劇場公開日 2025年6月13日

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ラ・コシーナ 厨房のレビュー・感想・評価

全28件中、1~20件目を表示

3.0リスペクトの欠如と、詰めの甘さ

2025年6月19日
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鑑賞方法:試写会

悲しい

ルーニー・マーラが割と好きな女優なので楽しみにして観たが、彼女が演じたウェイトレスのジュリアは残念ながら魅力的なキャラクターとは言い難い。20世紀半ばに英国で書かれた戯曲を翻案した映画化というのは鑑賞前に知っていたので、時代設定はいつごろに変えたのか、モノクロ映像は時代感をあいまいにする意図からか、などと考えながら観ていた。オフィスにあるデスクトップPCのモニターがブラウン管なのと、携帯電話が使われる描写がない(何人かは公衆電話で家族に連絡する)ことから、1980年代後半か90年代前半頃だろうかと思ったり。

だが、小型プリンタが印刷する注文のレシートが大写しになったとき、日付が2022/05/02になっていて、えっ?!と驚く。もしも今から30年か40年も前の話なら、厨房でくわえ煙草のスタッフがいて、髪の混入を防ぐ帽子やバンダナ等を着用している者もわずか、マスク着用は皆無なのに食材や皿の前で大声で叫びまくりというのも、まああったかもしれない。でも、いくら多数の移民を不法就労させているブラックな職場だとはいえ、2020年代の食品衛生や公衆衛生の常識にてらして、このキッチンの働きぶりはひどすぎないか。これだけ大勢のスタッフがいるのだから、料理を作って客に提供する仕事に誇りを持っていたり喜びを感じているキャラクターを1人か2人でも描いたらまだよかったのに。料理人という職業、そして調理する行為へのリスペクトや愛情が、映画の作り手に欠けている気がして残念に思う。

なお、劇中にこの日が金曜という台詞がある(それゆえ観光客相手の店のランチタイムは激混みで注文が殺到する)が、鑑賞後2022年5月2日の曜日を調べたら月曜だった。ここにも詰めの甘さが出ている。別にレシートを大写しにしなければ、時代をあいまいなままにできたのに。2020年代の話なら、ジュリアが妊娠を自覚しているのに煙草を吸いまくっているのもどうかと思う。どうせ中絶するつもりだから胎児への影響なんて気にしないのだとしたら、それはそれでキャラクターに一層共感しづらい。

格差社会の底辺で働く移民たち(とくに不法就労者)の劣悪な労働環境を風刺することを優先したのはわかる。ただ、以前に邦画の「FUNNY BUNNY」のレビューでも書いたことだが、舞台劇を映像化する場合、舞台で成立していた抽象や誇張を、実写の具体やリアルさにうまく調整しないと、嘘くさい話になったり、共感しづらいキャラクターだらけになったりする。舞台劇と劇映画のリアリティラインの違いから生まれる違和感とも言える。

ホールスタッフたちがトレイに料理を載せて厨房から次々に客席へ向かう動きをダンスのコレオグラフィのようにとらえた長回し撮影など、印象的なシーンもあっただけに、もったいないと感じた。

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高森郁哉

3.5Big Apple in Hot Water

2025年6月5日
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鑑賞方法:試写会

La Cocina is a stylish black-and-white film set in a bustling Manhattan kitchen. Adapted from a British play about European immigrants working in a London restaurant, this American version reimagines the story through the lens of Latin American experiences. The film vividly evokes the chaotic, high-pressure environment of working in a New York restaurant. While the narrative occasionally veers into over-dramatic territory, the strong performances lend it a theatrical quality reminiscent of its stage origins. The movie ambitiously aims to capture the zeitgeist of immigrant life in America today.

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Dan Knighton

まさしく今の映画

2025年8月20日
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鑑賞方法:映画館

 永住権取得を狙うメキシコ人が多く働くNYのレストランのドタバタ人間模様を切れのあるモノクロ映像で描く物語です。2時間20分は少し冗長なお話に思えましたが、外国人排斥のトランプ下でのアメリカの現状を思うと、彼らの焦りはより切実に感じます。ただ、僕の御贔屓のルーニー・マーラーをもっと押して欲しかった。

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La Strada

2.0ワカンナイ?

