「モノクロでないと完走できない狂気がラストに待っているので要注意案件ですよ」ラ・コシーナ 厨房 Dr.Hawkさんの映画レビュー(感想・評価)
モノクロでないと完走できない狂気がラストに待っているので要注意案件ですよ
2025.6.17 字幕 アップリンク京都
2024年のアメリカ&メキシコ合作の映画(139分、G)
原案はアーノルド・ウェスカーの戯曲『The Kitchen』
NYのレストランの半日を描いた風刺コメディ映画
監督&脚本はアロンソ・ルイスパラシオス
原題は『La Cocina』で「厨房」という意味
物語は、メキシコから母の知り合いであるシェフのペドロ(ラウル・ブリオネス・カルモナ)を訪ねて、エステラ(アンナ・ディアス)が海を渡ってくる様子が描かれていく
店の場所を人に尋ねながら辿り着いたエステラは、面接を遅刻したシトラリ(サルマ・アルヴァレス)と間違えられて面接を受けることになった
その際に店のトラブルが発覚し、面接はおざなりになったまま、担当のルイス(エドゥアルド・オルモス)の一存で、その場にいたラウラ(ローラ・ゴメス)と一緒に採用されることになった
店のトラブルは、昨夜の売上金の一部が紛失したというもので、オーナーのラシッド(オデット・フェール)は「犯人を見つけて追い出せ」とブチ切れた
そこでルイスは、多忙な金曜日を承知で盗まれた金を探すことになり、全従業員に聞き取り調査を始めていく
そんな中で、新人のエステラはペドロの横についてチキンを仕上げ、昨日の夜に起こったペドロとマックス(スペンサー・グラニース)との喧嘩騒動の噂話を耳に入れていく
ペドロはウェイトレスのジュリア(ルーニー・マーラー)と恋人関係にあり、彼女のお腹にはペドロとの子どもが宿っていた
ペドロは産んで欲しいと思っていたが、ジュリアは頑なに堕ろそうと考えている
そして、店から盗まれたのが中絶費用ではないかと考えられ始め、ジュリアとペドロに疑いの目が向けられた
だが、ルイスはジュリアへの聞き取りの際に「ペドロを犯人と決めつけて尋問を繰り返していく」のである
映画は、冒頭でヘンリー・デイヴィッド・ソローの言葉が引用され、これは『生き方の原則:魂は売らない(Life without principle)』の一説である
1854年の公演にて語られたもので、その後亡くなる直前の1862年に出版されることになった
人生と仕事に関する哲学を語ったもので、労働とその成果による関係性を考え、全ての偉大な事業は自立している、と説いている
この引用の意図は定かではないが、移民の彼らが店の部品として取り扱われ、その成果が危ういバランスで自立に誘われているように見えてくる
また、部品がなければ動かない店を支配しているはずのラシッドも、神の許しなしに好き勝手する労働者をコントロールできないので、彼自身の自立も物凄く脆弱なものに思える
この構造は資本主義社会における経済活動そのものへの警鐘にも思え、部品ではなく自らを自立させ得る人にするために何が必要かを考えさせるもののように思えた
映画では、ロブスターの蘊蓄、宇宙人の光などの様々な例え話が登場し、その中に生きているシェフたちの望みというのは矮小のように語られる
だが、それらを満たすための賃金、環境、精神衛生があれば十分だと考える人もいて、そういった人たちの過ごしやすさを作ることも店の発展には必要と言えるのかもしれない
映画のタイトルは「The Kitchen」ではなく、スペイン語の「La Cocina」なのだが、英語タイトルにしていないところにも意味があると思う
文字通り、「厨房」はアメリカであってアメリカではないのだが、それは移民で溢れているからではない
彼らはビザを取るために腰掛けで働く存在であり、言わば暫定的にそこにいるだけの存在である
25年働いている料理長(リー・セラーズ)ですらまともに扱われていないところを見ると、そこは永遠にアメリカ人になれない人たちの坩堝のようにも思える
そう言った意味を含めると、緑の光で照らされたペドロが赴く先は夢見る地ではないのだろう
いずれにせよ、モノクロになっているので最後まで鑑賞可能だが、耐えきれない人がいてもおかしくないと思う
ジュリアは「10週目」と言われて驚くのだが、それはペドロの子どもではないという意味にも思える
それでも、エイブ(レオ・ジェームス・デイヴィス)がいるからこそ新しい子どもを産もうとしないということは一貫していたので、誰の子どもであれ、同じ決断をしていたのだろう
ジュリアの選択で呆然として自暴自棄になったペドロだが、その起点となるのはラウラの「濡れネズミ」という言葉だった
これはメキシコ移民がリオ・グランデ川などを渡って入国する際に濡れていたことが由来で、当初は「Wetback」というスラングが生まれていた
ペドロは真っ当に生きてビザを取り、自身の夢を叶えようと考えていたが、それすらも叶わないところにこの言葉をモロッコ移民のラウラからぶつけられたことで箍が外れている
これが移民同士が罵りあっている構図になっていて、それが支配者の時間を止めるのだから面白い
そう言った観点から見ても、自立に向かおうとしない資本主義というのは問題が多いのかな、と感じた
ノンゾが語った移民の話は、かつて1954年に閉鎖されるまでに1200万人がエリス島に来た逸話のことだと思います
その男は腕がないということで不合格になるけど、緑の光によってベンソンハースト(ニューユークのとある地域)にてピザ屋をできるようになりました
これは許可が取れた(グリーンカードを所得した)ということで、その超常的な現象が自分にも訪れないか(=ビザを所得したい)という意味で合っていると思います
ラストのペドロも緑の光に包まれるのですが、それは注文を印字するプリンタの緑の光であり、異星人の光とは異なるものと考えています
その光は「Error」ボタンの緑の光で、ペドロの行動によって生まれた光なのですね
それを考えると、ノンゾの腕のない男とは立場も行動も違うので、同じようなことはペドロには起こらないという意味になると思います
ペドロ自身は腕のない男と同じように「消えること」ができると感じているかも知れませんが、違う意味でニューヨークから消えることになるのだと思いました