ありふれた教室のレビュー・感想・評価
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翻弄されるものたち
悪い先生ではないんやけど…あまりにも抱え込みすぎやし、いつか病気になってしまいそう。
今回の件、一番かわいそうなのはオスカーやな。そりゃあ自分の親を庇いたいのは当然。
ノヴァクが監視してたっていうのも問題ではあるんやけど、管理職がその後のケアを現場に丸投げというのがよろしくない。管理職の行動の責任は部下が取るというのも社会人あるあるで見ていてキリキリ。どこの国でも一緒なんやなあ。
子どもは大人が思っている以上に周りをよく見ているし聞いている。大人が喜ぶであろう行動をあえて取ることもあるくらいやし。やけど、子どもには大人の世界(忖度とか…)は分からないから大人と子どもの関係性が分断されたきっかけはその部分なんやろうなと。
ノヴァクがクーンのことをよく思ってなかったっていうのも背景としてはあるのがフェアではないよな…コーヒー代をポッケないないにしている同僚のことは見て見ぬふりするわけやし。子どものタバコも特に上に報告することもなく。臭いものに蓋をする性格ではあるんやろう。
そんな彼女がクーンのことだけは強く非難したのは、個人的な感情も入っているのでフェアではないのかなと思った。告発の後、本当にこれで良かったのだろうかと自問自答しているノヴァクを見ると真面目で責任感が強い人なんやろうなと思う。
自分ともかなりリンクするところがあり辛い映画やった。
衝撃の問題作という予告が気になって
劇場へ行きましたが、学校内で現金を盗まれるという事件があってそれに振り回される学校の職員と保護者が言い争うだけの話しで、ラストでチェーンソーを振り回したり銃を乱射するオチを期待していたら普通に終了した。
さわやか三組でやりそうな小さくまとまった話でこれを衝撃の問題作と宣伝した配給会社のセンスってどうよ?こんなのが衝撃と本気で思っているなら、否定はしないけどその宣伝担当者のセンスを疑います。普通につまらない映画でした。
もはや解決できない問題。
音響効果もあり、最初から緊張感のある映像。主演女優の演技が素晴らしく、又、子供達(日本で言えば中1くらいか?)も実に自然。ドイツ人の我の強い所、移民問題、など色々考えさせられる?が、どうすれば良かったのか?自分でも色々考えたが僕にもわからない。いずれにせよ、ギムナジウムの教師、生徒のストレスが伝わってくる作品だった。
ゼロ・トレランス(不寛容)方式
冒頭の話し合いで一瞬だけ主人公が見せた、ニヤけるような表情が印象的。
ただの微笑みとも取れるし、“熱心な教師像”に酔ってるようにも見えた。
学内で頻発する窃盗に纏わる顛末を描いた本作。
日本ではまず考えられないくらい直球でガッツリ調査する姿勢は、不寛容方式故か。
物語のキーとなるのは、職員でありオスカーの母でもある、クーン。
同じ柄のシャツを同日にたまたま着てる人物がいるとは思えず、99%クロである。
しかし彼女の財布に現金はなく、これが演技なら女優になれるという剣幕で無実を主張。
星柄シャツのファッションショーはまだしも、最初の一人が現実かも明示はされない。
この不安定さが、1%の可能性を捨てさせない。
ノヴァクの人物像も、誠実かつ真摯でありつつも、これも不寛容方式からかやや厳し目に思えた。
生徒から反抗される要素も十分に感じられる描き方。
中一らしい幼さと賢しさが同居した生意気さは、どの生徒も上手かった。
ただ大人の相関図が分かりづらく、初登場時では誰がどの立場か理解できなかったのは残念。
多人種化や多様性もあってか、生徒も男女の区別がつきづらいコもチラホラ。
ノヴァクの盗撮が法に触れることもあり、調査はほぼ進まず真相は闇の中。
最後はクーンも学校に顔を出し、オスカーもルービックキューブで歩み寄りを示して終幕となる。
微かに希望が見える演出ではあるが、やや中途半端かな。
2時間あっていいからもう少し突っ込んだところまで見たかったが、題材も描写もとても興味深かった。
【”教師の正義と生徒の正義。そして教師のアルゴリズムの間違い。”今作は、夫々の正義を貫こうとする態度が、学校内で様々な軋轢を生み出して行く様を描いたスコラスティックスリラーなのである。】
ー 冒頭、カーラ・ノヴァク(レオニー・ベネシュ)が教鞭をとるドイツの中等教育機関ギムナジウムで、盗難事件が頻発する。
「非寛容」を謳う学校のゼロ・トレランス教育方針(どんな、方針だ!)により、教師たちはノヴァクのクラスの生徒を調べていく。
そんな学校の姿勢に対し、ノヴァクは反発し、自身の服の中に財布を入れたままパソコンの動画機能で、犯人を突き止めようとする。-
