かくしごとのレビュー・感想・評価
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根幹の問題を感じながらも、結論から言うと面白く見ました
(完全ネタバレですので必ず鑑賞後にお読み下さい!)
今作の根幹でもあり、問題点をはらんでいる中心には、主人公・里谷千紗子(杏さん)と野々村久江(佐津川愛美さん)の、女性登場人物の2人の”ヌケた”人物造形があると思われました。
十数年前ならいざ知らず、現在で飲酒運転をした野々村久江はあり得ないでしょう。
また、(支援団体と称して)幼児虐待なのかを確かめに、里谷拓未(中須翔真さん)として新しく息子になった犬養洋一の実際の両親に素顔をさらして会いに行く、主人公・里谷千紗子もあり得ないと思われました。
そしてこの2つのあり得ないと思われる2人の行動は、しかしこれら2人の行動が無ければ(主人公・里谷千紗子は犬養洋一/里谷拓未に出会わず、犬養安雄(安藤政信さん)が千紗子の家に訪ねて来ることもなく)この映画『かくしごと』の物語はこのままでは成り立たず、物語の根幹の構造になってしまっています。
つまり、この野々村久江と主人公・里谷千紗子の、2人の女性の(行動としてはあり得ないと考えられる)”ヌケた”人物造形に観客が乗れなければ、今作の全体に初めの段階で乗れないとなると思われました。
ただ、個人的には、ギリギリまあ2人の女性の”ヌケた”人物造形はなくはないかな、とは思われました。
なので、主人公・里谷千紗子、息子になった里谷拓未、痴呆症が進む父・里谷孝蔵(奥田瑛二さん)の、壊れながらも深まって行く3人の関係性によって、私は感銘含めて今作を面白く観ることが出来ました。
特に、杏さん、中須翔真さん、奥田瑛二さんの、3人それぞれの関係性の演技は素晴らしかったと思われます。
しかしながら、今作は原作も、脚本・監督も、男性であり、このレビューを書いている観客の私も男性であるので、(その2人の行動が作品構造の根幹ともなっている)女性登場人物2人の”ヌケた”人物造形が、果たして差別的でなく女性側にも説得力を持って描かれているかは、多くの女性側による(理念主義に陥らない、あくまで人間理解としての)評価検証は必要だとは一方で思われました。
(ちなみに例えば、野々村久江は飲酒運転をしておらず、犬養洋一(里谷拓未)は単に道路に横たわっていて車に乗っていた主人公・里谷千紗子と野々村久江に発見され、彼に対する幼児虐待を疑った千紗子が犬養洋一(拓未)を両親に返さず、犬養安雄の幼児虐待は千紗子が彼に会わずに匿名で児童相談所に電話通報し、犬養安雄と千紗子の再会はたまたま犬養安雄が町に戻ったからとすれば、主人公・里谷千紗子と野々村久江の、女性登場人物の2人の”ヌケた”人物設定はなくとも映画は作ることは出来たはずです。)
(物語としては傍流になるかとですが)個人的には関連して以下のシーンを興味深く観ました。
そのシーンは、町医者の亀田義和(酒向芳さん)と主人公・里谷千紗子との診療所での、千紗子が息子を水難事故で亡くした告白をする場面です。
その告白の場面で千紗子は、息子を水難事故で亡くした自分に、追い打ちを掛ける形で発せられた父・孝蔵の酷い言葉の話をします。
しかし一方で、町医者の亀田義和(酒向芳さん)は、そんな千紗子の父・孝蔵も、今は痴呆症と戦っている、との話をします。
この時に、千紗子(杏さん)は、そういうことじゃないんだよな‥と感じさせる微妙な表情の反応をします。
このシーンは私には、主観的に物事を捉えて描写する”女性”的な主人公・里谷千紗子と、客観的に物事を提示して合理的に説明説得しようとする”男性”的な町医者・亀田義和との、男女のズレを表現していると思われました。
つまり、一般的な女性と男性の、決定的な断絶を感じさせるシーンになっていると思えたのです。
個人的には、非常に興味深いシーンになっていると思われました。
(※にしても、他の映画ドラマでも全く違うそれぞれのキャラクターをリアリティありながら自然に演じている酒向芳さんは、一方で今回も相変わらず素晴らしい自然な演技をしているなと僭越ながら思われました‥)