2025年8月5日
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鑑賞方法:映画館

悲しい

なにを描きたいのかよくわからない。

移民の悲喜こもごもを描きたいのか?
アメリカの移民の扱いへの抗議なのか?
それとも、移民への侮辱なのか?
途中で、話しの展開がよくわからなくなった。

映画を観ながら、ぼんやり考えたことは、なぜ、中南米は、スペイン語とポルトガル語の二言語だけなのかということ。ヨーロッパはあの狭い地域に、英語フランス語ドイツ語イタリア語ロシア語ノルウェー語フィンランド語オランダ語スウェーデン語等々とたくさんあるのに。キリスト教が世界人口の3割を占めるといっても、大地に水が染みこむようにキリスト教が広がったのではなく、大地を焼き払ったあとに、キリスト教を植えただけだろうと思ってしまう。とんでもないことである。

アメリカとメキシコの合作なのに、メキシコ人の軽薄さ単純さばかりが強調されているようで、実に不快な気持ちになった。メキシコがんばれ!

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うさぎさん

5.0大都会のストレス

2025年7月6日
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鑑賞方法:映画館

泣ける

悲しい

怖い

New York TimesSquareのレストランの厨房の話。今問題の移民問題など、アメリカの諸問題を描いている。考えされる話だ。でもすごく良かった。

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えんち

3.0際立つコントラスト!

2025年7月1日
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7月ファーストデー1本目は、そういや見なきゃと思って先送りにしてたこの作品から。

だだっ広くて雑多な厨房内の画角が4:3で休み時間の路地裏は16:9になってて(だと思ったけど気のせい?)心が押し殺されてる⇄解放されていることを表してるのかなと思ったり。外には無限に広がる空もあるしね。全編モノクロでコントラスト強めなのも「肌の色が濃いヤツから尋問するのか?」ってセリフにあるように、世の中が肌の色や国籍で生きづらさが決まってる感じを際立たせるためなのかな。そういうアングルや撮り方で今の状況を伝えていくのはセンス良いなと思いましたね。あと劇伴と周囲のノイズの使い方も秀逸。終始流れる馬鹿でかいオーダーマシンのジージーという音は、メトロノームで規則正しく動かされてる(秩序はゼロだが)多国籍のスタッフに対するある種ロボット的な扱いを際立たせていて、それの音とリズムが止まった世界とのコントラストがめちゃくちゃ上手いなと思いました。

内容的には、好きな映画は?と言われてわりとよく答える「ディナーラッシュ」を期待してたんだけど、イントロの女の子は全然ストーリーに絡んでこないし、ペドロは馬鹿だし、ホワイトトラッシュの描き方も中途半端だし、オーナーもどっち付かずのキャラだし、正直見てて何が伝えたいかわかんなかったというのが正直な感想です。というわけで、揶揄と風刺が少しだけスパイスとして効いてる詰めの甘いプロレタリア文学でわりと期待外れだったけど、絵作りはめちゃ好み!

それではハバナイスムービー!

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きーろ

4.0描かれているのは古くからある普遍的な問題 労働に喜びを見い出せず 労働が苦役になってしまっている件

2025年7月1日
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鑑賞方法:映画館

ニューヨークのタイムズ•スクェアにある 観光客向けの大型レストランで働く人々を描いた群像劇。スタッフの多くは成功を夢見てアメリカにやってきた移民の人たちです。そこの厨房をメインの舞台にして嵐のような一日が描かれます。英国の劇作家アーノルド•ウェスカーの戯曲 “The Kitchen” (1959年初演)を場所をニューヨークに変えて映画向けに翻案したもののようです。

思いのほか面白くて示唆に富んだ映画でした。レストランであまり期待せずに注文した料理が美味しくてしっかりと食事を楽しむことができたときのような感じ。まあ厨房内ははちゃめちゃなカオスで、この映画はほぼモノクロなのですが、カラーで見たらちょっと気分が悪くなるのでは、という内容も含まれてはいますが。

この厨房内カオスを招いたレストランの従業員たちの様子から、私は今から百数十年も前にカール•マルクスが論じていた労働疎外の問題を思い出しました。その昔、学生時代にちょっとかじった程度なのであやふやですが、以下のような感じの話です。

自給自足経済下の農民は、例えばジャガイモの収穫後に「今回のイモは前回より美味しいべ。次回はもっと美味しくなるよう頑張るべ」といった具合に労働の成果が実感でき、働く喜びも味わうことができます。これに対して資本主義下の労働者、例えば、スイスの時計工場で働く労働者は労働の対価として賃金を得ますが、毎日ちゃんと工場で働き続けられるだけの健康状態を維持できるだけの賃金、もしくは、次世代の労働力までを考慮に入れていたら、家族がどうにかこうにか食ってゆくのに足るだけの賃金を得るだけで、その工場の製品である高級腕時計を手首に巻くことは一生ありません(労働の生産物からの疎外)。

