「174分の予告編みたいな内容だが、世界観と登場人物は魅力的でした」SALAAR サラール Dr.Hawkさんの映画レビュー(感想・評価)
174分の予告編みたいな内容だが、世界観と登場人物は魅力的でした
2024.7.10 字幕 IMAX LASER イオンシネマ四條畷
2023年のインド映画(174分、PG12)
少年時代に結ばれた友情とその後の動乱を描くアクション映画
監督&脚本はプラシャーント・ニール
原題は『Salaar: Part 1- Ceasefire』で、「サラール 第1章 停戦」という意味
物語の舞台は、1127年〜2017年のインド南部
かつて、マンナル族、シュリャアンガ族、ガニャール族にて構成されていた国は、1947年にシヴァ・マンナル(プリトビージ・スクラーマン)によって「カンサール」という城塞国家となった
そこでは大領主、領主などの地位が作られ、各地方を総統する体制が敷かれた
その後、1985年にシヴァが亡くなると、その息子ラージャ(ジャガバティ・バーブ)が元首を務める
だが、彼はマンナル族の独立支配を求め、シュリャアンガ族を滅亡させてしまう
さらに、大領主に政治的な権限を持たせ、自身の地位が揺るがぬように、親族をも大領主に抜擢する
そして、第一夫人との娘ラーマ・ラマ(シェリア・レディ)を摂政として、磐石の体制を築くことになった
その頃、ラージャ元首の第二夫人の息子ヴァラダ(カルティケア・デーヴ、成人期:ブリトビラージ・スクマーラン)は、同じ師匠のもとで勉学に励んでいたデーヴァ(ヴィデシュ・アナンド、成人期:プラバース)との絆を深めていた
ヴァラダの異母兄弟のルドラ(ハーシュ・ローシャン、成人期:ラマチャンドラ・ラージ)はデーヴァをいじめていたが、いつもヴァラダが助けに入っていた
その友情も父の迫害政策によって断ち切られることになってしまう
ヴァラダはデーヴァとその母アンマ(エスワリ・ラオ)を助けるために領土を手放し、デーヴァはその恩義に報いるために「呼んでくれれば、いつでも力になる」と郊外へと身を隠すことになったのである
映画は、さらに現在軸としての2017年を描き、そこから過去を想起する流れになっている
2017年では、2010年頃に何かがあって、それによってクリシュナカント(ラディ・バット)とその娘アディヤ(シュルティ・ハッサン)はラーダ・ラマから追われる身となっていた
そんなことも知らずに、母の遺灰を届けにインドに入国したアディヤは、ラーダ・ラマの配下であるオブランマ(ジャンシー)一派に狙われてしまう
そして、彼女を助けるためにデーヴァは派遣され、彼の住む村に身を隠すことになった
オブランマたちは、アディヤを助けている者が誰か知らなかったが、ラーダ・ラマはそれを知っていて、ある秘策を考えていた
それが、カンサールの紋章に手を出したものはどうなるかわからないという法律のようなもので、それによってデーヴァを引き摺り出そうと考えていたのである
と、映画は「思いっきり第2章の前振り」になっていて、ラストで「第2章!」という絶望的な表示がなされる
「まだあんの?」と思ったら、実はそのままエンドロールになってしまい、第2章の予告などは流れない
物語もかなり中途半端なところで終わっていて、少年期に親友だったデーヴァとヴァラダが何かしらのこと(たぶん7年前)で仲違いしている感じになっているが、その関係性も全くわからないままだったりする
ヒロイン枠のアディヤはほど出番がなく、敵の総大将っぽいラーダ・ラマもちょこっとしか出てこない
なので、単体で作品を評価することは不可能に近く、印象としてはモノローグ的な世界観の説明と、登場人物の紹介で終わっているように思えた
いずれにせよ、かなりキャラクターが多く、1127年から2017年までの約100年間で、幾度となく回想シーンも入ってくる
パンフレットには可愛いイラストで人物相関図があるのだが、事前に購入して頭に入れても理解が追いつかない
観た後にもう一度パンフレットを読むと何とか補完できるのだが、本編導入前の「3時間の予告編」みたいなことになっているので、それをわかった上で鑑賞した方が良いのではないだろうか