「佳作」劇場版「ウマ娘 プリティーダービー 新時代の扉」 映画読みさんの映画レビュー(感想・評価)
佳作
なかなか面白かった。
ウマ娘はアプリは初期の頃にがっつりとやり、チャンミもそれなりに勝ってた方。
アニメは1期と2期を完走、3期は中座。RTTTは未視聴。
うまよんとうまゆるは完走、うまよんはブルーレイ所持で追加12話視聴済。
現実の競馬は未経験、ウマ娘から遡って競馬wikiで読んでへーほーという程度。
そういう人の感想です。
全体として、いわゆるアスリートものの映画として佳作に感じた。
映像表現は傑作級で、映像関係者やマンガ・アニメ関係者であるほどに圧倒されると思う。
つい涙ぐんでしまうシーンが豊富にあるが、他に泣かせてくれる映画に比べてどうも煮え切らない想いがあるのも事実。
そこを言語化する。
●テンポがいまひとつ
開幕のテンポの良さは見事だったが、序中盤から全体的にスローペース。
どれも1シーンごとの「間」の長さを感じて、微妙にストレスを感じた。
どのシーンも5/6ぐらいにできたと思うし、そうであった方が自分には好み。
ストーリーは超がつくほど単純なので(ご都合も相当あるので、それを誤魔化すためにも)、あと20分削って90分がベストだったように思う。
開幕の、憧れたポッケが次のシーンではフジ一派に入門完了しているあれぐらいで全編ちょうどよかったと思う。
効果的な起承転結はまったく25%ずつではないが、序盤以降の各シーンが長いために承の長さと転の長さのアンバランスさを感じた。
●ウマ娘縛りの弊害
ウマ娘という企画の大綱が決まったときに、もう避けられない運命と言えばそうだが…
①史実をなぞる強引さ
タキオンが故障して引退したのは故障だから仕方がないとして、ジャングルポケットが最も格の高いダービーを制覇した後「なぜか勝てなくなった」理由付けの点。
現実史実では、ダービー制覇後に札幌記念3着、菊花賞4着と不調に終わるが、それは現実なら「競馬なのだから(お馬さんと騎手なのだから)」で済む話。
しかしそれを人間モデルでやると「なぜ勝てなくなったのか」の理由付けが必要になるが…その理由付けが腑に落ちないのが難しい点。ポッケの猪突猛進な性格的に、そういう悩み方をするだろうか? また、スポーツ界では「強豪が出場しないから優勝できた」はよくある状況でもあるし、特殊なプリティダービー界でと言えば「最強かどうかを自問自答するなら、(他の在学レジェンドを無かったことにしても)テイエムオペラオーに勝たないと始まらない」という解がある。それをポッケが気付かず、トレーナーやタキオンやフジやダンツのどの立場からもその筋での助言がないというのは無理筋に感じ、一人悩むシーンが長かったこともありイマイチに思った。脚本、苦しんでるなぁ~と。
②ウマ娘時空の難しさ
各時代の最強馬のソウルを宿しているウマ娘たちが一堂に会しているトレセン学園時空。
最強格が多すぎて、ポッケの目標となる「最強とは」が非常に難しい。
いわゆるカイチョー問題だが、最強オブ最強と言われるならなぜ現役で走っていないのか? ゲーム版ではデビュー前にもかかわらず皇帝と呼ばれ生徒会長なのはなぜなのか? などなど、相当頭を吹っ飛ばさないと付き合えないのは仕方がない。本作中に画面に賑やかしで映るサイレンススズカ、トウカイテイオー、一応スペシャルウィークなどもまさに最強格だろう。(そういえばルドルフとブライアンいなかった?) しかし現実と違って皆引退していないから、ポッケの「最強へのこだわり」に気持ちを沿わせるために、かなりのメタ斟酌が必要となる。最強という言葉を使わず、「タキオンの走りに勝ちたい」ぐらいがいい落としどころだった気がする。
③ウイニングライブ
