ありふれた教室のレビュー・感想・評価
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ありそうな悪夢。このストレスはトラウマ級だ
監督・脚本のイルケル・チャタクによる長編4作目だそうで、日本公開は本作が初。トルコ系ドイツ人という点ではファティ・アキン監督と共通し、移民に対する偏見や差別のエピソードを入れ込んでいるのも実体験に基づくものだろう。
盗難が多発しているギムナジウム(中学校)の7年生(ドイツでは6歳から小学校に通うので12歳ぐらいか)のクラスを受け持つ若手教師カーラ。正義感が強く生徒思いでもあるのだが、職員室で自分のノートPCを使って窃盗の現場を録画したことから、まず職員間の不和を、やがて生徒たちからの不信、保護者たちからのつきあげを招くことになる。
小さな出来事や言葉のやり取りが自然で無駄がなく、これは本当にありそうな話に思える。カーラの凛として見えるがストレスを内側にため込んでいく過程をレオニー・ベネシュがリアルに体現し、観客もこの徐々に緊張が高まる学校内に引きずり込まれていく。カーラに感情移入して観るならストレスがトラウマになりそうなほど。
安易な解決を示さないのは、これが現実にある根深くて困難な問題であり、鑑賞後もずっと考え続けてほしいという監督からのメッセージであるように思う。権威を象徴する者たちに掲げられ、権威に抵抗した人物がまるで玉座からラストショットを支配するかのようなエンディングにも意表を突かれて思わずうなった。
♨️☺️ これだよこれ🤗
だよね ありふれてたよね 普通はあーだよね(な訳あるか〜い🤬)
と言うかどんだけ観てる人にストレスかけてくんねん🥰
起承転結がしっかり無いとダメって人やエンタメ好きや落下の解剖学とか全くダメって人には絶対合わない作品ですね🔥
これ単純に過度にかかるストレスを楽しむ作品です👍
結局全方位からの詰められる状態になるとか🥹
被害者なのになんでこうなるかなあ👌
上映時間の長さも適度でいいし⏳
絶叫するシーンあったけど🤬心の叫びやんけって❤️🩹なりましたよ🤕
色々考えてベストアンサーを考えてもいいけど別に自分は深掘りしようとはならなくてシンプルにストレスを楽しもうってなりました💩
あとオスカー最後まで信念貫いて頑固やなあ🙁
自分はこの変な疲労感のある作品がそもそも娯楽エンタメよりもエンタメって思える人なのでめちゃくちゃ疲れたので大変良かったし面白かったし いつもの許容範囲を超えた時に怖すぎたり🥶ストレス😡🤬の向こう側に行った時に発生する爆笑してしまう場面もあったので😆(悲しい時に😭笑う🤣ジョーカーみたいなもんです🤡)楽しめたという証明になってます👍👍👍
あの変な空気感を作り出すって自分は凄い事だと思いますよ(はい撮影開始って言って あの感じになるってマジで凄いと思うのよ🫡)
ストレス度でいうと今年は落下の解剖学🇫🇷とありふれた教室🇩🇪の2本がずば抜けて気持ちいいくらい最強最高にイライラできましたよ🥰
楽しかったなあマジで😘
教員の総括的な判断
7(8?)年生のクラスの生徒、アリが金を盗んだとして、両親が呼ばれ、偏見の目で見られる。担任である主人公カーラ(レオニー・ベネシュ)が、真相を明かそうとしようとして盗難カメラを仕掛ける。この結果、問題が拡大し、他の生徒、オスカーにも影響が及ぶという藪蛇になってしまうストーリー。映画のポイントは何か考えてみると、新人の教師のある問題解決の仕方が生徒一人ひとりを考えてあげているようで、正義感が強いが、優柔不断である。学内で盗難カメラをセットしたり、自己解決の及ばないこともあるので、もっとアドミと寄り添った方が、いいいのか?それとも、これがいい解決法なのか? 判断は我々に任されている。
機内で見た映画なので、あまり真剣に考えていなかった。このレビューはただの第一印象。
引き込まれたけどモヤモヤする
引き込まれたけど最後が何とも謎な終わりかたでした。
結局誰が犯人なのか、モヤモヤするので、すっきりしない。
ただ、結局そこが重要なのではないのでしょう。
事実がどうかよりも、予想しない方向へ向かう怖さというか。。それを味わえばいいのかな。
こういうこと、確かに現実にあります。
どうすればよかったのか?自分だったらどうするのか?
