かくしごとのレビュー・感想・評価
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手を差し伸べてもらいたいなら、手を伸ばそう。
ふぅ~~(ため息)
観ているさなか、こちらの心をざわつかせる作品だったようで、エンドクレジット中に思わずため息が出た。
手放しで褒められるような、誰彼無しに推奨できるような物語ではないと感じた。
それでも作品中に散りばめられた良心のようなもの、これが不思議とサブリミナル効果のように鑑賞後の気持ちを落ち着かせてくれた。
この作品を通して描かれる、主人公・里谷千紗子の心境。
度胸はあっても勢いによるそれ、芯は決して強くない女性のように映ったが、さて。
強そうにみえるようで、彼女は孤独、孤独、孤独。
子を失った、孤独。
別離。
仕事のプレッシャー
父……
数年ぶりと思しき、理由付きの里帰り。実は今や唯一の肉親である父親に、自らの孤独を埋め合わせたい気持ち、あったのではないか。しかしそれは叶わない。認知症の症状に苛立ちを隠せない千紗子の振る舞いは、まるで甘えたいのに甘えられない、場を奪われた我儘、駄々をこねているように見えた。
そこで、現れた少年は、失った過去の存在のリンクもあったようだが?本当は母性フィルターを通して自らの孤独を埋めたい、そんな「自分へのベクトル」の方が強かったのだとおもう。少年への母性だけであれば、虐待から守るにしても、取るべき行動は違ったはずだ。あくまでも自分のための、母性の振る舞い。
だったはず。というところが、この作品のクライマックス。
少年に対する母性はいつしか真実のそれに変わり、同時に父親の認知症を「受け入れていく」千紗子の心の成熟が、非常に良い見どころであった。
少年が実父を刺殺。それを極めて冷静に自らの罪にして守ろうとした姿で端的に表現していく。そこまでしなければ伝わらないような映画ではなかったはずだが、真のラストシーンのためには必要な事象だし、それは映画的。仕方ないと感じながら観ていた。
上記のように一枚剥がしてこの作品を観ていたため、大ラスの少年の告白は「やっぱりそうか」といったところだった。彼がまるで大人のように、千紗子の嘘を受け入れていた事実は、ミステリというよりは千紗子の成長物語である本作の答え合わせのようなシーンだった。(※あくまで個人的見解です。と思っていたらEXITりんたろー。氏が似た感想を持っていそうで驚いた)
介護問題、子の虐待。そして少子化。
親と子の関係が正しくいられない異常な社会。
誰もが身につまされる社会問題の解決の糸口は、果たして本作には有っただろうか。
***
”杏のこと”を見ようか”杏のしごと”を見ようか迷った挙げ句、先に”ごと”を観たわけだが合せ鏡のような、いずれも社会問題テーマであり、なんだか暗い邦画が続いている。現代日本の閉塞感を現しているかのよう。
本作での女優:杏の静かなる熱演。元気いっぱいにCM出演していた頃の彼女の雰囲気はどこに行ってしまったのだろうかと思うほど。彼女のプライベートを伺い知っている我々からすると、どうしても錯視効果があって応援したくなってしまう。もちろんそれを理解した上での出演とおもうが、それはそれで覚悟が必要だったのではないか。
その気持ちに★1プラス。お疲れさまでした。
☆☆☆★★ ほぼ原作に忠実に映像化してはいるのだが、最後の最後に原...
☆☆☆★★
ほぼ原作に忠実に映像化してはいるのだが、最後の最後に原作を変更し、無理矢理に感動作品へと作り変えたラストの為、中途半端感が増してしまっているのが勿体ない。
原作読了済み。
原作の題名は【嘘】なのだが、映像化にあたっての映画題名は『かくしごと』
成る程!確かに、観客に対して「感動させよう!」とした様に感じる強引なラストを見ると、少年拓未から見た【かくしごと】に相違ない。
おそらくは感動作品として製作したかった為に、あのようなラストになったのでしょう。
それはまあ理解出来る。
但しそれにより、幾つかの疑問を持たざるを得ない箇所も生まれてしまった感は強い。
そんな一つが、洋一の母真紀の描き方。
映像化に於いては、DV男の父親安雄が悪役としてクローズアップされている。
が、しかし。この物語での1番と言える【悪の権化】《悪魔》は、実は洋一の母親真紀なのだ!