このシーンを意識的にしろ無意識的にしろ描いていることは、興味深くはあります。
しかし現在の視点からすれば、2人の女性の”ヌケた”人物造形と合わせて、結構な危うい男女の断絶の作品根幹になっているなとは思われました。
(このことにもっと自覚的にこの映画が表現されていれば、また違った印象を持ったのかもしれません。)
私的にはこの女性2人の”ヌケた”人物造形はあり得ると思われ、作品全体としては息子を失った主人公と新しい息子と痴呆の進む父との3人の交流を、感銘も含め観ました。
しかし、この作品の根幹の問題は、広く他の人を交えて考える必要があるとは一方で思われてました。
ずっと里谷拓未でいてあげて
いい映画でした。
泣きそうになりました。
奥田瑛二お目当てでの鑑賞。さすがの奥田瑛二。ホントに自分の娘が認識できてないんだったら、杏ちゃんはとっくに襲われてましたな😎
イワナ釣りはカラダが覚えているんでしょうね。
どれだけ釣り好きなんでしょう。
親友のお医者さん役の酒向芳がすごく自然でよかった。
認知症の物盗られ妄想なんかもリアル。
認知症がだんだん進行してゆくさまの描写も丁寧で、拓未君は気が利くし賢すぎる。天才。
認知症対応の啓蒙映画としてもよくできていた。
主演は安藤さくらでなくてよかった。
観るほうが気を使っちゃうから。
拓未君はなかなか強運の持ち主。
2回は死んでた。
ドスンというはっきりした音。
スピードを出している佐津川愛美運転の車に轢かれる。
佐津川愛美だからしょうがないねぇと、こっちも許してしまうところも絶妙なキャスティング。
ロープのヒモが「しっぽ」に見えたので、寝かされている少年はもしかして新類人猿の子供かなって思っちゃった。そしたら片足だけに結ばれた細いロープ。
橋の欄干にちぎれたロープがぶらり。
ゴムじゃない。
本人がバンジージャンプをしたがった?よくこんな下手なウソを堂々とつくもんだ。
どんな親かと思ったら安藤政信と木竜麻生の夫婦。
ちょっと憎みきれないズルいキャスティング😅
戸籍がなくていいわけはない。
しかし、もし戸籍がなくても高校卒業認定試験(大検)が受けられるならなんて思ったり。賢い杏ちゃんが色々教えてあげられるからね。
書く仕事だもん。
隠し子と····
ダジャレ🙏
小学校になんで来ないのって佐津川愛美の息子に言われたら一番困るなあ。
報道番組では子供の写真ずっと出るよね。
病院の窓口からじっと親子をみている看護師役の河井青菜が怖かった。
まあでも、原作の小説がある訳だし、認知症や介護の問題が身近になってきた身としては娘や孫、親友に囲まれてイワナ釣りして暮らす環境は羨ましくもあり、できれば、杏ちゃんみたいなきれいなお嫁さんに親切にしてもらいたい。お風呂でシャワーしてもらいたい。イワナ釣りして、池谷のぶえの店で飲みたい。
私にとって「魔斬」とは、酒田の銘酒初孫なんです。初孫に魔斬をあげたおじいちゃん。単なる偶然?にしてはと思いましたよ。
最近の邦画、ミッシング、あんのこと、市子などと子供の置かれた環境やテーマが近いけど、なんかいちばん沁みた。
最後に全部持ってかれた
知り合いにすすめられて鑑賞!
絵本作家の千紗子は、長年絶縁状態にあった父・孝蔵が認知症を発症したため、渋々田舎に戻る
他人のような父親との同居に辟易する日々を送っていたある日、事故で記憶を失ってしまった少年を助けた千紗子は彼の身体に虐待の痕を見つける
少年を守るため、千紗子は自分が母親だと嘘をつき、一緒に暮らし始めるのだった
次第に心を通わせ、新しい家族のかたちを育んでいく三人
しかし、その幸せな生活は長くは続かなかった─
というのがあらすじ!
飲酒運転で事故を起こしたことで犬養洋一という少年に出会うですが川から這い上がってよく道路まで行けたよね…
それがまずすごい!
そこから3人の暮らしが始まるんですけどここから幸せな生活を送ります
父親が認知症にかかったことで弱さも知ることができましたね
犯罪だけど確かに幸せな家族が存在してました
そしてそこにあの父親が登場してくる!
