京本を殺したと自責の念に囚われていた藤野が、「自分の想像力で京本を救い、彼女に赦されて共に生きる未来」というナラティブを創り上げて自分を解放できたというもの。その象徴があの四コマなのだろう。藤野が呻吟の末にあれを描いたことで、心の中の京本と和解できたのではないか。
劇中の事件からの復活が、ちょうど先日大団円を迎えたユーフォと京アニのスタッフと重なって感じられた。(どんな分野であっても)日々苦しみもがき続けながら何かを創り出す方々に敬意と称賛を送りたい。
土砂降りの嬉し涙
この映画のハイライトはどこだろう。
この映画のクライマックスはどこだろう。
はじめから素晴らしかった。
月夜の星々から反転、町に灯る光。ただの光じゃない。それぞれに生き方や人生がある光。その一つにクローズアップ。そして背中が映し出されて、アバンタイトル。
「ルックバック」
ぼくたちは映画の中で何度も背中を見せられた。
そうか。「ルックバック」は「背中を見て」ってことでもあるし、「振り返って」ということでもある。物理的に後ろを向くことも意味するし、過去を顧みるということでもある。
初めて、京本のマンガが学級新聞に載った時、きっと藤野ちゃんは純粋に絵のうまさだけに衝撃を受けたのではないのだろうと思った。
「学校に来ていないくせに」なぜあんなに美しい校舎を描けるのだろう。「学校に来れないくせに」なぜあんなに美しい教室を描けるのだろう。
不登校の子にとって、学校や教室なんて地獄であるはずなのに、それをあんなにも美しく描けるのはなぜなんだ。
そんな思いがあったからこそ、藤野ちゃんは本気になれた。向き合えたのではないだろうか。
卒業式の日。
「何」からの卒業だったのだろう。
あの日、2人ともが「卒業」したのだ。
あの4コママンガは藤野ちゃんの心の現れ。
「出てきてほしい」
自分にとって絵を描くことを本気にさせた不登校の同級生はどんな人なのか。
自分にマンガを諦めさせた同級生を一度は目にしたい。
「出てくるな」
自分を超える絵を描く不登校の子に会いたくない。もしかしたら、バカにされるかもしれない。下手だねって。
自分に現実を突きつけたライバルなんて見たくもない。
「あなたさえいなければ。」まだまだ自分は絵を描き続けていたのに。
「あなたがいてくれたから。」本気で漫画に向き合えたんだ。
藤野と京本にとって、あの雨こそが卒業式を意味するものだった。土砂降りを哀しみの心象として描く作品は数多くあれど、嬉し涙をあんな土砂降りで表現するとは恐れ入る。
2人で1つ。だから進める。でも自分じゃない。
そんな思いがあったのだろう。手を引っ張ってもらえる。いつも前を歩いて、振り返ってくれる。振り向いてくれる。ルックバック。
振り返るといつもそこにいてくれる。だから振り返りたい。別々の道を歩み始めて、振り返ることをしなくなった藤野ちゃんがまた振り返ったのは、ラストの部屋でのみ。
振り返ることで道を知る。だから前にも進めるんだ。
「こうなったらいいのにな。」
誰しもが抱えるそんな淡い願望、濁った諦め。
過去を見つめる。歩んできた道を辿る。後ろにいるから進める。振り返るためには立ち止まらないといけないこともある。
ルックバック。
振り返ってもいつか
ルックバック
背景画集に感銘を受けて、(同様に)美術学校に通い、絵への愛情は貫かれる。つまり「藤野との出会い」だけが異なっている。理不尽な出来事自体は、変わらずに起こる。しかし藤野が打ち込んでいたものがそっくり空手に入れ替わり、地元から離れる理由もなく、救うことができる。その後で、藤野がまた漫画家を志したとして、そこからでも二人は一緒にやれただろうか。その後でもまた、一緒に漫画を作って、笑い合いたかった。
離れてデビューして、静かに描いているときに、再会を目指している気がした。いつもまず京本に向けて、物語を紡いでいたように見えた。
突然届いたあの漫画は、いつ描かれたものだろうか。助けてくれたこと、自分を導いてくれたことをいつまでも覚えている。
演出が惜しい
原作勢。ストーリー自体は特に原作との差はなく、一枚絵の補足描写や時系列の整理がされている程度。キャラデザもタツキ先生のタッチでそのまま動いているような印象で、丁寧に作られているんだなと開始数分で思わされた。劇伴も雰囲気によく合ってる!!
