劇場公開日 2024年3月29日

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「クルド人がのし上がる痛快活劇って言いたいけどそんな単純ではない」RHEINGOLD ラインゴールド クニオさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0クルド人がのし上がる痛快活劇って言いたいけどそんな単純ではない

2024年4月14日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

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 私達の日本は島国で国境の概念も机上でしかなく、押し寄せる移民に圧迫されることもなく、しかし海外からの就労者や、難民申請を理不尽に拒絶され不法状態を余儀なくされる人々は少なからずいる、けれど彼らの真実と現実を見ようとせず、無意識の他人事で済まそうとし、多様性の実態をはき違えているとしか見えない私達に本作のシチュエーションをどこまで理解できるのだろうか?

 埼玉県川口市でクルド難民の処遇に手を焼いているとか、「マイスモールランド」や「東京クルド」で示された現実は何一つ解決してないどころか、多様性の真実からは遠く離反しているとしか見えない。本作の主人公はまさにクルド人であり、トルコ、イランに在住する民族でありながら迫害されている現実。著名な作曲家でありながらコンサートの最中に、ホメイニ率いる厳格なイスラム派により、弾圧どころかその場で聴衆を無差別殺人する歴史を映画は再現する。母は裕福なクルドの家系の出でありながら、抵抗運動に身を投じまさに爆撃の下、洞窟内でたった一人で本作の主人公を産み落とす。

 酷いと思う、けれど酷い事を避けようがない日常を受け入れる覚悟は到底私達にはない。主役のカターのラップに込められた苛立ちを表面的にしか理解できないでしょう。もとよりラップは米国での黒人へのどうしようもない差別の現実に根差している、それも虐められる程度ではなく警察官が黒人と言うだけで平気で殺される背景に根差している。日本人のラップを聞く時の何とは無しの違和感の訳はここにある。

 運命の悪戯によりカターの一家はフランスへ、そしてオランダを経て、音楽的環境が適したドイツへと渡る。やっと安息の地と思われた矢先に、父親の不倫による離別に再びどん底生活となる、生々流転の激しさに驚く他はない。ここまでのカターは少年でもあり、ひたすら運命の流れに身を任す受動の身。よって映画としても翻弄され続ける悲劇性によって力強さに漲っている。

 しかしやっと主役がポスターにある超カッコイイ・イケメン役者になった途端に、少々安っぽい転落ドラマ風となってしまうのが惜しい。大人となりこの現実への対処を身をもって切り開く能動の身となった時に、出来うることはダーティな事しかなかった。周囲はペルシャからパレスチナと広くアラブ一帯からの移民ばかり、転落は避けようがなかったのか。淡い恋心まて描いてアクション映画風情には面白いけれど、ちょっと違う気がしてならない。ヤクの溶け込んだ酒瓶を雨の湿気たダンボール箱から底抜けて割ってしまう設定なんざ、シナリオ作家でも思いつかない面白さなんですから。挙句の巨額損失に金の強奪に走ってしまう。

 現実のラッパーである主人公の回顧に基づいているわけで、ラップの創作まで描かなければならないでしょうけれど。ハリウッドのエンターテインメント風にスリリングで周囲のサポートに支えられ、あれよあれよで獄中からCD発売にこぎ着け、それが大ヒットとは痛快活劇ここに極まれり。挙句のラストシーンは超豪邸に一家三人で幸せそうに暮らすサクセスストーリー。まるでカニエ・ウェストみたいでよかったよかった。劇中でも「ワーナーから連絡が来ているよ」の通り、回顧の映画化がハリウッド・メジャーによりなされ、事実本作はWBによる配給、大金入ったよね、本国ドイツでは映画も大ヒットだそうだから。でも、ちょっと違うよねぇ。

 クルド人の多くは今も困窮しいてる、ラッパー1人の私財でどうにかなる訳で無し、少なくともカターの奥底にしまった悲しみこそラストに描いて欲しかった、と私は思う。けれど、違う違うと言ったところで当の本人がこうしたかったわけで、痛快活劇を大いに楽しむのが本作の意図かもしれない。なにしろ監督ご本人もトルコからの移民二世なんですから。違うなんてのは平和ボケの私の勘違いかもしれませんね。

 タイトルのラインゴールドは最後に提示される映像にある。ラインは正にRHEINであってライン河を指す。ライン川の深い川底に人魚に守られて金塊は今もある。とことん「オーシャンズ11」のようなハリウッド的義賊活劇でした。

クニオ