背後から拓未が父親を刺して千紗子が何度も刺してとどめをさすんですがその時の表情が…
守りたい一心で狂気すら感じる表情でしたね
最後は裁判の場面ですがまさか記憶喪失になってなかったとは…
途中から記憶戻ってる感じかと思ってました笑
最後に全部持ってかれましたね😳
みて思ったのが血が繋がってなくてもちゃんと親子でした
面白い映画をありがとうございました☺️
映画を見ながら感じたあれやこれやがぶっ飛んだ出来事。少年目線の話を見たくなる。
◆何が驚いたって、千紗子(杏さん)が少年の父(安藤政信さん)にトドメを刺す場面にはビックラこいたよ。
杏がナイフを握りしめたとき、僕は心の中で「杏ちゃん、トドメを刺すんだ~」と叫んでたけど、さすがにそれはないな、杏ちゃんはゼツタイ刺さないだろうなと思ってた。それがイヤまさかホントに刺すとは、ナンテこったいである。オドロイタ ((゚□゚;))
あまりの驚きに、「後でレビューにでも書くべえ」なんて考えてた事 (親子愛だの、血縁のない家族愛だの、認知症のことだのについて感じたり思ったりした事)が頭の中から吹っ飛んだ。もちろんフトンも (^o^)・・・何でもない(すまん)
◆少年に記憶があったことを前提にした、少年から見た物語を見てみたくなった。
だけど、今作の親子愛、家族愛を描いた話ではない。少年の計画的な父親殺害の話だ。怖え~。
千紗子(杏さん)に出会った少年が、虐待をしていた父(安藤政信さん)を殺害して、正当防衛による無罪を勝ち取るための計画殺人を策定する。
ただし、杏が安藤政信にトドメを刺すのはさすがに少年も想定外で、今作同様、裁判で実は最初から記憶があったことを少年が告白するオチはそのまま。
◆交通事故を隠ぺいする話と、杏が調査員を装って少年の両親を訪ねる話はさすがにムリがある。
杏と少年は山道で普通に出逢えば良いと思った。
タイトルなし(ネタバレ)
エンドロールで原作が「嘘」という小説だと知る。普通に考えると小説が優れているからこそ映画化という流れがあるのであれば、この映画はその小説の大事な何かを2つ3つ置いて来てしまったのではないだろうか。
「かくしごと」というタイトルに原作から換えられており、主人公・千紗子の親友の「かくしごと」から始まり、(冒頭からそのありえなさに引きましたが)一方で記憶喪失の少年を囲う千紗子はすぐにバレそうな、且つ奇異でリスクの高い行動を続けます。(「描く仕事」はしていた)これが辛い過去を持つ不安定な精神状況下の千紗子の物語であるならまだ理解できるのですが、出てくる人たち皆、迂闊、軽率、ピンと来ない人ばかり(父・孝蔵は除く)。せめて村の賢者たる医師・亀田にはピンと来て欲しく、少年と釣りに興じている場合ではない。捜索で少年の写真が出回るだろうに誰も気づかず、最後のDV父も家族といた子供が川で行方不明なんてマスコミの目に囲まれているはずで、それでも千紗子をせめに来たのだから迂闊である。(マスコミが追ってきたらこの物語は終わりましたが)
そうした迂闊な大人たちの中でまともなのは子役のレベルを超える演技をした中須翔真さん演ずる少年だけであり、そのまま最後の「かくしごと」を披露して話を締めくくりました。冒頭に戻りますが、映画化したくなる小説が原作なら、脚本が問題?もう少し練って欲しかったなという印象でした。
う〜ん、これでいいと思う。
子を虐待する血のつながっている親と、子を愛する血のつながっていない親と、子供にとってどちらが本当の親かというなかなか面白いストーリーで、役者の皆さんの演技も良かったと思います。
ただ、終わらせ方として、子供に殺人を犯させるよりも、認知症のお父さんが娘のために刺してしまう方が良かったのではと最初は思いましたが、よくよく考えてみると相当な虐待を受けていただろうし、橋の上から通常のロープでバンジージャンプなんて殺人未遂に近い訳ですし、母親を助けるために刺してしまうのもありかなと思いました。また、映画的にも裁判中の子供の証言で終わらせる方がインパクトがあり、これで良かったのだろうと思います。
追記〉
ちょっと気になったのは拓未の両親のところに支援団体のフリをして様子を見に行くシーンがありますが、あれはやり過ぎかなと思いました。せめて、家の周りを゙うろついていて両親に怪しまれ、顔を覚えられるくらいで良かったと思います。
ラストが全て
評価が良さげなので鑑賞する事に。
基本的にこの作品は、ラストの子供の「言葉」と千紗子の「表情」が全てかなと思う。このラストシーンを撮りたいがために全てを用意したと言っても過言ではないと思うし、まあそれはそれで良いのではないかとも思う。
