ありふれた教室のレビュー・感想・評価
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原題の直訳は「職員室」。センスある邦題だ
有名な俳優は出演していないし、CG満載のシーンがある訳でもないけれど、最後の最後までドキドキしていた。
正義感を持つことに否定はしないが、過度の正義感は周囲と距離が生まれ、分厚い壁を作ってしまう。バランスって大事だ。
どこの国でも中学生って生意気。可愛げがないなあ。
正義は変化する怖さ
大人の目子どもの目・組織・人種・移民
相互の立場によって正義が変わるのはガザ地区やウクライナを観ていて実感ができる。
遠い話ではなく、至る所に芽があることに気付かされた。
オスカー頑張れ!
教育というあいまいな領域
2022年。イルケル・チャタク監督。ドイツの中学校に赴任してきた若い女性教師が、学校で増えている盗難事件に生徒の一人が疑われたことをきっかけに、罠を仕掛けて犯人を撮影しようとする。実際に犯行が行われて犯人の服装の一部が録画されたが、そこから保護者や生徒を巻き込んで大きな問題に発展していく、という話。
「不寛容政策」という厳しいルールがある学校で、ルールを徹底しようとしながらも素直でない生徒に翻弄されたり、逆に子供を守ろうとして真実を隠さざるをえなかったりする教育者のもやもやをストレートに描く。要するに法や正義は教育とは相容れないところがあるという古いテーマ。現代的なのは、子供の人権が強く意識されるようになっているので、ますます教育者は肩身が狭いということ。
「ちゃんとしなきゃ」と気を張っている主人公の教員は、問題を通して、カウンセラーにハグを求めたり、意見が食い違う教員に助けを求めたりと、自分の弱さを認められるようになるし、賢いけれども母親を庇うために問題を起こす生徒は、その教員と長時間一緒に過ごすことで(無言のままだが)心がほどけていくようになる。他者に寄り添うこと、折り合う場所をみつけていくことを学んでいくあたり、至極まっとうな結論に向かっている教育系映画であるようにみえる。
それにしても、ドイツの学校では、停学期間中に学校に来ると警察沙汰になるのがさも当然であるかのように描かれていることに驚く。
気味の悪さは感じる けどそれを作り出したのは誰なんだ?っていう話しかなぁ
「わが校は不寛容」いきなり始まる犯人探し。
いやいやどうなの、その追及方法って稚拙じゃない?そう感じるのは国を問わずのようで、主人公のノヴァク先生にはシンパシーを感じ、その反面「私には経験がある」と胸を張る校長には「おいおい」とツッコミを入れたくなるし、その後の言動にも共感できない。
なんて初めは思ったんですよ……だけどね、これ、全員揃いも揃って大人は浅はかじゃない。
子供の感性ねじ曲がっちゃうよね、なんかもっと良い解決方法なかったのかなぁと「ボン・ボンッ」みたいに不快な耳障りの音楽と共にモヤモヤばかりが心に広がる。
その一方で子供(大人未満)たちの純粋で視野が狭いが故の無意識な残虐性によってノヴァクの精神も蝕まれて行く。
最後まで陰鬱な気持ちが拭えなかった。
ルービックキューブのシーンは助けには感じられなかったなぁ。
でもテーマとしては考えさせられる、良い視点だったと思います。
世界共通
学校の先生の苦労は世界共通みたいですね
不寛容方式の学校らしいが対応が中途半端で
事態がどんどん悪化してしまう
これって会社でも同じだよなと思ったが
会社はお金で雇われているし上下関係もある
義務教育の学校だと先生は税金から給料をもらうので
生徒や親は言いたいことが言えてしまう・・・
これじゃあ誰も先生になりたがらないよなと思ってしまった
序盤からずっと緊張感が張り詰めた状態で
ある意味ホラーでしたね
AIは時計仕掛けの腐ったオレンジの方程式の夢は見るか。
劇中のセリフ、
うちの学校は不寛容の方式、
と、
意見が違っても団結しないといけない。
風吹き、桶屋が儲かる的にいうと、上記2点のセンテンスがメインプロットかと。
要点だけスピーディーに展開、
音楽も、
ストリングスの
太い音、やや太い音、細い音が、12341234と、リズミカルに響く。
太い音→先生と親の会話、
やや太い音→先生同士の会話、
細い音→先生と子どもの会話、
まるで呼応させているかのように迫ってくる。
大変見やすいエンタメベースの問題提起的作品、
そのスピードに、
何点かブレーキがかかるセリフもあった。
移民、
遺伝、
や、
ノバク先生はグダニスクから、
80年代に越して来た、
とか、
意味のある事を設定として入れるのは良くないとは言わない、
セリフにして観客に聞かせるかどうかは取捨選択は吟味した方がいい。
それと、
不寛容の方式、
ゼロトレランスは、
一般的には非寛容、
不寛容で≒という認識でいいと思う。
が、
未成年が集う学校のようなコミュニティにおいて、
または、
こういう内容の作品、
セリフで、
主張or証明の違いを話し合うような作品では、
例えば、
ゼロトレランスは、
罪に対して厳しく対応する、
厳罰で対応する、
とか、
生徒たちはみかんじゃないんです!