ただ、ところどころ少しん?というポイントがみられた(これに関しては完全に私の好き嫌いが入るので的外れな観点かもしれませんが一応気になったので)。
まず4コマ漫画をコミカルなアニメーションにして描写したこと。個人的には声があてられる程度にしてほしかったなぁ。作品の雰囲気的に、極力コミカルな描写は抑えて二人の日常会話とかそっちの方を描いてほしかった。欲を言えば、作品を描いている最中の何気ない会話とか。
あと襲撃犯が京本に言い寄る場面も気になった。凶器持ってて、もう少し速いテンポで言ってるのかと思ってたから違和感が大きかった。
でも全体的にはクオリティの高い一作に仕上がってると思う。エンドロールがとりわけ印象に残った。
今を自分らしく生きる
憧れの藤野先生にサインをお願いした時、京本さんの心は喜びに弾けていました。卒業証書を届けた帰り道、藤野さんの抑えられない体は本当に生き生きしていました。
正直に生きる二人は本当に楽しそうで、私は嬉しいです。
【『ルックバック』4回目を観に行きDon't Look Back In Angerと「背中」の含意の深さに唸る】
※すみません、かなりの長文です。
やはり名作は何度観ても味わえる。
というか、ますます味わいが深くなる。
そして新たな発見を繰り返す。
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まずトリビア的な前振りから。
3回目を観たときから、
「藤野が、京本の手を引いてひたすら走る」
というシーンがこんなに多かったか、と思った。
一度目は、デビュー作を集英社に持ち込むために出てきた東京の街で。
二度目は、走っているよりほとんど歩いているが、発売されたジャンプを買いにコンビニに向かう雪深い田舎道で。
三度目は、もらった賞金で豪遊するために出た街角で。
四度目は、京本の部屋で一夜を過ごす藤本の記憶の中の故郷の畦道で。
もっとあったかな?
この「繋がれた手」こそ『ルックバック』に込められた関係性の象徴だ。
結末を知っているからなおさら、最初の「繋がれた手」のシーンから繰り返し登場するに連れ、目頭が熱くなってしまう。
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そして手を引かれる京本は、藤野の背中を見ている。
当然、『ルックバック』には「背中を見ろ(見る)」という意味と「振り返る」の意味のダブル・ミーニングがある。
ここで、劇中のモヤモヤするやり取りが思い出される。
それは連載の話をもらったあとに田舎道を並んで歩く二人のやり取りだ。
画力と描くスピードの話になり、藤野が
「私、もっと上手くなる予定だからさ」と言い、
京本「じゃあ私、もっと絵ウマくなるね! 藤野ちゃんみたいに!」
藤野「おー。京本も私の背中みて成長するんだなー」
というやり取りだ。
これはかつて(小6)、藤野が京本の才能を超えられないことに絶望し、一旦は「やーめた」とペンを置いたことと矛盾するし、そんな藤野のセリフとしては不遜とも言える。
また、京本はなぜそこまで自分の技術と才能を肯定できないのか、とも取れる。
しかしこの一見逆転した関係こそ、『ルックバック』という物語の真髄かも知れない。
京本の背中を追い続けていたのは藤野であり、「私と離れて上手くいくわけがない」と詰る藤野こそが京本なしではやっていけない、と感じていたからだ。
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時空を超えて京本が藤野に届けた4コマ漫画のタイトルは「背中を見て」だった。
暗い部屋でヨロヨロと立ち上がった藤野の目に飛び込んできたのは、かつて藤野がサインした綿入れ半纏で、そこにはでかでかと「藤野歩」と書かれている。
京本は死ぬ日の朝までそれを着ていたはずだ。
つまり、毎日藤野を背負ってきた京本が「藤野、歩め」と言っているようにもとれる。
綿入れ半纏が掛けられているドアを開けて京本の部屋を出る時、藤野はその夜初めて呼吸するかのように「すうっ」と大きく音を立てて息を吸う。
まさに息を吹き返したように。
これは原作コミックにはないシーンで、映像監督の素晴らしい創造だと思う。
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そして本題のDon't Look Back In Anger"。
これはもう、ネットのマニアックな人々の間ではあまりにも有名となっているが、『ルックバック』というタイトルは、ロックバンドOASISが1996年英国チャートで1位を獲得した楽曲"Don't Look Back In Anger"に重ねているという符丁であり、しかも作画の中に巧妙にそれを練り込んでいる。
