「他の視点で見たときのこと」コンセント 同意 yukispicaさんの映画レビュー(感想・評価)
他の視点で見たときのこと
今年284本目(合計1,376本目/今月(2024年8月度)9本目)。
※ (前期)今年237本目(合計1,329本目/今月(2024年6月度)37本目)。
(前の作品 「時々、私は考える」→この作品「コンセント 同意」→次の作品「風の吹くとき」)
さて、こちらの映画です。
ストーリーについてはPROレビューアや他の方が書かれているのでそこはばっさりとカットです。
個人的には他の方とは異なる考えでみました。
一つは「愚行権」、もう一つは「わいせつな文章の扱い」というところです。
愚行権というのは、ある行為が「自分にとって」明確に損であることがわかっていても本人の自主性を尊重し国なり地方自治体に関与されない権利をいいます。例えば成年者のたばこ、アルコールの摂取がそれにあたります(アルコールはまぁ量によりましょうが…)。しかしこれも当然絶対無制限のものではなく、未成年者では一部制限されますし、愚行権の行使の「王様」と言える「自死行為」については当然警察がやってくることになります。
この映画の主人公のヴァネッサは映画内では14歳から18歳くらいにまで描かれますが、この年齢というと、何の分別もつかない6歳7歳とは当然違い、できることは自分でやらせる、結果に責任を持たせることで自主性も尊重するというように少しずつ親離れしていくような時期にあたります。また、この映画が述べる「性的な行為」もまたこの権利に当たるものですが、一方でその性質上、「誰とやろうとどうこう言われる筋合いはない」のも確かです(明らかに不衛生である等は除く)。一方で母体保護等の観点なども考えれば特に女性は「ある程度合理的な」制約に服しえます。この点について映画でもう少し掘り下げた考察が良かったです。
二つ目は「わいせつな文章の扱い」です。映画内ではさも有名人のごとく(まぁ、有名になればなるほどアンチもでるわけですが。映画の描写参照のこと)出てきてあの本がどうだのといった話になりますが、日本では「悪徳の栄え事件」というのがあり、「たとえ芸術的・文学的な作品であってもそれを理由にわいせつ性に関して免責されるものではなく、それを打ち消すほどのものでなければわいせつ性を問われうる」という最高裁判例が有名です。この判例ほかによって一定の自主的な制限がかかるようになりました。
しかし後者に関しては判例は現在(令和6年)でも有効ですが、現在においては例えばコミケやインターネット上での発表、あるいはお金はかかっても自己出版…というように、「本は限られた才能が認められたものだけが発表できる媒体」ではなくなっています。しかしこれらを全て取り締まるのは事実上も何も無理なので、あまりに悪質なものについては当然検挙はされますが、現在令和6年においては、かなり抑制的になっています。フランスでもかかる趣旨(フランスにもコミケのようなものはあると思います)が妥当するかどうかは不明ですが、いずれにせよ「本は限られた人しか書けないし出版もできない」時代ではもはやないので、「どこまで取り締まるか」という問題は変わってきているはずです。この点についてももう少し掘り下げが欲しかったです。
採点については以下のようにしました。
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(減点0.2/上記の点について掘り下げた描写が欲しかった)
もっとも、この映画についてはその趣旨から扱う範囲を広げすぎると長くなる為論点をある程度絞ったのだろうと思われるし(ほか、フェミニズム思想、マンスプレイニング(男性が女性よりも優れているという思想のもとに、男性が女性にああしろこうしろと指示する類型を言う)等も映画では論じられるべき)、仕方がないかなというところですので、採点幅においては調整しています。
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