「映画館で見てよかった」数分間のエールを sewasiさんの映画レビュー(感想・評価)
映画館で見てよかった
マウスパッドの上でマウスを滑らせる、サッ、サッ、という小さな音。静かな部屋で黙々と創作活動をしている感じが、まるで自分の部屋にいるような臨場感で伝わってくる。静寂の中に散りばめる、とても細やかな音使いだ。
セリフの「間」もナチュラルで、おそらく音声を先に収録していて、その後に映像をつけているのだろう。ラジオドラマのように、心静かに鑑賞できる。
オリエ先生が絶望したのは、「音楽で食っていけてない」ということではなく、自分はこんなに歌が好きで、ずっと歌っていて、魂を込めて歌っているのに、誰でもいつでも自由に聴けるサイトに音源を置いているのに、誰にも届いていないという現実に対してだ。長く歌い続けてきたけれど、自分の歌は誰にも届いていない。どんなに大きな声で叫び続けても、その声は誰にも届かない。
承認欲求を満たすために歌っているわけではない。本当に歌が好きなのだ。しかし、歌えば歌うほど孤独を感じる。この世には自分の歌の居場所がない。クリエイターとして、とてつもない孤独感だ。
何度も諦めようとしたが、本当に諦めた最後の瞬間に運命的な出会いがあった。カナタ君が全力で叫ぶ。「あなたの歌が好きです!」と。
カナタ君は少し違っていて、中学時代、絵のコンクールで親友の外崎の絵が県知事賞を受賞した時には深く絶望したが、その絶望を引きずることなく、MV作りという新しい道を見つけてポジティブに取り組んでいる。MVのできがよかったおかげでヒットした作品も多く、カナタ君は自分の技術に十分に手応えを感じている。
二人に共通しているのは、自分の創作物で人を感動させたい、感動を分かち合いたいということだ。だからオリエ先生は初心を思い出し、心の扉を少し開いた。
カナタ君がオリエ先生のために最初に作ったMVは、素晴らしい出来栄えだった。塔のようにそそり立つ雲、健気に前を向いて突き進むヒロイン。エールは明るくあるべき。しかし、そのポジティブな描写が、オリエ先生にはとても眩しく、痛々しかった。自分の歌はカナタ君には届いていなかったと感じてしまった。分かってもらうことを期待していたわけではないが、いったん鎮まっていた絶望感が再び呼び起こされた。
歌には歌の命があり、それは生みの親であるクリエイターの命とは別だ。そのことに気づける才能がカナタ君にはある。彼は、彼女の歌が本当に好きだった。だからこそすごく悩んだ。
邂逅の後、作り直したMVも良かった。「オリエ先生の気持ちが分かる」という程度の慰めではなく、カナタ君自身の逡巡も投影された、お互いに傷つきながらも最後まで強く共鳴しながら寄り添う演出だった。「諦めずに歌い続けてほしい」という思いを数分間、一旦置いて、作品の世界観に没入し、自由に強く描きつけた。オリエ先生が見たことのない景色を引き出したのだ。
ヒントを与えたのは中川さん。気づいた瞬間、カナタ君は全力で走り出した。彼は仲間に恵まれていた。
才能とは何か、それは描かずにはいられない、歌わずにはいられないということだ。外崎君もそうだったから、オリエ先生の気持ちを理解していた。理解はしていたが、どうすればいいのか分からず苦悩していて、カナタ君には問いかけ半分の中途半端な言葉しかかけられなかった。その問いかけ半分の言葉が、「君には分からないだろうね」とも聞こえてしまうことがある。それがカナタ君には「上から目線」に感じられた。こういうことは現実にもよくあることだと思う。自分も、言う側としても言われる側としても気をつけたい。
天才と呼ばれる多くのクリエイターは、何度も絶望を繰り返してきた人が多いと思うが、カナタ君はオリエ先生や外崎君の存在のおかげで、絶望を味わうことなくクリエイターを目指していけそうだ。深い絶望を体験しなければ本物のクリエイターになれないというわけではない。うまくいかず、とりあえずサラリーマンになるかもしれないが、それでも日常を楽しみながらポジティブにMVを作り続けることができるだろう。
オリエ先生もカナタ君と出会って気づいた。自分の歌に深く感動してくれる人が、少なくとも一人は確かにここにいる。絶望しなくていいのだと。そして、また歌うことを再開した。
自分も思い出すことがあって、胸が詰まった。すぐに映画館を出られなくて困った。
「CGっぽい動きが気持ち悪い」
「私は好き」
匿名の視聴者の飾らない一言がエールになる。
>承認欲求を満たすために歌っているわけではない。本当に歌が好きなのだ。しかし、歌えば歌うほど孤独を感じる。この世には自分の歌の居場所がない。クリエイターとして、とてつもない孤独感だ。
>そのポジティブな描写が、オリエ先生にはとても眩しく、痛々しかった。自分の歌はカナタ君には届いていなかったと感じてしまった。分かってもらうことを期待していたわけではないが、いったん鎮まっていた絶望感が再び呼び起こされた。
>オリエ先生もカナタ君と出会って気づいた。自分の歌に深く感動してくれる人が、少なくとも一人は確かにここにいる。絶望しなくていいのだと。そして、また歌うことを再開した。
sewasiさんのレビューがこの映画の強烈なMVになっています。
根底に流れるものを、この映画が表したいことを掬い取ることに成功している。洞察の深さと、それを文字で表す表現力に唖然としました。レビューせずにはいられなかった想いが伝わってきました。