コミック版の最初の1コマでは、担任が
「はーい! 今週の学年新聞、配るぞー」
と言うその背景の黒板に
Don't
と書いてある。その先はコマに切れていて読めない。
そして物語の最後の1コマには、手前の床に散らばるDVDケースや大学案内?の冊子の他に「In Anger」と表紙にある冊子が見える。これもInの前に何があるのかは見えない。
つまり最初のコマの「Don't」と最後のコマの「In Anger」でコミックタイトル『ルックバック』を挟んでいて、続けて読むと"Don't Look Back In Anger"となる。
これが映画でどうなっていたか、改めて確かめに行った。
担任が学年新聞を配るシーンの背景はほんの一瞬しか写らず、しかも英語というより理科?の授業のようで、Don'tが見当たらない。。
だがそのシーンの前、まさにオープニングで月夜の街に降下していくカメラ目線の次に、呻吟しながら机に向かう藤野の後ろ姿のシーンで、机左手の本棚最下段の左から2冊目に背表紙が『DON'T』と読めるコミック誌が見える。見〜つけた♪
でも、ラストシーンでは残念ながらIn Angerがどこにも見つからない。
そこまではこだわらなかったのかもしれない。
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さて、OASISの楽曲はどんなものか。
YouTubeをちょっと漁ればすぐにMVを見つけることができるが、その歌詞を改めて確認すると二重三重に意味が込められているように思う。
作詞したノエル・ギャラガーによれば「俺の歌詞には意味はない」とうそぶいているようだが、英国でのとあるテロ事件の犠牲者追悼デモで、サビの部分に共鳴してか、この楽曲が参加者によって合唱されたという情報があった。
And so Sally can wait
She knows it's too late
As she's walking on by
My soul slides away
But don't look back in anger
I heard you say
So Sally can wait
She knows it's too late
As we're walking on by
Her soul slides away
But don't look back in anger
I heard you say
このSallyは特定の個人を意味していない、というのが定説のようだ。『いとしのエリー』のエリーが誰でもいいのと同じように。
しかしなぜ原作者の藤本タツキはそうまでしてこの楽曲を持ってきたのか。
と同時に、なぜ藤野には「歩」という名が与えられているのに、京本には名がないのか。
これは本当に僕の妄想というか幻視なのだけれど、原作者は京本に密かに「サリー」という名を与えているのではないか。
上記の歌詞のSallyを京本とイメージして読んでみると、にわかに物語が色彩を帯びてくる。
だがそう言ってしまうとあまりにもベタすぎるので、まるで余白に大きな意味を持つ絵のように「下の名が明かされない京本」を創造したのかもしれない。
2人の軌跡
2人の少女がそれぞれに抱く相手への憧れと嫉妬、この2人がひとつのマンガを描くことで目標となり心を通わせる。
それと同時にそれぞれが夢見る未来。
夢、希望を互いに与え合える親友として描き、それぞれを鼓舞する存在として丁寧に描き切ってる。
そして自室でマンガを描き続ける姿が、2人が過ごしたかけがえのない時間であることを窓ガラス越しに映し出される後ろ姿がとても心を動かされた。
この時間(短編)にまとめきった作者も製作陣も素晴らしく感じた。
初見
漫画好きの友達につれられて鑑賞。
序盤めっちゃいい。ライバル心に絵の練習して参考書とスケッチブックが積み重なっていくところ。胸が熱くなった。
後半に関しても、藤野が京本に書いた四コマに合わせて話を展開していたところがすごく良かった。刺さった。
都会に行くときの電車のシーン、手を離さないシーン、良すぎる。
だけど“藤野歩”と呼ぶ人が誰もいなかったのは気になった。
オリジナルが“藤野”しか名前が無いからなんだろうけど。
原作未読ながら僅か1時間の物語に圧倒された
今更視聴しましたが、とにかく圧巻だった。泣けるとか興奮とかそういう感じではないんですが、とんでもなく引き込まれてしまいました。
