ルックバック(2024)のレビュー・感想・評価
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こんなに重かったとは………
タイトルは知っていたので、興味本位でプライムビデオで鑑賞しました。
実際に観て、1時間の中で濃厚な人間ドラマと辛い現実が描かれていることに衝撃を受けました。藤野と京本は、初めこそお互いの顔を知らなかったライバルだったのが、ふとしたことで2人は仲良くなっていきます。そこから一緒に漫画を創作していき、絆が深まっていく過程に惹かれました。
しかし、途中ですれ違うようになっただけでなく、2人にとんでもない悲劇が襲いかかったときはショックでした。まるで、喜びに包まれている中で急に奈落に突き落とされるような感情になりました。また、京本が巻き込まれた事件は、あの某アニメスタジオの件を彷彿とさせました。
漫画家としての道を歩む大変さと、どんな辛いことがあっても乗り越える大切さも必要だと痛感しました。
君の笑顔を見たいから
原作で号泣した人間なので、映画化は不安でいっぱいだったのですが、、、思い切って観に行ってよかった。
声優、音楽、動きともに脳内のイメージと大きく変わらない。いやあ、なかなかないよ、そういうの。
どちらが良かったか?と問われれば、そこはコミックの方になる。ただ先に出会った方がどうしてもインパクトあるので厳密に比較することはできない。逆だったら、この映画の方だった可能性も高い。というか、比較することに意味はない。言いたいのはそれぐらい原作コミックの「間」「行間」「雰囲気」をうまく掬い取っていた映画だということ。
二人の協同作業のシーンが眩しい。
「だいたい漫画ってさあ…私描くのはまったく好きじゃないんだよね。楽しくないしメンドクくさいだけだし、超地味だし。一日中ずーっと描いてても全然完成しないんだよ。読むだけにしといたほうがいいね。描くもんじゃないよ。」
「じゃあ、藤野ちゃんはなんで描いてるの?」
この作品が「アニメ化をして良かった」と思える理由。
◯作品全体
本作がアニメ化されると聞いたとき、果たしてアニメ化する必要があるか、と思った。物語としても足し引きがこれ以上いらないように感じたし、マンガを題材にしている作品だからこそ、マンガという媒体で表現した時点で完成されているのではないかと感じた。そしてなにより原作が公開されたタイミングこそが、自分の心の中に深く刺さる理由だったからだ。
ただ、監督が押山清高さんだと発表された時に、それだけではない何かが見られることを予感したし、実際に本作を見て、そのとおりだったことが嬉しかった。
この作品にはアニメだからこその原作とは異なる表現があった。それは「喜び」だ。
物語としてはほとんど原作と同じだが、原作の雰囲気では表現しきれない喜びの場面や表現は、アニメーションを活かしたものだった。
なにより「アニメだからこそ」と言い切りたいのは、京本に褒められたあと藤野が家へ帰るシーン。スケール感あるカメラワークとバラバラのフォームでスキップする藤野の大げさな感じが、藤野の心で爆発する喜びに直結していた。いろいろな角度やカメラの距離感で藤野を映しているのも素晴らしい。どこから見ても溢れている藤野の喜びは水たまりや背中のランドセルに反射する光ともリンクしていて、カメラの位置や藤野の動きによって光り方が変化する。アニメーションで描くには非常に難易度のあるレイアウトだが、破綻させず、そして押山監督のタイミングとタッチを加え、唯一無二の「喜び」を表現していた。
藤野の「喜び」に対して京本の「喜び」の表現は、外へ出かける二人のつないだ手と、手を引く藤野を見る京本の主観カットだ。絵を描く楽しさと、自分の世界を広げてくれる道しるべのような存在である藤野。その藤野との時間を京本だけが感じることができる「喜び」を主観カットで表現する巧さ。京本から見た藤野とその周りとのディティールや色味、彩度の差異は、アニメーションだからこそできる強弱の付け方だ。
原作を読んだ時、「京本が死んだの私のせいじゃん」という言葉が完璧に払しょくされたラストとは感じなかった。藤野の下へ落ちてきた4コマを受取り、「京本の分まで」というような決意を含んでいたように見えた。原作者・藤本タツキの描く人物は、そういう「影」とか「重さ」を眼に宿しているからだと思う。それが藤本作品の好きな部分でもあり、原作の持ち味でもあるのは確かだ。
