ルックバックのレビュー・感想・評価
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正直見る前は、漫画を書くアニメだと思ってました。
めちゃくちゃ申し訳ないことに見るまで、ただ漫画を書くだけのアニメだと思ってました。
しかし、実際は、ただ漫画を書くだけではない、数えきれないほどの感動や奇跡が詰まった映画でした。
最高の映画でした!ありがとうございました!
良すぎ
背景と背中
オープニングから、勉強机に座る藤野の背中の描写だけでクリエイターの覚悟が十二分に表現されていた。背中は自分では見えないが、本人が背負っているもの、藤野が描き続けるということを象徴しているようだった。
藤野のライダーキックで京本が助かった世界線。そこに京本は生きているのだ。それは無惨な出来事で救えなかった人への鎮魂歌。
同時に私たちは自分がどの世界線で生きるかを自分で決めることができる。
京本と漫画を描いていた走馬灯のような日々を無かったことになんてできない。愛してもらった経験さえあれば、たとえ京本がいなくても前に進める。涙
アニメに詳しくない私は、作画の動きに目が行きがちで、もちろんそれも素晴らしいんだけど、本作の背景はまるで京本が描いてるみたいに思えてしみじみと感動した。
アニメの本懐
主観的で情緒的
漫画を読んでから見に行きました。原作もそこそこ面白かったのですが、...
漫画を読んでから見に行きました。原作もそこそこ面白かったのですが、予告が良かったですね。音楽とか動きが素敵だった。期待大で見に行きました。感想としては、良くも悪くも短編読み切り漫画に集約されていて、アニメにすると粗が目立つという所です。スケッチブックじゃなくてクロッキー帳に描けばそんなにかさばらないよとか、ツルハシで13人殺せないだろとかいう細かいツッコミはどうでも良いですが、最初の2人の出会いが物語のクライマックスで、終盤の事件は取ってつけた様な展開なのが気になりました。小学生から大人になるまで描いているのに小学生の出会いや嫉妬や努力が物語の中心になっているあたりがちょっとバランスが悪いというか。人生のクライマックス小学生で終わってるんかいとツッコミたくなります。売れっ子作家になった藤本と美大に行った京本のその後の物語も見てみたい。
美しい…。
家の近場の映画館では上映しておらず、サブスク待ちかと思っていたと...
家の近場の映画館では上映しておらず、サブスク待ちかと思っていたところで上映館追加のお知らせ。人気上昇の証でしょうか。原作知らず、映画となった経緯も知らずの状態でようやく行ってきました。
冒頭、二人が出会う小学生時代、自分より画力があると思っていた京本が、自分のファンであることを知る場面、また、その帰り道の喜んでいるシーンは、今も心に残る素晴らしい演出。中学時代からはお互いの才能を認めあい、身を寄せ合って漫画に一途に取り組み、大舞台への足掛かりを掴む姿には「やったね」と心の中で一緒に喜びました。ただ、このままでは終わらない空気は満ち満ちて、繋いだ手が徐々に離れ、互いの道を歩み始めた「別れ」の時が来たかと思ったら、誰もが知る”あの事件”を連想させる話へと向かっていきます。
鑑賞直後、京本は、”あの事件”で犠牲になったどなたかがモチーフになっているのではと思いました。が、そうではなく、京本は事件で亡くなった「全ての人々」であり、藤野もまた「京本」の才能を信じ、関わってきた「全ての人々」であったと。
誤解を恐れずに言えば、そうした「藤野たち」が、「京本たち」それぞれにそれまでの人生があって、夢があって、未来があったことを具象化させ、我々に改めて伝える(加えて鎮魂歌(映画)であることも)作品にしたかったのだと。
劇中の京本の嬉しそうな顔、恥ずかしそうな顔、頑張っている顔を振り返れば、亡くなった方、残された方の無念を改めて感じ、後からしみじみと泣けてきた。そんな映画でした。
求めてた青春映画に出逢えました
🙏🏼
これを人と一緒に観に行く約束をしていたのですが、それが土壇場でおじゃんになって🤷🏻♂️放置していたところ(皮膚科医院の待合室にもこれの単行本があれども時間なく読めず)、
昨日、金曜ロードショー🖥で『聲の形』がやっており、(内容については賛否両論あるようですが)ついまた観て、涙こそ溢れなかったものの健気なシーンでは震えながら鑑賞し🥺、
で、翌日なんとなく続けてアニメが観たくなり、これを観に行って来ました(単純🧠)。
どちらもうちの都道府県の出来事ですが、清華大と京アニの事件を想起させられました🤨
終盤に『インターステラー』のように、時間と空間を超えたアプローチが出来て過去を改変できるのか⁉︎‥と思わされるような展開があり、物語の中であれリアルであれ何れにせよ、あれらの事件に対する遣る瀬無い想いを作者さんなりに昇華させるためのストーリーだったのかなと‥🤔
帰途は車内でコトリンゴさんの『この世界の片隅に』のサントラを流しながら帰りました🚙
漫画原作アニメ映画の究極の形の一つ
今日はやっとルックバックを映画館で観て来ました✨
本当に真摯に原作漫画が映画化されていて凄かった…
漫画と映画では同じにはならないんですがそれでも漫画が表現しようとしたものを継承して映像化する事に些かも躊躇が無く、どう映像化するか、どうしたら表現し切れるかに全振りされていてなんでそれ程までに原作を表現し切る事だけに拘ってこんなに質の高い物が創られるのか正直信じられなくて驚きもありました。
本職が本気で趣味でやったのかと思いました。
ちゃんと商売になるように準備した上で趣味をしたのかと。
仕事で、こんな事が出来るのかと。
こんなのもう本当に生きているうちにあと何回見ることが出来るんだろう?
