ドリーム・シナリオのレビュー・感想・評価
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日本だとどうなっていたんでしょうね
はてな?
すごーく変なスリラー
ニコケイにぴったり。 日本映画「THIS MAN」と同じ都市伝説がネタ元?
全世界で、同じ男を夢に見たという人が同時多発的に発生したという「ネットミーム」の映画化ですよね?
同じテーマでも、普通はこうなると思うのですが、Jホラーとして日本映画がつくると「THIS MAN」になってしまうという…興味がある方は観てください。いや観ないで下さい「THIS MAN」は。奨めてませんからね!
その「THIS MAN」の1億倍面白い「ドリーム・シナリオ」ですが、実際に「ネットミーム」を身をもって経験したニコケイ主演。
後味の悪さでは定評のあるA24製作。
はじめは、無防備に只浮かれてしまう主人公ポールが見ていてイタイ。
案の定、有名税を払うことになり、それだけならまだ良かったけれど、下心のあることで大失敗し自己嫌悪から失意のどん底。
ここが一番イタイ。
このことをきっかけに夢の中のポールが大暴走しだすのが怖い。
娘の夢の”ドンドンドン…と走ってくるニコケイ”怖い!
いや実際に怖いのは、現実世界で精神的にも物理的にもバッシングされる恐怖。
本人は何もしてないのにバズって有名人でモテモテになり、今度も実際に何もしていないのに一転して社会から排除される恐怖。
家族にも被害が及ぶから、家族すら遠ざかってしまう。
特に常に味方だった最愛の奥さんが離れていくのがつらい。
(こんな時でも助けてくれるのは、ホラーオタクたちというのが笑える?笑えない?)
しかし、ある日突然、夢出てこなくなる。
現実世界で娘の中学校教師に傷を負わせてしまったことがきっかけらしい。
やはり現実とリンクしているようで。
ここからラスト前までが蛇足に思えるが、その後、夢は人々の間で共有される?ことが判明。
(ここの原理が早口で駆け足でわかりにくい。)
他人の夢に自由に出ることができるツールが開発される。
唐突すぎ!
そして、ネットやSNSのように、他人の夢が広告活動の場になる。
社会風刺!?
ラスト、奥さんの、まさに「夢がかなった」というオチ。
滑稽だけど心温まる。
これはハッピーエンド???
可哀想な顔が似合うニコラスケイジ
何故かたくさんの人の夢に登場することで一躍時の人となり、そして炎上する。一連のバズりと、翻弄される哀れなポールをひたすら眺める作品でした。
「夢に出てくる」
自分にはどうしようもなく、自身の手柄でも落ち度でもないこの現象で、人気者になったり嫌われたり。多少調子に乗ったりもしたけれど、基本的に何も悪いことをしていないのにどんどん不幸になっていくポールがただただ可哀想。きっとこのバズりがなくても平凡に見える日々に綻びはあって、順風満帆ではなかったのだろうけれど、それにしても理不尽な理由で攻撃を受けるのは同情。
全体的にヘンテコ映画でしたが、ニコラスケイジがボロボロになっていくのがユーモラスで、ブラックコメディっぷりを盛り上げていました。
【"City of Dreams。私は悪夢。”今作は、突然他人の夢に出没するようになってしまった男を襲う悲喜劇を描く”良くこの不可思議なシナリオを考えたなあ。”と思った不条理コメディホラーである。】
■大学教授のポール(ニコラス・ケイジ)は、ある日多くの人の夢に”何もしない人”として現れるようになる。最初は、生徒達からも不思議がられて、それまで地味だった彼は、注目を浴びて少し嬉しげである。
だが、夢の中のポールは、徐々に”何かする人”に変容していく。最初は仕事で出会ったモリー(ディラン・ゲルーラ)の夢に現れ、激しいセックスをして彼女を満足させるところから、さらにエスカレートして行き、(チラットしか映されないが)拷問、暴力などをするようになり、全然身に覚えが無いのに、街中や友人達から嫌われてしまう。
不思議な事に、妻のジャネット(ジュリアン・ニコルソン)の夢には現れず、”私の夢にはピンチの時にトーキング・ヘッズのあの変な服を着て、助けに来てね。”(もちろん、デヴィッド・バーンがライブの時に来ていたダブダブの”ビッグ・スーツ”の事である。)と言われる始末である・・。
