ルックバックのレビュー・感想・評価
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京本にとっての漫画とは? 追記 原作本読んだよ
原作は未読で、評価の高さで鑑賞。藤野視点がメインだが、京本視点でも見たかった。なぜ不登校だったのか、家族はどのように関わっていたのか。京本にとって、藤野の存在は憧れだけだったのか。美大に行こうと思った心の動きが知りたかった。二人共に家族との関わりが見えないが、それは本作の原作者自身を投影しているのか?
藤野は自分が漫画を描いたために京本が死んだと思う場面があったが、そこからまた漫画を描き始める。それは表現者の性(さが)であるともに、自分の漫画で、人に生きる希望や勇気を与えることもできるという決意の現れであるとも思う。
京アニのことを想起する場面は見るのが辛かったが、漫画を描く人もアニメを作る人も、それを乗り越えて前に進んでいると思う。これからもさらに多くの人の心に残る作品やアニメ映画が作られることを願う。
(追記)原作本読みました。ストーリーは原作通りですが、映像になって、藤野の話し方(河合優実が上手い)とか雨の中を走る場面が凄く良くなっています。特別料金じゃなかったら、何度も見たい映画なのに、それだけが失敗です。スラ厶ダンクのように、少ししたら再上映にして、その時は通常料金、レイトショーや曜日割り引き、学生割、シニア割等にしたら、今回の興行収入を大きく越えるでしょうね。
主観的で情緒的
複数の知り合いがこの作品を評価していたので、シニア割引がなく、短編にもかかわらず、気になって観てみた。確かに観応えはあった。
相方の京本の家族がどう思っているかは全く描かれないのも不自然かと思うが、何か関係が描かれたとしても、影響力は小さかったのだろう。ネット評では、京都アニメーション事件被害者への鎮魂というものがあったけれども、社会性よりむしろ個人的な哀惜を強く感じた。小学校の学校新聞で挫折感を覚えた京本の作品よりも、藤野の自作品への注視の方が強調されているように感じた。総じて、客観性より主観的で情緒性が強く感じられた。
嫉妬と絶望を作品に落とし込む藤野、同じ感情を刃に込める男の違いとは何か
2024.8.19 イオンシネマ久御山
2024年の日本映画(58分、G)
原作は藤本タツキ『ルックバック(集英社)』
絵の上手い小学生が漫画家として成功する過程を描いた青春映画
監督&脚本は押山清高
物語の舞台は、北九州付近のどこかの町
小学4年生の藤野歩(河合優実)は、漫画が上手いことを自慢にして、学校新聞で4コマ漫画を連載していた
クラスメイトの反応に天狗になる藤野だったが、担任(斉藤陽一郎)から提案されたあることにて、彼女の日常は激変してしまった
それは、隣のクラスの不登校生徒・京本(吉田美月喜)のために連載枠を空けると言うものだった
これによって、藤野と京本の漫画が並んで掲載されることになるのだが、京本の漫画は風景画でセリフがない中でも物語を感じさせるものだった
京本の漫画が評価され、画力も明らかに劣っていたことで劣等感を感じる藤本は、努力を重ねて画力をアップさせようと奮闘し始めた
だが、その差は埋まることはなかった
6年になっても漫画を描き続け、とうとう卒業までその生活を貫き通した
だが、卒業式の日、藤野は担任から「京本の家に卒業証書を届けてほしい」と頼まれてしまう
渋々承諾した藤野は彼女の自宅に赴くものの、呼びかけても反応はない
ドアが開いていたために中に入ってみると、そこにはおびただしい数のスケッチブックが積み上がっていて、彼女の努力は藤野の数十倍にも及ぶものだった
藤野はそこで4コマ漫画の原稿用紙を見つけ、「漫画を描くの、やめた」と呟いて、京本への嫌がらせを書き殴った
だが、その4コマは風の悪戯で飛んでいき、京本の部屋へと吸い込まれてしまった
藤野は慌てて逃げ出すものの、京本がそれを読んで追いかけてくる
そこから奇妙な関係が始まり、二人は「藤野キョウ」として、漫画賞に向けての長編漫画を描き始めることになったのである
映画と言うカテゴリーに入るのかはわからないが、映画館では特別上映の作品で、各種サービスが適用されない作品になっていた