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・序盤から、教師たちは口調は丁寧だが盗難事件の犯人は生徒と決めつけ、犯人捜しをしていく。
・だが、そのやり方に疑問を持ったノヴァクは、パソコンの動画機能を使い自身の服から財布を盗む人物を撮ろうとするが、そこに映っていたドレスは同僚のクーンが着ている服であった。
ノヴァクは穏便に事を済ませようと、クーンに話しかけるが彼女は激昂する。ノヴァクはその動画を校長に見せるが、クーンは認めずに逆にノヴァクのやり方を非難する。
・その事実は、徐々に校内に漏れて行き、クーンの子である優等生であるオスカーは、クラスの友達から嫌がらせを受け、逆にその生徒を突き飛ばす。そして自宅待機になったクーン。
・クラス内の秩序も崩れ、ノヴァクは逆に精神的に追い込まれて行く。
■再後半のシーンは、何とも暗喩的である。オスカーは無理に学校に登校し、級友の好奇の眼がありながらも最後まで教室に残る。
そしてノヴァクが、且つてオスカーに”アルゴリズムの問題よ。”と言い”一面だけ揃えてあげたルービックキューブ”を、オスカーはノヴァクの前でいとも簡単に”全面を揃えて”机の上に置くのである。
このシーンは、ノヴァクのアルゴリズムよりもオスカーのアルゴリズムが優れている事を示している。
広義で言えば、教師のアルゴリズムよりも、生徒のアルゴリズムが優れている可能性があるという事を示唆しているのである。
ノヴァクは今作に登場する教師の中では、生徒想いの良き教師であるが、盗難事件の問題解決手順を間違えてしまったのである。
故に、校内に留まっていたオスカーが警官達に校外に運ばれる時に、彼は周囲を睥睨する王のように、警官達に椅子ごと持ちあげられ、学校を後にするのである。
<今作は、教師の正義のアルゴリズム<この場合、問題を解決するための手順と読み替えた方が良いであろう。>に基づき、盗難事件の問題解決をしようとしたノヴァクや教師達が、<問題解決の手順を間違えた事により>様々な軋轢や負の感情を生む怖さを描き出したスコラスティックスリラーなのである。>
<2024年6月30日 刈谷日劇にて鑑賞>
しんどい
何処も同じ教員の大変さ。普通に働いているだけでホラーなのである。/しかし、直で相手に突きつけるかね?とは思ったが、信じられるのは我が身のみ、の心境だったのかもしれないし、よくも悪くも正義漢ということなのだろう。/いちばんキツかったのは、「朝の儀式は先生のためにやってあげてたんだよ」みたいなところ。うまくクラスをまとめてるな~と思っていたやり方だったので、そのように言われると、ほんとのことであっても(本当のことだからこそ)堪える。あのぐらいの年頃の子って子ども扱い嫌うしね。
教員希望者は絶対に観ないで下さい
古典的不条理劇風。
むか〜し、若かった頃、渋谷のジャンジャンで中村伸郎の「授業」を観たのを思い出しました。
移民の子どもたちが多いドイツの中学の新任先生の担当は数学でした。
おいしい給食の甘利田先生も数学教師ですが、授業シーンは皆無😋
0.999999999は1ではないことの証明なんて、難しくてどうしていいかわかりません。
トラブル処理担当のトラブルメーカー先輩教師に引っ掻き回され、こまっしゃくれた生徒たちに翻弄され、幻覚を見るほどにヤラれてしまう美人先生。体育授業中にノートパソコンの画面スリープ中に動画撮影を起動させ、おとり捜査したことがアダになってしまう。
おいしい給食では給食費がなくなったと訴えた女子生徒に対し、全員に下を向いて目を閉じさせたままで、手を挙げさせる。みんな甘利田先生に従います。信じているからです。
学校全体のルールが不寛容主義の徹底ってなによ?
校長先生の威厳もスゴいですが、殺伐とし過ぎ。
監督はトルコ系移民のドイツ人の男性。
登校停止処分を破ると警察介入なんですね。なんですか、あの最後のシーン。
ライオンキングか!
エヌエッチケーの解説員のひとが取り上げて紹介していたので観ました。「怪物」よりはおすすめですが、教員希望者にはお勧めしません。人手不足で辞めさせてももらえないんだから。
サービスデーでもない新宿武蔵野館にラッパー風の若い男や外国からの留学生らしいひとが結構多く観に来ていて、終わったあとも不条理劇の続きなのかなとちょっとアセりました😱
怖い効果音は関心領域とほぼ一緒。
ドイツ映画だから?
スリリングな「社会の縮図」としての学校。ラストは「投げっぱなしジャーマン」な印象も。
端的に言って、面白い映画だったけど、
みんなは、あのエンディングで良かったのかな?