しかし本作では「喜び」の表現があったことで、4コマを受取った藤野の回想が「それでも今まで京本と感じた喜びや経験は消えずにある」という前向きな感情を含んだもののように映った。振り返ることを贖罪のように「背負う」とした原作と、自分を形作るかけがえなのない時間として「胸に抱く」とした本作の差異が、この場面で強く出たように感じた。
物語の筋はほとんど変わらない原作と本作。しかしそれぞれの媒体の特徴と、それぞれの作家性によって受取るものは大きく異なっていて、それぞれに説得力がある。こういう作品を見た時、私は「この作品がアニメ化して良かった」と、心の底から思うのだ。
〇カメラワークとか
・極端な俯瞰やあおりのカットは前半と後半で割合が異なっていた。前半は俯瞰が多い。ファーストカットもそうだし、京本の家へ行くシーンや、藤野が喜びを爆発させるシーンも。個人的には後半と対比する「世界の小ささ」の演出に感じた。ファーストカットは宇宙から藤野の家へとクローズアップしていく。小さな日本の、小さな町の、小さな家の小さな部屋。そこから始まる小さな物語…というような。
一方で後半はあおりのカットが印象に残った。例えば京本が美大へ行くことを藤野へ伝えるカット。京本の横顔をあおりで捉え、奥には夕空から夜へと変わりつつある空を映す。物語の予兆でもあり、「宇宙の入り口」のような夜空を感じさせる空でもあった。
〇その他
・一番好きなカットは、京本の描いた4コマが藤野の足元へと落ちるシーンのカーテンのカット。この作品の一番のファンタジーは4コマを流す風だと思うんだけど、フィクションでたまに見るこの表現は実写だと凄く嘘くさくなるし、マンガでは静止画でしか表現できない。でも、アニメだと嘘くささがないし、その動きを表現できる。このカットの風は絶望に沈み切った藤野を救う風であって、その風が誰かを救うことができるのは前半で証明してる。ここで風が吹くということを視聴者側も含めてみんなが願っている中で、ふわっとカーテンが揺れて風が流れていく。その風には藤野が再び前を向くことを願う感情が乗っているような気がして、とてもグッときた。カーテンのなびき作画もとても良かった。部屋の中へ風を押し込もうとする透明な手が見えるような、そんななびき方だった。
友達は要らない。共に戦う仲間を集え。
などという受け売りを何処かで聴いたことがあります。これは極端な考えです。極端に尖った人生を送りたければ、友達は要らない。一緒に協力して目標を目指すための仲間が必要だということです。
ここでいう友達とは、一緒に遊んで共感しあい、日々の生活の楽しみや愚痴や思い出話に浸る遊び仲間のことです。学校の帰りにアイスを食べたり、家族と一緒にテレビを見たり。主人公・藤野が途中で漫画を書くのを止めて送った日々がそれです。
漫画を書く。芸術を極める。誰よりも上手くなり、自分の希少価値を高めて、収益を得られるほどの専門家となる。この映画でいう「漫画家を目指す」という道はそういうことではないかと思いました。遊びも勉強も何もかも捨てて、一心不乱に書き続ける。ただ、書き続けるバカになれ。さっさと書け、バカ。ということでしょう。
勿論、そういう人生ではなく友達と遊び、家族と共に過ごして人間関係を大切にする人生を送る方がよっぽど素晴らしいかも知れません。主人公・藤野のお姉さんが苦言した通りです。お姉さんのいうことは実に正しい。
そこに引きこもり・京本が現れた。京本は藤野を「藤野先生」と呼んでいたが、画力に関してだけは京本が圧倒的に上。その理由は劇中で描かれていた通り、ただ書くだけの生活を送っていた京本が上なのは当たりまえ。画力に限れば京本の方が「先生」と呼んだ方が良さそうだけど、書くばかりで普通の生活を知らず、漫画を書いてもオチもストーリーも皆無に近い。それと比べて、ある程度は社会に適合していた主人公・藤野の方が漫画家としての持ちネタが豊富。世間を知ることも漫画家には大事。だから、本物の漫画家が取材のため休載するのはその理由。専門家じゃないんだから料理や警察、競馬に競艇、格闘技など知識が必要。
そういえば、劇中でテレビをつけっぱなしで仕事をしていたけど、そういうのも必要なんだそうですね。無意識に知識を流し込む。日々、ネタ集めの勉強が必要で、ネタ帳片手などもそのため。お笑い芸人さんだってJR環状線回りっぱなしで人間観察するのだとか。