ということで、資本主義下の労働者は労働の成果を実感することもなく、その成果はすべて資本家が握っている資本の蓄積に寄与することになり、労働者にとって労働は単なる生計をたてる手段で苦役以外の何物でもないということになります(労働活動自体からの疎外)。

そんななかで、人間が本来持っている社会的•共同体的な性質とか、人間らしい生き方が奪われてゆきます(類的存在からの疎外)。

また、競争によって人間関係が分断されてゆきます(他者からの疎外)。

このあたりまではマルクスが19世紀の資本主義を観察して論じていたことなので古くからある問題と言えます。現在では「デジタル疎外」みたいな新たな疎外ネタも出てきてますが。でも日本の企業というのは一般的にこの辺のところをうまく切り抜けて、従業員個々が仕事にやりがいを持って人間らしく創造的に仕事ができるよう、環境作りをしてきたと思ってはいるのですが、こればっかりはいろんな職場があるので一概には言えません。

で、この群像劇の主人公格のペドロというのがまあ身から出た錆びの部分もあるにせよ、上記の疎外のお話そのものみたいに疎外感を感じまくって厨房内でも浮いた存在になりかけています。彼だけでなく、スタッフそれぞれが彼ほど酷くないにしろ労働疎外の実例のオンパレードみたいで、結局、こんな状態を招いた元凶はオーナー経営者のラシッドにあると言えましょう。彼の自分の部下たちに対する見方は「お前らが貧乏なのはお前らの努力が足りないからだ。そんなダメなお前らに私はお前らにふさわしい仕事をくれてやっている。これ以上、何がほしいと言うのか」といった感じで、上から目線で従業員を見下しています。これに加えて、たぶん賃金の都合で多国籍軍さながらのレストラン•スタッフの構成になっていますので、言葉等の問題でメンバー同士のコミュニケーションがうまくとれません。労働疎外の問題を小さくしてゆくためのキーとなるのはコミュニケーションだと思いますので、まあ、あそこのレストランの労働環境は最低最悪だと思います。

私がこの20年ほどの間の社会の変化で気になっていることのひとつは、いわゆるネオリベ、新自由主義的な考え方が世の中にはびこり始めたことです。今回のレストランのオーナーなんかはその典型です。日本も雇用形態なんかが変化しているあたりにその影響が見て取れます。まあでも仕事するのに働きがいや働くことの喜びが見い出せる環境であってほしいですね。と、年金が貰えるようになって社会人をなんとか逃げ切った感のある老人の戯言でございました。

あ、そうか、映画のレビューでしたね。元ネタが戯曲なだけあって気になるセリフがいろいろと出てきます。ウラの意味を考えてみるのも一興かも。映像はモノクロですがかなりセンスいいと思います。厨房もなかなか立派でした。今すぐでなくとも何年後かにまた観てみたいと思わせるような不思議な魅力のある作品でした。

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Freddie3v

2.0アメリカの縮図? そうかも知れないが・・・

2025年6月29日
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鑑賞方法:映画館

予告編を観て、まず白黒映像というのが作者の拘りを感じたところ。何やらコミカルな空気にも興味もそそられた。でも上映館、上映回数も少ない中、最後に鑑賞の決め手になったのはお気に入り女優ルーニー・マーラの出演が有ったから。

【物語】
アメリカ・ニューヨークにある大型レストラン「ザ・グリル」。ある朝前日の売上金のうち約800ドルが消え、店のスタッフ全員に疑いの目が。 オーナーの指令で犯人捜しが始まる。マネージャーはスタッフを一人ずつ呼び出し、面談を行っていた。

一方、厨房(ちゅうぼう)では慌ただしく開店準備が進められていた。 大勢のスタッフの中には様々の国からの移民含まれている。メキシコ人料理人のペドロ(ラウール・ブリオネス)もその一人だった。白人ウエートレス、ジュリア(ルーニー・マーラー)はペドロの子供を身籠っていたが、その日人知れず中絶することを決めていた。ペドロは仕事を抜け出してはジュリアにちょっかいを出し、子供を産むように迫るが、ジュリアの決心は揺るがない。

