「司法、立法、行政を抑える」ソウルの春 蛇足軒妖瀬布さんの映画レビュー(感想・評価)
司法、立法、行政を抑える
司法、立法、行政を抑え、金と武力で紳士的に駒を動かす、
それが税金の使い道というセリフは、山守のおっさんか、
他の作品だったか忘れた。
大規模なアクションシーンや派手な演出を控えめにし、
感情的なシークエンスは、最低限の表現にしておいて、
テンポ優先という手法をとることで、
かえって登場人物たちの内面の葛藤を際立たせている。
前半はギリギリまで、シナリオ的、演出的に火力は使用しない、
という点において、監督の巧みな演出力を感じさせる。
そんな演出を可能にさせるのは、
説明するまでもないキャストの芝居の力だ。
切実な眼差しや、わずかな表情の変化は、
言葉を超えて、観客に多くのことを語りかけてくる。
チョン・ウソンの妻が、着替えを持ってくる。
家に帰らない帰っていない覚悟を静かに描写、
一方、
ファン・ジョンミンは
先輩に上司に大声で恫喝する。
緊迫感あふれる状況下で、
登場人物たちの心理は複雑に絡み合い、
国を、世界観をしっかりと背負って、
観る者を物語に引き込んでいく。
大きな声や動きがある時、
そこには裏資金が注入されている可能性が高い、
(これはオリバー・ストーンだったか・・・)
グライスティーン大使の動き含め米国の関与は無かったような描き方だった。
評判の悪い政権時代は野球やサッカーが強く見せかけの景気はいい、
その後の評判の良かったノ・ムヒョン政権の頃はどうだったのだろうか。
最後に、フィクションにおける公平性に関して。
ノンフィクション、報道に関しては蛇足以下にまとめました。
チョン・ドゥファンを断罪したい気持ちには大賛成。
しかし、
参謀総長がパク大統領暗殺に関係していた可能性に、
言及なし、
という所に公平性に欠けるとも少なからず感じる。
軍部では少なくとも逮捕、
または事情聴取は最低でも行うべきという、
声があがっていたらしい。
パク大統領がいなくなれば、
次期トップは参謀総長。
前半で少し描かれるが、
それをやるにはチョン・ドゥファンしかいない、
参謀総長の方が先輩だし無理、
しかし、
やるならこういう結果を招く。
尺を使うのでプロット的には入れない、
フィクションなので不要というのも理解はできる。
〈正義の旗の下〉暴徒を抑える大義名分で、感情的なシナリオでは事実をとらえきれず、〈悪人〉を含む全当事者や尻馬に乗った報道は、現実の問題にフォーカスが甘くならざるを得ないのではないだろうか。
どうなんだろう、詳しい人に聞いてみたい。
【蛇足】
中学生の頃、夜のニュース番組は、
冨田勲のトランペットの音色(生のトランペットかシンセサイザーかは当時は気にもしていなかった)とともに始まるNHKの「ニュース解説」という番組を毎回観ていた。
複雑な出来事をわかりやすく説明してくれるその番組は、
中学生の自分にとって、
世界や世間を理解するための重要な窓口だった。
特に、海外の出来事、例えばクーデターのような出来事については、
番組を通してその深刻さを知ることができた、
もちろん本作のような掘り下げはなかったが、
「私、現地に行って一週間取材してきました」
と、体感しながらも客観的に話していた・・・
という記憶がある・・・あくまでも記憶。
当時のニュース番組は、
事実を客観的に伝えることに重きを置いていた。
感情に左右されることなく、淡々と事実を報道するスタイルは、
視聴者に冷静な判断を促すものだった。
(〇〇の事故に日本人はいませんでした・・・報道のスタンスとしては正しい)
しかし、久米宏氏の「ニュースステーション」の登場は、
ニュース番組のあり方に大きな変化をもたらした。
同番組は、ニュースの解説だけでなく、
司会の久米氏による独自の視点や批評が特徴だった。
このスタイルは、視聴者に新たな視点を与え、
ニュースに対する関心を高めることに貢献した点も大きいだろう、
その証拠に、類似番組が各局で膨大な数になった。
現代のニュース番組は、
これらの要素を複合的に含むものが多くなってきている。
しかし、多様な情報が溢れる中で、視聴者は「報道」「解説」「批評」「感想」「悪口」をどのように区別し、何を信じるべきかという判断にストレスを感じている人が少なくないような気がする。
特に、SNSの普及により、情報発信が自由になった現代では、
フェイクニュースや偏った情報が拡散されやすくなっている。
特に中高生、学生には情報の真偽を自分で判断する能力が求められる。
映画の紹介に関しても、
体系的な分析や、文化的な文脈の中での位置づけ、
また演技、シナリオ、撮影や美術、衣裳、メイク、編集やCG、音楽に関しての技術論、
それらを紹介する意義や価値、
映画理論や批評手法に基づいて、
作品構造、映像表現、主題などを深く掘り下げること等、
当時の自分が感じていたような、
子どもにもわかるような情報、それを受け取る手段は、
そこにたどり着く前に気力も体力も別の事に回したくなるようにならないか、
単純に2時間程度の作品に触れることも減少しているというのを、
痛感する機会が増えた。
※念の為に言っておきますが、映画の評論に関して、
上記のように役割を分担して、
映画館に行ったことが無いとか、
黒澤を見たことない人とか、
白黒はNGっていうひとこそ、ウェルカムな場をつくりましょう!
というのが大前提です。