千紗子は身分を偽りこの夫婦に接触する。
その際に、始めは警戒していた母真紀。
お金が貰えると分かるや態度は急変し、(もう死んでいるに決まっていると決めつけ)「保険金が下りないのが許せない!」…と怒りを露わにする。
しかも、入会金が必要と言われると、手のひらを返すかの様に、狂った様に怒り出す。
その姿に憤った千紗子は、自分が少年を育てる決意をする。
千紗子の正体を突き止め、DV夫を「お金を巻き上げよう!」とそそのかし。裁判では、子供を奪われ、夫を惨殺された悲劇の母親として、平気で嘘泣きをする《悪魔》なのだ!
そんな洋一の母親真紀を、映像化に於いては、何故DV男に怯えるか弱い母親として描いたのか?
おそらくは、(原作とは変更した)この作品のラストシーンで洋一が放つ一言により、感動作品とする意図が感じられる。
原作だと洋一の母親は、【悲劇の母親】として、その後は洋一を引き取るのだが、やがて育児放棄をする。
だが洋一=拓未は、裁判前から「自分の名前は拓未です!」と言い続ける。
裁判以後、服役し厚生する千紗子。
育児放棄をした母親から、叔父・叔母の家で育てられるも馴染めず、亀田に引き取られ拓未の母親千紗子の出所を待つ。
流石に《その後》を詳しく描くと、更に尺が伸びてしまうのを嫌った為…と考えたならば合点は行く。
たがそれゆえに、原作でのプロローグがエピローグへと繋がり、原作のラスト1行の秀逸な【嘘】は、残念ながら生かされずに終わる。
原作だと、ブーメラン現象と言える箇所が有り、その後の千紗子に色々と影響を及ぼしている場面が。
そんな一つが、千紗子が虐待夫婦に接触した時に、子供をペットの様に扱う夫婦につい説教をする千紗子。
だがそんな千紗子も、当初は父親を嫌っていた。
そんな千紗子に、介護認定調査員は「親を施設に入れて自分は楽しみたいのね!」と叱る場面は秀逸な描写だったのだけれども、映像化では描かれてはいない。
原作だと、千紗子は拓未に《嘘のノート》を。
拓未は《記憶のノート》を。
父親(おじいちゃん)は日記を残していた。
それによって、純=拓未となり、父親(おじいちゃん)は生涯会えなかった孫の《純》を想い続けていた事実が分かる。
更には、おじいちゃんに教わった技を伝授した純=拓未が存在する。
父親を嫌っていた千紗子。
唯一母親だけは千紗子の思いを受け止めてくれていた。
「あなたは母親にずーっと辛くあたった。」と言い放ち、母親が急死したのは父親のせいだと考えていた。
そんな父親は、母親の死後急に観音菩薩を掘り始め、粘土で地蔵を作り始める。
自らの認知症に不安を感じ、母親の顔を観音菩薩に掘り始めた父親。
どんどんと母親の顔を忘れて行くに従い、その不安からか作った観音菩薩を壊してしまう。
また粘土で作る児童菩薩は、母親の骨をすり潰し土に混ぜた粘土で作り。一度も会えなかった孫の純の霊を悼む為のものだったのを、千紗子は後に知る。
また、DV男に襲われた際には「娘に手を出すな!」と《マキリ(魔を切る》で立ち向かう場面の一言は重要だと思ってはいたのだけれども、、、
【嘘】がまた更なる【嘘】を上塗りする。
しかしその【嘘】が、強固なる【家族の未来】へと到達する。
だけどもこの映像化には、その原作が持つていた《意図》を見出せなかったのではないか?…との思いを強く抱いてしまったのです。
2024年6月7日 TOHOシネマズ日比谷/スクリーン11
ドラマMOTHERを思い出す
杏さんでなく山田花子さんで見てみたい^^/
まず導入部分の少年と出会う場面からの流れ、これどうにかならなかったのか?観てる者を納得させておくれよ、トホホじゃないか。監督はテレビ上りの人なのか?いくら原作がこうでも(知らんけど)ここで客を引っ張り込むのが監督の技量だしょ。何年もテレビドラマ見なくなったのと同じ流れ。そんなことないだろと、お~いお茶のキャップを前の客に投げつけるとこだったわwそしてやっぱりセリフ多すぎだろ。観客はそんなにアホなのか?僕らの泣けたのは、結局セリフのないシーンーーーお風呂でお父さんの汚れた身体を流す杏さんと、裁判でタクミ君に証言台で言われた言葉に心打たれる杏さんの顔でしょ。僕らの色んな感情と無言の(言葉少なの)演技が重なって高揚感増すって、、、。普通の生活で僕らってあんなにしゃべんないし、映画は演劇・舞台とは違う。