58分で1700円と言う値段で、少々割高に感じるのだが、口コミで高評価が広まり、拡大上映が続いている
当初は近隣の映画館での上映がなく、遠方に行く必要があって躊躇していたのだが、近くで上映されることもあって鑑賞に至った
『チェーンソーマン』などで人気を博する作家だが、基本的に映画しか観ないのでほぼ知らないまま鑑賞したが、漫画家を含む創作者のモチベーション維持のストーリーだったので、すっと入ってくる内容だった
藤野の承認欲求拗らせみたいなところがベースにあり、反骨心が彼女を奮い立たせるのだが、その持続と停止の切り替えがリアルに感じる
また、現実に起こった事件をモチーフにして、「もしもの世界を夢想する」という現実逃避の末に現実を受け入れると言う過程も秀逸であると思う
加害者は創作者の端くれだが、二人の間にあった違いとは何だったのか
他人の創作に気を取られ、そこに嫉妬心を抱いたりするところまでは同じなのに、その後の行動がまるで違う
その違いを生んだのは、切磋琢磨できる存在であり、孤独ではなかったと言うことになるのだが、藤野自身もプロになってからはどことなく孤独を感じている
その孤独を生み出したものが自分の行動だと責め立てても、それを否定する京本が心の中にいて、それゆえに藤野は救われているのかな、と感じた
いずれにせよ、58分と言う短い作品だが、ものすごく濃密な時間になっていたと思う
現実がモチーフになっていて、そこに至らなかった理由というのが明確に描かれているので清々しいと思う
創作者の苦悩は誰にでもあるものだが、嫉妬を作品に変えた藤野と、ペンを刃に落ち変えた男との差は埋まらない
現実では悲劇を救うヒーローは現れないのだが、せめてもの抵抗というものがそこにあって、それはとても切ないものであるように感じた
鑑賞後も続く思い
賞賛の言葉は山ほどあるが、それはさておき
この作品ほど、観賞後の観客の心に余韻を残す映画、というのもなかなか無いのでは。
58分間。
観客は藤野と京本の物語に瞬く間に引き込まれ、
大いに共感し、喜び、いきなりの急展開にとてつもないショックを受け、どん底に突き落とされる。
パラレルワールドはあるらしい。しかし元の世界の現実は変えられない。
気持ちはかき乱され、一種の放心状態である。
それでも日々は続く。また机に向かっていく藤野の背中を見つめる。
美しい音楽がレクイエムの如く藤野と観客を包みこむ。
下から上に向かうエンドロールにさえ、なにか天に昇っていくような感覚を覚える。
観終わった後も、映画の余韻からなかなか抜けられない。
誰かとずっと語りあいたい。
そんな映画だった。
全てのクリエイターの皆様に感謝。
漫画を読んでから見に行きました。原作もそこそこ面白かったのですが、...
漫画を読んでから見に行きました。原作もそこそこ面白かったのですが、予告が良かったですね。音楽とか動きが素敵だった。期待大で見に行きました。感想としては、良くも悪くも短編読み切り漫画に集約されていて、アニメにすると粗が目立つという所です。スケッチブックじゃなくてクロッキー帳に描けばそんなにかさばらないよとか、ツルハシで13人殺せないだろとかいう細かいツッコミはどうでも良いですが、最初の2人の出会いが物語のクライマックスで、終盤の事件は取ってつけた様な展開なのが気になりました。小学生から大人になるまで描いているのに小学生の出会いや嫉妬や努力が物語の中心になっているあたりがちょっとバランスが悪いというか。人生のクライマックス小学生で終わってるんかいとツッコミたくなります。売れっ子作家になった藤本と美大に行った京本のその後の物語も見てみたい。
美しい…。
めちゃくちゃ久しぶりに映画館に行きました!下調べなく何を観ようかと思ってみたらルックバックがやってるじゃないか!と興奮気味にチケットを購入!上映時間が1時間っていうのが少し気になりましたが、原作好きだったのでどうなるか楽しみでした!
結果で言うと全てが美しかったです!音響も映画館で観てよかったです!1時間の中で微妙な間の使い方も良かったし、映像、音楽は完璧!ストーリーは文句のつけようがない形でした。
久々に大満足の映画でしたが、時間が短くポップコーンを食べきれなかったのが唯一の残念点笑
家の近場の映画館では上映しておらず、サブスク待ちかと思っていたと...
