「映画化にあたって」水深ゼロメートルから 加藤プリンさんの映画レビュー(感想・評価)
映画化にあたって
ワンシチュエーションの高校演劇ですから、
あの会話劇の間合いとか、舞台袖からの登退場とか、小道具が学校にあるものばかりとか、
ああとても上手いな と思いました。
会話劇としての間の抜けたやり取りや、含みのある擽りがとても良いですね。
高校演劇としてはかなりの水準だったろうなあというのが見て取れます。
その反面、そういったバックグラウンドがない方には、非常に退屈な会話劇に見える構成になっています。
これはもう、台本上の特性ですから、変えるわけにはいかないので、むしろ、
そういった高校演劇特有のニオイを 瑞々しく残してくれた演出の方が良かったと思います。
ただ、それだけの映画でもあるため、ダメな人にはダメだろうなあ。
映画化にあたり、どれだけの部分が変更になったのだろう。
とても良いロケーションを探してきましたね、絵的にとても良いと思います。
単純ながら圧倒的な映画的なビジュアルで、この映画はもう半分くらいはこの力で出来ています。
プールの中で反響する声など、これは演劇ではない映画ならではの良さでしょうね。
途中の葛藤は、高校生の生の気持ちですから、もちろん、彼女たちの目線としては切実な内容でありましょうが、
まあ幼稚なレベルの感情論が主になります。
(登場する教員ですら、高校生が演じている内容ですから、大人ではありません、同じレベルで悩み葛藤する登場人物のひとりです。このあたりが映画と演劇と、更に演劇の中でも特殊な位置づけである、高校演劇との文法の違いですね、このあたりの作劇メソッドについては、掘り下げると、相当面白いのですが)
ラストシーンなど、原作と どう変わっているのか 非常に気になりますね。
答えを出せない課題を取り扱っているため、どうしても、物語上は 「もやっと」終わってしまうのですね。
それはもう、台本の構成上、どうしようもない。
登場人物ひとりひとりが、ほんの少しだけ、前向きになれたというのが、青春映画として
良い終わり方であったのだと思います。
映画としての終わらせ方としては、かなり苦心なさったのではないでしょうか。
あれ以外の終わらせようがない。
演劇の文法でいえば、嵐や戦や大火により、事態が困窮しきったところに、神が救済に現れる あの終わらせ方ですよね。
あとは、思いっきり映画ファンタジーとして、大雨でプールの水が満たされてしまったところに飛び込んで終わるとか、
または、後日談として、改修されたプールで、各々が少しだけ、課題を乗り越えた姿が描かれる事でしょうか。
いいや、そうはならんやろ、、という理屈をひっくり返すような
「映画力」を見たかった気持ちがありますが、まぁ、これは本作の趣旨とは逸れますね。
演劇特有の非日常をビジュアル化するにあたっての矛盾点や、リアリティのなさと
映像化するにあたり、避けて通れないビジュアル的な表現を、どうクリアするかといった
課題があったと思うのですが、そこは、クリアしきれていないように感じました。
商業演劇化、映画化にあたってはプロの脚本家のテキストレジが入り、
更に原作者からのディスカッションで本稿に至ったとのことですが、
どうしても継ぎ接ぎの苦労は透けて見えてしまったように思いますね。
そこが残念でもあり、見えるところがまた 良い部分でもあったかのように感じました。
個人的には、唯一登場する男性である彼が、彼女の宣戦布告に対して、ニヤリと微笑む描写が欲しかったですね。
それがないと、一方的に女性が葛藤し、突っかかっただけのお話になってしまう。
男性を登場させることの是非は原作者も相当 悩まれたようですが、
演劇作品としては登場させない事が是だと思われますが、
映画ですから、横顔や影だけでも男性を登場させないと成立しなかったように感じます。
女性に振り切った作風ですが、「女性」を立体的に際立たせるには、同性の教師や先輩だけでは少し弱く、
やはり対の存在としての男性が構図上、必要だったのではないでしょうか。
そういう意味では、価値観の変化の大きい現在から観ても、既に5年前の作品ですから、
もはや「古い」箇所もありまして、とはいえ、
時代性に刺さるから、名作として残る部分もありますので、(あとは普遍性ですかね、それは時間が証明されますから)
この作品が今後の高校演劇における、台本選択に悩める高校生たちへの、ひとつの選択肢として残り続ける事を祈ります。