星1つにしなかったのは最後のタクミ君のセリフで泣けたのでwwwまあ値としたら三割位だけど砂の器の千代吉のあの有名なセリフのような位置づけか^^
最後に杏さんも安藤さんも少年もキレイ過ぎよ!もっと汚れ系のがいいと思う。杏さんの役を山田花子さん(若い人は分からんかw)でぜひ見てみたい^^/
今回もジジイ割引の1300円で鑑賞させていただきました。映画の正価としたら750円でした。映画館で観るにはどうでしょうねえ^^;
記憶と認知の物語
忘れられなくて苦しめられる記憶と、忘れていなかったから救われた記憶の物語。
忘れた振りをしたり、忘れたと思い込んでいたけどしっかり刻み込まれていたり、曖昧なようでふとした瞬間に鮮明に思い出すこともある、記憶。
そんな様々な記憶の積み重ねによって相手をどう認知するかも変わる。イメージや印象がガラリと変わるのも記憶の集積によるもの。
記憶と認知という人の持つ根源的能力によって3人の人間関係が波のように変容していく姿を描いたドラマ。
ひとつの出来事をとってみても、その見方や光の当て方によって見え方が異なり、残される記憶も異なってくる。たったひとつの角度からだけでは見えないものもある。そんなことをやわらかく教えてくれる作品。
タイトルからして物語の仕掛けには早々に気付くけれど、それ自体は核ではなく、それがどう作用するのかがこの映画の肝でありそれは最後まで観ないと分からない。
認知症や児童虐待というテーマを下敷きにはしているけれど、記憶と認知によって人の見方は聖者にも悪魔にもなるという危うさと救いを描いた物語。
観終わったあと、しっかりと噛み締めたくなる作品でした。
杏のこと。ラストのあの人の表情が忘れられない
原作未読。こういう映画が観たかったんです。
千紗子(杏)は2つの問題を抱えることになります。
1つは千紗子の父である孝蔵の認知症の介護についてです。中盤に孝蔵の言動に対して、千紗子の気持ちに変化が起き、思わず泣きそうになり感動しました。
もう1つが拓未についてです。ラストで千紗子の気持ちに変化が起き、非常に衝撃と感動が走りました。
認知症患者との接し方や子どもの育て方の参考になり、文学的で秀逸な映画であると感じました。
杏さんと奥田瑛二さんの演技が本当に素晴らしかったです。
血のつながりがなんだ
思わぬサスペンス展開はいいけれど、論理がいい加減で浅く残念
認知症のお話でしょうから重いだろうなぁ、を覚悟して鑑賞しましたが、佐津川愛美演ずる友人役の久江が居酒屋でビールを二杯飲んだにも関わらず「これくらい平気よ」と帰途車を運転と言い放った瞬間に、私の中の違和感が一挙に暴発してしまいました。文化庁の援助も頂いている映画なのにアンチモラルな描写でいいのかしら?とドギマギしてましたら、案の定の必罰展開で逆にホッとしたくらい。ここから転調しサスペンス色が強まる作劇で、スクリーンへの集中を欠くことはありませんでした。
「かくしごと」ってタイトルが意味深で、主人公千沙子役の杏と友人の久江の2人の人には言えない事件の隠し事が第一義ですが、どんでん返し的ラストでもう一つの隠し事が明らかになり、エンタテインメントに真相の奥深さを描く力技を見せつけてくれる。さらに千沙子は「書く仕事」に就いておりそのセレブリティが悲劇を導いてしまう構造が巧みです。であれば東京を留守に長野の山奥に長期滞在しようと金銭的に何の支障もないわけで。脚本も監督の関根光才ですが、原作があるようでそのタイトルが「嘘」とのこと。その原題タイトルがラストにセリフで出される仕組みが巧妙でもあります。
それを(設定上9歳)少年役の子役の口から言わせ、あまつさえ悪役(なおかつ少年の継父)が殺害される瞬間を目の前で受け止める役を演じさせるとは大丈夫? と思って心配するくらい。扮する中須翔真君は実年齢が現時点で13歳ですが、ハードな撮影がトラウマにならなければいいのですがね。フツーはカットバックで殺害現場で恐怖の表情の子役を描いても、当然に別撮りでしょうから。
