ルックバックのレビュー・感想・評価
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アニメーション作品の節目
実写にしても、アニメーションにしても、数年に一度、その後の他作品に大きく影響を与える、革命的映像作品が出てきます。
その節目の作品としてこの作品は間違いなく入ってくるでしょう。
これはアニメーターだけの力ではなく、原作者の藤本タツキ氏の作風やキャラクターデザインの持つ雰囲気も上手くハマった様に思います。
同作者のヒット作『チェンソーマン』のアニメの成功もあるでしょう。
原作の曖昧で独特のニュアンスをうまく汲み取り、アニメ化で作風を確立出来た作品でしょう。
本作もやはり独特の雰囲気を持っており冒頭からその異様さと、圧倒的な作画と世界観の表現で一瞬に没入出来ます。
映像に関して言えば本当凄まじいものがあります。
これだけでも満足度は高いでしょう。
映像だけで最後まで持ちます。
素晴らしい。
そこにストーリーが乗るのですが、タツキ氏のファンの方には申し訳ないですが、ストーリー性に関して言えばそこまで、、と言う感想。
これはアニメーションの話ではなく、原作の話になってしまうのであまり言いませんが、僕の好みでないと言う只々個人的な感想です。
漫画を描く人が画力のある人に嫉妬し努力で成長。
漫画が描ける努力人間
漫画は書けないが画力がある才能人間
互いに依存し合い小さな一歩を掴むが、互いに夢を追いかけ始め分かれ離れに。
そんな中ある事件が起き2度とバディを組めなくなる事実。
もしあの時出会わなければ。
後悔と喪失感。
それでもそれを乗り越え自分のやるべき事をやる。
大雑把にはそんなストーリー
見終わった後の喪失感や感情の揺さぶり方は上手く、十分感動できる。
ただ、感想は『それで?』か『何が言いたいの?』どまりだった。
基本そう言う作品はエンタメ要素を含んだ『芸術性に振った作品』になる。
エンタメ要素と言うのは人々が深層心理的に持つ他人の不幸が見たいと言う好奇心。
ダンサーインザダークなんてまさにそれ。
実は画力の才能がある子より
漫画を描き続けられると言う自分の才能に気付けていない主人公。
素晴らしい作品であることに違いはないが
なんかモヤっとしたどっち付かずの印象。
あくまでも個人的な感想です。
背中を見て背中を押される
そんなに良いかなぁ
消化出来ない事って?
原作の評価が高いのに、未読です
読んでいれば違った感想になったかもしれません
機会をみつけて読んでみたい
「チェンソーマン」の藤本タツキの青春物語
ふーん、まったく毛色の違う漫画ですね
どっちが彼なんだろう?
自分の中にある消化できなかったものを、無理やり消化する為にできた作品です。
と、作者は書いている
なんのことか凡人にはわからないなあ
なんだ、「ブラッシュアップ」かあ
流行りのタイムスリップかと思ってガッカリしかけたけど違った
マジメな青春物語
ヒロインの後悔ってそこかよって、ちょっとひきました
えらい昔の話すぎるけど、そういう思考におちいるのかなって
2人が会って事件が起こるまで、10年あまり
彼女は何億とおりの選択をし、数え切れない人から影響を受けたはず
その選択が、影響を与えた人が全部、ヒロインのように責任があるわけないでしょう
ヒロインだって、その間に色々な人に影響を与えているはずです
全て自分のせいなんて、買いかぶりです
まだ中二病なんですね
それに
誰にも未来はわからないから、自分の行動を後悔なんてする必要は無い
第三者だから割り切れても、当事者はそうはいかないかもしれないけれど
やはり自分のせいだと苦しむのは繊細すぎるな
それに、彼女はヒロインによって、十分に充実した人生を生きたじゃない
死なんて、必ずやってくるし、それは明日かもしれない
死はいつでも隣にいます
隕石が頭に当るなんてレアな事もあるかもね
何も知らない僕には、心に響く質の良い小作品という評価しかできないけれど
タツキ先生の中に消化出来なかった事として似たような事だったんだろうか
今回の事件は、京アニの放火犯を見てるみたいで嫌な気分でした
あと気になったのは、セリフと音楽の音量のギャップが大きすぎる事
恐怖映画のような効果を狙ったのかなあ
配信で観るには、人騒がせな音量でした
主人公に裏切られた映画NO1
これから映画の単位で1h=ルックバックってことにしよう
テネット=3×ルックバック
1ルックバックが日本映画の基本単位になることを願っています
グッときたのが最初の10分だった
図書館や雨小屋で描いて描いて描きまくる
クリエイターのカッコよくいうと業や呪い
そして一番怖かったシーンもまた最初の10分
ある日プツっと「もうやーめた」と努力の糸が切れる瞬間
それに絶望するわけでもなくただの日常に戻る感じ
ただ心はうまく日常に着地できないよね
家族でテレビ見てる時のトーンを抜いた目が一番印象に残ってる
結局また呪われたようにあの生活に逆戻りしちゃう
これぞ業
タイトル「業」でもいいくらい
ただ一つショックなのは藤本に本当に漫画の才能があったこと
お前天才なんかい
挫折して身直に感じちゃったけど天才なんかい
あっという間に売り上げのばして、アニメ化決めとんがな
裏切られた!!!