やがて開店し、厨房にいつもの喧騒が訪れるが、あることからさらなる大混乱に陥る。

【感想】
ちょっと肩透かし。

冒頭、ある若い女性が、厨房で働く男を頼りに店を訪れる。 どうやら店で働かせてもらうのが目的らしい。
「これから何が始まるのかな?」
という興味をそそられる、なかなか良い滑り出し。
が、期待通りだったのはそこまでだった。

まず、この店を訪ねた女性が主人公的ま位置づけなのかと思いきや、その後も時々顔を出すもののその頻度は尻すぼみ。後から思うと、冒頭だけの主人公扱いは何だった? 後の展開を考えれば、彼女のシーンは1/4くらいで良かった気がする。

そして、俺の気分を下げたのがホントの主人公的扱いのペドロという男。「職場で何やってんだ」と言いたくなることばかりして、働かない、働かない。狭量な俺は映画でも、カス・クズを見せられ続けるとすごくイライラしてしまう。 そういうシーンが序盤に延々続くのでげんなり。

後半の大騒動も笑えなかったし、作品を通して何を言いたかったのか俺には良くわからなかった。
横柄な店のオーナーが居て、オーナーには逆らえず、スタッフには威張る中間管理職的マネージャーが居て、貧しいスタッフ、その中には居住継続にも不安を抱える多くの移民がいる、それが社会の縮図? にしても、あんまり伝わって来るものが無かった。
実際にアメリカ社会で暮らす人(トランプに怯える移民とか)は感じ方が違うのかも知れない。

唯一の救いは目あてのルーニー・マーラーで、「やっぱり美しい」と久しぶりに観た彼女のアップシーンだけは心が洗われる思い。
それだけだった。

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泣き虫オヤジ

4.0期待度○鑑賞後の満足度◎ お見事。人種の坩堝ニューヨークにある人種の坩堝なレストランの厨房を舞台にどこかアルトマンタッチを感じさせるメキシカンなアメリカン群像劇。

2025年6月29日
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鑑賞方法:映画館

①小品だと思ったら約2時間超の長さ。でも少しも退屈しなかった。
様々な映像的工夫が随所で見られるが、中でも繁忙時の厨房を目まぐるしく動くカメラワークが見事。

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もーさん

4.5「活気ある厨房」

2025年6月26日
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知的

今年190本目。

モノクロで2時間19分なのかなあと思っていたらある仕掛けがありました。そこの仕掛けが際立ってよかったです。ここまで活気のある厨房が存在したらついていくのが一生懸命。

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ヨッシー

2.5「沸騰」のような快作を期待して出かけたが。

2025年6月25日
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鑑賞方法:映画館

時代背景がはっきりしなかった。1959年英国で初演された戯曲が元のようだが、ニューヨークに舞台を移していた。PCはあり、携帯・スマホはなく、会話にはベトナム戦争のことが出てくる。あいまいさを補うためにモノクロ(一部カラーフィルター)が採用されたのだろう。

つかみはよかった。メキシコ系の小柄の若い女性、エステラがアポなしに、マンハッタンのタイムズ・スクエアにあるレストラン「ザ・グリル」に押しかける。レストランの料理人の一人、メキシコ移民のペドロを知っていたこともあり、無事、調理助手として採用される。ただ、この話の主人公は、ペドロとその恋人、白人アメリカ女性のジュリアだった。

時分時になると、観光客の「お上りさん」や、家族連れでごった返す、このレストランでは、グループ客たちは高級食材の(劇中では揶揄される)オマール海老、チキン、ピザ、サンドイッチ、サラダに、アイスクリーム、飲み物などを、思い思いに頼む。接客するのは、伝統のコスチュームに身を包んだアメリカ人のウェイトレスたち、ジュリアのような白人も多い。厨房では、オーダーの種類別に、移民しかもラテンアメリカからの不法移民が調理を担当していた。これだとウェイトレスたちと厨房のメンバーが、上手くいくはずがない。移民たちの楽しみは昼休みに建物の裏通りに出て、自分たちの思いや夢を語り合うこと。そのときペドロは、自分の言葉で夢を語ることはなく、それを行動で示す筋書きか。

昔の日本のデパートの食堂のような膨大な仕事をこなす調理場で一番大切なことは食材の発注と管理で、それはトップ・シェフの仕事のはず。ところが、それが全く出てこなかった。結局のところ、ペドロが本当に何をしたかったのか、ペドロとジュリアは、何をしたのか、お金の出所を含めてはっきりしなかったことが、1番の問題。