いろいろ長文を並べちゃいましたが、劇中の彼女達の動向がいちいち納得できるということです。この作品はアニメーター自身の自分語りに相当するお話で、自分達が送ってきた自分達の物語を描いているから、取材不要でリアリズムにあふれた作品づくりが出来たのでは無いかと思います。いや、本当のところ、作家さんの生活はそこまで詳しくないけど。
入選して貰った賞金でお祝いする二人の様子も、なんだか判る気がするなあ。10万円用意して、結局、5千円しか使えなかった点。遊びを知らない二人だから、どんなに頑張っても、それぐらいしか無駄遣いが出来ないんでしょう。いや、よく頑張ったと思います。美味しいもの食べても話が弾む二人なのかどうか。ぜったい間が持たずに「次行こう。えっと何処行こう」って迷っているはずw これから書く作品のネタとか、そういう話なら弾みそうだけど。常に遊びを知らず延々と作業に勤しむ二人だからこそ、無駄遣いの仕方も知らない。
そんな目標に進むだけの二人が唯一、過去を振り返ったシーン。それがラストの走馬灯ではなかったかと思います。IFの世界にタイムスリップした引きこもり・京本が、主人公・藤野が鍛えた空手で助けられ、そのタイムスリップならぬタイムトリップから我に返って見た走馬灯。それが唯一、藤野が京本と共に思い出話に浸った走馬灯ではなかったか。死に至り、最後だからこそ二人で振り返った走馬灯。遊びを知らず、ひたすら書き続けた二人の思い出。さぞ、「あのときはこうだったね」と語り明かしたかったことでしょう。作画の使い回しではなく、二人で過ごした日々が生き生きと描かれていたシーンが、とてつもないほど愛おしかった。
でも振り返るのは其処まで。藤野はまた、タブレットに向かって走り出す。その姿を見続けるスタッフロールで幕が閉じられましたが、何の苦も無く、夜明けまで書き続ける彼女の姿を、最後まで見届けることが出来ました。上映中の他のお客さんもそうだったのかな。今回、劇場では灯りが付くまで誰一人立ち上がる人は居ませんでした。
勿論、劇中の事件は例の京アニ事件がモデルでしょう。経緯は知りませんが、あの事件のやりきれなかった悔しさをぶつけたのがこの作品だったのかも知れません。
あの犯人が何を奪ったのか。若い頃からひたすら書き続ける日々を送っていた漫画家やアニメーター、イラストレーターがどれほどの研鑽を重ねてきたのか。自分の思い込みだけで全てを台無しにしてしまったのだぞ、と。
こうした画力のみならず、音楽家・芸術家やスポーツなど、専門の技術で生きていくためには、並大抵の努力と経験では成し得ない人生を歩むほかはないのでしょう。いや、自分はそうでないけど、なんとなく判る気がします。仕事は希少価値です。例えば、絵描きになりたければ少なくとも全国で100位以内ぐらい絵が上手くなければ名は売れないでしょう。100位です。1億ウン千万人中のトップ100位です。100人以上、絵描きの名をあげれますか? 上手くなるだけでなく、売れっ子になるというのはそういうことだと私は思います。
本当に何かを目指している人。頑張って。
描く理由と喜びと、そしてレクイエム
これは、映画だ。原作を初めて読んだ時、そう思った。
藤本タツキの漫画は「ルックバック」「さよなら絵梨」の読切2作しか読んでいないので、作者について十分に語る言葉を持たないが、カット割や絵で語る表現など、そのままスクリーンに落とし込んでも違和感がないように思えた。
そんな原作のアニメ化。尺は58分と短い。余計なものが付け加えられることはなさそうだとは思ったが、想像以上に原作に忠実だった。それでいて、既に内容を知っている私にも改めて刺さるものがあり、2時間の佳作映画に引けを取らない見応えに心が震えた。
やはり、「ルックバック」の語り方は映画だった。忠実な映像化でそれが証明された気がする。
物語の主題はふたつあると私は受け止めている。
ひとつは、藤本タツキの創作衝動の原点だ。何が彼に作品を描かせるのかということを、主人公の藤野の言動に仮託して語っている。絵の上手い京本への健全なライバル心に突き動かされるところから始まり、やがては彼女と創作の喜びを分かち合い、その分かち合い自体がモチベーションになってゆく。