誰もが誰かのかけがえのない大切な人
事前情報はあまり知らず、話題になっていた映画がアマプラで配信してるな〜と軽い気持ちで鑑賞。
これ、映画館で観てたら大変なことになってただろうな。あのひどい事件が絡むとは予想していなかったので、とても胸が苦しくなった。
序盤のちやほやされた小学3年の藤野が、自分よりすごい人に出会い挫折し、全てを賭けて努力するも、まわりの価値観の変化などもあり、一度は手放すが、自分よりすごいと思っていた人に評価され認められたことが嬉しく、より一層励む、ふたりでただただ一心不乱に取り組む、青春期の真っ直ぐさに心打たれた。
その後、違う選択をする京本を受け入れられず、凶悪事件に巻き込まれてから自分が京本を外に出してしまったせいだと自責するシーンは本当に心が苦しかった。間違いなく犯人だけが悪いのに自分を責めてしまうこと。大切なかけがえのない人が急にいなくなってしまうこと。
京アニの事件は当時もひどい事件だと思ったが、より被害者にクローズアップすると、あまりのやるせなさ絶望苦しさに嗚咽するほどだった。
誰もが誰かのかけがえのない大切な人、という当たり前だけどつい忘れがちになってしまうことに気付かされた。
藤野がまたペンを握り描き出す後ろ姿は、今まで以上の覚悟が伝わってきた。
あの事件の事ですね(京アニの件)😡つうか心にガツンと来たわ✊
凄いとは思ったけども
映画館で見ようと何度も思ったけど時間が短いのに1700円はちょっとなぁ、、と悩んでいたらアマプラで登場していたので本日家で鑑賞。
独特な演出でとても展開も早くて凄いとは思った。
ただ細かい部分を端折りすぎてなんだかいまいちグッと来なかった。藤野と京本がせっかく仲良くなったのにずっと藤野は上から目線なのがなんか好きになれなかった。
でも、わかる。自分より凄いって心の中では思っているからこそ優しくはなれないよね。そうゆう経験があったから良くわかる。
京本は藤野の為にも自分の為にもレベルを上げようと思って美大を受けようと決心したのもわかる。
ただ時間が短かかったのか端折りすぎて頭の中が追いつけなかった。
あっけなく京本は亡くなって藤野もずっと連絡取ってなかったけど急に電話かけたのも
あれ?いつの間に仲良くなってたんだろ?とか考えてしまった。
でもわかるよ。京アニの事件をそのままリアルに再現してるんだよね。
何気ない毎日を過ごして絵を描いて仕事していたら訳のわからない犯人が沢山の人を殺してその犯人は濃厚と生きている。
許せないよね。
自分がその関係者や親族や友人だったらぜったいに許さない。
なんで私が2.5に評価してしまったか、、、、、、
心が揺るがなかった。
なぜだろう。
きっと
私も過去に同じ様な経験をした事があってそれを思い出したからこそ悔しくて点数をつけられないのかもしれない。
僻んでいる自分がいるからだと思う。
私はそれから何もやり遂げる自信がなくなっている。
広く浅く生きている。
シリアスな漫画家を目指す人々を描く
真っ直ぐな情熱
映像、演出、声優は5
京本は裸足で飛び出してくる
藤本タツキ氏の同名原作漫画がよくできているため
アニメ映画版「ルックバック」はその原作を
絵コンテとしてそのまま使用して描いたように見える
しかし原作漫画にはない演出が映画版には随所にあり
私が一番感動したシーンは、初めて京本が藤野に会う
シーンである
漫画では京本はサンダルを履いて藤野を追いかけるのだが
映画では京本は裸足のまま飛び出してくるのだ
この演出の違いが、映画版の素晴らしいところである
また藤野に手を引かれていく京本の手が
