「任務の仮面に隠された、少女の素顔と希望」チェンソーマン レゼ篇 エビフライヤーさんの映画レビュー(感想・評価)
任務の仮面に隠された、少女の素顔と希望
原作を読んだのが数年前だったため、こうして改めてレゼ篇を映像で見てみると「こんなに悲しくて切ないストーリーだったんだな…」としんみりしてしまった。映画館に入る直前までは、あんなにわくわくしていたのに。
ソ連の工作員であるレゼは、祖国より課せられた任務としてデンジに接触する。偶然を装った出会いも、デンジに対する好意も、繰り出される甘い言葉も、すべては祖国へチェンソーの悪魔を連れて帰るためのカモフラージュ。だけれど、すべてが偽りというわけでもない。ところどころで素顔のレゼが顔を見せ、それによって見る側は彼女の語られない過去を想起させられる。
たとえば、「16歳で学校にも行かないで悪魔と殺し合いをさせるなんて、国が許していいことじゃない」と語る背中。食えて楽しければそれでいい、自分は都会のネズミで満足だと主張するデンジに対して、一瞬の沈黙を落とす暗い横顔。それらはデンジと自分自身の境遇を重ね、標的である男の子に対してほんのすこし情を移してしまった女の子の、隠しきれなかった本心だったと思う。(デンジは超絶にぶいので気付いていない…いや、理性ではなく本能で察してる部分はあるかも?根は優しい子だし)
個人的にデンジは、まだはっきりと「幸せ」の形を知らないのだと思う。あまりにもドン底から人生がスタートしてしまったので、いまの幸福の基準は「最低限の衣食住がある」ことであり、それ以外についてはデンジの勘定に入っていない。物の形をしていない幸せについては、公安の仕事や早川家の暮らしを通して学習し、獲得している段階なのだろう。一方、自身の生き方を「食えて楽しければそれでいい」と言ったデンジに対してちょっと思うところのあった様子のレゼは、これまでの人生でどんな幸福を望み、出会い、失ってきたのだろう。デンジとふたりで逃亡するという、素人目にも明らかに無謀な約束を胸に、希望で顔を輝かせて喫茶店までの路地裏を走っていたレゼの姿が切なくて悲しい。
ところでデンジはパワーちゃんのことを「ナルシストで自己中で虚言癖持ちで差別主義者」と形容してるんだけど、よくそんな語彙が出てきたな!と感心しつつ笑ってしまった。小学校にも通っていないデンジはただでさえ手持ちの語彙が少ない。それに罵倒のための語彙だって対象に対してある一定以上の興味や関心がないと出てこないものだ。そう考えると、自然と早川家のドタバタな日常を脳裏に浮かべて笑ってしまうし、この先の展開を思うとちょっと落ち込む。
言わずもがなMAPPAの映像、声優さんたちの演技は素晴らしかった。個人的にはレゼとの戦闘に入る前までの、早川家の日常(パワ子強制連行シーン)、マキマさんとのデート、レゼとデンジの度重なる逢瀬などのシーンが細かく丁寧につくられていて好き。後半の戦闘シーンの作画はすごいけれど、何が起きているのか、何を見せたいのか、いまいち分かりにくく、せっかちな性格なので「はやく本筋の話を進めてくれ」と思ってしまった。(これは呪術廻戦でも同じ感想を抱く)
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