「良作だと思うが、自分には合わなかった」劇場版「ウマ娘 プリティーダービー 新時代の扉」 チョキメタさんの映画レビュー(感想・評価)
良作だと思うが、自分には合わなかった
なにやら賛々否両論という割合でいろいろ投稿されているようで、辛辣なレビューも多く、他者レビューに対して攻撃的なレビューが出てくる始末。そういったものも、いくつか楽しく拝見させていただいている。
私の感想はタイトルの通りなので是非とも私の粗悪な感性をご指摘していただきたいのだが、どうやってもコメントが有効化できない…。チェックを入れてもコメント無効設定になってしまうためこのまま投稿させていただく。本当に申し訳ない。
結論から申し上げると、個人的には良いところ7割、気になるところ3割くらいの良作だったなという印象。
良いところはファンの諸君らが他レビューにて熱く語ってくれているのでそちらを拝見されたし。一度しか観ていない私よりも鮮明かつ詳細に語られているので一読の余地ありだ。
なので個人的に気になったポイントを。
まず、非常に申し訳ないが、藤本女史の芝居の拙さだ。一部はとても素晴らしく、殆どの箇所は良いと思うが、一部においては確実に至っていなかった。脇役ならいざ知らず、主演であのようなお芝居がちらつくと気が散ってしまう。他の主演級の方々のお芝居にそういった点があまり見られなかったので、彼女だけ特に気になってしまった。どんなに良い構成・演出の映画であっても主演がこれでは満点はつけられない。良くて4.7だ。
次に、演出がやりたいことに対して、劇中での理由付けが曖昧な点だ。よく槍玉に挙げられるクリスタル?のようなもの。あのアイテムが心情を補完してくれていることはよくわかる。ジャングルポケットに至っては導入から中盤、終盤に至るまでこれでもかと見せてくれる。
その上で私が気になっているのは、なぜジャングルポケットとアグネスタキオンの2人が持っているのか、だ。私の推論から申し上げると、「ジャングルポケットとアグネスタキオンの2人が主人公で、それを暗喩するために持たせた」というストーリー外の演出側の都合であり、ストーリー上ではこの2人だけが持っている理由はない気がした。
これがジャングルポケットしか持っていないのなら理解できる。序盤から持っており、フジキセキが写り込むなど幾度となく彼女の心情のメタファーとして登場しているからだ。なので途中まであのアイテムは「ジャングルポケットにとって渇望などの心情を表す大事なアイテム」だと思って鑑賞していた。しかしアグネスタキオンも同じものを持っていたら「なぜ同じものをこの二人だけ持っているのか」と疑問が湧いてしまう。ジャングルポケットが手渡したわけでもない、流行りのアイテムという描写もない。所持している者の心情を表すという役割は理解できるが、あのアイテムがなぜ2人の手元にだけあるのかはついぞ語られることはない。あの二人の視点ではどういうアイテムなのかと掘り下げ始めると、演出側が主人公だから2人に持たせた、以上の理由が見当たらないのだ。そうなるとあのアイテムは「劇中のジャングルポケットにとって大事なアイテム」から「演出側が心情を表すメタファーとして主人公らにわざわざ持たせたアイテム」に成り下がってしまう。お話を楽しんでいるとそこが非常に気になった。
私個人の趣向であれば、ありていに言ってしまえば、タキオンにあのアイテムは必要ない。無くてもお話は通じるからだ。映画を通して鑑賞していればアグネスタキオンも主人公であることは問題なく読み取れるし、それまでのシーンで様々な悩みや葛藤があるのは容易にくみ取ることできる。だが演出側は、それでもあのアイテムをアグネスタキオンにとっても心情描写のアイテムとして持たせたかったし、彼女も主人公であると念入りに示したかったのだろう。加えて、きらきらと反射して雑多な部屋に光が差し込む絵、その後陽が当たらないようにカーテンを閉める絵をどうしても作りたく、そのために所持させたのだ。そのせいで、なぜアグネスタキオンも持っているか、その理由付けに劇中無理が出てきていると感じた。(実はアイテムは一つしかなく、ジャングルポケットが渡していた描写があったのであれば、大変申し訳ない、ただただ私が見逃していただけである。)
他にも、皐月賞後のアグネスタキオンの電車のシーン、こちらも同様に不要だ。あれだけ無理をしたという描写をして、足を気にする素振りのあとにレース場から去ろうとするのだから、すぐに引退の描写に入ってもなんら問題はない。逆にあのオシャレな描写を挟むことで「大きなレースと説明されていたG1開催日の電車が無人?」とか「勝負服着たまま帰るんだ」とか、余計なノイズが入り気になってしまう。もちろん理由はつけられるが、無駄に気になる。
そういった「やりたい演出に対してストーリー上の根拠が曖昧」なものが見られたように感じてしまった。
あとは、表現が重複している箇所も多かった印象だ。上記の2シーンもさることながら、スランプの表現をしながらクリスタルに傷が入っているシーンも被せるのは、同じ表現をしているので片方は無くても実際問題ない。この映画はウマ娘たちが表情豊かに表現されているので、十分読み取ることができるはずだ。
むしろここまでくどく描写されるということは、我々鑑賞側が演出側から信頼されていない証左なのかもしれない。君らでは1つじゃわからないでしょ、と。なんならオシャレ演出いれとけば「エモい!」とはしゃいでくれるとすら思われているのかもしれない。若干悔しい。
しかしその割には1シーンだけ説明されただけで、裏付けとして実感の薄い展開もあった気もする。強さや優しさ、抱擁さや不屈さなどはシーンをまたいで何度も描写することで厚みが増し、我々の実感として刷り込まれるので、そういった情報はシーンをまたいで何度も伝えてほしい。しかし私の印象としては、1シーンに1つでいいところが直後に重複しており、シーンを跨いで重ねてほしいところが1シーンしかなかったので、ちぐはぐさを感じたのかもしれない。
とはいえやはり100分では難しいのだろう。情報を詰め込み、感傷に浸らせる時間も確保するためには、ある程度の鑑賞側への信頼は不可欠だ。……やはり悔しい。そういった尺の都合で念入りに描写できなかったシーンもあったのだろうから、思い切って我々を信頼していただくか、いっそOVAなどの方がそういった無理はなかったかもしれない。なんとも難儀な話である。
以上が気になったポイントだ。
ここまで語っておいてなんだが、総じて楽しかったし、ポップコーン片手に観ることの出来る最高の映画だと言えるだろう。ファンなら観に行ってなんら問題ない。是非劇場でご鑑賞いただきたい。そしてここにレビューをしていただけると盛り上がってなお嬉しい。
余談だが、感じ方は人それぞれなので、自身と異なる感想をいただいた他人を攻撃するのはナンセンスだ。好きなものは好きと言ってよいし、微妙だと感じたならそれでよいと思う。数多の感性を否定するべきではない。低評価レビューに対してお気持ち表明している高評価レビュアー諸君は、マウントを取りにかからず、この映画が素敵な作品でありウマ娘は魅力的なコンテンツであると伝える活動の方にいそしんで欲しいと強く願う。
以上。