劇場公開日 2025年6月13日

「描かれているのは古くからある普遍的な問題 労働に喜びを見い出せず 労働が苦役になってしまっている件」ラ・コシーナ 厨房 Freddie3vさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0 描かれているのは古くからある普遍的な問題 労働に喜びを見い出せず 労働が苦役になってしまっている件

2025年7月1日
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鑑賞方法:映画館

ニューヨークのタイムズ•スクェアにある 観光客向けの大型レストランで働く人々を描いた群像劇。スタッフの多くは成功を夢見てアメリカにやってきた移民の人たちです。そこの厨房をメインの舞台にして嵐のような一日が描かれます。英国の劇作家アーノルド•ウェスカーの戯曲 “The Kitchen” (1959年初演)を場所をニューヨークに変えて映画向けに翻案したもののようです。

思いのほか面白くて示唆に富んだ映画でした。レストランであまり期待せずに注文した料理が美味しくてしっかりと食事を楽しむことができたときのような感じ。まあ厨房内ははちゃめちゃなカオスで、この映画はほぼモノクロなのですが、カラーで見たらちょっと気分が悪くなるのでは、という内容も含まれてはいますが。

この厨房内カオスを招いたレストランの従業員たちの様子から、私は今から百数十年も前にカール•マルクスが論じていた労働疎外の問題を思い出しました。その昔、学生時代にちょっとかじった程度なのであやふやですが、以下のような感じの話です。

自給自足経済下の農民は、例えばジャガイモの収穫後に「今回のイモは前回より美味しいべ。次回はもっと美味しくなるよう頑張るべ」といった具合に労働の成果が実感でき、働く喜びも味わうことができます。これに対して資本主義下の労働者、例えば、スイスの時計工場で働く労働者は労働の対価として賃金を得ますが、毎日ちゃんと工場で働き続けられるだけの健康状態を維持できるだけの賃金、もしくは、次世代の労働力までを考慮に入れていたら、家族がどうにかこうにか食ってゆくのに足るだけの賃金を得るだけで、その工場の製品である高級腕時計を手首に巻くことは一生ありません(労働の生産物からの疎外)。

ということで、資本主義下の労働者は労働の成果を実感することもなく、その成果はすべて資本家が握っている資本の蓄積に寄与することになり、労働者にとって労働は単なる生計をたてる手段で苦役以外の何物でもないということになります(労働活動自体からの疎外)。

そんななかで、人間が本来持っている社会的•共同体的な性質とか、人間らしい生き方が奪われてゆきます(類的存在からの疎外)。

また、競争によって人間関係が分断されてゆきます(他者からの疎外)。

このあたりまではマルクスが19世紀の資本主義を観察して論じていたことなので古くからある問題と言えます。現在では「デジタル疎外」みたいな新たな疎外ネタも出てきてますが。でも日本の企業というのは一般的にこの辺のところをうまく切り抜けて、従業員個々が仕事にやりがいを持って人間らしく創造的に仕事ができるよう、環境作りをしてきたと思ってはいるのですが、こればっかりはいろんな職場があるので一概には言えません。

で、この群像劇の主人公格のペドロというのがまあ身から出た錆びの部分もあるにせよ、上記の疎外のお話そのものみたいに疎外感を感じまくって厨房内でも浮いた存在になりかけています。彼だけでなく、スタッフそれぞれが彼ほど酷くないにしろ労働疎外の実例のオンパレードみたいで、結局、こんな状態を招いた元凶はオーナー経営者のラシッドにあると言えましょう。彼の自分の部下たちに対する見方は「お前らが貧乏なのはお前らの努力が足りないからだ。そんなダメなお前らに私はお前らにふさわしい仕事をくれてやっている。これ以上、何がほしいと言うのか」といった感じで、上から目線で従業員を見下しています。これに加えて、たぶん賃金の都合で多国籍軍さながらのレストラン•スタッフの構成になっていますので、言葉等の問題でメンバー同士のコミュニケーションがうまくとれません。労働疎外の問題を小さくしてゆくためのキーとなるのはコミュニケーションだと思いますので、まあ、あそこのレストランの労働環境は最低最悪だと思います。

私がこの20年ほどの間の社会の変化で気になっていることのひとつは、いわゆるネオリベ、新自由主義的な考え方が世の中にはびこり始めたことです。今回のレストランのオーナーなんかはその典型です。日本も雇用形態なんかが変化しているあたりにその影響が見て取れます。まあでも仕事するのに働きがいや働くことの喜びが見い出せる環境であってほしいですね。と、年金が貰えるようになって社会人をなんとか逃げ切った感のある老人の戯言でございました。

あ、そうか、映画のレビューでしたね。元ネタが戯曲なだけあって気になるセリフがいろいろと出てきます。ウラの意味を考えてみるのも一興かも。映像はモノクロですがかなりセンスいいと思います。厨房もなかなか立派でした。今すぐでなくとも何年後かにまた観てみたいと思わせるような不思議な魅力のある作品でした。

Freddie3v
ノーキッキングさんのコメント
2025年7月2日

社会構造云々よりも、もはや、“疎外“からも疎外されてしまった人々の溜息、という文学性を感じました。
“社会人から逃げ切る“は言い得て妙ですね。

ノーキッキング
レントさんのコメント
2025年7月2日

奴隷貿易の時代、アフリカ全土から集められた奴隷たちも出身部族や風習、言葉も違い、たがいにコミュニケーションもとれなかったですからね。
植民地支配においては支配される側を分断させていがみ合わせることで彼らを結束させず支配層に牙をむかないようにする分割統治が行われました。これは今の社会でも頻繫に見られますね。日本では生保バッシングなど。

レーガノミクスなどの新自由主義的経済政策の恩恵を受けてきたトランプはそのせいで地位が低下した中流層からの支持を移民を悪者にすることで支持を集めましたね。彼も不法移民を使いトランプタワー建設などで儲けました。実業家時代も政治家に転身してからも彼は移民を形を変えて搾取しまくったわけです。彼はまさに搾取という資本主義社会の象徴と言える人物ですね。

レント
ひろちゃんのカレシさんのコメント
2025年7月2日

お邪魔します。
「疎外」の件,おっしゃる通りだと思いました。
ペドロをもし協調性があって真面目な労働者として描いてしまうと,「(一方的に)悪いのは社会!」みたいに全体のトーンがあまりにもイデオロギー(←何だか懐かしい用語)的に傾きすぎるので,ああいうキャラ設定したのだと思いました。

ひろちゃんのカレシ