BAUS 映画から船出した映画館のレビュー・感想・評価
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バウスシアターの元客的にもこれはない
物心ついたころから吉祥寺の映画館でいろんな作品を見て、バウスシアターにも10代~30代の終わりまで頻繁に足を運びました。マニア的に通ったというよりも、この映画に出てくる多くの人たちにとってと同じように、近所にある身近な映画館でした。LAST BAUSも行きました。だから、そこそこ楽しみにしていたんですが。
吉祥寺の映画館やバウスに思い出がない人はもちろん、ある人にもこの映画はお薦めできません。思い入れ補正入るかなと思ったけど、それも全然。
バウスシアターにつながる井の頭会館や武蔵野映画劇場を描くのはいいです。でもそこからタイトルにもなっているバウスシアターへのつながりがほとんど描かれません。
戦前から戦後70年近くになるまで、世代交代もはさみつつ、それらの映画館があの地でそこに住む人たちと共にどうあり続けたのか。バウスシアターという場がなぜあんなに独自の存在感を放つ劇場になったのか。時代で変わる、映画という娯楽のあり方とともに描くこともできたんじゃないのか。
あるいは映画を人の人生の傍らを通り抜けていくものと位置付けるなら、劇場の人たちや家族の物語をもっと丁寧に描く選択もあったと思います。
でもどっちもない。時代や文化も、人も、どっちも描き方が中途半端だと感じてしまいました。
「映画は明日だ」とか「映画と煙はいずれも光とともにある」とかいう(いずれもうろ覚えだけど)それっぽいせりふが繰り返し出てくるけれど、それもいまいち生かせていなくて。とっちらかった芯のない映画を見た思いです。
よかったのは俳優さんたち。
光石さんはもっと生かせたのではと思うけれど、染谷さんも、峯田さんも、夏帆さんもきっちりお仕事されていました。黒田大輔さんはいつも地味だけど唯一無二の存在感出されます。
Bausを知らない人にもこれでいいの?
多くの人に愛されながら2014年に惜しまれつつ閉館した吉祥寺の映画館・バウスシアターの物語です。この劇場ではジャンルを超えた様々な試みが展開され、今や全国に広がった「爆音上映」もこの劇場から始まりました。僕は行った事がありませんでしたが、当館の本を以前に読んだことがあったので興味を持っての鑑賞となりました。ところがです。
制作者は今は亡きバウスシアターに強い思い入れがあったからこそこのタイトルでこの作品を撮ったに違いありませんが、描かれるのはバウスの先代・先々代の戦前・戦後の映画館のお話でした。バウスに通っていた人は「へぇ、こんな過去があったのかぁ」と感じる事も出来るでしょうが、知らない人や地方の人にはなぜあの劇場があんなに愛されたのか全く伝わりません。本当にこれでいいの?
また、予算の無さが映像にも表れていてそこは仕方ないのですが、それを逆手に取った開き直りにまで昇華出来なかったのが残念でした。
関係者以外立ち入り禁止なら最初からそう言ってくれよ。
青山真治が途中まで脚本を書いたようだ。作品の時系列としては一応、時間は「明日に」向かって流れているが、現在の人物と過去の人物が入り混じり、つまりは生者と死者が対話するような場面がある。このあたりが青山真治らしいのだろう。
ただ、ストーリーとしては本田家の内輪の話がほとんどである。特に、夏帆が演じているハマ(サネオの妻、拓夫の母)が出てくる戦時中、戦後すぐのあたりはNHKの朝ドラっぽくって面白くない。多分、演出が凡庸なのだろう。いい役者はたくさん出ているのだが。例えば光石研。屋台の親父を演じているのだが、中盤、突然、染谷将太と二人で屋台で話し込むシーンがある。この時、背景はすべて暗転し屋台だけがスポットを浴びる。でもそこまでに光石が活躍する場面がほとんどないので何のことだか観客にはわからない。
MEGがオープンして劇場が2軒になった。この時の忙しさを画面分割で表現しているがこれも突拍子もなく現れるので効果が薄い。
つまり全て演出が上滑りなのである。
映画の後半は現在の拓夫氏と早逝された娘さんとの、生者と死者の対話が現れる。BAUSの名前の由来もここで説明される。でもちょっと待て。この映画を作ろうとしたそもそもの狙いは、一つの映画館がその土地の文化に果たした役割を振り返ろうとしたのではないか?文化というとちょっと大げさかもしれない。そこに集まる人々の心に与えた影響というべきかもしれない。
この映画では、驚くなかれ、その肝心な部分がほぼ、欠落しているのである。少なくともBAUSシアターが、音楽のイベントにも貸し出されるようになった経緯、ロックバンドのメンバーが吉祥寺には他で演奏できる場所がないからと借りにきたエピソード(拓夫氏の著書やインタビューに出てくる)は映画でも絶対に取り上げなくてはいけなかったのではないか?それともそんなことは内輪では当然だからわざわざ取り上げることはないということなのか?
それって映画づくりの基本から外れている。つまり観客をカヤの外に置いてないか?
物語に真剣に身が入らなかった
申し訳ないのだけれど、あまり面白くなかった。
特に、オープンセットが舞台の書き割り程度のもので、物語に真剣に身が入らなくなった。
そういう映画なんだ、と思い込めば、物語に入り込めたのだろうか?
うーん、賞味期限切れだったのでは?
BAUSシアター知らない者からすると、閉館して時間が経ったのに強引に映画にしちゃった?という印象。染谷将太と夏帆が良かっただけに、息子の回想シーンが残念。息子の娘がまだ小さい回想シーンも息子は祖父みたいな印象だし、あそこも違和感。
存在しなくなったものへのレクイエム
描かれている年代になんか既視感があるなと記憶をたどってみたら、最近、再放送しているNHKの朝ドラ『カムカムエヴリバディ』と年代がほぼ重なっているのに気づきました。年号が大正から昭和に切り替わるあたりから始まって、8-90年間ぐらい。当然、登場人物の代替りがあり、第一世代は戦争の影響を大きく受けた世代ということになります。これって、つまり、昭和恐慌やら戦争やら戦後の高度成長期やらをくぐり抜けてきた井の頭会館-MEG -バウスシアターの三代の映画館の物語って、朝ドラみたいなフォーマットにはなじむと思うけど、2時間前後の映画に落とし込めるのかな、と思ってたら、まずは朝ドラ風エピソードの断片の連打で畳みかけてきました。で途中で変調、時空を歪ませて幻想的な断片を見せたりして大団円となります。それぞれの断片は漫画的だったり、美しかったり、儚げであったりするけど、どれも登場人物ひとりひとりがとても愛おしく思えてきます。人は死に際して自分の一生を夢にみるというけど、三代続いた映画館が閉館にあたってみた夢はこんな愛おしい断片の積み重なりだったのかもしれないと感じました。この作品は結局のところ、説明的な散文ではなく詩みたいなものなんでしょうね。それも叙事詩ではなく抒情詩。今はもう存在しないものへの鎮魂歌。そのあたりのところをどうみるかによって意見がわかれる作品かもしれません。
いちばん気に入ってる断片をひとつ。新劇場立ち上げの日、サネオは登壇してスピーチをするのですが、そんな夫の晴れ舞台を前に客席のハマは幼い息子の隣でうつらうつら……ハマの性格やら、夫や子供との関係性やら、何か達成できたときの安堵感やら、その他諸々、シーン一発で表現していて見事だと思いました。夏帆さんの寝顔と、サザエさんの実写版を撮ったら、こうなるのかなと思わせる昭和レトロな髪型に星半分オマケです。
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