不思議の国のシドニのレビュー・感想・評価
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アントワーヌは、彼女にもう一度会えって言っているのだと思った
2024.12.18 字幕 アップリンク京都
2023年のフランス&ドイツ&スイス&日本合作の映画(96分、G)
夫を亡くした作家の来日を描いたファンタジック・ヒューマンドラマ
監督はエリーズ・ジラール
脚本はエリーズ・ジラール&モード・アメリーヌ&ソフィー・フィリエール
原題は『Sidonie au Japon』、英題は『Sidonie in Japan』で、「日本に来たシドニ」という意味
物語は、フランスを出発する作家のシドニ(イザベル・ユペール)が描かれて始まる
彼には夫アントワーヌ(アウグスト・ディール)がいたが、事故によって失い、喪失感に明け暮れる毎日を過ごしていた
シドニは日本に行く予定があり、それは著書『影』の日本語訳版が出版されたからだった
編集者の溝口(伊原剛志)の手紙に心を動かされたシドニは、長距離のフライトに身を委ねることになった
日本に着いたシドニは、溝口に出迎えられ、予定のホテルへと出向く
だが、部屋の清掃が終わっていないため、二人は時間を潰すことになった
ようやく部屋に入るものの、弁当が誰かに食べられていたり、開かないはずの窓が開いていたりと奇妙な出来事に遭遇する
シドニは戸惑いながらも、記者会見に赴き、通訳のノリコ(人見有羽子)を介して、記者たちの質問に答えることになった
その後は溝口の案内にて、京都、奈良などの仏閣を巡り、ひとときの休息を楽しんだ
映画は、ひと仕事終えたシドニが、アントワーヌの幻覚を見るところから動き出す
それは奇妙な夢かのように思えたが、妙にリアルな出来事だった
そのことを溝口に相談すると、彼は「幽霊」の存在について語り出し、日本にはそのような文化があることを教える
物語は、夫を亡くしたシドニと、妻と間に軋轢があった溝口が描かれていく
シドニは同じ車に乗っていたのに助かり、溝口はその場にいなかったために震災から難を逃れていた
また、溝口は生前から仕事一筋で、妻との距離があったことを告白する
対するシドニは、何かを書こうとするたびにデビュー作「影」が重なってしまい、それによって執筆から遠ざかっていたことを告白することになった
二人は「喪失感」を抱えていて、そのどれもが「後悔」が先立つものとなっていた
シドニは日本に来たことでアントワーヌの幽霊と遭遇することになるのだが、溝口の元に妻の幽霊は現れない
この違いは、シドニの夫は守護霊になったのに対し、溝口の妻は地縛霊になったからだと思われる
映画ではその違いを明白にはしていないが、霊の資質と役割を考えると、そう考えた方が自然であると言える
守護霊的な存在は本来は全く見えないものだが、シドニが弱っている時には姿を現すように描かれていく
後半になって、溝口との関係が深まるとアントワーヌは姿を消すのだが、それは見守りモードに入ったということなんだと思う
いつしかシドニが苦しくなった時に助けに現れるかもしれないが、彼女がデビュー作を想起するように、守護霊やデビュー作との関わりは「初心に戻る」という意味合いが強い
なので、アントワーヌはシドニを愛していた時の姿だし、彼がかける言葉も愛に満ちたものになっていた
いずれにせよ、日本人だとあるあるの観光スポット巡りになっていて、主に京都と奈良がメインになっていた
都会的な建造物ではなく、歴史あるものにふれたり、自然と接することが多かったのは、溝口自身が彼女に必要なものを感じ取っていたからのように思った
泊まる場所も当初は近代的なホテルだったが、奈良に行った時には宿に泊まっているし、そういった趣こそが癒しになることに気づいていたのだろう
二人は喪失を埋め合う中で愛を感じあっていたが、それは2度と交わらないもののように思えた
だが、シドニがバッグを忘れたことで再会のきっかけが生まれてしまう
それが、シドニがわざと忘れたのかはわからないが、それよりも「この縁で終わることのないように」というアントワーヌの願いがそうさせたのかなと感じた
静かな
大人のラブストーリーが展開されます。あんな短い時間で、恋愛関係に移行したのは、やはり旦那さんの霊が現れて消えたことがあるのでしょうか?途中のシーンで東京のホテルに入ったと思ったのに、関西方面で買い物をしているシーンがあったのは何故でしょう?
あいという字は、すぐ壊れてしまうのか?
オープニングクレジット...
二羽の鶴のふすま絵
その意味を汲み取れば
本作の思い入れの他
包括的意味合いも自ずと分かってくるかもしれません。
最初のショットが、映画製作に関わった人たちの思い入れがあると個人的には勝手に想ってもしまう。
シドニ、彼女の旅経つ前の自室... 鏡には景色が映り、彼女の背面の窓にも景色が映る。そのアンバランスな光景こそが映画製作者の想いれとともに日本の耽美的で美意識を凝縮した借景となり、そのアンバランスな構図こそが、以外にも何故か?視覚的にバランスを保っている。
溝口健三って?
初めて、彼のバイオを拝見したけど気にも留めないワンシーンが貴重であり大切であることを... フランスのヌーヴェルヴァーグの監督などにも影響を与えている。その名声とは裏腹に当時としては医療技術や薬物学の遅れに加えて、撮影スケジュールなどから、彼自身、身近に支えることのできなかった彼の近親者への "心残り" が本作にも多少、反映されているのかもしれない。だから
「溝口健三」って、許せてもしまう。 でも後からこんな会話が
Sidonie: That guy is called Kenzo Mizoguchi.
Antoine: Is he related to the famous filmmaker?
Sidonie: No, I already asked. It's a very common name
in Japan
そして、至極あたりまえな存在が、無 = Zero であることを...
Interviewer: Have you always want to write?
Sidonie: No. Writing is what happens when
you've nothing left. There's just
despair. But sometimes, there isn't
even that. There's just nothing.
健三がシドニにこんな事を語る... この事が本作のモチーフだと個人的には捉えている。
We all have a some kind of relationship with the decease.
Some see them, others feel them. The visible and invisible
world coexist. It's like that for us Japanese.
"Ghosts help us live. "
そして、後半には返歌のように思えるシドニの言葉
"The country we live in,
does not exist."
漠然とした幽霊をモチーフに日本を美しく描き、二人の関係の変遷を緩やかに描いたロード・フィルムには細かなところに悲しい事に多くのソゴがあり、ラストシーンを含めて、多少の違和感がある。それを取り上げることのできない程、取り上げるのをチュウチョさせる程、また映画の善し悪しに関係ない程、あたし個人の強い思い入れがあり、再度、大切な "何か?" を分かり始めてもいた。だから、この作品を傷つけたくもなく、これ以上のネタバレはやめます。
悪しからず
アンバランスな邦題のむなしさ!?
ただ、一言...
シドニの幻視という形で現れたアントニーをありふれた映画のように使い古されたホログラムで描いている。そうではなくて、足音が聞こえるほど"生々しく" 亡霊たちを描いた先人のように、中国怪奇小説や日本の幽霊物語に出てくるような子供までも授かる生身の人として、この世に存在しないものを敢えて描いてほしかったと...
手を繋ぐことを忘れた人たちへの
シドニのような可愛らしい心を忘れない女性は...今は、いないのかも!?
稚拙な考えの者より...
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