そんなことを考えさせる話でした。
自分なら動画を同僚には見せると思いました。あと、もう警察にまかせればいいのに、と思いました。先生の手には追えないです。
先生も、犯人探したわりに理想主義だから、事態を悪化させたと思いました。
どの国にも、どの場所にも
「近頃学校でよく物がなくなる。犯人は?」なんて古今東西どこにでもありそうな話をここまでキツい心理劇にできるとは。
誰をも疑いたくないし、子供達を守りたい。ただ、いい教師であろうとしているだけなのに彼女の弱さや思い込みが自身を追い詰めます。全てのシーンに彼女が出ずっぱりと言う造りが観ている僕たちの胸も息苦しくするのです。それだけに、彼女の映らないラストシーンの何とも言えぬ突き放し感。
どの国にも、どの場所にも、誰にでも置き換え可能な苦い物語です。
ありふれているのか?
新任教師が、子供と学校を守ろうとした事がキッカケで教育現場は崩壊していく。
子供を守るとはどういう事か?
どこまで真実を伝えるべきなのか?
ラストシーンはグッときた。
移民が多いドイツの現実を描いているが、現代日本も他人事ではないと思う。
原題は「教員室」らしい。これを「ありふれた教室」という邦題にしたという事は、日本ではありふれているという事なのだろうか?
#ありふれた教室
レギュレーションとコンプライアンスに絡め取られた教員室。カーラ先生の真摯な姿勢が心を打つ。
原題の「Das Lehrerzimmer」は「教員室」という意味になる。邦題はストーリーに一般性を与えるためかどこでも起こり得る話ですよ、という気持ちを込めて「ありふれた教室」というタイトルにしたんだろうけど、これは教室で起こった事件ではない。学校のガバナンスについての物語である。
一つはっきりしているのは校長のリーダーシップのなさと、教師たちの定見のなさ、混乱である。
まずは最初の盗難の件で生徒の持ち物検査をしてしまったこと(この盗難はどこで発生したのかを見落としてしまった。映画館内でスマホを点灯した馬鹿者がいて気を取られたから。横浜シネマリンの7月11日13時10分の回、E列に座っていたお前だよ)、そしてカーラ先生の上着からお金が抜かれた件でカーラ先生が撮ったパソコン映像によって犯人を決めつけてしまったこと。要はこの校長は自分で不寛容主義と言っているようにレギュレーションには厳格なのだが、コンプライアンスについての考え方がゆるゆるなのである。
誰からも同意を得ていない動画(盗撮と言ってよい)の証拠能力ぐらい少し考えれば分かりそうなんだけど。ここはまだクーンを犯人として決めつけず、信用できる数人での監視を強化するってくらいが適切だったのだと思う。
これから教員になろうとする方は、学校はあんなひどいところだと思わないでください。実際の教育機関のガバナンスは今はもっとマシです。
可哀想なのはカーラ先生で、保護者には突き上げられ、生徒にはボイコットされ、学校新聞にはボロクソ書かれます。ただそれでも彼女は教育を放棄せずもがき苦しみます。そしてオスカーに対する態度は真摯であり(普通はあの母親の子供だっていうだけで嫌になると思うが)彼に向かい続けます。最終的にはオスカーについては残念な結果になったようですが(それもおそらくあの校長の差し金だと思うけど)カーラ先生の姿を観ている限りではそれほど後味は悪くないです。ところでカーラ先生を演じた女優さんですがちょっと市川実日子さんに似てませんか?