なんか、あまりに話の途中でぷつっと終わっちゃったような……。
個人的には、「最後にクラシック(メンデルスゾーンの『真夏の夜の夢』)かけたら、それだけできれいに終われると思ってるんじゃないだろうな?」と、ちょっと思いました(笑)。
とはいえ、先が読めない楽しさがあって、
本当によくできた脚本だというのは確かで。
ヒリヒリ系の学園ドラマとしては、いくつかの新機軸があって、
①もめ事の発端が子供ではなく、大人の置き引き
②その大人の息子が在学中でキーパーソンになる
③クラスが多人種であることが徹底的に強調される
④中1は「ほぼ大人並みの存在」として扱われる
といったあたりは、僕にとって大変新鮮だった。
この物語のキモは、「置き引き犯」と目されるおばちゃんの存在だ。
どのキャラクターも自らの正義を信じて「正しく」動こうとしているのに、だんだんと食い違って、いつしか大変なことになっていくというのが本作の大筋だが、その「変異点」として機能しているのがこのおばちゃんだ。
ここには制作者の仕掛けた「罠」が存在する。
客観的に見れば、99%置き引き犯として「有罪」。
それなのに、演出上は「無罪」としか思えない言動で、
自分はやっていないと言い張り続ける。
この矛盾した二つの属性を付与することで、
作り手は作品に「歪み」を生じさせているのだ。
しかも、犯人を見つけるためにヒロインが採った「手法」自体が疑問視されるために、「なぜ映っていたのか」「服を揺らして何をやっていたと主張するのか」「他に同じ服を着た人間はいなかったのか」といった、肝心の捜査・追及がまったく成されない。
これももう一つの、物語を支える「理不尽」だ。
われわれ視聴者は、「証拠上はどう見ても犯人にしか思えない」のに「どう見ても犯人とは思えない挙動をとる」女性にとまどわされながら、その「変異点」の異常性ゆえに周りの人々がきちんと機能できなくなっていく様子を、ただ外から見守るしかない。
要するに、監督&脚本は、「ほぼ絶対的なクロの証拠」と「通常のドラマならシロの演技」を掛け合わせたうえで、その矛盾・対立する要素を敢えてそれ以上「アウフヘーベン」しないで、宙ぶらりんのまま解決しないという「ギミック」を用いて、本作の混沌を生み出しているわけだ。実に映画的で、頭の良い仕掛けだと思う。
― ― ―
ただ、若干乗り切れなかったのもそこにひとつ理由があって、要するに、なんでみんなガッツリとコソ泥ババアを追い詰めないで、相手に反撃なんかさせてるんだ?ってのは、最後まで違和感として残ったんだよね。
個人的には、学園内部で盗難事件があったとして、隠しカメラを仕掛けることが悪手のように言われる筋合いは1ミクロンもないと思うし、それを責められる筋合いもないと思う(これは児童の万引きではなく、大人の起こした明快な窃盗事案であり、僕なら大っぴらに同僚全員に何があったか話したうえで、速攻で総務から警察に連絡させますが)。
それに、録画にだれかが映っていたのなら、それこそ徹底的に追い込むことにも、なんら抵抗を感じない。証拠としても、もちろん有用だし、有効でしょう(僕なら、やり口がまずいと言われたくないので、職員全員にやはり起きたことを共有したうえで監視下に置き、現行犯逮捕を目指しますが)。
おばさんの犯罪の内的調査結果を確定させずに善後策を講じつづけても、得るものなど何もないし、犯罪者に対して隙を与えることになってしまう。それなのに、なんで先生方はみんな「本当は何が起きたか」を詰めようとしないのか。
不寛容主義が、きいてあきれる。
たぶん、背景にあるのは「お国柄」だ。
ドイツならではの「後悔」と「反省」と「トラウマ」。
そう、ドイツ人は皆、ナチスや秘密警察シュタージによる「相互監視」と「密告」の制度運営によって、自分たちが私的に監視し合い、密告しまくっていたことに対する、強烈な罪悪感と恐怖感から未だ抜け出せていないのだ。
だから、善良な主人公の女性教師は、自分のやった「盗撮」という行為をアンフェアだと考え、周りの教師たちも不快感を隠さない。彼らのなかでは容易に、相互監視と密告によって個人情報が国家に搾取されていた過去のおぞましい経緯が想起されるからだ。
戦後のドイツ映画を観るときに、ユダヤ人虐殺に対する深い悔恨や、二度の戦争における敗北に起因するある種の劣等感に加えて、「自分たちはかつて、国家のために隣人を平然と犠牲にしてきた民族だ」という恥の感覚に彼らが今も囚われているという部分は、決して忘れてはならないポイントだと思う。
― ― ―
なんにせよ、最初に言った通り、本作の終わり方については僕個人は否定的。
本当に何も解決していないし、何も明らかになっていないし、これからどう転ぶかもわからない。
もちろん意図的にそうしたということなんだろうけど、こういう「起・承・転」だけで映画を放置するのが本当に誠実なやり方なのか。
結末をつけないことで、楽をしたり逃げたりしている部分は本当にないのか。
「実際には教師と子供のあいだには、しっかりとした心の絆が生まれていた。彼女がやってきたことは間違いではなかった。真摯な思いはしっかり伝わっていた。一方で大人とちゃんと対峙して戦った少年も立派なヒーローだった」からといって、この大騒動にまでなってしまった件に結局のところ、どう落とし前をつけるつもりなのか。