◆感想
・序盤は、クスクス笑いながら鑑賞する。全く身に覚えが無いのに、ドンドン人気者になって行く様に、嬉し気なポール。
一番笑ったのは、モリーの自宅に誘われ、”もう一度、襲って頂戴。”ってな感じで、部屋の隅っこに立たされてから、怖がるフリをするモリーの座るソファの横に座り、キスをしてモリーにチャックを降ろされた途端に、”出しちゃう”シーンである。あの、オロオロしたポールを演じるニコラス・ケイジの情けない表情が絶妙であった。クスクス。
・だが、そんな楽しい時はあっと言う間に過ぎ、夢の中のポールは人々に酷い事をし始め、一気に嫌われ者になって行くのである。
友人のディナーに夫婦で訪れても、夫人の夢で酷い事をしたらしく”もう無理‼”と言って追い返されるし、ダイナーで本を読みながら食事をしていても店の人から”出て行って下さい。”と言われる始末。
そして、到頭ある日ランニング中に、彼は自分ソックリの男からボーガンで矢を身体に撃ち込まれるようになり、その深刻さを実感していくのである。
■だが、彼が起こす不思議な現象は、若手技術者により、”ノリオ”と言う他人の脳にアクセスする仕組みが発明され、彼の著書「私は悪夢」はベストセラーになる。
ー ここら辺が、良く分からなかったのは、私だけであろーか。ー
・それでも、境遇は相変わらずで、娘の学芸会には出禁を学校から喰らい、無理に入ろうとして先生に怪我をさせたり、散々である。
家族からも分かれて住む羽目になったポール。
<ラストも、実に不条理である。
妻のジャネットが何故か囚われており、彼女の周りには炎が。そこにやって来たポールは、デヴィッド・バーンがライブの時に来ていたダブダブの”ビッグ・スーツ”を着て、助けようとするのだが・・。
今作は、突然他人の夢に出没するようになってしまった男を襲う悲喜劇を描く不条理コメディホラーなのである。
良く、こんなシナリオ考えたなあ。クスクス。
エンドロールに流れる、トーキング・ヘッズの"City of Dreams”も、ピッタリの作品でもある。>
■ニコラス・ケイジは、度重なる離婚による大借金を抱えていた頃は、”どんな脚本の映画にも、物理的に出演可能なだけ出演し続けた故に、多数の駄作俳優”という有難くないレッテルを貼られていた。
が、借金を返済し終え、「マッシブ・タレント」で復調したが、それが本当かどうかは今作を観た人の判断によるかな。
還暦を迎えて、ますます盛んな最早、怪優と言っても良いニコラス・ケイジでありました。
あまりにも可哀想すぎ
ただたくさんの人の夢に出てきて悪い事をした、それだけで全てを失う男性
実際は夢なのにそこまで嫌う事ができるかなという疑問が私には大きく残りました
普段は友達もいるしちゃんとした仕事もある普通の人なのに、そんな人が夢で襲ってきたからってあそこまでやるのか
ごく普通の人の事が一気に広まるって今の世の中にも実際にありそうな事ではあるけど
それを利用しようとする人達もリアルです
ホントまさにいろいろホラーです
何も悪い事をしてないのにあそこまで追い込まれて本当に可哀想でしかなかったです
夢を叶えたようでも望んでいた形ではなく、全てを失くしたポールは「あれ」に救いがあるのか、そんなラストに爽快感はありませんでした
A24ですもん
とっても久しぶりに観たニコラス・ケイジはやはり良かったです
ナイトメア・シナリオ
ポール(ニコラス・ケイジ)が他人の夢に出てくる。最初の方は誰かの夢の世界だと分かりやすいが、終盤は本人の夢であったり、娘の学芸会以降はまるで分からない。
……………
現実世界のポールは、悪事はもちろんモラルやマナー違反もしていない。しかし何故か多くの人から嫌悪を抱かれる。そして休職や家族にも追い込まれる。
でもこれっていわゆる集団リンチだよね。実社会でのSNSによる無責任投稿と同じだと思う。SNSでは実際グレーの人も多いかもしれないが、グレーの濃さを決めるのは関係の無い一個人ではない。
だから無実だと主張して闘うのか、自ら本当の殺人鬼になるのか、実は集団催眠をする悪の教祖だったとか、色々考えたけど。
悪夢が急になくなり、夢の世界に入り込む事ができるアプリが開発された。って何なの?