物語としては正直なところ突っ込みどころが多数あるかな、と。これってどうなの?とかこれで大丈夫?とか本当にこれで良いの?とか物語が破綻するかしないかギリギリの所で何とか最後まで成立させたという事で個人的にはセーフ判定としたが、ちょっと無理と感じる人も居るかも知れない。多くの人が指摘している前半の飲酒運転のくだり、そして結果的に子供を誘拐する形を選択してしまう判断はあまりにも責任重大なポイントであり、もちろんそうせざるを得なかったという流れで描いてはいるのだが、それを考慮してもすんなり共感するのはかなり難しいかなとは思う。
とは言え千紗子は過去に我が子を助けられなかった無力感や絶望感、贖罪の気持ちが強くあり、それが彼女を衝動的に突き動かしたのは確かだろうし、そこから先はもう無我夢中で突っ走ってしまった、というのは分からなくもない。どんなに真面目に生きてきた人でも(真面目だからこそかも知れない)、何かの拍子に人生が急激にあらぬ方向へ進んでしまう可能性はあると思うし、それで実際に転落していく人は多く居るのだからね。少し種類は違うかも知れないが「紙の月」もそのような物語だったように思う。そう考えると、いやだからこそ最後に子供の言葉を聞いた千紗子が流す涙にあそこまで激しく心揺さぶられるのではないだろうか。彼女が自ら破滅してまで守ろうとしたのは「他人の子」なのだ。その子から「ボクの母親はあの人です」と言われた時、彼女がそれまでの人生で抱えてきたあらゆる「苦しみ」が、あの一言で全て報われたのだろう。もちろん現実的には何ひとつ救われてないのだが、少なくとも彼女の「精神」だけは救われたと信じたい。だからこそあそこで流した彼女の「涙」がどれだけ儚く尊いか。それを思うとこちらも涙せずにはいられなかったのだ。彼女の表情で終わるあのラストは本当に素晴らしかったと思う。
ただ少し気になったのは、父親との関係性を修復していく「再生」への道と、子供を無理やり自分の子として育てる「破滅」への道を同時に歩む物語をどう受け止めるべきか、気持ちの整理が難しく作品の方向性がよく分からない気もした。でも結局あのラストだから良しとしよう、という所に落ち着くわけだ。だから「ラストが全て」という作品、となるのだ。本当は「3.5」にしようと思ったのだが、ラストの涙で何とか「4.0」にしたという感じ。
父親の奥田瑛二さん、本当に素晴らしかった。老いるとは何か、老いてく人間はどう生きるのか、周りはどう関わるべきなのか、そして何より、老いてもボケても「心」はそう簡単に死なないのだ。そして酒向芳さん演じる亀田先生、本当にあそこで暮らしてるかのようなリアルさと患者との距離感など接し方が絶妙で自然体、そして出てくる言葉の重み。もう素晴らしいとしか言いようがない。
主演の杏さんも悪くなかった。実際に母親として生きる彼女ならではの表情はちゃんと出てたと思う。けど「もうひと味」なにか欲しかったように思ってしまったかな。
とは言え全体的には満足いく作品だった。
生みの親より育ての親
序盤の展開で、児相になかなか行かないという時点で、疑問やモヤっとする点はあるものの、物語全体のストーリー構成や質はかなり良いと思います。
最後の子供のセリフで締めを括ったもの、きれいに終わったと思います。
さらっと流されていましたが、虐待している親がどういう生い立ちで育ったのか匂わせる発言があったのも、心情描写としては良いんじゃないかなって思います。
ですが児童相談所に通報して里子として引き取ったり、特別養子縁組として申し立てしたり、法を犯さなくても助けられたかもしれないって思うと、納得できない展開ではあります。これに関しては、主人公が知識がなかったか、児相に対して良い印象がなかったなどの描写があると、展開としてもう少し自然になれたんじゃないかなって思いました。
話が面白かったので、原作の小説の方も機会があれば読んでみたいと思います。
ありえない設定
飲酒運転で家族を亡くした人など、どんな気持ちでこの映画を見ることだろう。
ありえない設定であるとしても、脚本家は、そんなことどうでもよくなるようなパワーのある脚本か、見ていて最低限、違和感のない脚本を書くべきだと思う。
少なくとも、時間をかけて書いた脚本でないのは確か。みんなで読み合わせれば、この脚本の弱点を補完することはさして難しくないように思う。
仮に、そこがクリアできないとしても、例えば介護で苦しんでいる人や、虐待を受けて苦しんでいる人に希望を持たせるような話であって欲しい。
ただ、俳優陣は素晴らしい!