そこの道筋すらつけずに、「やりたい部分はじゅうぶんにやり切りました。あとはすべて蛇足みたいなもんです」と、音楽と演出の力を借りて映画を終わらせてしまうのは、いささか手前勝手な振る舞いであるように僕は思うわけだ。
たぶん監督たちにとって、本作の「教室」は、文字通り「社会の縮図」なのだ。
ちょっとした問題が、世論の「分断」を生み、対立と抗争が発生する。
そこには人種問題や、民族間での思考の違い、ジェネレーションギャップ、支配者(教師)と被支配者(生徒)の関係性など、さまざまなフェイズの問題がからんでくる。
誰もが自分の「正義」を信じながら、お互いの認識には「齟齬」が生まれ、しだいに対立と分断は無視し難いものになっていく。
さらにはSNS世論やジャーナリズム(ここでは学生新聞)が分断を加速させ、深刻化させる。そのなかでも、当事者たちは、「議論」と「寛容」の精神をもって誠実に物事に対処していくしか手がない……。
そういった「社会の縮図」として教室内を規定しているからこそ、「この問題には終わりがつかない」。すなわち、ここでは「盗難事件」が「宗教対立」や「領土問題」の「小さなひな型」として扱われているが故に、本家本元が永遠に解決しない事案である以上は、こちらもおいそれと解決篇をつけるわけにはいかないということになる。
「真相の探求」についても、各勢力によるバイアスがかかって「本当に正しい解答など最初から見いだせない」というのが社会の常であるから、本作でもきちんとした調査・追及は行われない。
だから、この映画は「尻切れトンボで終わる」しかない。
それはわかっている。
わかってはいるが、一本の映画としてはやはり、こういうのは「投げっぱなしジャーマン映画」に思えてしまうわけだ(ドイツだしね)。
以下、雑感。
●カメラワークとしては、少しダーレン・アロノフスキーの『レスラー』や『ブラック・スワン』を思わせるような、後ろから常に尾行している感じのバックショットが印象的。
ヒロインは、常に小気味よいテンポとリズムで学校内をてくてく移動するので、その後ろ姿を追い続けるカメラワークもまた、いきおいテキパキとしたものになる。
それから、極端なアップ。これもアロノフスキーっぽい。
総じて、テンポと切れのよいカット割りと、不安を煽るアングルのアップの組み立てで、緊張感と疾走感のある演出が貫かれており、そのぶん、終幕まぎわに挿入される「静謐な瞬間」や「無人の教室」といったシーンも非常に効果的だ。
アロノフスキー風の窃視感覚でヒロインを追い続けるカメラは、次第に追い詰められ、精神の均衡を喪っていく彼女の心理状態をつぶさに描き出してゆく。まさに『ブラック・スワン』でも採られていた手法だ。最近では『TAR/ター』でも似たようなカメラワークが散見された。『TAR』は「女王の失墜と混乱」というテーマにおいても本作と通底する部分が大いにあり、その撮り方を参考にしている可能性は十分にある。
●教室内の様子は、日本人の僕にとってなじみのある雰囲気とはだいぶ異なっていて、異文化体験として新鮮。でも僕が知らないだけで、今の日本の学校でも「多人種」化はずいぶんと進んでいるのだろうし、授業の進め方も今は日本でもこんな感じでやってるということもあるかもしれない。
ただ、学校新聞に関しては、ここまで生徒の自治が認められて、教師がかかわることなく取材と記事づくりが行われているのかと、結構びっくりした。
総じて、子供を子供として扱わずにきちんと相対しているのが伝わって来るし、子供たちも結構な知性で団結し、動こうとしていて、まあまあ普通に感心する。すくなくとも自分が中学生の頃は、学内自治なんてしょせんは絵空事で、大半の物事は最終的に担当教師の理念と誘導のもと決めていたからなあ(笑)。
このへん、ドイツらしいといえばドイツらしいともいえるし(ドイツには「ディスカッション文化」という言葉があるらしい)、さきほどの「社会の縮図」論でいえば、もしかすると「労働組合」のメタファーみたいな部分もあるのかもしれないなあ。
●終盤で、追い詰められた女性教師がトイレでゴミをぶちまけて袋に顔を突っ込んですうはあすうはあ呼吸するシーン。あれ、知らないで観たら単に頭がおかしくなってるだけのように見えるかもしれないが、一応あれは「過呼吸」を起こした際に採られるオーソドックスな対処法のひとつであり、むしろ主人公が自身のパニック発作にも、ぎりぎりのところで冷静に対処できていることを占めすエピソードと考えるべきだろう。
●たった一人の叛乱を起こし、子供ながらに母を守るため教師と対峙してみせるオスカー少年は名演技。こういう「ひとりぼっちの反抗」を賞賛する機運が、欧米ではたしかに高いよね。
個人的には、組織に外から「抵抗」するよりは、組織の中枢に上り詰めて(もしくは中枢から信頼を受けるご意見番や黒幕の立場を立脚することで)内から「支配」することのほうが有効だと考え、実際にそうやって人生を送ってきた人間なので、こういう「自暴自棄」を評価する気にはあまりなれないんだよね(笑)。
●先生が子供と一緒に「あああああああ!!!」と大声を出し合うシーン。
まったく同じものを、ついこのあいだ『胸騒ぎ』(善良なデンマーク人夫婦がろくでなしのオランダ人夫婦のもとでコワい目に遇う映画)で観たばっかりだが、ヨーロッパ北部地域では、ストレス発散法として比較的よくやることなのだろうか?? もしかしてはやってるの??