事前情報一切なく観にきて楽しめるか不安だったんですがすぐにその不安は杞憂に終わりました。序盤の藤野の漫画が動いてるシーン。ここでこの作品が只者ではないことを理解しました。漫画的な表現の色を残したまま動かすのって中々難しいと思うんですが、この作品は見事にそれを完璧と言っていいほどのクオリティでやっています。
高まった期待を確信へと変えてくれたのは藤野と京本の4コマが並んだところです。友達がいて学校にも行きながら漫画を描いてる藤野は人間を動かすこと、つまり漫画を描くのが上手いのに対して京本は人間との関わりを避けてきた、つまり群像劇などを描く能力は全然ない代わりに一枚絵を描く能力は飛び抜けてるんですよね。
このように本作では登場人物の能力や言動にとんでもなく説得力があるんですよね。だからどんどん引き込まれていくんです。
藤野が京本の家で何気なく書いた漫画が終盤になって絡んできたのも驚きでした。その辺りは多少超展開な流れだったもののここまで徹底的に現実的な展開だったことも相まってそれすら物語のアクセントとしていい味出してました。超展開も直接的なハッピーエンドに繋がるわけではなく藤野が前を向くきっかけくらいで収まってそうなのも素晴らしい。
理解できてないとこもあるかもしれませんがそれでも最高すぎました。
刺さりすぎて辛い気持ちに。
原作未読で、世間の反響と予告と知人の『観に行ってよかった!』という感想で観に行くことを決めた。てっきり素敵な気分になる話かと思った。
絵が身近な職種なので感情移入し過ぎたのか、しんどい。
しかしこれほど映画に感情移入したのは初めての体験で、良い経験になった。
途中、別の世界線の話からハッピーエンドになるかと思って、そうなったらそうなったで意味わからないけど希望を持っちゃった。
自分より上手い人をみてがむしゃらに頑張れる人が成功するんだなと思って、それもしんどかった。
しんどさが刺さる美しい映画。
演出、映像の質もとても高く感じた。
あれぞまさしく「ザ・しょーがくせー」これぞまさしく「ザ・マンガ」!
そうそう、ああいうノリだよ、小学生は!田舎?の小学生の深層心理をうまく掴んでて、それが結果的に平成昭和の子ども感覚にも通じてるから共感する大人はいるかも。
正直ショッキングな展開ではあるけれど、そういう事実との向き合い方というかストーリーの持って行き方とかよかった。
さらに、描きたいことだけ描いて、パッと終わる。余計な尺は稼がない。イージャン!
ええ、ささりましたとも。BGMもいいよ。尖ってないけど尖った作品だった。
今年1番、かも?!
先に鑑賞された人達に感謝
「切ない」
エンドロールが終わった瞬間の気持ちであり、感想を凝縮した一言です。
涙が出るわけでもなく、心臓を鷲掴みにされたように胸が締めつけられ、主題歌の「Light song」が散華のように頭の中に降り積もり続けました。
鑑賞後に原作を読み返して驚きました。
①原作がそのまま映画になっている
②映画としての魅力を燦然と放っている
この①②が美しく両立しています。
原作を読んだ人、知らない人両方に勧められると思いました。
そしてnakamuraさんの音楽が作品世界に寄り添い、盛り上げており、ラストで流れるLight songに心が震えました。
舞台挨拶のインタビューで「大きな意味としての賛歌」と主題歌について述べられていましたが、私の中では理不尽に命を奪われた人と残された人への鎮魂と慰撫の歌に思えて切なくなりました。
特に好きな点は、藤野の4コマ漫画をアニメーションにしているシーンです。原作の展開を知っていても楽しませてくれる監督の遊び心もあるのかな、と個人的に解釈しています。
中々観ることが出来ない中、鑑賞した人たちの口コミの影響なのか封切りから1ヶ月を経て、手近な映画館での上映が行われました。
今日観られたのは先に鑑賞された皆さんのお陰です。感謝の極みです。
〈2回目鑑賞後〉
1回目は原作を読んでいるがゆえに切ない気持ちが先に立ちました。
2回目ではようやく喜びの表現をきちんと受け取れました。
特に雨の中の藤野の歓喜のシーンには、
かつて小学生だった自分の姿を重ねました。
嬉しすぎて嬉しすぎて、全身で喜びを発散しないとこの喜びの置きどころが分からない感じ、懐かしいです。
理由が思い出せないくらい昔の喜びの感情がすくい上げられ、元気を頂いた思いです。
たまらなく良すぎて…
最初に言っときます。見てすぐの感情を直に殴りつけたので文書におかしなところがあるかもしれません。冷静さも含めたくないので推敲もひません。
