ゴッドランド GODLANDのレビュー・感想・評価
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厳しい大自然と信仰
布教に来たデンマーク人の牧師が、アイスランドの過酷な自然環境に身を置くことで変容していく物語。自然と人間の共生について、宗教的な観点から見せてくれる興味深い一本だった。
人間の神への祈りは、このような過酷な自然環境の中でどれほど意味があるものか。この地で信仰を広める意味とはなんなのか。人の命に特別な意味はなく、大自然の一部であると自覚せざるを得ない環境、自然の気まぐれで人が死ぬような環境で、人は人間の神を信じることができるだろうか。
アイスランドには紀元1000年ごろには大陸からキリスト教が入ってきて、かつての自然崇拝は薄れていったようだけど、この映画の舞台となった19世紀にも、自然環境が人々の価値観に大きな影響を与えていたのではと思える。アイスランドは日本同様、火山大国であり、自然のあり方がこの土地の文化を決定づけているように見える。欧州大陸の信仰のあり方とは異なる価値観があることが浮き上がらせる作品だった
とにかくショットが全て美しい。見とれているうちにすぐに終わってしまう。時間を忘れて鑑賞できる素晴らしい作品だった。
圧倒的なまでの没入体験映画
これは圧倒的なまでの没入体験映画である。いざ見始めるとスクリーンの境界線を超えて引き摺り込まれ、あたかも自身がデンマーク人牧師と共に19世紀のアイスランドの荒々しい大自然を旅している気にさせられる。あの生きる意志すら根こそぎ奪い去ってしまう寒さ。大地の冷たさ。死を感じるほどの河の無慈悲さ。かと思えば噴火音と共に容赦なくマグマが流れ出す壮絶さ。これと比べれば人間の命なんて拭けば飛ぶような存在だ。カメラがゆっくり旋回するたび、360度回転しきった先でどんな情景が映し出されるのか、不安で堪らなくなる自分がいた。見知らぬ土地や文化での布教という意味ではどこか『沈黙-サイレンス-』と通じるものを感じるが、一方で言葉の通じない現地ガイドとの関係性が予想外の方向へ転じていく様には心のざわめきが高鳴るばかり。この複雑怪奇な顛末について、彼らの中でどんな心理模様が作用したのかいまだに私は答えが出せずにいる。
神vs神
デンマーク人の巨匠カール・テオ・ドライヤーを評して、その昔日本の大島渚監督がこんなことを述べていました。(キリスト教の)神と対峙する覚悟をもった映画監督である、と。敬虔なプロテスタントその中でも特に厳格なことで知られるルター派の教えを国教として定めているデンマークでは、ラース・フォン・トリアーをはじめとして反キリスト教的な映画を撮る映画監督が多いような気がします。
デンマーク国教会からアイスランドに布教のため派遣されたルーカス牧師。教会建設予定地には船で行けば楽チンなのに、わざわざ過酷な陸路を選択するのです。その案内役ラグナルは道中ことあるごとにルーカスと対立、水かさの増した川をルーカスが強引に渡ろうとしたことがきっかけで、唯一言葉の通じる通訳を失い、心身疲労したルーカスも途中でいきだおれてしまうのです。
そんなルーカス牧師の唯一の趣味が写真撮影。陸路を選んだ理由の一つに、壮大なアイスランドの自然を写真におさめたいという欲求があったのでしょう。この映画正方形に近い変わったアスペクト比が用いられていることにお気づきかと思われますが、まるでルーカスがカメラで撮った写真のように映像の四隅がラウンドしているのです。おそらく、写真家でもあるルーカス牧師をアイスランド生まれのデンマーク育ちフリーヌル・パルマソン監督の分身として演出しているのでしょう。
では、ルーカス牧師いなパルマソン監督が、フィルムにおさめたかったものとは一体何だったのでしょうか。それは、デンマークという文明国家が持ち込んだキリスト教的な“神”と対峙する、荒々しい手つかずの自然の中に息づく神々の姿だったのではないでしょうか。霧に煙るゴツゴツとした岩山、飛沫をあげながら落水する大滝、強風に耐えられるよう砂地に張り付くようにして生えている植物におおわれた草原、黒々とした岩肌を切り裂くように流れ出る真っ赤な溶岩....そんな大自然のダイナミズムの中に監督は“神”を見いだしていたに違いありません。
命からがら運び込まれた教会建設予定地で、神々の宿った大自然に圧倒されっぱなしのルーカスは、そこで大罪をおかしていくのです。この辺りは、同じアイスランドを舞台にしたスリラー『ラム』と同じ演出といえるでしょう。自分が自信満々で辺境の地に持ち込もうとした神が、大自然を前にどんどんどんどん小さく卑近に見えてきてしまったルーカスは、キリスト教の教えを次々と破っていくのです。道案内係のラグナスとルーカスの対立関係にそれがよく暗示されているように感じられます。