家の近場の映画館では上映しておらず、サブスク待ちかと思っていたところで上映館追加のお知らせ。人気上昇の証でしょうか。原作知らず、映画となった経緯も知らずの状態でようやく行ってきました。
冒頭、二人が出会う小学生時代、自分より画力があると思っていた京本が、自分のファンであることを知る場面、また、その帰り道の喜んでいるシーンは、今も心に残る素晴らしい演出。中学時代からはお互いの才能を認めあい、身を寄せ合って漫画に一途に取り組み、大舞台への足掛かりを掴む姿には「やったね」と心の中で一緒に喜びました。ただ、このままでは終わらない空気は満ち満ちて、繋いだ手が徐々に離れ、互いの道を歩み始めた「別れ」の時が来たかと思ったら、誰もが知る”あの事件”を連想させる話へと向かっていきます。
鑑賞直後、京本は、”あの事件”で犠牲になったどなたかがモチーフになっているのではと思いました。が、そうではなく、京本は事件で亡くなった「全ての人々」であり、藤野もまた「京本」の才能を信じ、関わってきた「全ての人々」であったと。
誤解を恐れずに言えば、そうした「藤野たち」が、「京本たち」それぞれにそれまでの人生があって、夢があって、未来があったことを具象化させ、我々に改めて伝える(加えて鎮魂歌(映画)であることも)作品にしたかったのだと。
劇中の京本の嬉しそうな顔、恥ずかしそうな顔、頑張っている顔を振り返れば、亡くなった方、残された方の無念を改めて感じ、後からしみじみと泣けてきた。そんな映画でした。
求めてた青春映画に出逢えました
個人評価:4.5
素晴らしい原作を全てを完璧に、いや原作以上の感動作としてアニメ化している。
声も素晴らしく、2人の女優の声はまさに、物語の世界に生きる2人の少女だった。
人物の輪郭線は、まさに藤本タツキの線で、その人物があの素晴らしい作画で動き出す。感動である。
青春映画好きには堪らない一本でした。
藤野と京本、最高の2人
高評価とネットでの宣伝のシーンが心に残って鑑賞しました。
面白くなりそうな出だしに期待が膨らみ嫉妬・独占欲など人間味溢れる中盤
同性の友情以上にお互いに必要な存在へ
一体どうなるのか終盤への期待が溢れて…
からの突然の・・・大事件
わかります、わかりますよ。人生には不条理な事が降り掛かる事がある事も
でもこの短い作品でそれは不合理な気がします、消化する時間がとても、余りにも足りません、倍の上映時間は必要かと
藤野と京本のその後が、結末が、見たかった。そう強く、強く、感じた作品でした。
映画のボリュームとしてはどうなのか…
元々前後編の読み切りの短編だからか、話のボリュームとしては、いまいち物足りさなを感じた。
漫画仲間の友人が殺された後、パラレルワールド的展開を見せてはいるが、それが現代に生きる主人公にどのように作用し、どのように乗り越えていくのか、もっと葛藤を見せてもいい気がした。
一緒に漫画を描き、二人でデビューしたからこそ、藤野は京本のことを縛っていくようになってしまう。
だからこそ、自分が京本を殺してしまったと思い込む藤野は、もっと苦しみながら漫画を描いていくことになるだろうに、葬儀のあとのシーンで全てを解決させてしまうのは、違うような気がした。
もっとその後の苦しみながらも、贖罪のように漫画を描いていく藤野を見たかった。
ほぉ。
だいぶ前にSNSで作品が素晴らしいと話題になっていて、たしか無料公開もしていてそのときに読んだ記憶があった。ただその内容はほとんど覚えていない。
ちなみに同じ作者の作品で大ヒットしたチェーンソーマンの存在は知っているし、地上波の深夜アニメは一応全話録画しているものの、なんだかんだ未だに見ていない。
本作の予告編が公開されたときも何やら感動するだの話題になっていたことや、作品自体が短くサクッと鑑賞できそうなことに加え、一般料金が1,700円と多少リーズナブルだったことなどから観に行くことに。
まず全体的なBGMが良かったようにおもった。
動きも走るシーンだったり、後半でツルハシを持って学校で暴れる犯人の動きも躍動感があって良かった。
ただ、後半で世界戦が入り混じる?ようなところは素人には良くわからなかった。
Aという世界線とBという世界線があり、それぞれ二人の主人公が進んだ別々の物語があった的なことなのかなと勝手に解釈。
あと、途中から二人で漫画の共同制作をすることになるのだが、何の前触れもなく急に始まったので「どういう流れで始めたの?」とちょっと疑問におもった。とはいえ話の展開から何となく推察することはできるのだが。
それと学校の4コマ漫画で活発な方の主人公がひたすら画力を挙げようと練習して描いた方のあるときの4コマ目が「沢北」にしか見えなかったのは私だけではないはず・・・。