小学生の藤野は、ちょっと共感性羞恥を覚えるようなキャラだ。井の中の蛙であるがゆえの万能感……とはいえ、あの4コマ漫画の起承転結は、藤野の方が最初から十分上手いのだ。この才能の方が漫画家には重要だと思うが、藤野は京本の絵を見て落ち込み、やがては描くことをやめてしまう。
その後、卒業式の日に京本と出会わず、あの賞賛を受けなかった世界線では、大学生くらいの年齢になるまで漫画を描かないまま空手を嗜むなどして過ごしている。誰かから認められること、喜ばれることが、いかに人に勇気を与えるか。また、そこから得られる喜びは時に人生をも変え得る力を持つということが、2つの世界線の対比から伝わってくる。
終盤の、「じゃあ藤野ちゃんはなんで描いてるの?」という問いへの答えとして流れる走馬灯は、原作よりも多くの場面を描き出している。だから自分は描くんだ、という藤本タツキの声が聞こえてくるようだ。彼にとっての京本は、似たような関係の身近な誰かかもしれないし、あるいは読者なのかもしれない。そしてその動機は、多くのクリエイターに共通するものでもあるだろう。
もうひとつは、京アニ事件の鎮魂だ。私個人の解釈に過ぎないことを前置きしておく。
物語終盤で京本を襲う通り魔の台詞や表現。原作が発表された当時「統合失調症を想起させる表現」「京アニ事件の遺族・関係者に対し無遠慮だ」といった声が一部であがった。また、精神科医の斉藤環氏が、藤本ファンを公言し本作を称賛しながらも「通り魔の描写だけネガティブなステレオタイプ、つまりスティグマ的になっている。単行本化に際してはご配慮いただければ」とツイートし、noteでもその主張を補足する記事をあげた。そういった意見を受けてか、通り魔の台詞は2回に渡り変更された。ただ、最終的に単行本に収録されたバージョンは、1回目の修正で別の言葉に変更されていた「元々俺のをパクったんだっただろ!?」が「パクってんじゃねえええええ」となって(ある程度)復活し(直前の台詞も変化しているが、長くなるので割愛)、映画でもそのまま使われている。
多くの人に読まれた作品だからこそ、さまざまな見方が出てくるのは仕方ない。誤った見方が広まるのではという心配も、わからなくもない。だが個人的にはあのシーンは京アニ事件に向けたもので、修正前の通り魔の台詞は、あのキャラクターから事件の犯人個人を想起させるためのものに見えた。だからあの台詞には必然性があった。心を病んだ人の単なるステレオタイプだとは思わない。
そして、あのパラレルワールドは「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」のオマージュだ。
(以下、「ワンス・〜」の結末を書きます)
史実では人違いでシャロン・テートを殺害したマンソン・ファミリーを、映画ではクリフとリックが完膚なきまでにボコボコにし、凶行が起こらない世界が描かれた。
現実世界の理不尽な悲劇に、フィクションの世界でだけでもささやかに、せめてもの仇討ちをする。そして、クリエイターたちの情熱はそんな理不尽になど負けないと、高らかに宣言する。本作は、そんな切実な思いのこもった物語でもあるのではないだろうか。
その物語が映像として動き出し、そういったメッセージとともにアニメーション表現の素晴らしさをも伝えてゆく。そんな熱い58分間なのだと思う。
反語的に「前を向こう」と励ます、心の友のような大傑作
Prime Videoでの鑑賞となったが、劇場公開と同じ年に出会えたことに感謝したい。アニメシリーズ「チェンソーマン」は大のお気に入りとはいえ、藤本タツキについてはその原作者としてしか知らなかったが、自身の半生と現実の事件をこんなふうに投影し紡ぎ合わせて力強いフィクションを創作できるのかと驚嘆し、今さらながら敬服。原作未読だが、脚本も担った押山清高監督の仕事も的確だったに違いない。キャラクターたちの画としての魅力、アニメーションのダイナミックな動きの面白さと繊細な変化の情感、そしてストーリーの味わい深さが完璧に凝縮された奇跡のような本編58分。(なおアマプラでの視聴だとエンドロールが始まった途端に「次のエピソード」とか表示が出て放っておくと数秒で自動的に飛ばされてしまうのだけど、あれは本当に余計なお世話! 藤野がひとり向かうデスクの前の窓に映る街の景色がエンドロール数分の間にゆっくりと夜景に変化するまでが作品であり、繊細な描写と余韻を味わう豊かな時間なのに)
