「刺さった」ルックバック あ=スさんの映画レビュー(感想・評価)
刺さった
超個人的な感想
Youtubeで偶然予告を見て、見に行こ、ってなって翌日映画館へ行った。原作は読んでいない。今思うと予告見れて本当に良かったと思う。
序盤で一番好きなシーンは、藤野が雨の中独特なステップでダッシュするシーン。映像としても凄かったし、音楽がなあ、泣かせにくるねん。藤野の喜び、満たされてる感じが伝わってきて、ニコニコしながら泣くのを我慢するというすごい表情でスクリーンを見てた。良かったなあ。映画の全体を通して音楽が泣かせにきていた。ピアノやストリングスの音色が美しのよ。音楽、という観点で映画館で見る価値はあるし、見れて良かったと思う。
問題は後半で。予告を見たときは、何か困難や壁が迫ってきて、二人でそれを乗り越えていく話なのかなあと思っていたのだが、まさか京本がいなくなってしまうとは。
”超個人的な感想”と前もって記してあるから、私のことを書くと、私は最近友人が亡くなったという報せを受けたばかりで、結構気持ちが沈んだ状態が続いていた。映画館へ行ったのも、映画を見たら気分上がるかな、っていう打算的な理由もあったのかもしれない。だからこの映画を見たとき、京本と私の友人が重なってしまってつらかった。私自身、友人の死に対してまだ気持ちの整理がついていない状態だから、だから京本が死んだときは、この物語がどう解決するのかをしっかり見届けようと思った。
後半で一番刺さったシーンは、藤野が京本の部屋に入って後ろを振り返って、自分がサインした服を見つけるシーン。これは泣く。ってか泣かないように歯食いしばってた。
最後は本当に考えさせられる。あの4コマを見つけて、京本の部屋に入って、自分が描いた漫画を見て、最終的に、「よしっ」ってなって仕事場に戻って、4コマ貼って作業に戻る。この間、藤野にはどういう心情の変化が起きたのだろう。「よしっ」ぐらいしかセリフが無かったと記憶しているから、演出とか行動で心情を想像するしかない。私の解釈だと、最後はそれでもマンガを描くという前向きな気持ちと大切な人を失った喪失感が同居しているのだろうな、と思う。問題は、どのような変化を辿って前向きな気持ちに至ったのか、その理由。藤野が絶望しているシーンで、「なんで漫画を描いたんだろう。何にも役に立たないのに」的なセリフがあったから、その問に対する藤野なりの解答が、最終的に藤野が前向きな心情に至った理由なのでは、と想像する。ではその藤野なりの解答とは?いろいろな解答が考えられる。京本との思い出の回想シーンがあったから、京本が絡んでくるのではないかと思われる。京本と一緒にいたかったから、京本の笑顔が見たかったから、京本の方が絵が上手い、というコンプレックスを解消したかったから、認められたかったから、京本を漫画で楽しませたかったから、etc. 私は、漫画で他人を(特に京本を)楽しませたかったから、という理由と、純粋に自分の描いた漫画を読んでほしかったから、それに、京本に尊敬されることが嬉しかったから、という理由が一番ありそうかな、と思った。だから藤野は漫画を描いてきた、と。そこからどう心情は変化するのだろう。天国の京本がシャークキックの続きを楽しみにしているから、漫画描こう、とか。京本に尊敬される漫画家で居続けよう、とか。いろいろ想像してた。
最後に藤野が作業机に向かって、その背中を見ながら物語が終わっていくときの感覚は、どう感想として文章に表せば良いのかわからない。やはり大切な人に先立たれて残されたものは、その人のことを胸に秘めながら、前に進むしかないということに対する腑に落ちたような納得、晴れやかな気持ち。一人で漫画を描いていて、そこに京本がいないという悲しみ、喪失感。、それらの感情が同時に私の中に表れたような、そんな感覚。この映画に出会えてよかった、と思った。心に刺さった。