その前の黒枠の写真。アメリカでの意味は分からないけど、ポール、もう亡くなっているんじゃないの?そしてその後は天国でのポールの夢の世界。
もう分かりましぇん。ぴえん(死語)。
意外にリアリティがあってゾッとするお話
今年観たアメリカ映画(合作も含む)は本作で31本目。その中でA24制作作品は、本作をはじめ、「ボーはおそれている」や「関心領域」など7本。同社の作品が如何に日本で上映されており、かつまた話題を集めているかが分かるところです。制作会社基準で比較するのも安直ですが、その7本の中ではアリ・アスターが監督を務めた「ボーはおそれている」と路線が重なる作品でした。まあアリ・アスターが制作陣に加わっており、ある意味当然と言えば当然なのでしょうが。
「ボーはおそれている」は、ホアキン・フェニックス演ずる主人公・ボーの幻覚(と思われる出来事)が、ボーを襲ってきて苦しめるというお話でしたが、本作はニコラス・ケイジ演ずる平凡な大学教授である主人公・ポール・マシューズが、いろんな人の夢に登場するという珍現象が発生し、次第に現実世界のポールを苦しめて行くというお話でした。いずれも何が現実と夢(幻覚)の二転三転に面白さがありました。
また、現実世界でポールを知っている妻や学生だけでなく、彼と会ったこともない人までポールの夢を見るという設定はあくまで”作り話”ではありますが、ひとつの話題がマスコミやネット上で共有されて指数関数的に話が広がる現象は、現実にもしばしば発生すること。本作では、初めこの驚くべき珍現象を物珍しさも手伝って好意的に受け止めていた大衆が、夢の中のポールが乱暴狼藉を働くようになった結果、現実世界でも彼を怖れ始め、忌避し、最終的には排斥していくという流れが、中々示唆に富んでいて興味深かったです。
世論というものが、誰かを散々持ち上げておいて、何かをきっかけに一転してバッシングしまくるというのは、しばしば目にする光景です。ポールが体験した悲劇はまさにこれでした。しかも彼は、学術的に目立った研究成果がある訳ではないようで、見た目にも特段の色男である訳でもなく、また結婚して家持ちの妻の姓を名乗るなど必ずしも金持ちではないというキャラクターとして設定されており、まさにどこにでもいるような普通の人として描かれているのがポイントでした。つまり、我々誰しもが、何かをきっかけに有名になり、チヤホヤされるのも一瞬で、次の瞬間にバッシングの憂き目に遭う可能性があるということを言っているようにも思えたところです。この辺を考えると、かなりゾッとするお話ではありました。
そんな訳で、本作の評価は★4とします。
SNSと夢の世界の不思議な共通点
『ドリーム・シナリオ』を観終わった後、不思議と胸に残るのは、この物語が単なる奇想天外な話ではなく、どこか現代社会そのものを象徴しているように感じられるからかもしれません。平凡な大学教授が、突如として多くの人々の夢に登場し、一夜にして注目を浴びる。最初はその奇妙な状況に引き込まれつつも、次第にその名声が主人公を追い詰め、やがて日常が壊れていく過程に、どこか既視感を覚えました。
夢という無意識の領域が他人と共有され、それが社会的な評価や名声と結びつくという設定。これが、私たちの日常における「SNS」のあり方と重なります。SNSもまた、もともとは個人的な発信や交流の場であったはずが、いつの間にか他者の視線が色濃く入り込み、「見られること」が本質的な性質となっています。この映画を見て、SNSに投稿するたびに感じる漠然とした緊張感や、自分の行動が誰かに評価されるかもしれないというプレッシャーの正体を、改めて考えさせられました。
この映画を観ているとき、頭をよぎったのが『トゥルーマン・ショー』です。知らぬ間に自分の人生が他者に監視されている状況。『ドリーム・シナリオ』は、夢という形でさらに無意識の領域にまで踏み込むことで、トゥルーマンのような「意識的な監視」よりも、もっと不気味で避けられないものとしての「見られる存在」を描いています。そこには、ジャン=ポール・サルトルが語った「他者の視線による自由の喪失」というテーマが鮮明に浮かび上がります。サルトルは「人は他者の視線を通して自己を意識する」と語りましたが、この映画の主人公も、他者の夢の中で「勝手に見られる」ことで、自己のアイデンティティすら揺らいでいきます。