鑑賞後、原作漫画についての考察記事やWikipediaの項などを読んで、オアシスの代表曲「Don't Look Back in Anger」や映画「バタフライ・エフェクト」などからの影響やオマージュが指摘されているのを知り、そういえば「バタフライ~」のエンディングにはやはりオアシスの「Stop Crying Your Heart Out」が流れていていい感じだったなとか、関連して思い出したこともいくつかあった。考えてみると「バタフライ~」のラストでの主人公の選択と、この「ルックバック」での終盤に展開する「あり得たかもしれないもう一つの世界線」は近いものがあるが、具体的に書くと両作品のネタバレになるのでここまでにとどめておく。
オアシスの「Don't Look Back in Anger」の題がデヴィッド・ボウイとブライアン・イーノの共作「Look Back in Anger」への返歌的につけられたこともWikipediaで知った。オアシスの2曲と「ルックバック」(look backを直訳するなら、後ろを見ろ、振り返れ)に共通するのは、過去の選択を悔み続けたり、起きてしまった悲劇に怒りや恨みを抱き続けたりしても何も変わらない、きちんと受け止めたうえで、前を向いて将来のため自分にできることをやっていこう、というポジティブなメッセージ。その意味で、「ルックバック」は反語的に「前を向こう」と私たちを励ましてくれる、心の友のような大傑作なのだ。
絵は人の心を動かす
いきなり手描きの背景動画で魅せてくれる。最近は3DCGで背景を動かすことが多いけれど、手で動かす背動をあえてやることが、この作品の映画化には必要だった。手で描くことがこの作品には重要。絵を描く二人の軌跡を手で描くことにこだわることがこの作品には必要だった。それによって、物語には収まらない「絵描き」に対する賛美があふれることになった。
漫画は絵で構成される、アニメも絵で構成される。しかし、絵の上手さとマンガの上手さは異なる。京本は絵が上手い。藤野はマンガが上手い。藤野のマンガの上手さに京本は心を動かされる。京本の絵の上手さに一度心が折れかける藤野は京本との共同作業でマンガへの情熱を取り戻す。絵の上手さとマンガの上手さが共鳴しあって、二人は駆け上っていく。
そういう物語をものすごく上手いアニメーション映像で描くことで、絵の上手さとマンガの上手さにアニメの上手さが重なり共鳴しあう、多層的な作品として完成している。
「絵による映像」であることに徹底的に自覚的な作り方をしており、その快楽が全編にみなぎっている。絵は人の心を動かす。
アタシの背中を見てて
2024年話題のアニメーション映画。劇場公開から1年以上も経って各配信スタートとなり、やっと鑑賞。
小規模作品ながら評判が口コミで拡がり、興収20億円のロングランヒット。多くの賞も受賞。
尺はたかだか58分。無駄無く、しっかり構成され、様々な感情が詰め込まれた濃密な58分。
2時間超えや3時間の大作さえ凌駕するほどの見応えと感動!
小学4年生の藤野は絵を描くのが得意で、学年新聞に4コマ漫画を連載していて人気者。
本人も自慢気。将来漫画家? いいかもね。
ある時先生から、もう一人の生徒の4コマ漫画も一緒に載せてやって欲しいと頼まれる。その生徒は京本と言って、不登校だが漫画を描くのが好きだという。
別にいいですよ。気楽に承諾する藤野。どうせアタシの方が面白いんだし。
ところが、京本が描いた4コマ漫画を見て、藤野はショックに等しい衝撃を受ける。
圧倒的な画力…! それに比べ自分は…。
藤野の4コマ漫画はドタバタギャグで4コマ漫画として成り立っており、構成の才はあるが、正直画力の方は特別上手いってほどではない。
京本の方は4コマ漫画として成り立ってないが、まるで風景画のような上手さ。
これにはクラスメイトたちも。京本の絵に比べたら、藤野の絵は何か普通。
その言葉は藤野の胸に突き刺さる。
アタシより上手いなんて絶対に許せない! 初めて自尊心を傷付けられた。
『かくかくしかじか』でもそうだったが、自信家が初めて自信を砕かれた時の悔しさは…。
藤野も悔しさをバネに、絵を勉強し直し始める。教材を買って、昼も夜も。絶対、アイツより上手くなってやる!