だんだんと藤野の手から離れていく様は
その後の藤野と京本の関係性を見事に映像として
表現している
最近の日本のアニメは心の動きや感情、動作までも
漫画のセリフのように「言葉」で表現するものが多く
幼稚園児や小学生を対象にしているのか?と
その表現の幼稚さに呆れ果てていた
漫画やアニメなら「言葉」や「セリフ」ではなく
「画」で表現すべきだと思っていたところ
今回の映画版「ルックバック」の演出方法をみて
「画」や「映像」で、登場人物の「心」の動きを
見事に表現していて、当たり前ながら驚いた
私は原作漫画を読まずに映画版を先に観たので
その感動や驚きは言葉に言い表せないくらいだった
おそらく、原作を先に観てしまっていたら
こんなに感動することはなかったのだろうと思う
それは映画版は
ほとんど原作漫画そのまんまであるからだ
本当は5点満点をつけたいところだが
個人的にどうしても納得いかないシーンが
一つだけある
それはラスト近くのシーンで
藤野が京本の部屋で、自作の「シャークキック」
第11巻のラストを見ながら泣いているシーンである
このシーンは、原作漫画、劇場で限定配布された
オリジナルストーリーボードでも確認したが
漫画のタイトルは異なっていたものの
(ネームの段階では「ラックラット」とある)
藤野が泣いているのは自分で描いた漫画を
読みながら京本との思い出を振り返る
(ルックバック)しているのである
このシーンは藤野が再び、京本のためにも
漫画を描き続けようと思わせる意図を
表現するため「シャークキック」11巻の
ラストで涙するような仕掛けなのだろうが
藤野が京本との思い出を振り返りながら
涙するのであれば、藤野と京本がまだ
合作をした作品を読みながら涙する方が
自然ではないだろうか?
このシーンは
個人的にとっても残念に思えて仕方がない
漫画、アニメ映画版ともに
その後、藤野が立ち上がり京本のはんてんに
書いた自分のサインを見つめるシーンがあるので
(映画版の方が、藤野は長くそれを見ている)
藤野の心に漫画を書き続けるという意思を
見出すことができるのだが
藤野が漫画を書き続ける理由それは
ライバルでもあり、尊敬もしている
京本に読ませたいためである
藤野と京本の二人の「漫画」を通じての
友情と切磋琢磨した日々を静止画ではなく
動くアニメでもっと見たかったというのが
本音ではあるが
近年稀に見る
「画」と「映像表現」で感動させてくれる
映画版「ルックバック」は地味な内容ながら
実写映画では表せないアニメーション映画だと思う
素晴らしい作品でした
原作盛り盛り
作品を作ることへの熱意や愛情、漫画家の苦悩に溢れた作品
なにかしらの作品すら創作したことのない私が述べられる感想などないと思うのですが、本当に胸に刺さる良い映画でした。
なにかを作る、漫画を描くということへの熱意、愛情、苦悩がダイレクトに刺さりました。
不幸な事件で友人が亡くなった場面で主人公がとった行動は消えかけていたい漫画への熱意を再び燃やし、描き続けることでした。
本作品では、小学生の主人公が描いた漫画が不登校引きこもりの京本を外の世界に引きずり出し、一緒に漫画を描き、最後、京本は芸大で無差別殺人の犠牲になる。
自分の作品が誰かに影響を与えるということを知った藤野は、もし漫画を描かない人生だったら、というifの世界を思う。
でも後ろを振り返っても何も変わらないから、前を向いて、ひたすら漫画を描くんだ、というエンドロールの藤野の背中に魅せられました。
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