主人公の杏さんはもとより、子役の少年、認知症のおじいちゃん、その友人のお医者さん。また、親友の子どもさんの元気な演技。
みなさん、とにかく素晴らしい演技でした。
結局、一番のかくしごとをしていたのは、あの少年だった、ということで。これも予想通りで終わってしまうという残念な脚本。
素晴らしい演者と残念な脚本の映画でした。
僕のお母さんは・・・
やられた!なんと少年は全て知っていたのか、少年がいつ記憶を取り戻すのかが焦点だった。「書く仕事」の人の「隠し事」がいつバレるのかと。ひょっとして釣りの時かと。
ラストの少年の一言には感動の涙でした。
正直者
こちらのレビューを見ていると、「あんのこと」も観ている方が多いのですね。私もその口です。実は鑑賞リストになかったのに、同じような語感の題名で気になったので誘われました。
タイトルはひらがなですが、「隠し事」の意味がメインながら、子供を毒親からかくまい「隠し子と」過ごす日々や、重要なターニングポイントをもたらす主人公の仕事は「書く仕事」と、幾つもの意味がオーバーラップした上手いタイトルですね。他にも何か意味が隠されているのかな。(「隔 死子と」とかはこじつけすぎか)
言葉遊びはさておき、構成としては面白いが、少し味付けが不自然すぎたかも。ミステリとしては良いのかな。ラストの印象が強くて、オチに持って行かれるのもあるが、杏の驚きと喜びの混ざった表情が秀逸でした。
それは非常に良かったのだけど、結果として、それまで積み上げてきた、認知症の父親のポジションがよくわからなくなったので、ちょっとモヤモヤ。主人公が人里離れた家に滞在するための道具みたい。終盤、当初の予定通り介護施設に入ったようですが、それで何を言いたいのか。ひとりだけ隠し事がないってことですかね。だとしたらもう少しクローズアップしても良かったような。
杏もさることながら、奥田瑛二が良い感じだったので、余計に気になりました。安藤政信は、DV親のこんな役がなんかハマりますね。
とはいえ、前情報一切無くて楽しめたのは確かなので、鑑賞の価値ありの一品です。
児童虐待と認知症介護に切り込んだ傑作。
認知症の父の介護のために実家に帰省した女性と、虐待の痕跡のある記憶喪失の男の子が共に暮らすお話。
嫌いで仕方のなかった父ともその間に子供が1人いるとなると家族の仲が変わってくるところがまず面白いところだと思った。
それと登場人物それぞれが法に外れた"してはいけない事"を平気でするために次に何が起こるかわからない緊張感がずっとあってスクリーンから常に目が離せなかった。
皆それぞれが「かくしごと」を抱えて、生きているんだなと観て思った。
物語の最後の言葉は、主人公にとってその後の人生全てを引き換えにしてもいいくらいの言葉だったんだろうなと思う。
主人公の役を杏が演じることに意味をすごく感じたし、とても引き込まれた。
そして虐待や介護といった普段自分が関わらない社会の一部分を考えさせられた。
この作品を鑑賞できてよかった。
わたくしごと
主人公の千紗子が、家族であることを忘れた父と、家族だと思い込ませた少年と暮らす話。
この手の作品を観るたびに、なんで虐待が明らかなのに行政に頼らないのかと思ってしまう。
介護と児童虐待の2軸から“親子”を描く意図は理解するが、有機的に絡んではいなかった。
タイトルやポスターから主軸は拓未の方なのだろうに、認知症対応に比重が置かれすぎなように感じる。
そこは確執だけ残して、主軸を太くしてほしかった。
しかしこの認知症に関する酒向芳の台詞回しが素晴らしかったのも事実。
知識が腹落ちしてなければあの奥行きは出ない。
生真面目な硬さが苦手だった杏も柔軟さが出てきたし、奥田瑛二の腹立たしくも哀れな呆け姿も見事。
中須翔真くんは、特に孝蔵にビンタした直後の千紗子のハグから、身体半分逃げる動きが抜群。
短い出演ながら安藤政信もしっかり怖かった。
それにしても、最初の飲酒運転と事故は必要かな。
警察や児相に連絡させないための描写にしか思えず、以降久江が何を言っても白々しく感じてしまった。
すぐ「私“たち”」と複数型で語ることにもイライラ。
洋一の写真が報道されないなども含め、ストーリーのための作為的な設定が目立ったのが残念。
孝蔵が千紗子を妻と誤認することで心情を吐露して和解、というのもご都合主義が過ぎるのでは。
