かくしごとのレビュー・感想・評価
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言えない事と言えなかった事と言いたくない事
急転直下の幕引きだった。
馬乗りになった杏さんの表情が衝撃的だった。
様々な嘘に彩られた本作。
タイトル通りの内容なれど、痴呆症のウェイトが重すぎるような気がする。あまり本筋とリンクしてくれなく、痴呆症の話が進めば本筋は堰き止められるような印象だった。
初めて奥田瑛二さんをいいなぁと思ったくらい迫真のボケ老人だったわけで…粘土を咀嚼し出した時、飲み込むんじゃねぇかと寸前まで思った。
彼のパートは、「かくしごと」的には娘への想いの吐露で終わってていいはずで、千紗子に燻ってる父への想いは「かくしごと」とはまた別のはずなので、反映させる事もないと思うから、やっぱりウェイトが重すぎる。
本筋が見応えがあっただけに、食い合っちゃっているようで残念だった。
千紗子とタクミの物語は、胸に響く。
彼女が彼についた嘘も、彼が彼女についた嘘も背景にある「虐待」を回避する為である。
千紗子からは行き過ぎであったとしても溢れる母性を感じるし、タクミからはSOSを感じる。
彼が記憶喪失でなかったのか、途中からタクミとして生きたいと思ったのかはわからないのだけれど、大人のリアクションを見ながら敬語で話す少年が、無邪気に笑い、ご飯を頬張る姿は微笑ましかった。
あるべき姿を取り戻したように見える。
どんどん2人は親子のように見えてきて、この田舎でなら、このまま幸せになっていけるんじゃないかと考えてしまう。
そうはならないんだけどね。
そう…そうはならないから、色々と間延びした編集にも思う。
NEWSに流れる事件の概要が事実と真逆で怒りを覚える。警察の見解がそうだからなのだろうか?裁判所の検事は全く同じ事を喋ってた。
母親の証言を身じろぎもせず聞く杏さんが印象的で、喉まで出かかってる罵声をグッと堪えているようであった。
そしてタクミが証言する。
最後の言葉はどれほど嬉しかっただろうと思う。
法を犯してまでタクミの為についた嘘が、本人によって肯定されたのだ。
少年の眼差しに「大丈夫、お母さんは僕が守るよ」って意思が見えたようで、頼もしかった。
この本筋に痴呆症の父って要素はさほど重要でないと思ってしまうのだ。
あの迫真のボケ老人は良かったけれど、頼むから他所でやってくれとお願いしたい。
原作を読んだ訳ではないのだが、俺的には化ける要素が多かった物語だけに、勿体なく思う。
今年は結構、邦画は当たり年なのかもなあー
縁側で父の肩に寄りかかる杏さんはとてつもなく可愛い。思えば杏さんは熱演だった。奥田さんは熱演過ぎたのかもなあー
傑作。
凄い進歩
根幹の問題を感じながらも、結論から言うと面白く見ました
(完全ネタバレですので必ず鑑賞後にお読み下さい!)
今作の根幹でもあり、問題点をはらんでいる中心には、主人公・里谷千紗子(杏さん)と野々村久江(佐津川愛美さん)の、女性登場人物の2人の”ヌケた”人物造形があると思われました。
十数年前ならいざ知らず、現在で飲酒運転をした野々村久江はあり得ないでしょう。
また、(支援団体と称して)幼児虐待なのかを確かめに、里谷拓未(中須翔真さん)として新しく息子になった犬養洋一の実際の両親に素顔をさらして会いに行く、主人公・里谷千紗子もあり得ないと思われました。
そしてこの2つのあり得ないと思われる2人の行動は、しかしこれら2人の行動が無ければ(主人公・里谷千紗子は犬養洋一/里谷拓未に出会わず、犬養安雄(安藤政信さん)が千紗子の家に訪ねて来ることもなく)この映画『かくしごと』の物語はこのままでは成り立たず、物語の根幹の構造になってしまっています。
つまり、この野々村久江と主人公・里谷千紗子の、2人の女性の(行動としてはあり得ないと考えられる)”ヌケた”人物造形に観客が乗れなければ、今作の全体に初めの段階で乗れないとなると思われました。
ただ、個人的には、ギリギリまあ2人の女性の”ヌケた”人物造形はなくはないかな、とは思われました。
なので、主人公・里谷千紗子、息子になった里谷拓未、痴呆症が進む父・里谷孝蔵(奥田瑛二さん)の、壊れながらも深まって行く3人の関係性によって、私は感銘含めて今作を面白く観ることが出来ました。
特に、杏さん、中須翔真さん、奥田瑛二さんの、3人それぞれの関係性の演技は素晴らしかったと思われます。