あまりに似たシーンだったので、ちょっとびっくりした。
●あと、教室内がうるさくなってきたら、先生が拍子をとって、生徒が手拍子で合いの手を入れて丸く収めるやつ。たしか作中で生徒に「あれは小さい子のクラスでやるものだ」とか言って歯向かわれていた気がするが、あれ初めて観たけど、ドイツでは一般的なんだろうか? 結構面白そうだし、楽しそう(笑)。
●なんでラストの音楽は『真夏の夜の夢』なんだろうね? なんか理由がありそうだけど。
●私事で恐縮だが、母親も昔、小学校の教師をしていて、まあまあのカリスマ教師だったときく(退職したあとも、大人になった教え子たちが四六時中家に遊びに来ていた)。昔、母からきいた様々な児童の問題行動やモンペの暴走や左翼教師の謀略やロリコン教師の犯罪の話を思い出しながら、本当に教師ってのは大変なお仕事だよなあ、と、ちょっと懐かしい想いに駆られながらの映画鑑賞でした。
先生、教員と教師はどう違うのですか!?
サスペンススリラーというふれ込み、教員と思しき女性が絶叫しているキービジュアルにどこかヒッチコック「サイコ」のようなスリラー映画の印象を持って見始めた本作は、普通に真面目、ややシニカルな社会派ドラマだった。捉えようだけど。
原題が表す通り、話の主体はあくまでも教員側で、各々が教育実務に忙殺される職員室は、いかんせん上手くいってそうもないコミュニティのような空気感。
根が真面目な主人公は、教師として一見ダメな箇所も見当たらないようなタイプ。ただ、常に適切な受け答えを遵守する性格が裏目となり適切と言い難い事象に出会した際に弱目がたつ皮肉が正味90分続く物語だ。
このような場面はドイツの教育現場に限らず、どの国の職場、家庭でも見かける風景で本作邦題のそれは言い得て妙だった。
***
結局あの事務員はクロということでOKなのだろうか。盗人猛々しいのはよく分かったが、、。ラスト玉座のように強制排除される子供のカットは何を表現したかったのか、今ひとつ分からない。
テンポよく目を離せない進行なのはとても良いのに、所々キーポイントが未回収のため居心地が悪くなっているのが勿体ない気がした。
***
ところで、小6か中1あたりの子供は精神が特に勢いよく成長しており正に日進月歩とはこの事と日々感じる。大人が思うよりもずっと「わかってる」ものと考えた方がいい。
私は恩師から「子供を子供扱いするから失敗する」と習ってきたのだが、先生と呼ばれる方は相手が子供であっても人格を慮ることを肝要とするらしい。本作の主人公はその点いかにも、子供扱いをベースとしていて尚「ダメなものはダメ」というぶち込み精神論もできないわけだから、前述のとおり極端な出来事に対処しきれない。で、叫ぶし。やるなら海辺で一人でやれよである。
日本でも、教員を教育する制度もこれ、必要なのではないかな。
日本の80年代には校内暴力という異常な社会現象があった。本作品のチャタク監督には名作ドラマ「金八先生」そして「スクール・ウォーズ」をぜひ見ていただきたいと思う。お門違いながら、そういう時代を見てきた世代からすると共感しきれない、本作の今っぽい教員に、見ているこちらも叫びたくなる作品であった。
彼女は終始
信頼に足る人物だった。
というか、スーパーマン。あんなにメンタルが強い人はそういないだろう。最後まで強靭な彼女の言動には感心せずにはいられない。一般の人であれば、どこかでメンタルが崩壊してしまうことだろう。
ずっと、胸くそ悪い映画だった。しかし、予想された最後ではあったが、逆に予想通りであることで、悪くない終り方だったと感じた。
ひとつだけ、とても好きなシーンがあった。ラストの音楽もよい。
観た直後はうーんという感じ
いつもの映画館で
チラシを見て楽しみにしていた
観た直後はうーんという感じ
雰囲気的には怪物に似た感じなのだが
ストーリーはあちらほど練られてなくて
整理されていない雑多なものを出されたような
しかし一晩置いてみると
不思議と味わい深かったように思われる
いやぁ教師は大変だ
日本はほぼ単一民族国家だから
めんどくささの要素は若干少ないかもしれないが
オラが北海道に行った感覚で
修学旅行でイギリスに行くのか とか平和な感想もありつつ
ポルトガル語で話すことをためらうシーンとか
移民とのつきあいとかEU傘下のヨーロッパの
複雑な事情が垣間見える
・ポリティカルコレクトネス
・人権
・プライバシー
・報道の自由
・モンスターペアレンツ
とか結構な難題を学校というひとつの空間に入れ込んでいる
ファストファッション全盛の今の世の中シャツ被りなんてザラでは
なんてことも
何でもかんでもヨーロッパは高尚で