とか、
うちの学校はゼロトレランス方式、
または、
うちの学校は厳罰方式が、
ベストでもベターでもグッドでもないか、、、。
不寛容は、
オスカーにも干渉しない、
に
関係しないか
とか、
性悪説ベースで義務教育を制度設計、
とか
最後まで引っかかった。
いずれにしても、
ストーリーの
展開やラストから、
推察できるのは、
お互いを信頼し合うコミュニティ、
特に義務教育の制度設計のグランドデザインをやり直すのが早いか、
戦火に焼き尽くされるのが早いか、
似たような危機感は世界中の先生の認識
という事だろうか。
じゃあどうすれば良かったの?
まるでサスペンススリラー
そんな事やってるのにそんな特徴的なブラウスですか?とツッコミたくなった 不寛容方式と言いつつも起きたことを掘り起こすばかりで真相は求めていないような気がした
100分以内という上映時間にギッシリ詰まったストーリー、マッチョ+王様みたいな退場には監督のセンスの良さを感じた
このストレス、以前、ドイツ人と仕事をしていた時のことを思い出します
学校で起こった事件に対して、主人公である教師の取った行動が波紋を呼んで、同僚、父兄、生徒を巻き込んで、波紋が広がっている展開に、惹き付けられました。日本のドラマなら、熱血教師に丸め込まれ、最後は悪い子も改心して終わりという感じかも知れませんが、この映画は、エンディングも、容赦なく頑なでした。
以前、ドイツ人のパートナーと仕事をしていたことがあり、その当時のストレスを思い出しました。問題が発生しても、解決を優先し、その為には、みんな我慢しようと話していると、ドイツ人の彼だけが、自分のせいじゃないし、我慢する理由もない。自分にはそれを求める権利があるという主張を曲げず、毎回のように、怒鳴り合いになっていました。
ドイツ人全員がそうだと言うつもりはありませんが、こんな環境の学校で育ったら、あの彼みたいな大人になるわな・・・と妙に納得してしまいました。
ちなみに、そのドイツ人の彼とは、10年ほど、一緒に仕事をしました。最後は、ちゃんと仲良く握手をしましたので、今では、いい思い出です。
目が離せないストーリー
1秒たりとも目が離せない作品で、考え
させられた作品だった。教育のあり方も
考えさせられた作品でもある。
作品は見事。観客に問いかけるストーリー
展開と言えよう。
カーラは正義感でオスカーを守りたかったし、
クラスを守りたかった。しかし、その正義感あふれる行動が生徒、親、同僚に不信感と誤解を
与えてしまう。もし、私がカーラだったらと置き換えて観ると辛い作品でもあった。
作品は素晴らしい。しかし、教育関係者、教師の方、小学生、中学生がいるご家庭の方は全ての事を忘れて鑑賞される事を薦めます。
はて?