しかしながら、今作は原作も、脚本・監督も、男性であり、このレビューを書いている観客の私も男性であるので、(その2人の行動が作品構造の根幹ともなっている)女性登場人物2人の”ヌケた”人物造形が、果たして差別的でなく女性側にも説得力を持って描かれているかは、多くの女性側による(理念主義に陥らない、あくまで人間理解としての)評価検証は必要だとは一方で思われました。
(ちなみに例えば、野々村久江は飲酒運転をしておらず、犬養洋一(里谷拓未)は単に道路に横たわっていて車に乗っていた主人公・里谷千紗子と野々村久江に発見され、彼に対する幼児虐待を疑った千紗子が犬養洋一(拓未)を両親に返さず、犬養安雄の幼児虐待は千紗子が彼に会わずに匿名で児童相談所に電話通報し、犬養安雄と千紗子の再会はたまたま犬養安雄が町に戻ったからとすれば、主人公・里谷千紗子と野々村久江の、女性登場人物の2人の”ヌケた”人物設定はなくとも映画は作ることは出来たはずです。)
(物語としては傍流になるかとですが)個人的には関連して以下のシーンを興味深く観ました。
そのシーンは、町医者の亀田義和(酒向芳さん)と主人公・里谷千紗子との診療所での、千紗子が息子を水難事故で亡くした告白をする場面です。
その告白の場面で千紗子は、息子を水難事故で亡くした自分に、追い打ちを掛ける形で発せられた父・孝蔵の酷い言葉の話をします。
しかし一方で、町医者の亀田義和(酒向芳さん)は、そんな千紗子の父・孝蔵も、今は痴呆症と戦っている、との話をします。
この時に、千紗子(杏さん)は、そういうことじゃないんだよな‥と感じさせる微妙な表情の反応をします。
このシーンは私には、主観的に物事を捉えて描写する”女性”的な主人公・里谷千紗子と、客観的に物事を提示して合理的に説明説得しようとする”男性”的な町医者・亀田義和との、男女のズレを表現していると思われました。
つまり、一般的な女性と男性の、決定的な断絶を感じさせるシーンになっていると思えたのです。
個人的には、非常に興味深いシーンになっていると思われました。
(※にしても、他の映画ドラマでも全く違うそれぞれのキャラクターをリアリティありながら自然に演じている酒向芳さんは、一方で今回も相変わらず素晴らしい自然な演技をしているなと僭越ながら思われました‥)
このシーンを意識的にしろ無意識的にしろ描いていることは、興味深くはあります。
しかし現在の視点からすれば、2人の女性の”ヌケた”人物造形と合わせて、結構な危うい男女の断絶の作品根幹になっているなとは思われました。
(このことにもっと自覚的にこの映画が表現されていれば、また違った印象を持ったのかもしれません。)
私的にはこの女性2人の”ヌケた”人物造形はあり得ると思われ、作品全体としては息子を失った主人公と新しい息子と痴呆の進む父との3人の交流を、感銘も含め観ました。
しかし、この作品の根幹の問題は、広く他の人を交えて考える必要があるとは一方で思われてました。
かくしごとと嘘の境界線で。
少年との出会い方がひっかかるし、無理矢理な展開もあるけど、全体としてはとても見応えがあった。それぞれが抱えるかしくごとの先にあるもの。そして噓が暴かれる時。同じ景色が続く単調さもある中で終盤一気に加速してゆく感じも良かった。
ただ、この物語上とても重要な事件のシーンを予告で見せてしまっていて、その分こっちも待ち構えてしまうのでここは本当に残念だった。いやぁ、予告は大事なんよ。
最後の一言には涙がバーっと溢れたけど、冷静になったらあれが本心かどうかは実は分からないなって思えてきた。子供心に本当にそう思ったのか、それとも元に戻りたくない一心でそう言っただけなのか。彼の心の中は分からないけど、千紗子が救われたのは間違いない。
狂気の主人公と荒唐無稽な無理のあるストーリー
ずっと里谷拓未でいてあげて
いい映画でした。
泣きそうになりました。
奥田瑛二お目当てでの鑑賞。さすがの奥田瑛二。ホントに自分の娘が認識できてないんだったら、杏ちゃんはとっくに襲われてましたな😎
イワナ釣りはカラダが覚えているんでしょうね。
どれだけ釣り好きなんでしょう。
親友のお医者さん役の酒向芳がすごく自然でよかった。
認知症の物盗られ妄想なんかもリアル。
認知症がだんだん進行してゆくさまの描写も丁寧で、拓未君は気が利くし賢すぎる。天才。
認知症対応の啓蒙映画としてもよくできていた。
主演は安藤さくらでなくてよかった。
観るほうが気を使っちゃうから。
拓未君はなかなか強運の持ち主。
2回は死んでた。
ドスンというはっきりした音。
スピードを出している佐津川愛美運転の車に轢かれる。