ライバルの存在は自分を努力させる。『バクマン。』然り。
漫画に没頭する余り、友達と遊ばなくなった。部屋に籠る娘を家族も心配。
全てはアイツより上手くなる為。
絵も上達した。が、それでも連載の度に京本の絵には及ばない。
ある時、吹っ切れる。辞~めた。藤野は漫画を描くのを辞めてしまう…。
それからはまた友達と遊んだり、家族と過ごしたり、時々漫画の道具が気になりつつも、充実した日々。
あっという間に卒業式。
先生から頼み事。京本の卒業証書を届けてやって欲しい。
え~、何でアタシが…? 京本のせいで漫画を描くのを辞めたのもあるが、ただただ面倒臭い。
渋々届けに。京本の家は玄関ドアは開いているが、誰も出てこない。
恐る恐る中へ。コラッ、勝手に!…というのは一旦さておき、京本が居るであろう部屋の前へ。
そこはスケッチブックなどがいっぱい。
藤野の中で何かが掻き立てられる。その場で久々に4コマ漫画を描く。
時々挿入されるが、藤野の4コマ漫画はかなりシュールだが、大胆さやユーモアたっぷり。
その時、描いた4コマ漫画が落ちて、凄まじい確率でドアの隙間から部屋の中へ。
思えば、これが良かったのか、悪かったのか…。
バツが悪くなり、慌てて逃げ帰る。
その藤野の後を追い掛けて来たのが、京本。
息も絶え絶え、ずっと引きこもりで対人が苦手なのか、たどたどしい。それでもやっと、
藤野先生の大ファンです! ずっと憧れて、目標にして、漫画を描いてました!
京本は自分が漫画を描くのを辞めた相手。そんな人物からまさかの告白…!
その時はクールに振る舞っていたけど、帰り道、足取りはルンルン♪︎
藤野はまた漫画を描き始める。京本と一緒に。
藤野は4コマ漫画じゃなく長編を考えていて、それを共同で。
構成やアイデアの藤野と画力の京本。これ以上ないタッグ。
両方を一人でやっている漫画家も多いが、担当分かれてやっている漫画家も多い。
“藤野キョウ”のペンネームで遂に2人で描き上げた初の長編漫画。ちょっと自信あり。
出版社にも見せる。好評の声。
新人漫画賞に応募。見事、最優秀賞!
僅か10代で読み切り漫画を幾つか掲載するアマチュア漫画家としてデビュー!
プロとして連載の話が。何の躊躇もなくその道に進むかと思われたが…。
新人漫画家の奮闘ストーリーではあるのだが、『バクマン。』のような指から血が滲むような努力!苦闘!プレッシャー!ライバルの存在!…とはちと違う。
『かくかくしかじか』のように漫画家として一定の成功。あちらは恩師との絆だが、こちらは2人で漫画に向き合った日々。
学業の合間、昼も夜も。相談して、アイデアを出し合って。勿論、意見が衝突する事もあったろう。
一本の読み切りを描き終えるのに何ヵ月も掛かったけど、苦労も大変さも充実感も達成感も楽しみも喜びも全てが愛おしい。
何より一番は、最高のパートナーで親友と漫画を描けた事。
ひたむきに取り組んだ姿。その背中が美しい。
タイトルの“ルックバック”もここから来ている。
多くの漫画家が背中を丸めて描いたからこそ、たくさんの名作が生み出され、私たちは興奮と感動に出会えている。
長時間その姿勢故、身体に負担が掛かり、漫画家に早死にする人が多いのも理由の一つかもしれないが、その背中に改めて敬服。背中の美学。
何の躊躇もなくプロ漫画家デビューする事を望む藤野に対し、京本は思わぬ言葉。
美大に行きたい。
もっともっと絵を上手になりたい。美大に行ってイチから勉強したい。だから、藤野ちゃんと漫画の連載は無理…。
引っ込み思案のアンタが一人で大学に行けるの?
頑張る!
アタシに任せて一緒に漫画描くのがイイんだって。
もう、藤野ちゃんに頼りっきりになりたくない…。
京本がそんな事を思ってたなんて…。京本のこの発言は別に藤野や漫画が嫌になったという事ではない。自分の夢の為に自立したい。ただそれだけ。
初めてとも言える意見の対立、喧嘩。
2人はコンビを解消。藤子不二雄もコンビを解消したが、藤野キョウはほんの数年で。
藤野はプロの漫画家デビュー、京本は美大へ。
しかしこれが、本当の別れになるとは…。
プロの漫画家として大忙しの藤野。
連載となると、〆切。今までのように自分のペースなんかで描いていられない。
数本の連載を抱えていたかの手塚治虫は毎日〆切に追われ、家族旅行にも編集者が同行したという。これがプロの厳しさ。
加えて、アシスタントとの関係。作品の人気。漫画を描くよりこちらの方がシビアかも…?