普通過ぎて見どころがわかんなかったな😭ただ、日本で起きてる『最近の事情』的なものが日本だけのことではなく世界的に起きてるんだと知ったのは新発見。
今後はもっとZ世代を理解しなきゃなんだろーなー。
先生が着ていた赤い良質のざっくりニットが着心地良さそうだった💕
エビデンスとロウ
あるドイツの小学校で起こった、現金盗難事件の話 あの映像だけで用務員のおばさんが裁判をして有罪となるかは疑問だが… エビデンスも用務員の子供に…
仮に用務員が窃盗をしたとして、子供はドンだけ母親が好きなこと それとも貧乏なことを理解しての行動なのか…(多分母子家庭で子供が持ってきた全ての小遣い銭を考えると…)
あの担任がとった行動は全く間違っていない(盗撮についてもたまたまとしておけば…証拠としては認められるはず日本では)が、田舎独特のソリダリティに巻き込まれた感があった しかし生徒のボイコットや先生どおしのやり取りも民主主義らしさ(ドイツの映画だから❔)があらゆるところにちりばめられていたが、先生もメンタル的にかなりマイっていたと思います(トイレのごみ袋で過呼吸対処するのも圧巻)
先生って大変だ〰️ しかし今の日本で先生に成りたくない(デモしか先生)のは痛いほどわかる内容でした
不寛容(Zero Tolerance)方式
公開1週目のサービスデイ、シネスイッチ銀座の午前回は客入り少なくガラガラです。
99分と決して長くはない作品ですが、終始キリキリとイライラで観終わって非常に疲れます。
生徒は多人種混在で個性も豊かですが、思ったよりも真面目な様子でいわゆる「学級崩壊」というようなことはありません。むしろポイントとなりそうなのは学校側。作品冒頭にて気になるワード「不寛容(Zero Tolerance)方式」が出てきますが、正直よく解っていなかったので鑑賞後すぐにスマホで調べ、Wikipediaのその項目を斜め読み。なるほど。でも、今回はこれを学校教育の現場に取り入れることの是非については度外視しようかと。邦題にある『ありふれた教室』とある通り、どこにでも起こりうるトラブル(事件以前)であり、この方式の採用による問題といった作品ではないと思ったから。ちなみに原題『Das Lehrerzimmer』は「職員室」の意です。
カーラ(レオニー・ベネシュ)は、「教育」に集中させてくれない多忙な状況と次々に発生する揉め事に悩まされながらも、日々真摯に取り組みながら「生徒のため」を考えて良き教育者であることに努めています。普段の授業を観ていても、生徒に対する問題の提起の仕方はよく考えられており、生徒自身に考えさせる機会を与えて押し付けることはしません。(特に、体育の授業での「6人一緒に台に乗り続ける方法」はお互いの寛容さがあって出来ることで、それを彼が解いて、且つ壊すシーンは印象的です。)生徒一人一人にきちんと目配せをして、相対し方にも注意を払いつつ向き合うことで落ちこぼれを作らないよう実に熱心に働くカーラ。しかし、その聡明さと目配せの良さが裏目に出た「ある日の職員室で起きたトラブル」をきっかけに、転がるように事態が悪化していくのを見せられ続けます。
まず誰が見ても明らかな問題は絶対的な「リソース不足」。人が足りないため、代講など皆少なからず複数の仕事を兼務しており、職員室内は常に空気の悪さを感じます。そして、厄介ごとに対してやや拙速で雑な対処が目につきます。そこはやはり問題解決の専門家と言うわけではありませんから、どうしても教師たちの能力不足は否めません。またそもそも問題を起こらなくするための抑止力的なセキュリティは殆どなされていません。或いはそれを補う言い訳としての「抑止のための不寛容方式採用」なのではと穿ってみるしかありません。さらに質の悪いことに、最後の砦であるはずの校長がまた困ったもので「私には十分で確かな経験がある」のごり押し一本やり。経験は能力を示すものではないですし、職責としては如何なものかと思える言動にイラつきます。って言うか、この状況こそが今までの蓄積によって起こっていることだと考えれば、その経験こそが原因で、本作は起こるべくして起こったことではないかと思うのです。
本作は教育現場における社会問題を題材とした作品でありつつ、どんどんと追い込まれるカーラの様子を見続けるサスペンスホラーとしての面白みもあり、賞レースなどでの実績も納得の出来栄えです。なかなかしんどい作品ですが、興味があれば是非。空いてます。。