エンディングまでウイニングライブの描写を一切入れなかったのはよく頑張ったと思った。はっきり言って最初期に企画書を2.5次元見込みで通すための文言であり、話がアスリートであればあるほど不協和音を生むノイズだ。私がアプリ版を離れたのは、サイレンススズカやナリタブライアンやエアグルーヴのキャラにハマればハマるほど、彼女らがアイドル的な活動も強いられて受け入れていることに解釈違いを感じて擦り切れたからだ。彼女らのキャラシートならば「踊りの練習をするぐらいなら走る」「踊らないといけないならば野良で走る」だと感じるから。
もし「ウマ娘はダンスに歌唱と生まれながら天性のセンスを持っていて、ノー練習でもパッとこなせて気持ちよくなれるor競走で勝った後には歌って踊らずにはいられない精神性になる」などの下地設定があったらよかったのだが。「みんな~! 今日は集まってくれてありがとう! 私たちのライブ楽しんでいってくれよ~!」は、最強を目指すアスリートであるほどになんか違う。
なので、最後にウイニングライブが始まってしまったときは、メタ企画出自の呪いを感じてかなり残念になった。RRRのエンディングみたいに、お話とは繋がっていない「キャストや制作陣の感情表現(亜空間ライブ)」のようにライブ消化してくれたらよかったな。カフェが作中あのキャラで、あそこで笑顔を振りまいているのは解釈が実に難しい。正直、もう設定として省いていいのではと思う。
「これは競馬ではなくて、総合エンターテイメントであるトゥインクルシリーズで輝こうとするウマ娘たちの話」という頑張ってる立て付けはわかるのだが、やはり単純に「強さこそ正しさ」のアスリート軸との食い合わせがわるい。ポリコレ派ではまったくないが、やはりアスリート軸であるのは否定できないので、フジキセキの勝負服も映画版専用を作るなどして画面のテンションを調整してほしかったな。原作準拠だとあの格好で正しいのだが…正しいのだが…!
●ちょっと顔芸しすぎ
幼女戦記を彷彿とさせる、美少女の顔崩し演出。
勝利を渇望して、時に狂気さえ宿して走るというのはそういうこと…というのはわかるし、初めてウマ娘のアプリに触れたときも「歌って踊らせる美少女キャラに、こんなマジな顔させてスパートかけさせるんだ…」と感動したものだ。ただ、今回の映画は全編を通して顔のアップが多すぎて頼りすぎで、くどい。作風と悪癖のバランスではやや悪癖に寄ってしまったと感じた。狂気じみた顔(ある意味ジャンプスケア)というのも、乱発するほどに観客は慣れてしまい、メリハリを欠いた手癖演出に堕ちていく。それ自体をこれだよこれと観る幼女戦記ならともかく、ウマ娘たちはターニャやその世界観ほど狂気酷薄ではないので、その点は純粋にコントロールの弱さを感じた。
〇総評
と、以上の点で少しマイナスを感じて星3.5です。ウマ娘シリーズのファンマインドとしては史実なぞりである以上、怪我話やライバルの引退話は仕方ないが、ウマ娘シリーズを視聴するほどにわりと毎回の印象になってしまうのは苦しい構造。
なので、自分はウマ娘絡みで一番楽しんでいるのはうまよん・うまゆるだったりする。
特にうまよんの脚本はすべてが文句無しで、何周したかわからない。
うまゆるも前半はうまよん比でイマイチだが後半になるにつれていい。
本作でタキオンが最後に出した解、あのタキオンの目に初めて光が宿る演出はよかった。
この答えが「新時代の扉」というのは、現実と重ねてそうだよなと納得した。
ワンフォーオールでもオールフォーワンでもない。
歴史的な功績でも次世代へのバトンタッチでもない。
「我欲」。一度きりの人生、我欲に狂わずしてどうするか。
誰かの礎となるなんて何の意味があるか、己が頂上の景色を見ずしてどうするのか。
今の若い世代と接していると、秘めたるが確かに存在するイデオロギーとしてそれらをひしと感じる。新時代だなぁと。
私はその傾向をとても好ましく思う。
作中、最後にはタキオンもフジも復帰する。史実にはなかった、嬉しい展開と奇跡だ。
来場者特典として、アプリ版で目が死んでない初期★2タキオンが使えるコードとか配ってくれたらそれは最高なのだが。やってほしいな。