一番良かったのは、ウェイトレスたちが受け取った注文を調理場に伝えるのに、1台の小さな印刷機能の付いた機器が使われていたこと、形状から見て日本製かなと思った。これが調理場で一番最後まで、健気に働いていた、緑色の光線を発しながら。そうなのだ。この調理場に、一人でも、言葉はできないが、陰日向なく働き抜く、東洋系の人間がいたらな。撮影場所がメキシコでは、無理な注文だったのだろう。いくら不法移民たちの爆発的な熱狂がうずまいていたとしても、「沸騰」や「花椒の味」を見た時のような、魂が解放されるカタルシス得ることはできなかった。残念!

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詠み人知らず

5.0タイトルなし

2025年6月24日
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鑑賞方法:映画館

今の社会の隠喩。移民とネオリベ経営者の組み合わせは象徴的。確かに彼は屑だけど、最後の少女の笑顔が見せるように、皆彼を憎めない。それでも、忙しい時の彼の攻撃性は最低。
アメリカ人になった中間管理職のマネジメントも象徴的。
厨房のデザイン、映像が素晴らしい。戦場のような様相が忘れられない。

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Emiri

2.5ハダカデバネズミ君

2025年6月19日
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鑑賞方法:映画館

悲しい

だいぶ前の予告編では「ボイリング・ポイント沸騰や······」と確かにあったのですが、その後「ボイリング・ポイント沸騰や·····」のくだりはカットされました。
おそらく集客の妨げになると上のほうのひとが判断したのでしょう。
でも、手遅れだったかも。
ザ·メニューもそうでしたが、厨房のトラブルムビ―はこりごり。
老舗のザ·グリルには腐敗が蔓延してしまっていて、地下の調理場に下水が上がってるシーンはまるで半地下の家族。
あの管理体制で売り上げが合わないかどうか、すぐにわかるの?って思いましたが、やっぱり。
従業員の妨害行為は普通はじわじわと浸透していくものなんですが、最初からみごとに沸騰してました。
腐敗した組織と職員の妨害行為をみせるのに飲食業界はたいへんわかりやすいとは思いますが、ルーニー・マーラでなくてもいいんじゃね、って思っちゃいましたが、ルーニー・マーラの家系は財閥クラスなんですね。
そのギャップとのヒネリやキリスト教イジりが面白いのかもしれませんが、よくわかりません。

ネズミ君の女子更衣室出歯亀シーン😎
ハダカデバネズミって生き物を動物園で見た時は結構な衝撃でした。
映画とはぜんぜん関係ありませんけど。

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カールⅢ世

3.5色んな意味でここで飯食いたくないなと思ってたら 後半はそんなレベル...

2025年6月18日
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鑑賞方法:映画館

笑える

興奮

斬新

色んな意味でここで飯食いたくないなと思ってたら
後半はそんなレベルの作品ではなかった(笑)
予測出来ないって(笑)
厨房の映画ってアプローチ止めた方が良いのでは?と思ったけど、完全に厨房の映画だし
配給の人たちは困ったろうなと思った
スーパーパワーの作品だった。(笑)

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とりから

3.025-077

2025年6月17日
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アメリカのど真ん中にいるけれど、
アメリカで働いているけれど、
アメリカ人女性と恋仲だけれど、
アメリカ人ではない。

濡れたネズミ、
濡れたメキシコ移民、
モロッコ、アルメニア、コロンビア、
移民の労働者は何者でもない。

仕事と食事があって、
それ以上に何を求める。
傲慢にも聞こえる言葉に
皆が沈黙する。

もっと人間らしく扱って欲しい。

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佐阪航

3.5緑色の光

2025年6月16日
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鑑賞方法:映画館

楽しい

驚く

斬新

いつものように 事前情報をシャットアウトして劇場へ。

ちょっと前に見た「We Live in Time この時を生きて」と同じ職種。

冒頭、アポ無しで知り合いのつてだけを
頼りに 携帯も持たずに面接に行く主人公。
レストラン事務所の面接シーン。
奥行きの有るパソコン・モニター(old MACか?)に懐かしさを覚える