入場特典として非売品のこの作品のラフ画みたいな単行本をもらった。事前に知ってはいたがちょっとだけ得した気分。(もちろんパラパラとめくっただけでちゃんと読んではいない)
エンディングのスタッフロールで「方言指導」みたいなのが目に入って、あの方言本格的にやっていたんだとおもって「へぇ~」となった。
なお、作品自体の上映時間は、スタッフロール終了まで「57分」と1時間もなかった。
こういうサクッと鑑賞できる短い作品もいいものだね。
🙏🏼
これを人と一緒に観に行く約束をしていたのですが、それが土壇場でおじゃんになって🤷🏻♂️放置していたところ(皮膚科医院の待合室にもこれの単行本があれども時間なく読めず)、
昨日、金曜ロードショー🖥で『聲の形』がやっており、(内容については賛否両論あるようですが)ついまた観て、涙こそ溢れなかったものの健気なシーンでは震えながら鑑賞し🥺、
で、翌日なんとなく続けてアニメが観たくなり、これを観に行って来ました(単純🧠)。
どちらもうちの都道府県の出来事ですが、清華大と京アニの事件を想起させられました🤨
終盤に『インターステラー』のように、時間と空間を超えたアプローチが出来て過去を改変できるのか⁉︎‥と思わされるような展開があり、物語の中であれリアルであれ何れにせよ、あれらの事件に対する遣る瀬無い想いを作者さんなりに昇華させるためのストーリーだったのかなと‥🤔
帰途は車内でコトリンゴさんの『この世界の片隅に』のサントラを流しながら帰りました🚙
「死」は安易すぎないか
前半は良かったが、京本が美大に行く決心をしたところまで。
藤野は自己肯定感が高いのは良いことかもだが、周囲を見下している。
中学生くらいまでならありかもだが、それ以上の年令になったら痛い。
京本に対する態度も、実は京本を思っているが表現が下手なだけ、というわけではなく、友情はあるし感謝はしているだろうが基本的に自分の下僕のように思っていそうで、京本がついに自我に目覚めてふたりにとって良かったと思ったのに。
死を安易に使ったように見える。
こういうの、感動ポルノっていうのかも、と思ってしまった。
背景が素晴らしい。
エンドタイトルに背景なんとかとして男鹿和雄さんの名前が入っていて、やっぱりと思った。
普通に左利きの人物が出てきたことに、小さく感動しました。
漫画原作アニメ映画の究極の形の一つ
今日はやっとルックバックを映画館で観て来ました✨
本当に真摯に原作漫画が映画化されていて凄かった…
漫画と映画では同じにはならないんですがそれでも漫画が表現しようとしたものを継承して映像化する事に些かも躊躇が無く、どう映像化するか、どうしたら表現し切れるかに全振りされていてなんでそれ程までに原作を表現し切る事だけに拘ってこんなに質の高い物が創られるのか正直信じられなくて驚きもありました。
本職が本気で趣味でやったのかと思いました。
ちゃんと商売になるように準備した上で趣味をしたのかと。
仕事で、こんな事が出来るのかと。
こんなのもう本当に生きているうちにあと何回見ることが出来るんだろう?
好きな映画、凄い映画っていくつかはちゃんと挙げられるんだけど漫画原作の映画では他には無いですね。
だって既に視覚情報が在るものを忠実に映像化するのってめちゃくちゃ難しいと思うんです。
原作のイメージが強くて。
足せるのって音と色と動き?
でも先に絵で見ちゃってて、何なら声もイメージしちゃっていて。
声は個人差有りそうだけど今回私は全く違和感が無かったです。
そこも凄かった。
そういう、既に原作を読んじゃった人が持ってるイメージって想像出来ないけど在るからやっぱり原作変えると外れちゃう。
でも興行として成功させないとだから「見易さ」と云うか「キャッチーさ」みたいなものを盛込みたいと思うだろうしそう云う誘惑はしょうがないところもあると思うんだけど今回は逆だったなぁ、と。
原作好きな人が原作好きな人の為に創ったみたいな。
内輪で楽しむ為に全力みたいな。
個人的には「間」とかもそうだけどけっこう「たっぷり演るなぁ」っていう部分が多くて、それが凄く良かったんですがアニメ映画では厳しいんじゃないかな?って思った箇所でもありました。
でもそれがとても「映画」っていう感じがしました。
暫く喋れなかったしあんまり語れなかった。
そのくらい強く打たれたし満足感も凄かったです。
もう一回は見に行っときたいなー
原作マンガを読んでいたので観に行くかどうか悩んでいたのですが行って良かったです
1700円で1時間作品というところに引っ掛かっていましたが満足できました!
むしろ己のケチさを悔やんだくらいです。もっと早く決断出来ていれば1番大きいスクリーンで見れたのに(T_T)
観に行くか悩んでいる人は、いつもの日常に十分プラスな満足感を提供していただけると思うのでオススメです!