また、フーコーの「パンオプティコン」を想起させる側面もあります。誰かに常に見られているかもしれないという監視の構造が、人々の行動を制御する。『ドリーム・シナリオ』では、夢がまさにその「監視」の舞台として機能しています。他者の無意識の中で主人公が行う行動が、現実世界で評価や批判として跳ね返ってくる。この構造は、現代のSNSやインターネット空間の相互監視の関係とほぼ同じです。
同時に、『サンセット大通り』や『ジョーカー』といった、名声がもたらす狂気と破滅を描いた作品ともつながりを感じました。名声を得ること自体が幸福に結びつくのではなく、それがどれだけ不安定で、時に危険なものであるか。特に本作では、名声のきっかけが夢という制御不能な舞台である点が、現代の「バイラル文化」の儚さや危うさを鮮烈に表現しています。
この映画を観終えたとき、気づいたのは「見られる」という行為が、どれほど人間に影響を与えるかということです。他者の視線を受けることは、ある意味でアイデンティティを強化しますが、同時にそれが過剰になると自分自身を見失う危険も孕んでいます。『ドリーム・シナリオ』は、この「見る・見られる」の関係を、夢というユニークな舞台で鮮やかに描き出しました。映画を観ながら、私自身が普段どれほど「他人にどう見られるか」を気にしているのかを改めて考えさせられました。そして、その意識がどこかで自分を縛り、行動を規定しているのではないかという不安も。
この映画が描くテーマは、現代社会の私たちにとって非常に身近なものです。それだけに、鑑賞後の余韻が心に深く残ります。『ドリーム・シナリオ』は、ただ奇抜なストーリーを楽しむだけの映画ではありません。日常にある「見られる」行為の影響や、そこに潜む危うさをじっくり考える機会を与えてくれる作品でした。自分の無意識や行動がどこまで自由で、どこまで他者の影響を受けているのか。そうした問いを抱きながら、この映画のテーマにもう一度向き合いたくなる作品です。
ただの偶然の夢なのか、悪夢への前兆か
何百万もの人の夢に現れて人気者になった大学教授が夢の中で悪事を働くようになり現実の世界でも非難を浴びる様を描きだす。ただの偶然の夢なのか、悪夢への前兆なのか。ニコラス・ケイジ主演の悪夢系スリラー爆誕。まさに”夢の続き”が気になる感覚と近しくそこにユーモラスを混ぜた不穏感。またアリ・アスターが製作に名を連ねてる文脈なりニコケイの芸達者ぶりが遺憾無く発揮される。端的にA24での「MEN 同じ顔の男たち」(‘22)の不気味感を連想した。シチュエーションが既に暴走してるためニコケイ自体の怪演もそれに相まって相乗効果的に上昇する。ニコケイの個性を最大化させたA24作品らしいヒトヒネリある奇怪な怪作へと昇華させる。
わざわざ「夢」の話にした意味はあったのだろうか?
何かをきっかけにして、いきなり「時の人」に祭り上げられたり、何も悪いことをしていないのに「民衆の敵」として憎まれたりと、ここで描かれている「夢」は、明らかに「SNS」のメタファーだと思われる。
身に覚えがないにも関わらず、周囲の人々から忌み嫌われたり、レストランから追い出されたり、職を失ったり、娘の学芸会を観られなかったりする主人公の境遇は、まさに「悪夢」そのものなのだが、それは、ネットでの「炎上」によって、現実世界でも起こり得ることだろう。
だからこそ、その理不尽さを身近なものとして実感でき、他人事ではない恐怖を味わうことができるのだが、それだけに、終盤の、他人の夢に入り込めるデバイスの開発という、まるで「インセプション」のような展開には、戸惑いを禁じ得ない。
そもそも、主人公が、どうして多くの人々の夢の中に出てきたのか、その原因が究明されていないのに、デバイスが開発できてしまうという設定自体がよく分からない。
ここは、「MOZU」のダルマの夢のように、屁理屈でもいいから、主人公が夢に出てきた理由を説明してもらいたかったと思う。
さらに、主人公が、そのデバイスを使って妻の夢に侵入するというラストも、結局、何が言いたかったのかがよく分からず、釈然としないものが残った。
こんなラストにするぐらいなら、わざわざ「夢」などという比喩を用いずに、SNS社会の危うさをそのままの形で描くことで、ファクトチェックの大切さや、情報リテラシーの必要性を訴えた方が、よほど心に響く話になったのではないかと思えるのである。
妻ほか脇役もなかなか
夢と無意識の関係をユング的解釈(無意識において人間はつながっているので他人同士でも似た夢を見ることがある)でとらえた面白い脚本。