ちなみに、本作はまったく正義でも美談でもない。
千紗子は自らのトラウマのために洋一を「無戸籍児として扱えばいい」などと気軽に言う。
(ポスターでも拓未でなく正面を見つめる)
洋一も自身を守るために嘘をつき、被害者ぶっていた洋一の母も「助成金」に掌を返していた。
つまり全員が自分本位であり、そこに愛が芽生えたことは、救いか呪いか。
結果論として一つの悲劇と一つの絆を生んだ、という話だと自分には映った。
工夫した疑似家族もの
認知症の父の介護の為に、田舎の実家に帰って来た千紗子。ある日、事故で記憶喪失になった少年と出会うが、彼が虐待にあっていた事を知り、放っておけず自分が母と偽り、父との三人の生活が始まる。
ちょっと変わった疑似家族もの。父も認知症で自分の事を覚えてなく、そこも疑似的な家族になっているのが面白い。また、奥田瑛二さんが見事だ。認知症の勉強になる。
杏さんがキャリアウーマンから母親の顔に変わるのも見事。
認知症と虐待、2つの問題に切り込んだ作品。
作中、誰もが何かしらの嘘をついている。
1つの嘘を付いたために嘘を重ねたり、明らかに無理で破綻が待っている嘘を付いたり、しかし嘘を信じ込む事で救われる事もある。
千紗子がついた嘘は明らかに無理があり、後には全てが崩壊する事が分かっている。しかし、だからこそ、子供の心も救えたし、自分や父親との関係も見直せた。もっと良い方法がなかったものかと思うけど。
スパッと終わるラストは好み!
#かくしごと
【"魔斬りの刃”今作は、二組の親子の関係性を描きながら観る側に”真の親子の絆とは何であるか。”を考えさせられる作品である。再後半の裁判シーンは、琴線を激しく揺さぶられる作品でもある。】
■ある事が切っ掛けで絶縁状態だった父(奥田瑛二)が認知症になり、介護認定を受けるまで山奥の実家で同居することになった作家のチサコ(杏)。友人(佐津川愛美)と呑んだ後に、その友人が運転する車で、見知らぬ少年(中須翔真)を撥ねてしまう。
友人が飲酒運転だった事と、自宅に連れ帰ったその少年の身体中の痣を見て、親に虐待されていると思ったチサコは、記憶を失っていた少年を自宅に匿う。
◆感想<特に印象的だったシーンを記す。>
・今作では、複数の親子関係が描かれているが、メインは下記二組である。
1.厳格だった、今や認知症を患う父と、娘のチサコ
2.虐待を繰り返していたと思われる父(安藤政信)と息子の犬飼洋一(中須翔真)
・厳格だった、今や認知症を患う父を演じた奥田瑛二さんの”自分の正しさ”を本能的に貫く姿と、トイレの場所が分からなくなり、失禁を繰り返し、チサコを亡き妻と思い、泣きながら詫びる姿を演じ分ける演技の凄さである。
そして、チサコはそんな父の姿を見て、且つての厳格さを失った姿を見て言葉を失うのである。
・チサコが保護した少年、犬飼洋一が”記憶がない”ことを知り、少年に”貴方の名前はタクミよ。”と嘘を付き、少年もチサコに懐いて行く姿。
少年を演じた中須翔真君の”聡明そうな顔”が印象的である。
この際の中須翔真君の演技が、最後半の裁判のシーンで効いてくるのである。
・チサコが、洋一が川に流され、捜索中にも関わらず東京に帰った洋一の両親を訪ねるシーン。母(木竜麻生)はオドオドしながら、チサコが偽って説明する話を聞くが、中から出て来た父親に追い返されるシーン。チサコは夫婦の姿を見て虐待は間違いないと思うが、父親も又、チサコの顔を焼き付けるのである。
■チサコの幼い息子が海水浴に連れて行った時に溺死したシーンや、チサコがその後、父と絶縁した理由が彼女自身の口から語られるシーン。
だが、このシーンがチサコを追い出した事を後悔する認知症に罹った父の”あの子を帰らせてしまった・・。”という言葉の哀しさを増幅させる。
厳格であり過ぎるが故に、学生時代に妊娠をし、子を持ちながらも死なせてしまった娘を痛罵する言葉により疎遠になった娘への本心が出たシーンでもある。
・タクミとチサコの父が、一緒に木彫りの佛を彫っていたり粘土で造形している時に、チサコの父が唐突に鞘入りの短刀を渡し、”それは魔斬りの刃だ。”と語るシーンも単語の印象が強烈であったが、鑑賞後に、もしかしたら認知症になりながらもタクミとチサコを”祖父、父として”守ろうとしたのだろうか、と思ったシーンでもある。。