嘘に対峙すべき本作のテーマは認知症だったはず、ここでも本作は意外な展開に観客を引きずり込む。名脇役の酒向芳扮する医者のセリフ「認知症は逃げ場なのかもしれません」と。生真面目な人ほど思いの丈を押し殺し、救いの先の忘却に逃げてしまうと。原作由来と思われますが、確かに一面を表しているでしょうけれど、当のご本人達にしたら詭弁でもありましょう。なにより本作のキーマンであるべき奥田瑛二扮する認知症老人が、本作の主旋律に些かも関わらず、伴奏に終始しているようにしか見えないのも、そんな観点が遠因かもです。
演ずる奥田も常に猫背でうつむき状態、確かにセリフは奥田の声ですがお顔をなかなか正面から捉えないのは、他でもない本作自体が認知症と正面きっていない証左とも思われます。娘のセリフにも、父を要介護と認定さえしてくれればさっさと施設に送り込んでしまいたいと、あけすけに言うのですから。クライマックスでも最初に刃物を突き付けたのは父親だったのに、その後は裁判でも一切触れず仕舞い。忘却に逃避したと言う老人が娘の危機に、刃で立ち向かおうとした事実と論理が破綻していませんか? 本作の大きな瑕疵がここにある。
主役の杏は当然に実体験でも母親でしかも離婚と、身の丈にあった演技で、子供喪失の深みは十分に伝わりました。東京で颯爽とキャリアを積んだ大人の女性として、ふんわりボブのヘアスタイルが様になってます。けれど、いつまでたっても美しいヘアスタイルのままってのは、監督さんいけませんよ。フランスからちょいと日本に出稼ぎに、映画の主演しておりますって感が漂ってしまうのですから。少年の母親に裁判で吐露させるのも中途半端で奥がないのも残念。
わざわざ古臭い中古のクラウンバンを主人公の愛車にする意味も、一家を訪ねる際のスパイもどきの調査員なりすましも無謀で堂に入り過ぎ、バンジージャンプの真相も一切描かず、少年対軽自動車の事故なのにケガひとつない? 諸々推敲不足が否めず残念です。
ラスト「子供と動物には敵わない」と思い知らされる
介護の辛さに共感
君と私の為。
疎遠だった父の孝蔵が認知症を患い実家へ戻る事になった絵本作家里谷千沙子の話。
地元の友達で福祉課で働く久江と再会、その夜、久江の車で飲みに…、運転代行着くまで1時間と久江の息子絡みで急遽飲酒運転して帰ることに…、話に夢中なった道中、1人の少年を車で跳ねてしまう、公務員、シングルで息子と飲酒がばれたくない事から、救急車は呼ばず千沙子の実家へその少年を連れてく事に…、体に怪我は無いかと服を脱がすと事故で出来た傷ではなく虐待の傷跡が…。
何処の子供と分からないなか、流れてきたニュースで知る少年の名前、捜索してると分かってても虐待の傷を見ると、両親の元へ返して子供の為にホントにいい環境なのかと、久江の反対する言葉も振り切り、自分で育てようと…、話の展開が展開なだけにハッピーエンドは無いなと思いながらも。
どんなに拓未にとっていい環境であっても誘拐扱いという日本の法、どんなに不利であっても親身になってくれる町医者の亀田先生くらいには話をしておけば少しは気休めになるんじゃない何て思った。
血は繋がらなくても千沙子といる拓未は幸せだったと思うし、最初から全て分かってるんだろうなと拓未の気持ちは察しはついたけれど、ラストの「僕のお母さんはあの人です。」で拓未が千沙子へ送った視線にはやられたね。(涙腺崩壊。)
その言葉を言って切った様に終わる終わり方も個人的には良かった。
家族愛
田舎での千紗子と父親と少年の3人のゆっくり流れていく幸せな時間をずっと観ていたいなと思いました。事故で息子を亡くした千紗子の少年を見る優しい表情と裁判所で少年が千紗子をお母さんと言い切る真剣な眼差しが印象的でした。
ミステリー作家が描く感動作 !そのかくしごとは罪か愛か?
「認知症は救いなのかもしれない。」
ミステリー作家が描く感動作 !そのかくしごとは罪か愛か?
▼あらすじ
作家の千紗子は父が認知症を発症し、介護のために田舎に帰る。ある事故により記憶喪失の少年と一緒に暮らすことになるが、千佐子は少年に自分が母だと嘘をつく。歪な3人の共同生活が始まる。
▼感想
完成披露試写会に招待頂きました!ありがとうございました!
すごい映画を観た。
「認知症患者」、「児童虐待」という現代社会の2つの課題・問題を扱った感動作だった!
