マリウポリの20日間のレビュー・感想・評価
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「この映画が作られなければ良かった」けれども目を逸らしてはならない
「私は、沈黙を破ることがこれほど重要だと感じたことはありませんでした」(ミスティスラフ・チェルノフ監督談)
https://eiga.com/news/20240426/14/
戦争報道に対する是非については、このステートメントがすべてを物語っていると思う。映画とあわせて是非全文を読んでほしい。
どんなに凄惨な光景だろうと(むしろそれが酷ければ酷いほどに)、今この世で起こっている現実を報じる事の重要性。
ニュースで何千、何万人と報じられる死亡者の数は、ひとりひとりに名前があり、家族があり、あたりまえの生活を営んでいた人々が失った(奪われた)いのちの数なのだと改めて思い知る。
同じ時代を生きるわたしたちが実情を何も知らずに、関心も寄せず、当たり前のように平和な日常を送る事の危うさ。
この映画を受け取った時点で、それまで“知らなかった”という理由でこの戦争を黙認する事に加担してしまっていたというおそろしい事実に思い至る。
一人でも多くの人に届いてほしい。
ただ本編で「フェイクニュースだ」と断じられたシーンでは怒りと無力感で目眩がした。
あの映像を観て何を感じるは本当に人それぞれなのだろうとは思うけど、あれを観てその発言が出てくる時点で害意・敵意の発露に他ならない。そうでなければホンモノの人でなしだ。
人々のくらしを、いのちを奪う行為を肯定できる要素なんて何ひとつない。
日本のニュースではほんの数秒(しかも殆どがモザイクで)しか映らない映像の向こう側へ思いを巡らす糸口になる、誰しもが観るべき命がけの映像作品。
ミスティスラフ・チェルノフ監督の「この映画が作られなければ良かった」という言葉が印象的だったけれど、本当にそう思う。こんな悲惨な映像が作られる現場を、人類はまだ続けるつもりなのでしょうか。
ウクライナ情勢だけに限らず、戦争がもたらす取り返しのつかない痛みと喪失は、決して忘れてはならない。
この映画に無関係な人間は、今この地球上にひとりもいないと思います。
下手な言葉で語れない
戦争を始めた者、
戦争に加担した者、
戦争で商売する者、
戦争で略奪する者、
戦争の記録を撮る者、
戦争の記録を撮られる者、
それらの誰よりも、
安全な場所で簡単に“フェイク”と語る輩に一番憤慨した。
それをフェイクだと言い張れる精神性には絶望しかない
どんな理由があろうがなかろうが、戦争は絶対に起こしてはいけない。
二つの世界大戦、冷戦の歴史を経て、人類も有史以来、何千年もかけてやっと世界的な共通認識として、そう気づいて、テロやら途上国での内戦やら、局地的には不運で不幸な状況はいまだにたくさんあるけれど、大国や先進国間での戦争勃発は回避できるようになった…つまり、やっと世界規模での戦争はなんとか回避できるようになってきた、というのに、プーチンがその均衡をぶち壊してしまった、ような気がする。
負の連鎖の一端が、今はガザ地区で発現しているが、次はアジアのどこかで…
そういう恐怖の始まりがマリウポリであった。
と、30年後の歴史教科書で第三次世界大戦のことが語られないことを祈るばかりです。
忍び寄る恐怖
侵略戦争は、理不尽という一言に集約される。
ウクライナ・マリウポリの場合、突然の空爆からではなく、静かに遠方で砲撃の音が聞こえるのかなーくらいで始まっていた。
街の人々は「まだ平気だろう」などとたかを括ったあと、1~2日であっという間にロシアが徐々に包囲網を狭め、逃げ道を封鎖される。
一般人が住んでいる街が、電気・水道・放送・ネットなどインフラと情報の遮断を行われる。
ロシアのプロパガンダは降伏を呼びかけ騙し、混乱したこところを一気に蹂躙され、虐殺が行われていくという。
「いま住んでいる自宅」が襲われ、何もかもが奪われる。
何千何万の人々が命を落とす。
それを克明にカメラに写したAP通信の情報を、フェイク呼ばわりするロシア。
ロシアに対する恐怖と怒りしかない。
これが、海を挟んで存在する日本の隣国ロシアの姿だ。
アカデミー賞も納得の迫真の内容。
見るべきドキュメンタリーがここにあった。
fck putin
AEDを受ける赤ん坊の両手が跳ねる、サッカーの途中で爆撃を受け両足と命を失う16歳、骨盤を破壊される妊婦、片足を失い爆撃の中出産する妊婦。18ヶ月の子どもの心配蘇生が行われる治療室で医師が叫ぶ、「この映像をプーチンに見せろ、この子の目を見れるか」
見終わった後外に出るといつもと変わらない風景が広がっていた。今まで...