そして、タクミの父が、雑誌に載ったチサコの顔写真を見て、突然訪ねて来て、止めようとするタクミを叩き飛ばし、チサコに対し、”一億円で譲ってやるよ。”と言った刹那、タクミは"魔斬りの刃"で父の背中を刺し、更に凄い形相のチサコが胸を刺して父を殺害するシーンも驚くとともに、切ない。
更に、安藤政信演じる父は、”俺も親父から逃げたかった・・。”と言い、事切れるのである。
<今作で、一番心に響くのはチサコの裁判シーンである。検察側は、チサコを殺人罪として立件し、弁護側はタクミヘの殺された父による虐待の事実を上げて情状酌量を求めるシーン。
チサコはあくまで、タクミが刺したのではなく自分が刺したと全ての罪を被ろうとするが、証人として証言台に立ったタクミは、”僕の名前は犬飼洋一です。僕が殺しました。”と前を向いてハッキリと言い、更にしどろもどろしながら証言した実母を一顧だにせずに、”僕のお母さんはあの人です!”と言って、チサコを見つめるのである。
その言葉を聞いたチサコは、涙を流しながら、”息子”の姿を見るのである。
洋一がチサコに匿われた時点から記憶があった事と、チサコ達に取っていた”かくしごと”が明らかになるシーンでもあり、観る側は少年の健気で立派な”新しき優しい母”を守ろうとする姿に、琴線が揺さぶられるのである。
今作は、二組の親子の関係性を描きながら観る側に”真の親子の絆とは何か”を考えさせられる作品なのである。>
嘘は自分を救うためにつくものだが、そのほとんどはいずれ自分を苦しめる枷になる
2024.6.11 イオンシネマ京都桂川
2024年の日本映画(128分、G)
原作は北國浩二の小説『嘘(PHP文芸文庫)』
ある虐待児を保護し、自分の子どもとして育てようとした絵本作家を描いたヒューマンドラマ
監督&脚本は関根光才
物語の舞台は日本のどこかの田舎町(ロケ地は長野県伊那市&神奈川県相模原市)
東京にて、絵本作家として実績を上げていた千紗子(杏)は、父・孝蔵(奥田瑛二)の認知症進行の影響で実家に戻ることになった
期間は1ヶ月程度で、介護認定が降りて、施設に入れられれば東京に戻るつもりだった
だが、父は千紗子のことを覚えておらず、認知症は思った以上に進んでいた
地元の医師・亀田(酒向芳)のことはかろうじて覚えているようで、千紗子は亀田から「今後起こり得る症状」についてアドバイスを受けることになった
荷解きが落ち着いた頃、千紗子は地元の親友・久江(左津川愛美)と飲みに行くことになった
だが、久江の息子・まなぶ(番家天嵩)が問題を起こしてしまい、急いで帰らざるを得なくなった
久江は飲酒しているのに運転すると言い出し、心配になった千紗子は同乗する
何の問題もなく目的地に向かっていたと思っていた矢先、大きな音と衝撃が二人を襲った
慌てて車を降りた二人は、車の前に少年(中須翔真)が倒れているのを発見する
久江は動揺し、緊急通報しようとする千紗子を制ししてしまう
やむを得ずに家に連れ帰ることになった二人だったが、その少年の体を調べていると、無数の虐待を疑わせる傷があり、足首にはロープが括られていた
物語は、この少年が川で流されて行方不明になった犬養洋一であることが判明するところから動き出す
千紗子は親元に返すことに躊躇いを見せ、そして福祉課である立場を利用して、久江に少年の両親の情報を調べさせる
そして、調査員のふりをして、どんな両親かを確かめに行く
洋一は母・マキ(木竜麻生)の連れ子で、再婚相手の安雄(安藤政信)から虐待を受けている様子だった
二人にはすでに娘・ひとみ(演者不明)がいて、二人は碌な捜索もせずに、東京に帰っていた
千紗子はこの親元には返せないと確信し、少年を自分の子どもとして育てることを決めるのである
映画は、この千紗子の行動の是非を問うというテーマがあるものの、根底には「親子の呪い」について描かれていた
千紗子と父の関係は「嫌な思い出」を巡るもので、千紗子には亡き息子・純(齋藤統真)との過去から、少年を自分の息子の代わりにしようと考えている
少年自身も、連れ子による立場の悪化と虐待に苦しんでいて、千紗子との生活はこれまでのものとは異質のものになっている
見つからなければうまくいったかもしれないように思えるが、無戸籍のまま少年が成人できるはずもないので、冷静に考えれば無茶であることはわかる