佐津川愛美だからしょうがないねぇと、こっちも許してしまうところも絶妙なキャスティング。
ロープのヒモが「しっぽ」に見えたので、寝かされている少年はもしかして新類人猿の子供かなって思っちゃった。そしたら片足だけに結ばれた細いロープ。
橋の欄干にちぎれたロープがぶらり。
ゴムじゃない。
本人がバンジージャンプをしたがった?よくこんな下手なウソを堂々とつくもんだ。
どんな親かと思ったら安藤政信と木竜麻生の夫婦。
ちょっと憎みきれないズルいキャスティング😅
戸籍がなくていいわけはない。
しかし、もし戸籍がなくても高校卒業認定試験(大検)が受けられるならなんて思ったり。賢い杏ちゃんが色々教えてあげられるからね。
書く仕事だもん。
隠し子と····
ダジャレ🙏
小学校になんで来ないのって佐津川愛美の息子に言われたら一番困るなあ。
報道番組では子供の写真ずっと出るよね。
病院の窓口からじっと親子をみている看護師役の河井青菜が怖かった。
まあでも、原作の小説がある訳だし、認知症や介護の問題が身近になってきた身としては娘や孫、親友に囲まれてイワナ釣りして暮らす環境は羨ましくもあり、できれば、杏ちゃんみたいなきれいなお嫁さんに親切にしてもらいたい。お風呂でシャワーしてもらいたい。イワナ釣りして、池谷のぶえの店で飲みたい。
私にとって「魔斬」とは、酒田の銘酒初孫なんです。初孫に魔斬をあげたおじいちゃん。単なる偶然?にしてはと思いましたよ。
最近の邦画、ミッシング、あんのこと、市子などと子供の置かれた環境やテーマが近いけど、なんかいちばん沁みた。
最後に全部持ってかれた
知り合いにすすめられて鑑賞!
絵本作家の千紗子は、長年絶縁状態にあった父・孝蔵が認知症を発症したため、渋々田舎に戻る
他人のような父親との同居に辟易する日々を送っていたある日、事故で記憶を失ってしまった少年を助けた千紗子は彼の身体に虐待の痕を見つける
少年を守るため、千紗子は自分が母親だと嘘をつき、一緒に暮らし始めるのだった
次第に心を通わせ、新しい家族のかたちを育んでいく三人
しかし、その幸せな生活は長くは続かなかった─
というのがあらすじ!
飲酒運転で事故を起こしたことで犬養洋一という少年に出会うですが川から這い上がってよく道路まで行けたよね…
それがまずすごい!
そこから3人の暮らしが始まるんですけどここから幸せな生活を送ります
父親が認知症にかかったことで弱さも知ることができましたね
犯罪だけど確かに幸せな家族が存在してました
そしてそこにあの父親が登場してくる!
背後から拓未が父親を刺して千紗子が何度も刺してとどめをさすんですがその時の表情が…
守りたい一心で狂気すら感じる表情でしたね
最後は裁判の場面ですがまさか記憶喪失になってなかったとは…
途中から記憶戻ってる感じかと思ってました笑
最後に全部持ってかれましたね😳
みて思ったのが血が繋がってなくてもちゃんと親子でした
面白い映画をありがとうございました☺️
出演者の熱演に拍手です
重いテーマで熱演の俳優陣のおかげで
見ごたえは十分です。
ですが・・・。
クライマックスシーンが最大の見せ場ですが
あの展開になるまでの感情が彼に生まれる理由が
十分に描かれていたとは思えないのです。
映画の題材でこのような子供を描く作品は
色々ありますが、いつも見ててやるせなく
なるのは、切っても切れない幼い子供たちの
実親への愛情です。
理屈ではなく、第三者が介入できないような
へその緒がつながっていたから・・としか
言いようがない結びつき。「なんで!?」って
なります。
しかし、本作においては
「そーいう環境だったら、こうなるんじゃない?」
って結構ライトに描かれてる気がするんです。
こんな安易か?って。
そこに説得力を生むことを、本作はできていない
とおもいます。
ラストにつながる伏線が「楽しい日々」だけじゃぁねぇ。
杏さんの演技は素晴らしかったです。
クライマックスの要因となる小屋での
出来事の時の「目」すごかった。
映画を見ながら感じたあれやこれやがぶっ飛んだ出来事。少年目線の話を見たくなる。
◆何が驚いたって、千紗子(杏さん)が少年の父(安藤政信さん)にトドメを刺す場面にはビックラこいたよ。
杏がナイフを握りしめたとき、僕は心の中で「杏ちゃん、トドメを刺すんだ~」と叫んでたけど、さすがにそれはないな、杏ちゃんはゼツタイ刺さないだろうなと思ってた。それがイヤまさかホントに刺すとは、ナンテこったいである。オドロイタ ((゚□゚;))