見終わった後外に出るといつもと変わらない風景が広がっていた。今まで見ていた映像とのギャップが激しすぎて何も言えない。
戦争は絶対絶対絶対起こしてはならない。
そんな当たり前のことしか思い浮かばない。
戦いの無い時代は人類史上無い
戦いの無い時代は人類史上無い。
多くの映画が争いごとを題材にするように。
これが当たり前の姿だと、平和ボケした国は思うべき。
人類は平和と戦争をしつづける、悲しいかなそれが人類の性質だ。
人間に生まれてしまった事は他の生物の活きると同等である。
武器で人が死ぬ、綺麗事では無い事実。
ドキュメンタリー映画が「辛辣な事実」を明らかに突き刺すのは、
時代の賛否を含め評価して良いと考える。
これを見てしまった後何を思えば良いのだろう
⭐︎5をつけるけど、作品評価というよりは点数が高いことで少しでも人の目に止まれば…と言った感じ。
この戦争のことはニュースで知っていたけど、はっきり言って無関心だった。
祝日の朝イチなんの気なく見にいってしまったが、何もかも打ち砕かれたというか…
史実を元にしたとかでもなく、事実を映したこれを見てしまった、知ってしまった後何を思えば良いのだろう。何をしたら良いのかと…
いろんな人が生きている世界だから争いはあるだろうけど、あまりにも辛い思いをしている人が多すぎる。
正しい表現かわからないけど、戦争なんてくだらないよ…と思う。
こんな作品、映像が生まれない世界になれば良いのにと思う。
これがフェイクならどんなに良いか。
ジャーナリスト、報道の仕事を見る目も変わった気がする。
教科書では学べない惨劇を忘れてはいけない
NHK BSで鑑賞したけど、改めて映画館へ。
観ていて辛かったし、しんどかった。
スクリーン越しの自分は目を閉じて耳を塞げば、この場から離れることはできるが、マリウポリの市民には逃げる場所、心穏やかに過ごせる時間がない。
一国を治める者が愚かだと、悲惨極まりない境遇に陥されるのは、ごく普通の生活をしている国民なんだ、と言うことを痛感した。
昨年、「マリウポリの7日間の記録」と言う作品を観たのを思い出した。7日間しか記録を残せなかったんだよなぁ…。
マリウポリに平穏な日々が戻ることを祈ります。
真実を知る事の重大さ
ただただ、本作を観て頂きたい、私達に今出来る事は。ただただ観るだけ。何も出来なくとも本作を観て、現実世界で今起こっている真実を知る事が出来ます。もちろんこれは現時点においてすらほんの一部の局地的なものなのは確かです、ウクライナだけでなくガザにおいてもイエメン危機でも、ソマリア内戦においてもビルマでも、強者による弱者への理不尽な殺戮が行われている。けれどそのほんの一部でも真実を目撃する価値は十二分にあります。
パワーバランスによって、各国の思惑も絡み一枚岩ではない西側諸国にほとんど翻弄されるウクライナにおいて、ゼレンスキーの立ち回りを非難する向きもあるけれど、その根底にある現実を見過ごしてはならない。もし、もし、いつかこの侵攻が終結した暁においても、確実に残るのはウクライナ民のロシアへの激しい憎悪です。多分100年経っても霧散することは決してありません。本当かしら? と、ご疑念ならば直ちに本作をご鑑賞頂きたい。市井の市民の口から吐いて捨てるように罵るロシア憎しの激しさを。
本作に登場する爆撃音は通常映画の音響ではなく本物の爆音、同様に大量の血糊が画面に流れるが無論これは本物の血、そして数多登場する死体、おぞましくもベビーの亡骸も、何もかも本物の死体である。あまりの死体に埋葬どころか同胞の手によって泣く泣く掘った穴に次々と放り投げられる様には言葉もない。その作業の1人が言っている「死体に対する感覚がマヒしてくるが、夜になると激しく込み上げる」と。テレビのニュース映像では、遺体にはほぼボカシがかけられるが、本作では無論現実の人の死体である。これが戦争だと。