好きな映画、凄い映画っていくつかはちゃんと挙げられるんだけど漫画原作の映画では他には無いですね。
だって既に視覚情報が在るものを忠実に映像化するのってめちゃくちゃ難しいと思うんです。
原作のイメージが強くて。
足せるのって音と色と動き?
でも先に絵で見ちゃってて、何なら声もイメージしちゃっていて。
声は個人差有りそうだけど今回私は全く違和感が無かったです。
そこも凄かった。
そういう、既に原作を読んじゃった人が持ってるイメージって想像出来ないけど在るからやっぱり原作変えると外れちゃう。
でも興行として成功させないとだから「見易さ」と云うか「キャッチーさ」みたいなものを盛込みたいと思うだろうしそう云う誘惑はしょうがないところもあると思うんだけど今回は逆だったなぁ、と。
原作好きな人が原作好きな人の為に創ったみたいな。
内輪で楽しむ為に全力みたいな。
個人的には「間」とかもそうだけどけっこう「たっぷり演るなぁ」っていう部分が多くて、それが凄く良かったんですがアニメ映画では厳しいんじゃないかな?って思った箇所でもありました。
でもそれがとても「映画」っていう感じがしました。
暫く喋れなかったしあんまり語れなかった。
そのくらい強く打たれたし満足感も凄かったです。
もう一回は見に行っときたいなー
原作マンガを読んでいたので観に行くかどうか悩んでいたのですが行って良かったです
ひとを見下さず、ひとを妬まず、ひとを認めて、ひとを応援し続ける、そういう者に私はなりたい…
藤子不二雄の「まんが道」で、主人公の満賀道雄(マガミチオ)が才野茂(サイノシゲル)と出会ったときその漫画の実力に驚愕する、というような場面があった。
宮崎駿は、アニメーターを夢見てスタジオに入社してくる若者たちのなかで、初めて自分よりも絵が上手い同世代に遭遇してスランプに陥る子たちを『魔女の宅急便』のキキに投影した。
主人公・藤野(VC:河合優実)は、小学生のころ4コマ漫画を学年新聞に連載していて同級生からの評価も高かったのだが、隣のクラスの不登校児・京本(VC:吉田美月喜)の出現で自信を打ち砕かれる。
自分の能力・才能が、子どものうちの小さな世界では特別だと感じる場合がある。
だが、井の中の蛙が大海を知ると、自分が特別ではないと自覚して情熱を傾けていた〝好きなこと〟を手放していくケースが多い。
これを「大人になる」と言ったりする。
藤野は京本の絵を見て脅威を感じるのだが、元来の負けん気で独学の練習に没頭する。これはこれで凄いと思う。
それでも同級生から「中学生になっても漫画を描いていたら…」などと大きなお世話の誘惑があったりしたものだから、大人への舵切りをしてしまう。
そんな状態で、藤野はまだ見ぬ存在だった京本と意に反して対面し、行きがかり上ではあっても夢に向き直すことになるのだ。
映画では、二人が一途に漫画に打ち込む過程や、勝気な藤野と内向的な京本が絆を深めていく姿が、見事なアニメーション表現で瑞々しく描き出されていく。
この映画は原作の漫画が良い…らしい。私は訳あってもう40年来〝ジャンプ系〟の漫画は敬遠しているので、この原作漫画も未読だ。
だから、このアニメーション映画を観て、正直驚いた。
漫画家を夢見る二人の成長物語程度に思っていたのだが、予想だにしない展開に私は腰を抜かしてしまった。
妬み嫉みの八つ当たりという理不尽な凶行の犠牲になった少女は、まだ追いかけている夢の途中にあった。
唐突に描かれる事件の身勝手な加害者は有名アニメスタジオで起きた放火事件の犯人を彷彿させるが、この映画はその犯行の背景などは全く語らない。
どういう意図でこのような事件を織り込んだのか、物語の転換のきっかけとするにはあまりに衝撃的だ。
それぞれの道を歩みだしていた二人に「事件」がもたらすものは何か。
自分が拠り所とする〝漫画を描く〟ことにおいては、自分は誰よりも上の存在でありたいという藤野の志向が、京本を優越感を得るための格好の相手にしてしまっていた。