ウエイトレスの制服デザインを見て
時代設定は現代じゃないと確信。

音響・照明、カメラワークが最高!
終盤に差し掛かるにつれて
なぜこの映画がモノクロームで
描かれたのかがわかる

ペドロ…
良いキャラだ
バカでチャーミングなロマンチスト

ジュリアのために作る
故郷のスパイスを効かせた
サンドイッチが旨そうだ。

今、私は国内有数の観光都市で
生活している。
職場で出会う人達の中にも
外国籍の名前がここ10年ほどで
増えてきて、
休憩時間の「国連会議」。
あのような情景が私の街でも見られる。

「面白かった」だけでは
すまされない、いろいろ
考えさせられる作品だった。

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虎吉

3.0あの冷蔵庫の肉は食べたくない、おえっ!

2025年6月16日
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圧巻の長回しとカメラワーク、台詞のかぶせ方、音響などに職人芸を感じる一方、内容は「ガール・ウィズ・ニードル」並にヘビーで、少々疲れる。
あのマッチの変てこなジョークは、「仕事と給料を与えているのに不満を言うな」と憤慨するオーナーが、解決のための根本的な事を解ってない(あるいは黙殺している)こととリンクしていたのね。上手い回収だな。
ラストの緑は裏通りの夢語りとともに(ささやかな)希望の象徴かも知れないが、グリーンカードを仄めかしているかも。

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ひろちゃんのカレシ

2.0濡れネズミ

2025年6月16日
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単純

難しい

タイムズスクエアのレストラン「ザ・グリル」で働く多国籍の人たちの話。

母親の知人が働いているというだけで、それを頼って自信満々に飛び込みで仕事を求めて少女がやって来る中、昨夜の売上のうち800$強が盗まれたと大騒ぎして始まっていく。

初っ端から道を聞いただけでタラタラ長い能書き垂れるヤツが現れるし、店も従業員も遵法精神ないしアメリカらしいなと…最近日本でも問題が取り沙汰されている地域もありますが…。

粗暴で自己中で自己主張が激しい人たちの夢だとか能書きだとか全開だし、レストラン映画としても特に食いたい!ともならないどころか汚らしいしw、仕事としても効率が良い様にみえないし。
こういうのみると日本の飲食店って凄いなと思うよね。

結局仕事に対するプライドってそういうものか?っていうドタバタで、とりあえずお花畑な日本人で良かったなと実感した。

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Bacchus

4.0一件のレストランの1日を通して描かれる、アメリカ社会の縮図

2025年6月15日
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鑑賞方法:映画館

悲しい

興奮

知的

【イントロダクション】
アメリカ、ニューヨークのタイムズ・スクエアにある一件のレストランを舞台に、様々な国籍の従業員達が織りなす1日を描く。
イギリスの劇作家アーノルド・ウェスカーによる1957年の戯曲「調理場」を原作に、現代アメリカ社会のリアルをモノクロと趣向を凝らしたカメラワークで鮮烈に映す。映画化は今回2度目となる(1度目は1961年、ジェームズ・ヒル監督による『The Kitchen』)。
監督・脚本は、メキシコ出身の新鋭アロンソ・ルイスパラシオス。

【ストーリー】
ニューヨーク、タイムズ・スクエアにある一件の高級レストラン“ザ・グリル”。オーナーのラシッド(オデッド・フェール)は、アラブ系アメリカ人の起業家として成功した人物。ウェイトレスは白人のアメリカ人が多くを占めているが、客から見えない厨房では、ラテンアメリカ人やアラブ系の不法移民が従業員として多く働いている。

英語を話せないヒスパニック系移民のエステラ
(アンナ・ディアス)は、コックのペドロ(ラウル・ブリオネス)のツテを頼りに、単身ニューヨークへ渡り店を訪ねる。英語を理解出来ない彼女は、デザートコックのノンゾ(モーテル・フォスター)の案内で面接室前にやって来る。エステラは面接の事前予約すらしていなかったのだが、運良く事前予約をしていた他人と勘違いされ、店で働くことになる。ペドロは粗暴ながら陽気で料理の腕も良く、前日にアメリカ人従業員のマックス(スペンサー・グラニーズ)との喧嘩も、料理長(リー・セラーズ)の計らいで不問とされた。しかし、優秀ながら風紀を乱すペドロの行動に、料理長は「警告は残り3回だ。3回目は容赦なく追い出す」と念を押す。