先制攻撃に備える、侵略を予想して軍備に金をつぎ込む、緊急事態に国民の自由を制限する法律も作った、でも前線に送られるのは私達フツーの市民で、大義名分をかざす張本人等は当然のことながら爆撃に慄く事は決してない。それはロシアの侵攻に対しプーチン及びその周囲が一切危険に晒されていない事が証明している。戦争なんて一旦始まってしまったら、兵士、警官、警備隊、そして巻き込まれる市民を死体に変えるだけ。ガザの惨状を観れば明々白々。「身を捧げる覚悟がある」方々だけで前線に行っていただきたい、そして相手国民を殺し、その家族たちからの憎悪の炎に油を注ぐだけでしょう
本作はAP通信のウクライナ人記者・ミスティスラフ・チェルノフによる作品で、アカデミー賞の長編ドキュメンタリー賞を見事受賞しているが、受賞したご本人が「こんな作品は撮りたくなかった」とスピーチされている、当然でしょう。ただ、修羅場の現場でひとりカメラを回す姿は、多分現場では煙たい存在だったでしょう、生きるか死ぬかの瀬戸際なんですから。でも一部の人々は是非この真実を世界中に広めてくれ、と身をもって協力してくれる。もはやこの現場を記録として真実を世界中に広める事、すなわち国際社会に訴える事しか出来ない現実だから。嘘にまみれたロシアの偽プロパガンダに対抗するには真実ただ一つ。よって、撮った映像を直ちに送信したく、Wi-Fiの繋がる場所をそれこそ必死で探す。報道の本来の姿の原点をまざまざと描いている。
テレビのドキュメンタリーで十分などと知ったかぶりをなさらないで下さい。有料の映画で観てこそ、収益は作者にそしてウクライナに行くはずなのですから。本作を観た夜夢を見ました、銃撃の訓練を受け観光客を装ってモスクワへ、狙い定めてプーチンを暗殺、なんて夢を。
うまく言葉が出てこない
民間人を攻撃する非人道的行為は国際法違反。それはプーチンも一応理解しているらしい。建前だけは。
しかしながら、この映像で出てくるのはほぼ全編、民間人への理不尽な攻撃。瞬時に廃墟と化す民家、握り拳より大きい体内の破片、泣き叫ぶ民間人、血まみれのシーツ、足を失いやがて死ぬ少年。全てありのまま叩きつけてきます。
正直観るのはつらかったです。頭は締めつけられ、胸が苦しく、腹は冷えて、脚は震えました。
「(戦地の映像は)そうあるべきだ」という撮影者の言葉が重い。見るに耐えない映像だからこそ、映像として力を持つ。分かるけど、本当きつかった。
きつかったけど、それでも多くの人に見てほしい。
理不尽な惨劇の事実を。
観るべきだ
ロシアによるウクライナ マリウポリ侵攻を当初から20日間にわたり記録したドキュメント。
ロシアが、「民間施設は攻撃しない」と言いながら民家を砲撃したり、「医療施設は攻撃しない」と言いながら産科病棟まで爆撃したり、それが報道されたら「フェイクだ」と言い募ったり、本当に今世界中で起こってる最悪の非人道的な戦争だったり戦争周辺の状況だったりを余すところなく報じている。
アカデミー長編ドキュメント賞を受賞した際に監督が「こんな作品で受賞などしたくなかった」と語ったように、報じなくてはならないが報じたくもないような非道な行いがこれでもかと記録される…
老若男女の遺体、その中でも特に子供の遺体が映され、それは本当にツラいのだけど、いままでの報道を鑑みるとおそらくそれもかなり配慮した上でのものだと思われる。それでも本当に見るのが辛い…
まさにいま、ウクライナで続いている侵略戦争だったり、ガザで続いているジェノサイドだったり、世界中で続いている虐殺だったり、当事者や支持者の嘘だったり、それらに対する世界の対応だったりに少しでも関心があるならば、歯を食いしばってでも観るべきだと、それが同時代人の責任だと、私は思います。