作品の人気も上がったり下がったりだったが、単行本にもなり、ようやく一定の人気を保ち、となるといよいよアニメ化。
新人漫画家としてはなかなか順風満帆。
そんな時だった。耳を疑うニュースが飛び込んできたのは…。
京本が通う美大に不審な男が侵入。手にしていた凶器で12人の学生を殺害。
男が侵入した時、最初に鉢合わせたのが、京本。悲惨な惨殺事件の最初の犠牲者であった…。
まさかこんな展開になろうとは…。
京都精華大学生通り魔事件や京アニ放火事件をモチーフにしているという。本作は一部、ステレオタイプな犯人の描写に思い込みや偏見を増長させかねないと指摘あるようだが、勿論犯人に対しても人権の尊重は分かるが、それでも私は京アニ事件の犯人を許さない。漫画/アニメに携わり、志半ばで命を奪われた人々に、改めて哀悼を。
プロの漫画家として忙しく、何年も連絡は取っていなかったであろうが、そのショックは計り知れない。
呆然放心状態。連載は休止。
悲しみや犯人への怒りと共に、後悔が込み上げてくる。
あの時、一緒に漫画を描かなければ…。あの時、外に連れ出さなければ…。あの時、ドアの前で4コマ漫画なんか描かなければ…。
そうすれば、京本は死ぬ事はなかった。京本が死んだのはアタシのせい…。
決してそうではあるまい。が、一旦そう思い込んだ若者は深沼に…。
もし、あの時に戻れたら…。もし、やり直せたら…。
誰もが一度は思う“If/もしも”。現実世界では絶対に不可能だけど…
ここが映画や漫画/アニメならではのユニークな構成。
突然意識が飛んだかのように場面転換して、あの時のドアの前。
4コマ漫画を描くが、破り捨て、切れ端がドアの隙間から部屋の中へ。
あの時のように藤野は逃げ帰るが、京本は追い掛けて来なかった。
2人が出会う事も、漫画を描く事も、あの日々も無かった。
藤野は体育系大学へ、自身で不登校から脱した京本は美大へ。が、ここでも男は侵入し、京本を…。
その時、ヒーロー登場! 騒ぎを聞き付け、今まさに京本に襲い掛かろうとしている犯人に見事な飛び蹴りを食らわせたのは、藤野!
ここで2人は初めての対面。京本は藤野が小学校の学年新聞の4コマ漫画を描いたあの藤野という事も知り…。
批評に『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』を彷彿とあるらしいが、私も見ててまさにそれを思った。
京本が死んだ本来の世界、京本と出会わず京本が生きているもしもの世界。
亡き親友に思いを込めて。
どちらが良かったのか…?
京本が死なずに生きている。その代わり、出会いも2人で漫画を描いた日々も無かった。
京本との欠けがえのない出会い、人生で最も至福だった2人で背中を丸めて漫画を描いた日々。しかし、京本は死ぬ運命に…。
『バタフライ・エフェクト』な選択。
そんなの、決まってるじゃないか。
京本の言葉が物語ってる。
藤野と京本にそれぞれ命を吹き込んだ河合優実と吉田美月喜の声の熱演。
押山清高監督の才。58分にタイトに纏めた構成力と演出、印象的な画力。それはあたかも、藤野と京本を体現しているかのよう。
たかだか58分なのに、様々な感情を感じ、伝わり、2時間超えや3時間の映画と同等(それ以上…?)のまたまた長文になってしまった。
Wikipediaで経歴調べたら、押山監督って同郷福島なのね。こりゃもう、これからも超注目!