平安時代とかの日本人もそれに近くて、夢にある人が出て来るのは自分がその人のことを気にかけているのではなくその逆だと思われていた(だから「なぜあの愛しい人は私の夢に出て来てくれないのか」となる)そうだけど本当だろうか。
不特定多数の人に知られていて勝手にいろいろ妄想されたりするのって怖いことなんだなあと思わせるストーリー。
「マルコビッチの穴」とかケイジ自身の「マッシブ・タレント」のように俳優の名声とキャラクターを知っているとより面白く見られるタイプのメタ映画です。さえない大学教授のケイジ、見ていて楽しい。
ホラー、スリラー描写は少なくて人間ドラマの要素多め
ホラー要素は少なめでした
予告観た段階で、ホラーじゃなくて色々な人達の夢に出てきてそこから色々あるという人間ドラマという感じでも面白そうだな〜と思っていたので、ホラー要素少なめでガッカリというのは自分は無かったです。
1人の平凡な男が、急に人気になり、そして自分は何もしていないのに周りから避けられてしまうという展開はとても発想が面白く中盤はどのようなラストになるのだろう?と興味を持って観れました
(でも1つ不満なのはあの女の人とキスするシーンは個人的には無い方が良かった。
1人の妻と家族を愛する真面目な男として描いて欲しかったです)
そして迎えるラストは正直言うと
結局どういうこと?
とはなってしまいました…
好きな人は好きだと思います。
あと自分は所々にカットが独特な所があったので何かあるのかな?と思いましたが特に無かったのは残念…
中盤に出てきた会社の壁に書いてあった、
Thoughts?
映画だと字幕で意見は?と書かれていて、携帯で翻訳してみると考えは?と出てきました。
これは観客に問いかけているのでしょうか?
思い返すと中々奥が深い気がします
現代社会の生きづらさについて奇妙な設定にて伝える作品
ニコラス・ケイジの粗相(しかも2度)
本人の事を何も知らないのに勝手に見た夢の中の出来事のみで、その人に対し皆が嫌悪感を抱き社会から抹殺しようとする。
本人は終始何かをしたわけではないにも関わらずひたすら周囲が騒ぐ、というまさにSNSが抱えている現代の社会問題に対し一石を投じるようなお話だが、正直言って皆んなそんな反応になるのかな?って思って観てた。
ニコラス・ケイジ演じる大学教授の意固地で空気の読めなさがより事態を面倒な方へと持っていくのだが、同じおじさんとしては共感の方が多かったかも。
アイコンになってるあのカーキ色のミリタリーコート「N-3B」は自分も持ってるが、暫く着るのは控えようと思うw
話の収め方が難しそうな種類の映画だなあと思って観ていたが、まああんな感じにしかならないんでしょうね。
他の人のレビューでもあったが、ラストは何故かデヴィッド・バーンのスーツで登場。
まさに「Stop Making Sense」って言いたかったのかなあw
何演じても怪演に見える怪優
うちでは、ある種の「ヘンな映画」「妙な映画」を、「ニコラス・ケイジが出てそうな映画」と形容してます。
この映画、まさに「ニコラス・ケイジが出てそうな映画」でした。
ちょっと気弱でお人好しで(間抜け)だけど、大学の生涯教授でそこそこ優秀だし、家庭円満で良い夫で普通の父で、何も悪いことしていないのに、まったく本人には責任ないのにジェットコースターのように持ち上げられどん底に急降下。
ミーム化されたら瞬く間に自分の預かり知らない他人の印象であることないこと拡散して運命が極端に乱高下する恐ろしさをひしひしと感じる。忘れられるのも早いが、その前に職を失うとか家族や友人関係が壊れるとか金銭問題とかで修復不可能、人生激変になってしまうこともあり、これは現代の新設災害と言っていいと思う。
ポールがひたすら気の毒。不条理極まりない話だが不思議な味わいがあり面白かった。
ニコラス・ケイジは、何を演じても「怪演」に見える怪優だと思う。
捨てられても奥さんを愛していて、ポールの立場なら普通に考えたら手を出しそうもないヤバげなノリオを使ってまで、妻の望む姿(肩幅バーンのデヴィッド・バーン)となり夢でも会いたい一途な健気さが逆にうすら怖い、さすが怪優です。
A24でアリ・アスター絡み、らしい映画でした。
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