ひとを見下さず、ひとを妬まず、ひとを認めて、ひとを応援し続ける、そういう者に私はなりたい…
藤子不二雄の「まんが道」で、主人公の満賀道雄(マガミチオ)が才野茂(サイノシゲル)と出会ったときその漫画の実力に驚愕する、というような場面があった。
宮崎駿は、アニメーターを夢見てスタジオに入社してくる若者たちのなかで、初めて自分よりも絵が上手い同世代に遭遇してスランプに陥る子たちを『魔女の宅急便』のキキに投影した。
主人公・藤野(VC:河合優実)は、小学生のころ4コマ漫画を学年新聞に連載していて同級生からの評価も高かったのだが、隣のクラスの不登校児・京本(VC:吉田美月喜)の出現で自信を打ち砕かれる。
自分の能力・才能が、子どものうちの小さな世界では特別だと感じる場合がある。
だが、井の中の蛙が大海を知ると、自分が特別ではないと自覚して情熱を傾けていた〝好きなこと〟を手放していくケースが多い。
これを「大人になる」と言ったりする。
藤野は京本の絵を見て脅威を感じるのだが、元来の負けん気で独学の練習に没頭する。これはこれで凄いと思う。
それでも同級生から「中学生になっても漫画を描いていたら…」などと大きなお世話の誘惑があったりしたものだから、大人への舵切りをしてしまう。
そんな状態で、藤野はまだ見ぬ存在だった京本と意に反して対面し、行きがかり上ではあっても夢に向き直すことになるのだ。
映画では、二人が一途に漫画に打ち込む過程や、勝気な藤野と内向的な京本が絆を深めていく姿が、見事なアニメーション表現で瑞々しく描き出されていく。
この映画は原作の漫画が良い…らしい。私は訳あってもう40年来〝ジャンプ系〟の漫画は敬遠しているので、この原作漫画も未読だ。
だから、このアニメーション映画を観て、正直驚いた。
漫画家を夢見る二人の成長物語程度に思っていたのだが、予想だにしない展開に私は腰を抜かしてしまった。
妬み嫉みの八つ当たりという理不尽な凶行の犠牲になった少女は、まだ追いかけている夢の途中にあった。
唐突に描かれる事件の身勝手な加害者は有名アニメスタジオで起きた放火事件の犯人を彷彿させるが、この映画はその犯行の背景などは全く語らない。
どういう意図でこのような事件を織り込んだのか、物語の転換のきっかけとするにはあまりに衝撃的だ。
それぞれの道を歩みだしていた二人に「事件」がもたらすものは何か。
自分が拠り所とする〝漫画を描く〟ことにおいては、自分は誰よりも上の存在でありたいという藤野の志向が、京本を優越感を得るための格好の相手にしてしまっていた。
そんな藤野に、京本に対する友人としての責任を感じさせる物語展開として、病気や交通事故ではなく、藤野と出会ったことがきっかけで巻き込まれる(と、言えなくもない)「事件」が必要だったのだろうと解釈した。
それでも、若い藤野には前を向いて進んでもらわなければならない。
彼女に反省を促しながらも、決意新たに立ち上がらせる気づきの物語が秀逸だ。
京野の藤野に対する熱い思いは終始変わらなかったのだ。変わっていったのは藤野の方だったという衝撃が藤野を襲う。
4コマ漫画の原稿がドアの隙間に滑り込み、それがキーとなって藤野と京本の間のドアを開く。出会いのときと事件後のニ度、そのキーが働く。
そこで出現するパラレルワールドは藤野の幻想かもしれないが、我々観客もそっちが現実であってほしいと願う。
この物語展開が原作どおりなら、原作を称賛すべきなのだろう。
一方映画として称賛すべきところは、やはりアニメーション表現の素晴らしさだ。
日進月歩のアニメーションの世界では、新作を観るたびに驚きの技術とアイディアに出会う。単なる技術ではなく、映画の演出としてそれらを効果的かつ印象的に活用するアニメーターの能力に敬服する。本作もその点において見事だと思う。
原作の絵柄を活かしつつ(たぶん)、手描きっぽい絵が弾けんばかりに躍動する。登場人物の若さと情熱が観客席に飛びかかってくるようだ。
そのカメラワークとデフォルメは、これこそが漫画を動かすということだと、つくづく感心する。
人は誰も自分一人の力で成長するわけではない。
自分を支えてくれた人たちを忘れず感謝し続けること、また成功した仲間を変わらず応援し続けること、それを当たり前だと思うことに対して、他人を妬んだうえに恨みまで抱いてしまうのもまた、人間なのだ。
京本に応援されて今の自分があることに気づいた藤野は、これからの漫画家活動を通じて京本に感謝を伝えていくことだろう。
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