ペドロはウェイトレスのジュリア(ルーニー・マーラ)と交際しており、ジュリアはペドロとの子を孕っていた。しかし、「出産後は故郷のメキシコのビーチで家族3人で暮らそう」と夢を語るペドロに対して、ジュリアは中絶の意思を伝える。また、ジュリアは電話で誰か愛しい相手に繰り返し連絡を入れている様子だ。ペドロは、ジュリアに出所不明の中絶費用約800ドルを渡す。

時を同じくして、監督責任者のルイス(エドゥアルド・オルモス)は、帳簿係のマーク(ジェームズ・ウォーターストン)から、「前日の売り上げ金が823ドル足りない」と報告を受け、ラシッドの怒りを買うまいと、彼らはウェイトレスや従業員を次々と面接し、犯人探しを開始する。

いよいよ「午前の部」の店が開店し、従業員やウェイトレスは猛スピードで料理を作り、次々とテーブルへ運ばれていく。エステラはロクに指導を受ける事もなく、店の荒っぽいやり方に着いて行かざるを得なくされる。
ラシッドは犯人探しを含めて厨房の様子を見物に訪れ、ペドロに「ビザの申請に協力する」と口約束をする。しかし、それは従業員のやる気を促し、店の売り上げを保つ為の体の良い嘘でしかなかった。

チェリーコークの自販機が壊れ、厨房が水浸しになるという惨事にも拘らず、客のオーダーに合わせて次々と料理が作られては運ばれてゆく。ペドロの夢、ジュリアの中絶、翻弄されるエステラ、犯人探しに躍起になるルイスetc.様々な人物達が入り乱れる混沌とした空間の中で、“ザ・グリル”の長い1日が幕を開ける。

【感想】
本作にコメントを寄せている著名人含め、他の方も散々指摘している事だが、これはまさに「資本主義社会の縮図」だ。元の戯曲、及び1度目の映画化の舞台であるヨーロッパから、本作では舞台をアメリカへと移し、様々な登場人物達が織りなすドラマ、クライマックスの怒りの爆発に「現代アメリカの縮図」を見せる。

移民問題や人種差別、そして資本主義社会の搾取構造。一件のレストランの1日を舞台に、それぞれの登場人物達の抱える問題を浮き彫りにしていく。
グルメを題材にしつつ、登場する料理がその殆どに魅力を感じないという“逆フード映画”なのが凄い。但し、私は作中2度、登場する料理を「美味しそう」だと感じた。それは、ペドロがジュリアに振る舞うサンドイッチと、ホームレスに振る舞うロブスターの弁当だ。それはどちらも“相手の為を思って”振る舞われるものである。ベタではあるが、そのようにさり気なく“料理の本質”を描いている抜け目なさがニクい。

開店後の慌ただしい店内の様子をワンカットで捉えて見せたカメラワーク、作中数少ないネオンライトの青い“色”のある肉の冷蔵室内でペドロとジュリアが語り合うシーン等、魅力的で印象的なシーンは数多く存在するのだが、やはり特に印象的なのは、ペドロをはじめノンゾやサルバドール(ベルナルド・ベラスコ)、ネズミ(エステバン・カイセド)やサミラ(ソンドス・モスバ)といった様々なルーツや価値観を持つアメリカン・ドリームを夢見る移民達が、休憩時間に店の裏でそれぞれの夢について語り合うシーンだろう。

本作を語る上で重要なのが、この時にノンゾが語った“2度の緑の光”についての話だ。
とある移民が、入国審査で隻腕である事を理由に檻に入れられてしまう。強制送還を待つのみだった彼は、宇宙人に緑色の光線によって連れ去られ、離れた街で発見された。彼は生涯悲しみを背負いながら生きたが、そんな中でも確かに輝いている瞬間があったそう。
話が終わり、ネズミは「2回目は?」と尋ねるが、ノンゾは「そんな事言ったっけ?」と覚えていない様子。

この2回目の光こそが、ラストでペドロが照らされる緑色の光に繋がる。ラスト、ペドロは自らが破壊した厨房のオーダー機の緑色のライトに照らされ、1人緑に輝く(僅かにエステラも)。
もしかすると、ペドロはこの先、アメリカへやって来て夢に敗れた悲しみ、ジュリアとの恋に破れた悲しみ、そうした様々な悲しみを背負って生きていくのかもしれない。しかし、ノンゾの話にあるように、緑色の光に照らされた事で、悲しみの中でも彼なりの輝きを放ちながら生きていけるのだとしたら、彼の行く末は決して暗いばかりではないようにも思える。