つい正しいように思ってしまうが そうでもないよなと思う
植民地を是としていたりするし
一方で単一民族国家がいいなんて意見をいったら
たちまち何らかのレッテルを貼られる
オラだってそんなことを表立って言う人物とは距離を置くだろう
なんかごちゃごちや考えてしまう一作だ
最後の方で追い詰められた主人公がそれまでどちらかといえば
ソリが合わなかった同僚に助けを求めるシーンが気に入った
結局いろんな人の協力を得て折り合いをつけて前に進むのだ
ラストのオスカーの行動
主人公と通わせたとみるべきなのだろうが
揺れ動く子どもの感情の一端という気もする
まるで現代社会の縮図。
決してカーラは間違ってたのか?とか、どうすべきだったのか?ということを問うている映画ではない。
それは、最後まで犯人が明らかにならない事からも明らかだ。いや、あえて犯人を明らかにしてないと言ったほうが良い。犯人探しのミステリー映画ではないのだ。
鑑賞前は、最後に犯人や驚きの事実が明らかになるミステリー映画だと思ってたから、いやオドロイタ ( ゚д゚)
最初の、 「0.999··· は 1 と同じか」 の授業で、それは「主張」なのか「証明」なのかを問う場面がある。カーラが数学教師であることの単なる紹介の場面だと思っていたが、作品が問いかけてくるテーマに絡んでくる。
この映画は僕たちに、真実(事実)とは何かを問うてくる。果たして僕たちが正しいと信じる真実は正しいものなのか? 真実と思ってたものが、思い込み、勘違い、推測、間違った情報を元にしたものかもしれない。それは単なる「主張」であって、「証明」された真実とは限らない。その「主張」がたまたま真実である事もあるが、「証明」されて初めて真実であると言える。
しかし、ここで最近の生成A Iの凄まじい進歩が頭に浮かぶ。写真どころか本人、家族、側近でさえ見分けがつかない音声付き動画が簡単に作れてしまうらしい。いや、それ以前からネットのフェイクニュースは、プロのジャーナリストでさえ見分けるのが難しかったり、騙されたりするという感じだった。
この映画を見てて1番恐ろしかったのが、生徒達が正義の名の下に自分達の作った真実を突きつけてきた場面だ。 生徒は、親と生徒どうしの話を信じ、カーラと教師たちには不信感がある。
ここでも生徒たちは、自分達が正しいと思う正義と真実を主張する。それが正しいと証明されたワケでもないのにだ。
で、このレビューは特に結論も出さずに、突然ここで中途半端なまま終わる。
もう日付も替わって1時だし、よく分からないし上手くまとまらずに結局レビューしなかったという僕のよくあるパターンになりそうなので、このままレビューをUPする。
ナイスアイデア。
ああ、あと映画の最後にオスカー少年がルービックキューブを6面揃えた事と、玉座で運ばれる王様のようにPOLICEにイスのまま担がれて運ばれる場面も何か意味あるはずだから、他のレビューを見ることにしようと思いました○(マル)。
「女王の教室」の天海祐希なら、、、
ほとんど予備知識無しで鑑賞しました。ふれこみのサスペンススリラーと言うのとは、自分はちょっと違う印象。不寛容方式とやらを導入していると言う教育現場の問題点を鋭くついた社会派映画だと思いました。スリラーと言うならちゃんと真相を明らかにして欲しいが、明確な結末ではない。観るものにその解釈を任せると言う場合によってはズルいなあとよくあるラストでしたが、自分はおそらくラストであの少年が自分の母親が盗難事件の犯人だったことに気がついたのではと、少年の涙を見て思いました。また、それを見た女性教師もそれを察して校長たちを追い出して教室を施錠したのだと思います。少年がルービックキューブを完成させて、彼女に見せることでお互いの間にある種の信頼関係が生まれたのだと思います。自分の人生の味方は、必ずしも血の繋がった血縁の人間ではないと言う辛いが厳然たる真実がここにはあります。この映画で一番最悪なのは校長ですね。上に立つ者の資質が欠けてます。問題が劣勢に傾くと下の者に責任転嫁するあの光景は、よく見かけます。遊川和彦の「女王の教室」の天海祐希なら、もっと観る者にフラストレーションを与えないリアクションをしてくれるんだろうなあと思いながら観てました。
ドツボサスペンス?
まさに淡々とドツボにハマっていく。
些細な原因から始まり、主人公カーラは彼女の信念で対応していく。
しかし状況はどんどんとドツボに・・・
どうなるのか?真相は?
もはやそんなことは関係なく事態は想像を超えて悪化して、
そしてどんどん周りに感染し、巨大化していく・・・
確かにラストはある意味衝撃。
最近の伏線回収映画に見慣れた人にはどうかな?