Das Lehrerzimmerがなぜ。
原題はDas Lehrerzimmerなのに、なぜ邦題は『ありふれた教室』などというありふれた題名になったのだろうか。
Das Lehrerzimmerを邦訳しても、ありふれているのかもしれないけれど、しかし、そのありふれ方が違う。
学校の普段のあり方を、das Lehrerzimmerから描き出す。
そこには、学校のポジとネガが逆転しているとも言える。
das Klasszimmerではなくdas Lehrerzimmer
その逆転にこそ、この映画の核心がある。学校の狂気がある。
描き出されているものは、まさに「聖域」のおぞもましい姿である。
それは、無邪気な中に潜む闇から、つまりdas Klasszimmerから描き出そうとするのではない。
それは、邪な空気に包まれたLehrer/inの立場から、das Lehrerzimmerからのものではなければならない。
そう見方をしてみると、
alltäglichな世界に見えてくるのだが・・と思う。
ありふれてたら嫌な教室
盗難事件をきっかけに変わっていく学校内の人間関係、秩序に主眼を置いた物語。
事件の真相はハッキリしないままで、事件の周辺の話を取り上げるので『落下の解剖学』っぽさがある。ヨーロッパはこういうの好きなのかな?
ひたすら混沌に向かって行って、急に終わる。
登場人物が個性的なのもあるけど、先生って大変だなぁ…(;´Д`)
問題提起なんだろうけど、物語としてもう少しスッキリさせてほしかった。
衝撃の問題作という予告が気になって
劇場へ行きましたが、学校内で現金を盗まれるという事件があってそれに振り回される学校の職員と保護者が言い争うだけの話しで、ラストでチェーンソーを振り回したり銃を乱射するオチを期待していたら普通に終了した。
さわやか三組でやりそうな小さくまとまった話でこれを衝撃の問題作と宣伝した配給会社のセンスってどうよ?こんなのが衝撃と本気で思っているなら、否定はしないけどその宣伝担当者のセンスを疑います。普通につまらない映画でした。
真面目なアルアル譚。面白くはない。
別に、かな。
正しさに足元を掬われがち、ってんなこた承知だ。
でしょうね、の連続で物語が転がる真面目なアルアル譚。
丁寧だが新味なく面白くもない。
ジョディフォス系の知的美人女教師なら、
レクター並みの冷徹頭脳派変態生徒に
ガンガン翻弄されて欲しくも。
もはや解決できない問題。
音響効果もあり、最初から緊張感のある映像。主演女優の演技が素晴らしく、又、子供達(日本で言えば中1くらいか?)も実に自然。ドイツ人の我の強い所、移民問題、など色々考えさせられる?が、どうすれば良かったのか?自分でも色々考えたが僕にもわからない。いずれにせよ、ギムナジウムの教師、生徒のストレスが伝わってくる作品だった。
ゼロ・トレランス(不寛容)方式
冒頭の話し合いで一瞬だけ主人公が見せた、ニヤけるような表情が印象的。
ただの微笑みとも取れるし、“熱心な教師像”に酔ってるようにも見えた。
学内で頻発する窃盗に纏わる顛末を描いた本作。
日本ではまず考えられないくらい直球でガッツリ調査する姿勢は、不寛容方式故か。
物語のキーとなるのは、職員でありオスカーの母でもある、クーン。
同じ柄のシャツを同日にたまたま着てる人物がいるとは思えず、99%クロである。
しかし彼女の財布に現金はなく、これが演技なら女優になれるという剣幕で無実を主張。
星柄シャツのファッションショーはまだしも、最初の一人が現実かも明示はされない。
この不安定さが、1%の可能性を捨てさせない。
ノヴァクの人物像も、誠実かつ真摯でありつつも、これも不寛容方式からかやや厳し目に思えた。
生徒から反抗される要素も十分に感じられる描き方。
