「善という名の不寛容」ありふれた教室 かなり悪いオヤジさんの映画レビュー(感想・評価)
善という名の不寛容
銀座の某老舗映画館で珍事が起きた。館内照明の不具合によって、映画冒頭2度にわたって上映が中断されたのである。観客数も少なかったせいか特に文句をたれる輩も現れず、無事最後まで鑑賞することができたのだが、(自己の寛容性を問われるという意味で)この現実に起きた事件がまさか映画の内容にリンクしていたとはねえ、不思議なことも起こるものである。
トルコ系ドイツ人のイルケル・チャタク監督が少年時代移民の子供として経験した出来事が本作には反映されているという。84年生まれのチャタク監督が中学生だった頃は、まだクラスのなかで移民は監督一人だけだったという。この映画同様、クラスの中で盗難事件が起きたりすると真っ先に疑われるのは、肌の色が違うチャタク監督だったらしい。そんな子供時代に感じた人種差別に対するなんともいえない不快感を反映させた映画だそうな。
ハネケの『白いリボン』(2010)や『ペルシャン・レッスン』(2022)で、チクリ系女子役がはまっていたレオニー・ベネシュが演じるのは、ポーランド移民2世であるノヴァク先生だ。チャタク少年の中学生時代とは違って、ノヴァク先生が担任を勤めるクラスは、今やゲルマン純血の生徒を探す方が難しいほど移民の子供が大半を占めている。あのパルムドール作品『パリ20区、僕たちのクラス』(2010)と同じ設定だ。
その教室ならびに職員室でおきた盗難事件を巡って、移民の子供やその親の職員が疑われたからさぁ大変。密告、監視カメラ、検閲、監禁...EUの寛容を旨とするグローバリズム精神はどこへやら、ここドイツのみならず右翼が政権を奪取しそうな勢いのフランスでもノヴァク先生のクラス同様の疑念と不寛容が渦巻き、EU内の雰囲気はきわめて悪くなっていると、ジャック・アタリが諦め顔でつぶやいていた。
要するにこの映画に描かれているのは、ドイツいなEU全体における社会の縮図なのである。
0.999…=0.111...×9
0.111…=1/9
1/9×9=1
∴0.999...=1
この無限級数命題をすらすらと解いてみせるオスカー少年は、おそらくドイツ系女性と移民の父親との間に生まれたハーフ(0.999…)。これを無限に繰り返すとその内自然と、ドイツ人(1)に限りなく近づいていくということを、多分いいたかったのではあるまいか。
しかし、ポーランド移民の子供であるノヴァク先生の場合は違っていたのである。話す言葉はすべてドイツ語、生徒たちに全体主義的グーテンタークを半ば強制、パソコンを利用した監視カメラ、証拠ありの密告、そして監禁という、まるで第三帝国を彷彿とさせる“アルゴリズム”に則った不寛容な態度をとれば、私のような移民の子供でもドイツ人としてちゃんと認めてもらえるのではないか。生真面目なノヴァク先生はおそらくそう考えていたと思うのである。
そんなこといったって俺たちゃ肌の色も考え方も全然違うんだぜ、ときっちり(肌の)色分けされたルービック・キューブをノヴァク先生の前に放りなげるオスカー。つまり本作は、生徒や教職員のみならずPTAまでまきこんだ窃盗事件をめぐる大騒動を、欧米最大の問題と見なされている移民問題の寓話として描いた映画なのだ。犯人は結局誰だったのかって?私は“善という名の不寛容”が真犯人だと思うのだが、はたしてどうだろう。