個人的には映画らしい映画なので、好きです
違法に収集した証拠と基地外への対応と隠ぺい
考えさせられたが1点の除き面白いとは思わなかった。
1点とはラストのタイミングが良かった。
そこだけ。
証拠には合法な証拠と違法な証拠があることを知っておかなければいけない。
違法な証拠であるから、その証拠を本人に突き付けてはいけない。
推定無実だとして、反論せず子供に迷惑をかけるの基地外だ。
隠さず
「違法に収集した証拠より疑わしい人が浮かび上がりした。その人は反論しません。また、推定無罪であるため引き当学校は犯人を探します」
と公表するしかない。
隠すから噂や新聞のネタになってしまった。
崩れる関係性。
赴任したばかりの中学校で相次ぐ盗難事件に巻き込まれた若手教師カーラの話。
担任するクラスの教え子オスカーが別の先生から疑われるから始まり、犯人は誰だと隠しカメラを仕込むカーラだったけど…、そのカメラに映ったのは「星柄のシャツ」と分かり、校内を探しまわると、そのシャツを着てたのは同じ教員のクーンだと分かる…。
本作観ての感想は、そんな腕だけ映った動画で財布を盗んだ犯人と決めつけ行動するカーラから始まり、校長も犯人はアナタでしょ!となってくけど、そのクーンの息子はオスカー、疑われたと話が広まり、教師同士、生徒、生徒の親と揉める事で崩れる関係性と失う信頼みたいになってくけど。
結局犯人うやむやだし、犯人探しが本作の伝えたいメッセージではないってのも分かるけれど、責任転嫁し都合のいい言い訳な教師達と、潔く謝罪した方がいいんじゃない!と脳内ツッコミいれてたけど、上映時間約100分と短いけど時間を感じてしまったし眠かったかな。
ありふれた教室ではない
少なくとも日本の学校とは違うし、ありふれた教室でも職員室でもない。日本の学校の教員は警察のように犯人探しはしないし、教育的な配慮や意図を持って指導する。子供たちの問題は、親や学校や教員の問題が分かりやすく形になって現れたもの。カンニングや盗難が起こるのも、授業をサボるのも、他に原因を探す必要がある。学校の再生は、子供を警察に突き出しても解決しない。ドイツの学校が全てこうだとは思わないけど。
Duh
「ミッシング」「胸騒ぎ」と気分が落ち込んでしまう最悪で最高な映画を観続けたあとにもういっちょヘビーな作品を見るドMかな?ってくらい自分を追い込んでしまっています。
学校関係では昔一悶着(教師と自分の揉め事で)あったので、そういう面でも注目していた作品です。
最近まーじであらすじをサクッとしか読まずに映画を観るので、今作も生徒の問題の対処で1人の教師が学校や親御さんと揉める作品だと思っていましたが…ちょっと違うベクトルの作品でした。
学校の先生たちが生徒を尋問しているシーンから始まり、そこから胸がゾワゾワするのに、生徒のための行動が人と人との関係に亀裂が入っていくリアルがこれでもかと描かれていて口角上がらずで観ていました。
主人公のノヴァク自身も違和感を暴きたくてとはいえ、盗撮行為はちと踏み込みすぎてるなと思ったら案の定それが悪い方向に…。
実際にはお金を盗まれていますし、行動の一つ一つははしっかりしているのに、どこか隙があって詰めも甘いとどうしても噛み合わず噛み合わずの連続で、その行動はアカン…と何度震えたことか。
オスカーの母親のクーンがまぁいわゆるモンスターペアレントってやつで、話し合いを全くしようとしない姿勢がいかんなと思いました。
ちゃんと話し合って釈明すればここまでの大ごとにはならず、普段通りの学校生活が送れていたはずなのに…と一手の読み間違いでここまでになるとは…まぁ誰も思わんわなとは思いました。
今作に出てくる子供たちもまぁ生意気なもんで、教育上うまいことコントロールできなかったんだろうなというのはありますが、基本的に歯向かってくる子が多いと先生も大変だよなと思うシーンが多くありました。
自分の通ってた学校もなーんか騒がないとやってらんない奴が授業を止めていたので、それの始まりがこの子たちくらいの年齢だよなー、悪意を持ってやってるよなーとノヴァク頑張れと観ていました。
でもオスカーの暴力行為は擁護しなくてもよかったのでは…あれは厳しくいってやる方が良かったのになぁ。
あと学校新聞を作っている子たちは将来の突撃系ジャーナリストになりそうでかなり怖かった。
先生たちには更なる問題があるのも特徴的で、煽り散らかす先生もいれば、都合よく言語を変える先生もいるし、多数派に属して自分の意見を安全地帯から言う先生もいたりして、校長自体も物事に荒波を立てたくないのか無難な対応しかしないから保護者たちに火がついてしまっているのに無視を決め込んでいたりと、これは中々に胸糞でした。そりゃその背中を見てたら子供らも捻くれるよと。
最悪に最悪を畳み掛けての終盤はもう崩壊しっぱなしでしたが、ノヴァクが子供たちに叫ばせてるタイミングで自分も叫ぶシーンは少しだけ、ほんのちょっとだけスカッとしました。そこだけは救いがあったと思います。
ちょっとした小話で、昔教師と揉めた問題は今でも教師側に問題があったなと思っています。
その教師は血の気が短いなんてもんじゃないレベルですぐブチギレてしまう教師で、ちょっとした物音(シャーペンを落とすとか)でも詰め寄ってくるタイプで、令和にこんな教師おるんや…と衝撃を受けっぱなしでしたが、自分がクラスをまとめる立場にいたのもあってか、やけに目をつけられていて、騒ぐ他のクラスメイトの次くらいには代表として怒られていたんじゃないかなと思います。