中一らしい幼さと賢しさが同居した生意気さは、どの生徒も上手かった。
ただ大人の相関図が分かりづらく、初登場時では誰がどの立場か理解できなかったのは残念。
多人種化や多様性もあってか、生徒も男女の区別がつきづらいコもチラホラ。
ノヴァクの盗撮が法に触れることもあり、調査はほぼ進まず真相は闇の中。
最後はクーンも学校に顔を出し、オスカーもルービックキューブで歩み寄りを示して終幕となる。
微かに希望が見える演出ではあるが、やや中途半端かな。
2時間あっていいからもう少し突っ込んだところまで見たかったが、題材も描写もとても興味深かった。
「体を動かす」
今年137本目。
シネスイッチ銀座で。
医師の海原純子さんが勉強のコツで1時間半と決め集中する、その後20分ほど小説や漫画、10分散歩したりストレッチ。
違う脳を使うのがいいんですね。
この作品も問題が起きた時体育館で、とび箱に6人全員が乗るにはどうするか正に体を動かすで解決。補足で手を握ると幸せホルモンのオキシトシンも出ます。
そして体を動かすの究極が最後のシーン。
脳を使うとセットで素晴らしい。
ラストの切れ味と余韻がいい
バビロン・ベルリンのグレータ主演ってことで。子どもたちが窃盗犯だと疑われる状況に対してカーラが職員室でとった行動が波紋を呼び、すべて子どもたちのために、教育者として正しいと思ってやったことがどんどん裏目に出て悪夢のような状況に追い込まれていく…
カーラがあの白い服の幻想をみてしまったようにすべて悪い夢みたいなものだと思う。ラストのオケの真夏の夜の夢がそれを強調している。あんな形で締めくくられるこの作品は一種の悪夢を描いていると思う。善意だろうがなんだろうが問答無用に、気持ちを踏みにじられ誇張され孤立していく悪夢は十分「ありふれた」話だ。残念ながら。でも、この作品に関してはカーラが苦しみながらとっていた態度や行動からは一種の希望を感じた。オスカーはカーラが作ったこの状況に興奮し激昂していながらも、カーラの教育者としての側面にちゃんと触発されてる。そのシーンのうまさと切れ味に、ちょっと唸ってしまった。
【”教師の正義と生徒の正義。そして教師のアルゴリズムの間違い。”今作は、夫々の正義を貫こうとする態度が、学校内で様々な軋轢を生み出して行く様を描いたスコラスティックスリラーなのである。】
ー 冒頭、カーラ・ノヴァク(レオニー・ベネシュ)が教鞭をとるドイツの中等教育機関ギムナジウムで、盗難事件が頻発する。
「非寛容」を謳う学校のゼロ・トレランス教育方針(どんな、方針だ!)により、教師たちはノヴァクのクラスの生徒を調べていく。
そんな学校の姿勢に対し、ノヴァクは反発し、自身の服の中に財布を入れたままパソコンの動画機能で、犯人を突き止めようとする。-
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・序盤から、教師たちは口調は丁寧だが盗難事件の犯人は生徒と決めつけ、犯人捜しをしていく。
・だが、そのやり方に疑問を持ったノヴァクは、パソコンの動画機能を使い自身の服から財布を盗む人物を撮ろうとするが、そこに映っていたドレスは同僚のクーンが着ている服であった。
ノヴァクは穏便に事を済ませようと、クーンに話しかけるが彼女は激昂する。ノヴァクはその動画を校長に見せるが、クーンは認めずに逆にノヴァクのやり方を非難する。
・その事実は、徐々に校内に漏れて行き、クーンの子である優等生であるオスカーは、クラスの友達から嫌がらせを受け、逆にその生徒を突き飛ばす。そして自宅待機になったクーン。
・クラス内の秩序も崩れ、ノヴァクは逆に精神的に追い込まれて行く。
■再後半のシーンは、何とも暗喩的である。オスカーは無理に学校に登校し、級友の好奇の眼がありながらも最後まで教室に残る。