クライマックスでジュリアの中絶、そしてその理由を知ってしまうペドロが切ない。
ジュリアが作中度々連絡を入れていた相手、それは、本命の恋人等ではなく、10歳程の息子だったのだ。シングルマザーである事を周囲に隠し(もしかすると、ウェイトレス仲間には知っている者も居たかもしれないが)、育てていたからだ。彼女が冷蔵室で語った「18歳の時の妊娠」。その時の感覚を忌避している様子から、てっきり過去にも中絶したのだと勘違いしていたが、彼女は子供を産んでいたのだ。だから、ペドロの子供を産む事も、共にメキシコへ行く事も出来ないのだ。
全てを知ったペドロは、茫然自失となってしまい、ウェイトレスとの口論を皮切りに、厨房やレストラン内で暴れ回り、店を機能停止に追い込む。

私には、この自暴自棄となるペドロの気持ちが痛い程分かった。それと同時に、一種の痛快さも感じた。それはまるで、ラストでエステラが僅かな笑みを浮かべてペドロを見つめていたように。
ペドロは、ラシッドの下で3年間勤め上げてきた。未だビザの取得も叶わず、しかし恋人との夢が彼の支えとなっていた。それが崩壊した以上、彼には暴れ回る事で「俺は此処に居るぞ!」と存在証明する他なかったのだろう。それは、彼に出来る唯一の無情な現実への叛逆である。そして、あの瞬間、彼は確かにこれまで自分を搾取してきたラシッドの世界の時を止めて見せたのだ。
その様子に、私はカタルシスを感じずにはいられなかった。

【資本主義社会における、搾取する側・される側】
ペドロが売り上げ泥棒の疑いを掛けられた際、面接室でルイスに語ったベトナム戦争下での小話が印象的かつ本作を象徴するものである。

「どんなに親しくしていても、俺たちはアメリカ人にはなれない」

それは、アメリカン・ドリームを夢見てやって来て、その果てでビザの取得を盾に、ラシッドの下でこき使われるあの厨房の移民全員が感じている本音だろう。だからこそ、彼らは「神の次に偉い(意訳)」と豪語するラシッドの、「これ以上何が望みだ?」という問い掛けに沈黙で答える。暴れ回ったペドロを止めに入りつつも、彼に笑みを向けたエステラのように、何処かで彼の行動に賛同する気持ちを抱えていたのではないか。私には、そう映った。

だが、あの店で搾取されているのは、何も移民達だけではない。監督責任者のルイスや帳簿係のマーク、果てはあの店で25年勤め上げてきたという料理長すら、ラシッドからクビを切られる事を恐れ、彼に支配されている。特に料理長に至っては、調子に乗ったペドロに囃し立てられた他のシェフやウェイトレスに求められれば、国家を披露してお尻を出す事でその場を収めるしかない。

ラストのペドロの自暴自棄は、支配する側の傲慢さを浮き彫りにさせ、そんな支配者側は支配しているはずの一個人の叛逆によって、自らが築き上げた世界を止められてしまうのだ。

【総評】
現代における資本主義社会の縮図を、モノクロによる映像で痛快・痛烈に描いてみせる。
ペドロの行く末が、ノンゾの語った話のように、悲しみの中にも確かな輝きを持つものである事を願うばかりだ。

ところで、勤務中にあれ程皆でビール缶を開けて乾杯し合っている厨房はどうなのだろうか?(笑)少なくとも私は、あの店で食事をする気にはなれない。

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緋里阿 純

2.5見えない者たちの怒り?

2025年6月15日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

興奮

難しい

驚く

ほぼ全編がモノクロの映像で映されたニューヨークの中心街にある飲食店の厨房。
そこで働く多数派は移民たち、黒人たち。
オーナー以外は誰一人として裕福な人は居ませんが、ビザも滞在許可も不要な「アメリカ人」はある意味特権階級です。

店の客席と厨房、そして厨房内での格差が、ある一日の風景に被せて描き出されます。
従業員たちの何気ない雑談、雑談、雑談。この話が何処に行き着くのか見えないままに映画は進行して…
ちょっとびっくりするクライマックスへ。

う〜ん、多民族国家の抱える問題点が間接的に示されたようにも思いますが…
実はよく分かりませんでした。

ピーク時の厨房の喧騒と緊迫した雰囲気が見どころです。

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さとうきび