そんな藤野に、京本に対する友人としての責任を感じさせる物語展開として、病気や交通事故ではなく、藤野と出会ったことがきっかけで巻き込まれる(と、言えなくもない)「事件」が必要だったのだろうと解釈した。
それでも、若い藤野には前を向いて進んでもらわなければならない。
彼女に反省を促しながらも、決意新たに立ち上がらせる気づきの物語が秀逸だ。
京野の藤野に対する熱い思いは終始変わらなかったのだ。変わっていったのは藤野の方だったという衝撃が藤野を襲う。
4コマ漫画の原稿がドアの隙間に滑り込み、それがキーとなって藤野と京本の間のドアを開く。出会いのときと事件後のニ度、そのキーが働く。
そこで出現するパラレルワールドは藤野の幻想かもしれないが、我々観客もそっちが現実であってほしいと願う。
この物語展開が原作どおりなら、原作を称賛すべきなのだろう。
一方映画として称賛すべきところは、やはりアニメーション表現の素晴らしさだ。
日進月歩のアニメーションの世界では、新作を観るたびに驚きの技術とアイディアに出会う。単なる技術ではなく、映画の演出としてそれらを効果的かつ印象的に活用するアニメーターの能力に敬服する。本作もその点において見事だと思う。
原作の絵柄を活かしつつ(たぶん)、手描きっぽい絵が弾けんばかりに躍動する。登場人物の若さと情熱が観客席に飛びかかってくるようだ。
そのカメラワークとデフォルメは、これこそが漫画を動かすということだと、つくづく感心する。
人は誰も自分一人の力で成長するわけではない。
自分を支えてくれた人たちを忘れず感謝し続けること、また成功した仲間を変わらず応援し続けること、それを当たり前だと思うことに対して、他人を妬んだうえに恨みまで抱いてしまうのもまた、人間なのだ。
京本に応援されて今の自分があることに気づいた藤野は、これからの漫画家活動を通じて京本に感謝を伝えていくことだろう。
展開を知っていても楽しめますよ
コミックを最上位モデルで映画化
雨の中、あぜ道をスキップして駆け抜けるシーンから胸が熱くなってきて涙が止まらなかった。
あの動きはアニメでしか表現出来ない。
珍しく紙のコミックを買った作品でもあるが、このたった全一巻のコミックを映画化する方法はいくつかのパターンがあっただろうが、最上位モデルで映画化に成功した素晴らしい例だ。
追加シーンで膨らますこともなく、また簡潔にしすぎず、短すぎず長すぎず。
コーヒーを持って映画館に入ったが、息を飲むシーンが多すぎてコーヒーを飲めなかった。飲むことも忘れる程の集中してストーリーに惹き込まれた時間だった。
藤野、京本を繋ぐ思い出の四コママンガが、風に舞い、するりとドアに吸い込まれる動きも滑らかで、ヴァイオレットエヴァーガーデンの手紙が舞うシーンに引けを取らない。生き物のような動きで、アニメ化に感謝した。
通り魔事件のシーンではどうしても京都アニメーションの火災の事件を思い出さずにはいられなかったけど。
あったかもしれないもうひとつの結末に泣いた。
声優に河合優実を起用した所も素晴らしかった。コミックでは声まで想像せずに読んでいたが、おー!藤野はこの声だよ!
本編の曲もエンドロールの聖歌隊の曲も素晴らしかった。
藤野も京本も必死で絵と向き合う背中に惚れ惚れする。
それはコミックで1番印象的な1枚の美しい絵。
アニメ化されてキャラクターが動いても背中の静止画が出てくる度に人が本気で打ち込む背中は永遠のストップモーションに見えて、ドキドキした。
敬意、熱意、本気、悲しみ、後悔、そして覚悟、全て背中が語っている。
京本が居なくなった後のハンテンの背中のサインの文字も…背中が全てを語らずして語っている。
今すぐ、もう一度原作を読もう!
背中を見ろ!
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