多分機嫌が悪いんだろうなって日には見ただけでブチギレられるという意味の分からない目に遭ったので、流石にこちらも我慢が効かなくなってきたので、ボイスレコーダーを持って行って、案の定理不尽な理由で絞られたので、そのボイスレコーダーを教育委員会に持っていって、特に音沙汰がないなーと思っていたら次の学年の時に退職という扱いでどこかへ行きました。
約2年キツい思いをした身としては、逃げられたようでどこか釈然しないところもありましたが、他の学年の子や同級生たちが辛い思いをせずに済んだんだなと思うとどこか晴れやかになりました。
今作には共感するところがとても多く、それ故に映画としてよりかは道徳のなんたらの学びになってしまったのが痛かったです。
今の社会の縮図みたいな作品で、色々と考えさせられてしまった。
この作品をフィクションとして楽しみたかった。学校でやっぱり不思議な空間なんだと再確認。卒業したからにはキラキラした学校を見たいっすね(強欲)
鑑賞日 5/21
鑑賞時間 16:30〜18:15
座席 D-2
不寛容方式ついてググった方が、この状況に陥るジレンマを理解しやすいと思う
2024.5.23 字幕 アップリンク京都
2022年のドイツ映画(99分、G)
ある事件をきっかけに崩壊する小学校を描いたヒューマンホラー
監督はイルケル・チャタク
脚本はヨハネス・ドゥンガー&イルケル・チャタク
原題の『Das Lehrerzimmer』は「職員室(先生の部屋)」という意味
物語の舞台はドイツのハンブルク
そこにある小学校では、職員室にて盗難事件が多発していた
新しく入った清掃業者などが疑惑に上るものの決定的なものは出てこない
赴任して数ヶ月のカーラ・ノヴァク(レオニー・ベルシュ)は、子どもたちにも嫌疑が及んでいる状況を鑑みて、自身のパソコンを監視カメラ代わりにして、自分のモノが盗まれないかを隠し撮りすることになった
案の定、財布からお金が盗まれていて、カーラはカメラ映像を確認することになった
そこには縞模様の白いブラウスの人物が映っていて、彼女は事務員のクーン(エーファ・レーバウ)を犯人だと考える
ことを荒立てたくなくて個人的に話し合いをしようとするものの、クーンは取り合うこともなく否定する
そこでカーラがベーナ校長(アンネ=カトリン・グミッヒ)に映像を見せると、校長も同じような嫌疑を持った
だが、教頭のドゥデク(ラファエル・シュタホビアク)は「盗撮自体が人格権の侵害だ」と言い、行為そのものは看過し難いものだと結論づけられた
物語はそこで終わらず、クーンの息子オスカー(レオナルド・ステニッチ)はいじめられるようになり、どこからか「クーンが窃盗犯である」と断定される噂が流れてしまう
そして、生徒と保護者の間でもその話題が尽きることなく広がり続けてしまう
さらに、保護者への説明会に乱入したクーンは、カーラを名指しして「この女は憶測で犯人扱いする」と断罪するのである
映画は、正義感に駆られたカーラの勇足がとんでもない展開に発展する様子を描いていく
どこでも起こりそうな問題であるものの、その後の展開に関しては、国によって違うように思えた
この小学校では、「不寛容方式(Zero Tolerance)」によって処罰が決められていて、これは「権限者によって裁量が変更されることを禁ずる」というもので、それによって「問題は切り分けられる」という傾向がある
事前に決められた罰則を必ず科さねばならないというものがあり、たとえカーラの行動が原因でオスカーが暴れても、オスカーは「暴れたことによる罰則」を科されるという意味になる
この方針はカーラと学校の行動をさらに行き場のないものにしていくのだが、その都度「不寛容方式」であることを確認する場面があった
この方式が前提としてあるので、カーラの盗撮には罰則が科せられ、それとは関係なく、オスカーの行動も処罰される
いわば、罪の起因を無視して行動を罰するという状況になっていて、それで良いのかどうかというところがあるように思えた
この方式を採用しているという前提が、その後の対処を縛ることになり、また今回のケースではエスカレートする要因になっているので、一連を切り分けるべきかどうか、というのは議論の対象になり得るのではないだろうか
いずれにせよ、かなりストレスフルな内容で、不寛容方式の採択の有無に関わらず、同じような展開になってしまう部分は多いように思う
ラストは不寛容方式の典型的な結末になっているが、この処罰に至る背景において、オスカーに非があるかはなんとも言えないところがもどかしい
真犯人が誰かというのは放置されたまま終わるのだが、あの映像で犯行を断定する迂闊さが最大の原因であると思う
また、学校の対応がいろんなものに配慮し過ぎて渋滞している部分もあるので、早々に公的な裁きを介入させた方が良かったようにも思う
警察などへの被害届を出したのかどうかはわからないが、個人が盗撮をして犯罪を断定しても、第三者を介しない状況で話をするのも無茶ことだと言えるのではないだろうか
サスペンススリラーじゃなくて社会派映画だった
移民問題を抱えるドイツの教育現場の現状って、かなりややこしそう。主人公のノヴァク先生もポーランド人だし。
発端は学校内で起こった小銭の盗難事件、どうしても移民の子が犯人じゃないかと疑われてしまう。ある先生たちは無記名による犯人探しをしようとして、反対派の先生たちとギクシャクしてしまうし、職員室内で起こったこそ泥を捕まえようと、ノヴァク先生が自分のPCの録画機能を使ったことが、より反対派と賛成派(生徒をも巻き込んで)の対立を煽ってしまう。日本の西川口あたりだったらどういう風に話が進んでいくかなと思った。
結局真犯人はわからず仕舞いだったのが、モヤモヤしてしまった。
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