あまりの驚きに、「後でレビューにでも書くべえ」なんて考えてた事 (親子愛だの、血縁のない家族愛だの、認知症のことだのについて感じたり思ったりした事)が頭の中から吹っ飛んだ。もちろんフトンも (^o^)・・・何でもない(すまん)
◆少年に記憶があったことを前提にした、少年から見た物語を見てみたくなった。
だけど、今作の親子愛、家族愛を描いた話ではない。少年の計画的な父親殺害の話だ。怖え~。
千紗子(杏さん)に出会った少年が、虐待をしていた父(安藤政信さん)を殺害して、正当防衛による無罪を勝ち取るための計画殺人を策定する。
ただし、杏が安藤政信にトドメを刺すのはさすがに少年も想定外で、今作同様、裁判で実は最初から記憶があったことを少年が告白するオチはそのまま。
◆交通事故を隠ぺいする話と、杏が調査員を装って少年の両親を訪ねる話はさすがにムリがある。
杏と少年は山道で普通に出逢えば良いと思った。
タイトルなし(ネタバレ)
エンドロールで原作が「嘘」という小説だと知る。普通に考えると小説が優れているからこそ映画化という流れがあるのであれば、この映画はその小説の大事な何かを2つ3つ置いて来てしまったのではないだろうか。
「かくしごと」というタイトルに原作から換えられており、主人公・千紗子の親友の「かくしごと」から始まり、(冒頭からそのありえなさに引きましたが)一方で記憶喪失の少年を囲う千紗子はすぐにバレそうな、且つ奇異でリスクの高い行動を続けます。(「描く仕事」はしていた)これが辛い過去を持つ不安定な精神状況下の千紗子の物語であるならまだ理解できるのですが、出てくる人たち皆、迂闊、軽率、ピンと来ない人ばかり(父・孝蔵は除く)。せめて村の賢者たる医師・亀田にはピンと来て欲しく、少年と釣りに興じている場合ではない。捜索で少年の写真が出回るだろうに誰も気づかず、最後のDV父も家族といた子供が川で行方不明なんてマスコミの目に囲まれているはずで、それでも千紗子をせめに来たのだから迂闊である。(マスコミが追ってきたらこの物語は終わりましたが)
そうした迂闊な大人たちの中でまともなのは子役のレベルを超える演技をした中須翔真さん演ずる少年だけであり、そのまま最後の「かくしごと」を披露して話を締めくくりました。冒頭に戻りますが、映画化したくなる小説が原作なら、脚本が問題?もう少し練って欲しかったなという印象でした。
ラストシーン号泣必至
並行ストーリー
誰にでもある かくしごと
序盤の事故の場面で
題名の理由は「コレだろうねぇ笑」と推測してましたが
甘かった笑
千紗子〔杏)のかくしごと=事故と子供を匿ってしまったこと
子供のかくしごと=記憶を戻しているということ
あたりまでは良かったのですが笑
こどものかくしごと=母親は千紗子だけ
千紗子のかくしごと=事故で亡くした子供に想いを重ねてる
そして
みんなのそれぞれかくしごとがあること
千紗子の父のかくしごと=認知症になってはじめて吐露できた
亡くなった妻と娘(千紗子)への想い
最後の終わり方もとても秀逸でした
拓未〔洋一)が裁判所の証人席で
話したひとことと
その後の
被告人席の千紗子の表情のかすかな変化を
〔喜び?)ゆっくりとアップしたところで
エンドロール
あとは鑑賞した人たちの心の中の想像で
後で思ったことですが
かくしごととという言葉が平仮名でよかったです
うまく表現出来ませんが、誰にでもある
心の中の想いかなと
人が生きることに正しさがあるとするならば、それは法を守ったり、規則...
う〜ん、これでいいと思う。
子を虐待する血のつながっている親と、子を愛する血のつながっていない親と、子供にとってどちらが本当の親かというなかなか面白いストーリーで、役者の皆さんの演技も良かったと思います。
ただ、終わらせ方として、子供に殺人を犯させるよりも、認知症のお父さんが娘のために刺してしまう方が良かったのではと最初は思いましたが、よくよく考えてみると相当な虐待を受けていただろうし、橋の上から通常のロープでバンジージャンプなんて殺人未遂に近い訳ですし、母親を助けるために刺してしまうのもありかなと思いました。また、映画的にも裁判中の子供の証言で終わらせる方がインパクトがあり、これで良かったのだろうと思います。
追記〉
ちょっと気になったのは拓未の両親のところに支援団体のフリをして様子を見に行くシーンがありますが、あれはやり過ぎかなと思いました。せめて、家の周りを゙うろついていて両親に怪しまれ、顔を覚えられるくらいで良かったと思います。
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