徐々に追いつめられていく姿から目を離せない
昔はなりたい職業の上位に学校の先生が入っていた気がする。今や一部の志ある若者しか目指さない過酷な職業という印象すらある。学級崩壊、コンプライアンスの厳しさ、多大な業務量、そしてモンペアの対応。どれもつらそうだ。心を病んでしまう教員が多いのも納得してしまう。
この映画を観て思ったのは、ドイツも日本とそんなに変わらないじゃないかということ。日本でも移民の生徒が多くなっているし。ただ、校内で盗難がこんなに頻発するのは考えにくいけど。
自席のノートパソコンのカメラで盗難の現場を押さえた教員のカーラ。穏便に事を収めようとしたが、徐々に問題が大きくなる様がとてもスリリング。一つひとつの選択が大きく間違っているわけではないが、ボタンのかけ違いが物事の歪みをどんどん大きくしていく。犯人が誰かというサスペンスではなく、カーラが追いつめられていくスリラーとして面白かった。
だからスッキリしない終わり方でも仕方ない。あれはあれでリアルな感じがする。いろいろと考えさせられる映画だった。決定的な証拠とは言えないけどあそこまで言い張れるメンタリティとか、すべての生徒を守るべきなんだろうかとか、聡明な子であっても母への愛で目が曇ってしまうのかとか。生徒、生徒の保護者、教員の信頼関係が教育現場のそれではなく、もはや顧客とサービス提供者のそれになってしまっていると感じた。それはそれでいいのかもしれないが、個人的には違和感を覚えてしまう。
エンドロールのオーケストラ音楽はいかにして演奏できたのか
【オススメしたい人】
・教育に興味がある人
・正しいやり方について悩んだことがある人
・そして、日本の学校に通ったことがある人
日本の義務教育では自分で考える力を養うことが難しい、なんてのはしばしば聞かれる指摘だが今作でもそこが気になった
「これが普通の授業なんだったら、そりゃ考える力が問われるわ」と思わされる
でもそれは本筋でもないんだよね。そんな教育を受ける生徒達と、受けて育った大人達がぶつかる難問の物語
舞台はドイツ。主人公は中学1年(相当)の教師
校内で繰り返される窃盗に学校全体が困らされていた
他に悩みがあってつい盗みを働いてしまったとある生徒。主人公はその子に語りかけ、最後は反省してみんなで卒業を向かえる
・・・なんて話じゃないんだな。そんなきれいな話では許してくれない
いびつなのか真っすぐなのかも分からない物語
映画の序盤オーケストラの調音前のようなバラバラの音が使われていた
エンドロールでは音の合ったクラシックが流れる
この学校がいかに調律されたかを見ることは誰にとっても価値があるはずだ
ドイツの公立小学校の様子、独の職場の雰囲気がわかる
女教師が、校内で起きた盗難事件の対応で誤解が生まれ、大問題に発展していく。
生徒からも、同僚からも、責められ。。
ドイツの職員会議の様子が興味深い。校長は皆の意見を聞く。子供の意見も聞く。
悪意の無い事でも、人は誤解し、人を攻撃し、分かりあう事は無い、分断。
あるいは分断は 解決できないし 、それに抗わず 受け入れろとのメッセージ。
ドイツの公立小学校の様子、独の職場の雰囲気がわかる。
「向き合う」だけでなく「寄り添う」ことも大切だ
カンニングにしろ、授業中のサボりにしろ、窃盗にしろ、悪いことをした人間が誰も謝らないのはどうしたことだろう?それどころか、反抗的な態度を取ったり、開き直ったり、逆恨みしたりと、やりたい放題なのは、権利意識に関する「お国柄」の違いによるものなのだろうか?
特に、窃盗の容疑については、それが、謂れのない濡れ衣だったとしても、ふてくされて「謝罪しろ」と噛みつくのではなく、弁明するなり、反論するなりして、自らの身の潔白を証明するべきではないのか?(そうしない時点で、罪を認めてしまっているようなものだが・・・)
そうした「悪い奴ら」にしっかりと向き合い、誠意を持って彼らに接しようとしている主人公が、逆に非難され、追い詰められ、消耗していく展開には、相当にストレスが溜まるし、その理不尽さと不条理さには、モヤモヤしたり、イライラさせられっぱなしだった。
彼女が、窃盗犯を見つけるためにパソコンで動画を撮ったことが、保護者から叱され、生徒たちの不信感を招き、教師たちの間に亀裂を生むのだが、「動画の何が悪いのか?」と思ってしまうのは、やはり、人権意識の違いだろうか?