千紗子はいつまで少年を息子と重ねられるかというものもわからず、いずれは何らかの要因で破綻していたと思うが、映画における綻びの起点は少々無理があるように思えた
いずれにせよ、本作は「それぞれがどんな嘘をついてきたか」ということがメインになっていて、父がついた嘘(娘を認識していたが無視した)、千紗子の嘘(息子と思い込ませた)などがある
だが、「記憶喪失は嘘だった」という少年の言葉以上に衝撃的なものはなく、そして、そのあとに続けられた言葉は、本作の中で唯一の真実だったように思えた
千紗子はこの言葉で報われたと思うが、誘拐の事実は覆せないし、その他にも多くの罪が付随している
少年が千紗子の元に来ることは不可能に近く、彼が成人してからならば接触の可能性は残されているかもしれない
彼が不安定なシングルマザーの元に戻っても、彼女では子育ては無理だと思われるので、いずれは施設などに入って、里親を探すことになるのだろう
千紗子はその候補には入れないし、どんな里親が来ても、彼の中にある「母親」というものが上書きされなければ、明るい未来には繋がらないだろう
そう言った意味において、千紗子の行動は罪深いものだったと言えるだろう
子供を保護するのに、どうして正規の手続きを踏まないのだろうか?
この手の映画を観て、いつも疑問に思うのは、法を犯さなければ、子供を虐待から救い出すことはできないのか?ということ。
その点、本作では、飲酒運転による人身事故を隠蔽するためとか、少年の体に虐待の痕跡があるからとか、その子が記憶を失っているからとか、主人公には事故で息子を失った過去があるからとか、主人公の不法行為に説得力が感じられるような、いくつもの理由が用意されている。
しかし、いくら道義的に正しい行いであったとしても、虐待されている子供を勝手に保護することは、法律上、未成年者略取や誘拐に他ならない。
多少、手続きは煩雑になるかもしれないが、虐待を受けていることが明らかならば、その子を実の親から引き離して、「里子」として引き取り、面倒を見ることは可能なのではないだろうか?
そもそも、保険を使わなければ病院には行けるだろうが、学校には通わせないつもりだったのだろうか?
そんなことを思いながら、疑似親子の幸せな日々を見ていても、いつかバレるに違いないと、悲劇が起きる予感しかしなかったし、実際にその通りの展開になって、興醒めしてしまった。
認知症の父親の介護という、物語のもう一つの柱にしても、風呂場で父親の体を洗いながら主人公が涙を流すシーンはあるものの、それだけで2人が和解し合えたとはとても思えず、どこか不完全燃焼のまま終わってしまった感じが強い。
結局、強引に悲劇と感動の物語に持っていこうとする「作為」が最後まで鼻についてしまい、実際に子供を持ったからこそと思える、杏の気持ちのこもった熱演も、ラストの、少年によるトドメの一言も、あまり心に響かなかったのは、非常に残念だった。
思っていたようなストーリーではなかったので
サスペンス映画を期待していたオイラには残念な結果に。
それは抜きにしても児童虐待と介護問題の2つを題材にしたこの作品だが、どちらかというと痴呆症の親の介護問題の方に重点があるような感じに思った。映画のラストで涙するとの事だが、他のレヴュー等を読ませていただくと、実は原作は、その直前にまだまだ、ストーリーがある?ようで、そちらの逆転劇を映像化して欲しかった。さすれば、よりオイラにとっては高評価に、なったかと思う。
というわけで2つのストーリーがどちらも中途半端になってしまったような作品に感じてしまった。
かくしごとをしていたのは
最後に明かされた隠し事で、原作の「嘘」ではなく、かくしごとにした訳が分かる。たくさんの隠し事があって、前半はモヤモヤした気持ちになる。ただ、介護に児童虐待にシングルマザーに子を失った母と、いろいろな要素があり過ぎて、2時間では収まり切れなかった。そのため千紗子が子供を匿ったことや父親の介護をすることに共感できなかった。裁判のシーンが短すぎて、千紗子の心情を明らかにできていない。警察よりも父親が先に子供を見付けるのもあり得ない。また、奥田瑛二以外の出演者がみんな、きれい過ぎる。主役が親子共演で安藤サクラだったらと思う。
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