特に自分は「認知症患者」について考えさせられた。
千佐子と認知症患者の父の生活はリアルすぎて少し苦しかった。だけど、千佐子と村のお医者さんが認知症患者について語るシーンは忘れられない。自分の親がもし認知症になったら、この映画をもう一度見てから向き合おうと決めた。
この映画のすごいところはただの感動的なヒューマンドラマでなく、ミステリー要素も上手く盛り込まれているところ!原作小説の「嘘」はミステリー作家が描く感動作と言われているが、まさにその通りだと思った。ミステリー映画好きにも楽しめる作品!
主演の杏の演技は特に「顔」が印象的だった。物語冒頭は独身のキャリアウーマンのような顔つきが、徐々に母親の顔つきになっていった。トークショーで杏が「今の私だから演じれた。」とおっしゃっていたが、その意味を演技を通して確かに感じた。自分の杏の代表作品はこの映画になった。
試写会後はなんと関根監督とお話しする時間が!だけど、緊張と鑑賞直後で気持ちが整理できていなくて全然感想を伝えられなかった。
このレビューがいつか関根監督に見てもらえるといいな。
最後に顧客打合せと上司に嘘をつき試写会に行ったことが私のかくしごとです。
▼お気に入りのシーン
初めて千佐子が息子を抱きしめるシーン!
このシーンで千佐子の顔が母親の顔になった。
ラストシーンにやられた!
今日の試写会は『かくしごと』完成披露試写会。
鑑賞前の舞台挨拶で、キャスト自身が口々に本作を称賛しハードルを上げてくるから、かなり期待値を上げて見たんだけど…、
ラストシーンにやられた! 本当の『かくしごと』とは何なのか? そして、あの杏のラストショット、痺れた!
車ではねた子供に虐待の後があったとしても、さすがに自分の子供として育てるなんて覚悟できる(?)なんて思って見てたら、この女、過去に傷を抱えていたのか。
ひとつ屋根の下に、事故で記憶を失くした少年と、認知症で記憶を失った父。記憶を失くした者たちを娘であり母である千紗子(杏)が繋ぐ擬似家族。
私も祖母に「どちら様ですか?」と初めて言われた時はぞっとしたのを思い出した。
私の父も晩年は排便もままならず、奥田瑛二と杏の姿が、我が父と妹に重なった。
幸せな家族の日々が続けば続くほど、崩壊への序曲が聞こえてくるようで怖い。
そして「その日」がやってくる!
「老人介護」「児童虐待」という思いテーマを抱えながら、観るものに「あっ」と言わせ、感動を呼ぶミステリーでもある。
「杏」、子役の「中須翔真」、「奥田瑛二」、三者の演技が「神」!
『かくしごと』は6月7日公開予定。映画ファン必見の傑作です。
心に刺さって苦しい。
主人公の千紗子に自分を重ねながら鑑賞した128分。
貴方ならどう思うか?
貴方ならどうするか?
本作が終始揺さぶりをかけてきて色々考えさせられる。
それが罪なのか?
それとも愛なのか?
答えは人それぞれ違うのかもしれないけれど…
平穏で当たり前な日常と小さな幸せを守れる世界が来ますよう祈らずにはいられなかった。
拓未くんの真っ直ぐな澄んだ瞳が忘れられない映画。
介護は親子関係の築きの上に成り立つ
皆、愛に飢えてて苦しかった。
それぞれが抱えているものも守りたい誰かへの愛ゆえなのがまた苦しい。
色んな喪失があるけど、同じ形にはまるピースはなかなか見つけられないのに、ピッタリはまってしまったら誰だって欲しくなるはず。
たとえそれが許されないことだったとしても。
上手く行かないことに学びがあるのだとしても、神様は意地悪だなあと思ってしまう。
ほしい人の所にほしいものが全て届けばこの世に争いはないのに。
この世に生まれてきた人全員が必ず体験する親子関係。身近だからこそ距離感を間違えると取り返しがつかなくなるけど、未来が見えるわけじゃないからその時の自分の信念で発した悪気のない言葉が、相手に致命傷を負わすほどの深い傷になることもあるだろう。
遠慮のない関係だからこそ、許せない事だってある。
その築いてきた親子関係の上での介護。
この問題はとても身につまされたわ。。
もうそろそろだよなと思っているのもあり、色んな覚悟を突きつけられた気がした。
できなかった事ができるようになるのは喜びがあるけど、できた事ができなくなるのは悲しみしかない。
毎日動かなくなる頭と体にどうにもならない焦りを感じるのは他でもない本人なのだ。
その喪失は、千紗子のそれとはまた違う大きな苦しみで、観ていてとてもしんどかった。
千紗子の選択がどのような結果になったか、みなさんも是非ご覧ください。
杏さんの母性に涙涙涙
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