良すぎてわざわざアカウント作ってレビューしにきた。まじでたまらなくいい。ストーリーの素晴らしさを圧倒的作画と演出でさらにたたきつけてくる。映画見て人前で泣いたのはまじで初めてですよ罪ですねータツキ先生。ストーリー的ネタバレはネタバレありでも言いたくないので省きますが演出的ネタバ例。これはどうしても語りたかったからする。
漫画を描いてるシーンや中学生から高校生くらいの期間は基本コマ送りとかイメージを強く持たせながらも現実的な早送りで送ってた。夢中になってるから時間の流れがとてもはやいという認識だ。だが最後。最後だけは表現の仕方が違くて、外はタイムラプス、中は実時間みたいな。漫画を書いてる本人としては短く感じていたが実際は目茶苦茶時間経過してるみたいな感じで主観を客観視させてるんだよね。それにあれだけ癖だった貧乏ゆすりすら止まるほどの比類なき集中にしているみたいな感じがしてたまらんってなったね。
鎮魂であり報復
例の事件を前提にした評価です。
クリエイターという生き物はものを作る事でしか自己表現ができないんだなとつくづく感じました。
漫画家として成功した藤野
しかしアシスタントに満足できずどうしても京本と比べてしまう。京本ならもっと上手い。京本ならもっと理解してくれる。京本じゃなきゃ駄目だ。
そんな折に飛び込んだ訃報。
もし自分があの時京本に出会わなければ……
それ以降観客は振り返ることのない藤野の背中を見つめ映画が終わる。
命はある日唐突に理不尽な形で奪われることがある。
映画の中の被害者は京本一人だった。
しかし例の事件では過去に類をみないほどの数の尊い命が失われた。
その一人一人にこんな出会いがあったのだろうか、こんな想いがあったのだろうか、残されたものは一体どれほど悲しんだろうか……想像せずにはいられなかった。
それでもクリエイターは前を向いてものを作り続ける。
悲しみや怒りや恨みも全て作品にぶつける。
それ以外に、それ以上に表現できる方法など知らないのだ。
それが亡くなった人々への最大の鎮魂であり
犯人への唯一の報復なのだ。
と、勝手にそのように解釈しました。
自分は絵を描きますが、
友達に映画の感想を聞いたらこんなもんかーって言ってたので、
ものをつくった事がないにせよ、ものをつくる人の気持ちが分からないと没入はできないのかもしれません。
また、事件のことを知らない人には、よくある人の死を使って感動を誘うやつかとか、漫画家が挫折から立ち直る話くらいにしか見られていないというのも分からなくはないです。
自分がこの作品に強く揺さぶられる条件が揃っていたことはこの上ない幸運だと思いました。
前を行く人の背中を見る、後から来る人を振り返る
7月24日(水)TOHOシネマズ日比谷で。
藤野が京本の存在を認識したのが4コマ漫画が学年新聞に並びで掲載された小学4年の時、画力の差に藤野はあせり努力するが画力の差は縮まらず、藤野は6年の途中で漫画を書くのを辞めてしまう。
初めて出会ったのが小学校卒業の日、担任に頼まれて引きこもりで式に来なかった京本に卒業証書を届けた時である。
京本に藤野の漫画が好きで「藤野先生」と呼ばれ、嬉しくてスキップして帰る藤野。
二人は一緒に漫画を書き始める。藤野が漫画を、京本が背景を。
漫画雑誌の懸賞に二人で描いた作品を藤野京の名で応募すると優勝、二人は賞金百万円を手にする。
引きこもりだった京本の手を引いて買い物へ、食事へと街へ連れ出す藤野。藤野の背中を見る京本。
二人の共作は漫画雑誌に何度も掲載される。高校を卒業したら連載を、と編集部から声が掛かるが、京本は共作を断りもっと絵が上手くなるために大学で美術を学ぶ事を選択する。藤野は、共作を継続する事を望むが、京本の希望を受け入れ、一人で連載を始める。
連載を始めた「シャークキック」は当たり、巻を重ねて行く。しかし、藤野は背景に満足がいかない(京本の背景が欲しいと思っていたに違いない)。
そんな時、ある事件が起きる…。
藤野に手を引かれた京本は藤野の背中を見ていたが、手を引いていた藤野は京本を振り返っていなかったようだ。だから、大学で美術を学びたいと京本に言われた時、藤野は戸惑う。京本の思いに気づいていなかったから。それが、あの時ああしていなければ、と言う思いに繋がっていったのではないか。
ラストで藤野は、京本の部屋から持って来た4コマ漫画を窓に貼り、漫画を描く。描き続ける。
カメラはフィックスしたままで、時間が流れ朝⇒昼⇒夕⇒夜となる。一日描き続けた藤野がドアを閉めて部屋を出て行くのがシルエットで判る。
58分と言う凝縮した時間の中に素晴らしい物語が紡がれた。
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