If/もしもを経て、藤野は我に帰る。
失った友、時を戻しやり直す事は出来ない。
やれる事はただ一つ。
どんなに悲しかろうと辛かろうと苦しかろうと、描き続ける。
それが共に描いた亡き親友への手向け。
ラストシーンは、再び漫画を描く藤野の背中。
京本、見てて。アタシの背中を。
他の人が絶賛するほど、心には残らなかった。
不思議で魅力的な世界だった
1時間弱という短い時間に凝縮されたレクイエム
いいから観てみろ!と旦那に言われ鑑賞。
正直、観終わったあとは、何とも言えない重い気持ちが胸にのしかかり、ずっとスッキリしない気持ちに付きまとまれた。
決して貶めている訳ではなく。
将来に向かって、自分の夢に向かって、信頼している仲間を思って、自分を奮い立たせて邁進している人間の体を、心を、いともたやすくへし折ってしまった犯人への嫌悪感、不快感。
観終わった後、そんな気持ちがぐるぐると渦巻いてしまう。
前に進もうと努力する藤野、すごいね。
空手で犯人を蹴り上げた、あちらの方が現実であってほしいと思う気持ちと、それでは共に漫画を描き上げてきた真実が失われてしまうからダメだという葛藤が、頭の中でぐるぐるしてしまう。
もう一度観たいけど、まだしばらくは辛くて観れないかなぁ。
これは祈りだと思う
藤本がキョウの才能に嫉妬するような、
ものづくりを志す人間の葛藤の話なのかと思っていたら、、、、
やられた
喪失感…
こうだったらいいのに、、という祈り
タランティーノの
ワンスアポンインハリウッドでも感じた気持ち
泣きそう
原作の良さと映像の良さを両立
原作をリアルタイムで読んだ上で劇場で鑑賞。
衝撃的な展開を知った上での鑑賞でも十分に楽しめた。
未熟な主人公たちの感情の盛り上がりと映像や演技がうまく組み合わさっている。
また難しい事だとは思うがコンパクトな尺にしたことで間延びせず楽しむことができた。
同じ作者、別スタジオのチェンソーマンが劇場用に膨らませたのとは対照的だった。
藤本作品は元々映画的になっていので無理に膨らませずに短編映画にするほうが良いのかもしれない。
誰かと生きること
お涙頂戴か…?ふざれんな、いいから描け!生きろ!
好きな気持ちを貫き通す気持ち…切ない
河合優美さんと吉田美月喜さん
2人の声優さん最高でした✨️
藤野に卒業証書を届けさせる先生…かっこいい✨先生は、2人の才能を分かっていて、お互い刺激し合う唯一無二の関係になるんだろうと、最初から分かっていたんだろう…ああいう大人になりたい。
個人的に、とても残念なのは、藤野が京本に対する尊敬の念を京本が知らないまま命を落としてしまったところ。藤野は京本の絵を見て、とてつもない劣等感を感じて、挫折したり、絵が上手くなりたいと思い、更に勉強する。京本の絵に心揺さぶられて、悩んだり、元気付けられたりしているのに、かっこつけて、それを伝え無かった。なんらかの形で京本にそれが伝われば良かったのになぁと思った。
なので、藤野は、京本に対して、罪の意識を感じないでほしい(>_<。)
私も美術系の学校を通っていたので、周りに理解されないけど、拘りたい部分とか、何の根拠もなく、好きな事に取り憑かれたように突き進む気持ちなど、少し若い時の自分と重なる部分もあったり、京都アニメーションの事件は、そこまで身近には、感じていなかったけど、この映画を見て、若い才能をたくさん潰してしまった。恐ろしい事件なのだという事…改めて実感する事ができた。
京本の部屋に「ビッグうなぎ」というポスターが貼ってあった。「ビッグフィッシュ」は私も大好きな映画のひとつなので、なんだか嬉しかった(*´︶`)根拠は、ないけど、好きなものを信じて突き進む…というところが共通しているのだろうか♡
「漫画なんて…読む方がいい、書くもんじゃないよね」っていいながら、書き続ける藤野見てたら涙でた。
原作、監督、アニメーター
映画館で見ておきたかった
公開時、気にはなっていたのですが見ないでしまった作品。再上映の機会があれば映画館で見たいと思います。
ほぼ原作コミックどおりでしたが、原作コミックが素晴らしいので、余計な変更を入れず、原作の雰囲気や藤野と京本の関係性など難しい部分をうまく映像化することの方を大事にしているようで、むしろ大変良かったです。
また、コミックを読んだ時にはどうしても読み取れなかった部分が補われているところもあり、そういうことだったのかとわかって良かったという場面もありました。
(もちろん、映画版で描いている内容が正解なのかはわかりませんが、個人的にはこれが正解なのだろうと思っています。)
藤野がマンガを京本にほめられて、非常に喜こびながらの帰り道の描写は、コミックから追加(増強)されていましたが、原作の世界でもきっとあんな風に喜んだのではないかと思われ、良い場面だと思いました。
また、重々しくなってしまいそうな雪国の景色も、暗くならずに美しく描かれているのも、映画作品でこそ実現できた良さだと感じました。降雪地域でしか使われないような小物も描かれ、懐かしい気分にもなりました。
原作コミックと映画版の素晴らしさが組み合わさり、非常に心に残る作品でした。
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