地元民にはひたすら尊大でお礼の一つも述べることなく、殺人、姦通、盗みまでし出かした挙げ句結局逃げだそうとしたルーカス牧師が、アイスランドが過去に不参加を決定したEUに重なって見えてしょうがなかったのですが、ご覧になった皆さんはどんな感想を持たれたのでしょうか。死んだお馬さんの肉が腐敗しやがて白骨化して自然に返っていく。まるで仏教の九相図のようなこのシークエンスこそが、神の御業に他ならないのではないでしょうか。そこには国家も文明も宗教も存在しない、あるがままの自然の営みだけが撮されているのです。
宗教は帝国主義の先兵
神の下では皆平等、それがGOD LAND
アイスランドの大自然の雄大さと、その中を生きる人々の人間臭さが表れた作品でした。
聖職者と信者も非信者も、神の下では皆人間として平等。卑しく、欲深く、傲慢で、無力で、弱い、それが人間。
アイスランドの過酷な自然環境に人は適応できるけど、神の采配に、裁きに人は適応する術がない。それは突然死や出会いや別れといった形で訪れ、人はなす術なく流れに身を任せることしかできない。
時折挟まれる自然の風景がそれを表していたような気がします。
公式HP掲載の情報ですが、主人公がアイスランドで出会う少女イーダ役の女優さんの将来の夢が「馬の調教師とパートタイム女優」だそうです。
パートタイム女優、そんな概念があるんだ、、とびっくり、映画外でも刺激を受けました。
動物はかわいいんです。。
始まりからずっと、不穏の2文字が付き纏う。死にかける程に過酷でちっぽけな存在を覆い潰すよなアイスランドの厳しくも美しき大自然。なぜ船で〜のくだりで牧師への共感はなし、支配する・される側の諍いはもうしょうもなく自業自得だねあの終着まで...
観た後改めて地図確認と湿板写真についての情報確認。
さらっと流れてきた、実際の馬の朽ち果てるまでの様子を時間をかけて記録したというあの場面は貴重だね
絵になる風景と泥臭さ、血生臭さ
鑑賞前に背景知識が必要
鑑賞前に背景知識が必要です。
私のアイスランド知識は、映画「馬々と人間たち」を鑑賞した程度。また、漫画でアイスランドがデンマーク支配下にあったことをなんとなく知っている程度でした。
苦戦しますが、なんとかついていけたような気がします。
アイスランドとデンマークの関係性について、一定の知識があると、より映像の機微を楽しめるのではないかなと思います。
デンマーク人の牧師ルーカスは、アイスランド現地の人々をあきらかに蔑視していて、言葉は覚えようとせず、生活の荒仕事を手伝わず、火を囲む輪の中にも入ることはありません。
アイスランド現地ガイドの老人ラグナルは、デンマーク人を嫌悪していて不服はあるものの、現地ガイドとして責任を果たそうとします。
過酷な旅の中でルーカスは、アイスランドの自然に畏怖し、ときには蔑視するアイスランド人がその自然と調和する姿に神秘を抱くこともあったようにみえます。
しかし、ルーカスは(もしかすると神から)何度も機会を与えられていながら、自己中心的な性根を改められずに、落ちぶれて果てまで行き着いてしまいます。愚かな姿がありありと描かれます。
映画「馬々と人間たち」で、アイスランド人にとっての馬の価値は計り知れないほど大きく重要なものなのだろうと感じました。
だからこそ、行動を起こしたときのラグナルはどんな気持であっただろうかと想像すると辛いです。
冒頭で「発見された古い7枚の写真からインスピレーションを受けて制作された作品」とキャプションが入りますが、これは監督の架空の設定だそうです。
想像力を触発される、おしゃれな演出でした。
歴史的背景を知らないと分からない
予告編を見て、素晴らしい映画だと思ったが…。
基本的に静かで退屈な感じ。
Natural Bone
宗教の布教を目的とした牧師が色々と巻き込まれる系の話かな〜くらいの印象で鑑賞。
布教しにきたら通訳が亡くなってしまい、そのためか意思疎通が取れなくなって険悪な雰囲気になった根っこがひん曲がった宣教師と地元民のわだかまりがメインだったなぁという印象です。
全体的にゆっくりとした時間が流れる作品なので、アクションやゲテモノ好きの自分からしたら、どうしてもウトウトしてしまうなというのが強く出てしまい、そのせいか登場人物の誰にも共感できなかったのが惜しかった気がします。
最後の方、殴り合いじゃ〜くらいのテンションで殺し殺されをやっていたシーンは不謹慎ながら笑ってしまいました。
自然めいいっぱいのロケーションはとても美しく、現地に行ってみたいという気持ちにさせてくれましたし、終盤の白骨化していくまでの過程を緑や雪などで表現していたのはとても幻想的で良かったです。
長回しでジーッと行動を映すのがかなり好みで、撮影方法とか凝ってんなぁとうなりました。
馬好きからしたらたくさん馬が出てきてくれるので、そこだけでも大量加点したいくらいです。
撮影周りだったりは良いのに、肝心の物語にはのめり込めずの作品でした。こういう作品をしっかり堪能できる大人になりたい。
鑑賞日 4/11
鑑賞時間 9:50〜12:20
座席 F-13
アイスランドに興味ある人、北欧好き必見!