そしてノヴァクが、且つてオスカーに”アルゴリズムの問題よ。”と言い”一面だけ揃えてあげたルービックキューブ”を、オスカーはノヴァクの前でいとも簡単に”全面を揃えて”机の上に置くのである。
このシーンは、ノヴァクのアルゴリズムよりもオスカーのアルゴリズムが優れている事を示している。
広義で言えば、教師のアルゴリズムよりも、生徒のアルゴリズムが優れている可能性があるという事を示唆しているのである。
ノヴァクは今作に登場する教師の中では、生徒想いの良き教師であるが、盗難事件の問題解決手順を間違えてしまったのである。
故に、校内に留まっていたオスカーが警官達に校外に運ばれる時に、彼は周囲を睥睨する王のように、警官達に椅子ごと持ちあげられ、学校を後にするのである。
<今作は、教師の正義のアルゴリズム<この場合、問題を解決するための手順と読み替えた方が良いであろう。>に基づき、盗難事件の問題解決をしようとしたノヴァクや教師達が、<問題解決の手順を間違えた事により>様々な軋轢や負の感情を生む怖さを描き出したスコラスティックスリラーなのである。>
<2024年6月30日 刈谷日劇にて鑑賞>
無駄がない。 証明にしろ主張にしろ、どうしてそう思うの?なぜそう考...
無駄がない。
証明にしろ主張にしろ、どうしてそう思うの?なぜそう考えたの?と、理由を知ろうとすることが大切だと改めて感じた。子どもに対しては尚更。
・ドイツ映画研究/日本大学文理学部教授トークショー
私は一体どうしたら良いんだ…
その場にいないのにずっとそんな風に考えちゃって胃が…
そしてそんなこと考えあぐねてなにも行動に移さない内にあれよあれよと事態がコロコロして…
私は…俺は…ムリョクダ…(; ;)
子供も教師も全員の一つ一つの言動を、同じ立場なら私もしてしまいそうと思える妙があり、様々なシーンの空気感がリアルで身につまされる感覚を休まずずっと味わいました。
生徒に怪しい人を聞くのがそんなに悪いことか?
抜き打ちテストがそんなに?
盗難問題解決のための録画が?
新聞で真実(多分)を暴露するのが?
というテンションで私も「やれー!やるぞー!」ってなりそう。
この映画では俯瞰して見てる立場だから「一度立ち止まれ?」って思えるけど、問題の渦中に居るとアドレナリン的物質が生成されるんですよね…分かる…
何の問題も解決しないけどそれがやはりリアルで良いですね。
しねーのよ、解決なんて。しねーの。
だから今すぐ警察呼んで国家権力で思う存分監視カメラつけまくって尋問しまくって。
盗難は犯罪だから。
学校だけで解決しようとしないで国家権力に頼って。
まあ盗難事件に目を向けるとモヤモヤエンドですが、「お金が盗まれたときに問題なのは金額ではなくその行為そのもの」である通り、この映画の主題は盗難事件ではなくそれをきっかけに試される人間力なんでしょうな。
エンド直前の二人きりの教室、なにも明確なことはありませんけど…
カーラの「こんな展開は望んでいなかった」を受けて、何かノートに書いたものをうけて、カーラから託されたルービックキューブのアルゴリズムを解読したみたいに、二人でこの問題のアルゴリズムを解読したんだろうなと信じます。
明らかにオスカーの勝利を宣言するラストカットでしたけど、オスカーに水を渡して見つめるカーラからは敗北や絶望を感じませんでした。
オスカーも母親のために立ち上がったようなものなのに、着信には答えないし…
そもそもオスカーVSカーラではなく、集団に追い詰められた2人VS生徒や教師陣だったのかも。
こういう考察は普段人任せですが、オスカーは学校という権威に勝利し、カーラは教師として納得のいく"解答"に辿り着いたんだと信じる。信じます!
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