このフィルムに出てくる人たちの遺体ひとつひとつが、プーチンやネタニヤフや、トランプやバイデンや岸田と等価なんだと、我々は心に刻むべきです。
悲惨な戦争を描いたドキュメンタリー作品なのでコメントだけ
ロシア・ウクライナ戦争の戦場となった都市から報道を続けた記者を描いたドキュメンタリー作品です。
(アメリカアカデミー賞の長編ドキュメンタリー映画部門の受賞作です)
悲惨な状況を描いた作品なので採点無しのコメントだけ。
記者の方は自分の報道がどれだけ意味があるか自問自答しながら伝えていたとのことですが、ロシア軍の残虐性を暴露することによりウクライナが外国から莫大な支援を得ることに貢献しました。
(まあ、泥沼の消耗戦に陥ってしまったとも言えますが・・・)
彼らの勇気ある貴重な報道に対し、「フェイク」と批判するのは、誰もが自由に発信できるSNS全盛時代の負の側面なんでしょうね(某アメリカ大統領候補も都合が悪くなったらよく言っていましたね)
ロシア軍の行為を擁護するつもりは全くないのですが、パレスチナで同じことをしている某国に対して見て見ぬふりをするのはダブルスタンダードだなあ、と思ったりします。
結局のところ、力が全てなんでしょうかね・・
この惨劇を世界に伝えてくれ
ある人が記者に伝えたその言葉がポスターになってます。
唯一マリウポリに残ったAP通信社の記者による20日間の記録。
ネット回線がやられて少しずつしか本社に送れなかったこと。医師がこの現在を撮影して奴らに伝えてくれって言葉、強奪の現場、亡くなった市民の埋葬。
すごすぎて言葉にならない。
他人事にしてはいけない!
戦争とはどういうことか?
兵器を使うとはどういうことか?
ここに生の現実がある。
開戦を決断する者
兵器の購入を決める者
彼らは最前線には行かない
抑止力と言いながら
戦争をしない努力
兵器を使わない努力
武器を持たずに済む努力
やっていると言えるのか?
今も続く惨劇を目にし
戦争をさせない努力
戦争をやめさせる努力
少しはしているのか?
僅かでも良い
心の片隅に置いておきたい
この上なく「リアル」
第96回アカデミー賞をきっかけに本作を知り、映画館でかかったら鑑賞しようと思っていました。GW前に落ち着いた状況で観たかったため、今回はポイントを使って初日に鑑賞です。
ウクライナ東部ドネツク州にある、アゾフ海に面した港湾都市であるマリウポリ。すでに不穏な状況のDay1、泣きながらカメラに訴える女性を「民間人を攻撃することはないはずだから」となだめるシーンから始まり、それが早々に裏切られる状況を目の当たりにし、「この事実を伝えなければならない」と決死の覚悟で取材に挑むチェルノフ。
電気やネットワークを止められ取材ソースを送ることすらままならず、また目の前で次々と殺されていく普通の人々、特に幼い子供が死んでいく現状に為す術もなく、深いため息で構えていたカメラを下げるチェルノフにこの上なく「リアル」を感じます。
そして、限られた場所からやっとのことで送ったデータがニュースで伝えられると、すかさず「フェイクニュースだ」と報道するロシアメディア、そしてぶら下がり取材を受け「全てでたらめ。ウクライナによるフェイクニュース。」の一辺倒な回答で質問に答えようとしないラブロフ外相。この件は当時日本でも話題になっていましたが、今回こうして多くの事実をドキュメンタリー映画として鑑賞してみると尚更に、その幼稚なインチキさがまかり通ると思っていることにこそゾッとします。
かく言う日本のメデェアは本当に戦争に関する報道や議論が少なく、自分から調べに行かなければ知りようのないことが多すぎます。ですが、嘆いてばかりでなく「知ろうとする」意思を持つことは必要だと思います。日本にだって他人事ではない日が来るかもしれませんしね。。
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