アイスランドの想像を絶する自然の中に放り込まれたような衝撃でした!圧倒されましたが、二人の正反対の男の対決?が驚きの結末を迎えてまた、びっくりしました。
この体験は、映画館でしか味わえないと思いました。
もう一度、見に行きます❗️
追伸 この布教に行く牧師が、性格悪すぎて笑える
大自然を前に自分を律せなかった者の末路
氷河の上で宣教師がダゲレオタイプのカメラで撮影するポスター。見るからに荘厳さを漂わせる1枚、かつ難解な映画だろうなぁという印象を持ちつつも、興味を惹かれました。
たしかに難解で鑑賞後も悩んでしまう映画でしたが、古さを醸し出すためか1.33:1という正方形に近いアスペクト比と、角の丸みが彼らを覗くように見ているように感じ、没入感はなかなかのモノ。ここは作り手の工夫を感じます。
そんな本作、ストーリーとしてはデンマークの宣教師が教会からの命を受けアイスランドの地の教会を建てるというもの。しかしその宣教師の前にはアイスランドの自然と言語の通じない現地住民が立ちはだかり、宣教師はその逆境に抗っていく・・・てな感じです。
しかし、この宣教師、自分は好きにはなれません。というのも、言葉で言うてもホントのところで周りに対し感謝しているとは思えないからです。厳しいアイスランドに自然に対し、身も心もボロボロになる宣教師ですが、助けてくれるのは現地住民です。そんな人たちに対し感謝の意が見られません。逆に現地住民:アイスランド人が尊く見えてくるのです。たとえデンマーク人を嫌っている人(アイスランドは過去にデンマークの植民地であったためか)でも、命の危機の前では助けを優先する。ボロボロで口数も減った宣教師に対し優しく接する。住民は少ないけれど助け合ってこの地で生きているのを感じます。なのに宣教師ときたら、案外冷たく接し、いつの間にか「あなた牧師でしょ?」と言うような行動に走っていくんです。
アイスランド人が慈悲ある方々に見え、かたや宣教師は俗人だったのかと。
その時、少し話は逸れますが、“神とは?”という問いが自分の中に出来てました。そして自分の今持っている答えとして“自己を律するためにある存在”という考えがあります。神の行いは良き行い、つまり神の教えは自分が良い方向に進むための道標、ということは己を律するには神の存在が必要である、という考えを自分は持っています。それに照らし合わせた時、宣教師の行いはどうか?どう考えても自分を律せていないではないか。それゆえ彼は最後、悲しき最後を迎えてしまいます。彼は、アイスランドの地で、自分が信仰する神に試されたのです。
自分を律する力があるかどうか。
本作は、それを投げかけているのではないかと、自分は思います。
冷たい距離感。
振り返ってみると宣教師の布教ものは指を折るだけでも5本ほど思い浮かぶが、中でも上位に食い組んだような気がする。
映画冒頭の未開の地への布教活動への指令は、満たされた食事をしながらで、ついで感満載。そんな教会で勤めているからか、言動に幼さを感じられ、未熟そのもので頼りない宣教師が主役(後半では「神に身を捧げる」などの能書を垂れていたが)。
デンマーク>アイスランドとの関係性が前提にあるからか、命を助けられたにもかかわらず宣教師から自ら歩み寄ることはない。むしろシャットアウト。この冷たい距離感が、アイスランドの手付かずの豊かでありながらも、厳しい自然とやけに相性良く感じた。
小さなスクリーンサイズで濃厚な時間だった。
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