ただ、主人公に落ち度があったのも確かで、どうせ動画を撮るのなら、犯人が明確に識別できるような構図で撮影するべきだっただろうし、それができなかったのであれば、敢えて容疑者を「泳がせ」て、現行犯として捕まえられる機会を待つべきだっただろう。
確定的な証拠もないまま、疑わしい人物を犯人扱いしてしまった主人公や校長の対応は、相手に良心があり、簡単に自白するだろうと妄信した「性善説」に基づくもので、「不寛容」を謳う割にはお粗末としか言いようがない。
ラストでは、この映画が、犯人探しのミステリーではなく、それぞれの正義が衝突する様子を描いた人間ドラマであったことが明らかになるのだが、最後まで生徒に寄り添う(「向き合う」ではないところがポイントか?)先生であろうとする主人公の姿は印象的である。
声高に権利や主張を振りかざさなくても、彼女が差し出したルービックキューブのように、相手にそっと「思い」を伝えることはできるのだということが分かり、ギスギスし通しで息苦しかった物語の末に、少しホッとすることができた。
スリリングな展開に驚愕させられます
タイトル通りのありふれた教室での一部始終を、緊迫のサスペンスで描く一級の映画作品。先進国ドイツの公立小学校の一コマですが、日本でもこんなことは多分日常茶飯の出来事かと。松たか子の「告白」2010年、是枝裕和の「怪物」2023年、テレビドラマ・天海祐希の「女王の教室」2005年などでも問題提起されてますね。ほぼ正方形の窮屈なスクリーンサイズで展開される、全編キリキリと神経を逆なでさせられるような迫力の熟成が凄い。
完全に全編学校の中だけで描かれる、EUの北側諸国では当たり前のように原色の「青」があちこちに使われる学校内が舞台の総て。もちろん教室から職員室、廊下から体育館そして敷地内に限定されるが一応屋外も。しかし、本作はホラーではありません、超常現象もゾンビもサイコパスもモンスターも変態も一切登場しません。皆ごくフツーの一般人、そう私達と全く同じで全く同じ次元に居る。その仔細な人間関係がちょっとしたボタンの掛け違いで恐怖のどん底に陥られるわけです。
舞台となる小学校は「不寛容」をアピールしているわけで、仔細な事もとことん原因と対策を講ずる立派な方針のようで、だから、まあまあ、では済まない。それは長い試行錯誤を経て決めた学校なりの方針なんでしょうから。細やかな窃盗事件が校内で起きたようだ、犯人探しに生徒を誘導尋問にまで追い立てるのはその証左。こんな学校に新学期より転任してきた女性教師カーラが、自らの財布の中身を確認の上、ジャケットのポケットにしまいそのまま職員室に置いたままに、ご丁寧にパソコンで動画撮影まで施した上で。案の定、財布の中身が減っており映画は大きく動き出す。
被害者にも関わらずカーラは人間不信の地獄に叩き付けられる展開に、でも気丈にも彼女は冷静を装い事を生徒に寄り添って何とか収束しようと尽力するも、これでもかの罵詈雑言の渦中に。ああすればよかった、こんな事するんじゃなかった、全ては後の祭り。しかし、カーラの言動はすべて観客の納得行く範疇で、周囲の思わぬリアクションにカーラともども観客は苛まれる仕組み。理想主義者が管理社会のがんじがらめに翻弄させられる悲劇でもある。それはちょっとやり過ぎでは・・・と言ったところで不寛容はもう誰にも止められない。この辺りの追い込み描写が流石の力量を発揮し映画的興奮を生み出す。
日本だったら、そりゃないでしょと思うかも知れませんが、生徒も親も言わなきゃ損な意識は全く同じでしょう。生徒新聞も随分と強烈ですが、日本で言ったら中学生に該当する上級生の年齢でしょう。親の集まりだってあんなもんでは済まないでしょ日本でも。現役の先生方が鑑賞されたら、とてもじゃないけれど、冷静には観られないのではないでしょうか?
結局、学校事務の被疑者女性は確かに盗ったのか否か、映画は答えを出さずに、その息子の反骨精神を祭り上げて映画は終わる。真実はどちらでも、その経緯をこそ描きたかったわけで。物事の手順に正解があるはずもない、自らがベストと考えた行動が、どっちに混んんでも非難は避けられないのが今ってわけです。恐ろしい。原題は「先生の部屋」すなわち職員室なんですね。
中島みゆきじゃなくてメンデルスゾーン
中二病真っ盛りの奴らにジャーナリズムwという刃物を与えたら危険極まる。偏向報道や風説流布がコミュニティに与える混乱や分断が主題ではないだろうが、個人的にはそちらが印象的だった。
ラスト近く、ルービックキューブが再登場する少し前に担任が問題児童の隣の机で書き物をするシーン、対面してお互いの顔を見るのではなく、肩を並べて同じ景色を見るというのは何かヒントを与えてくれているようだった。
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