「イマジナリーを呼び起こしたい時は、記憶に結びつく五感を刺激してみよう」ブルー きみは大丈夫 Dr.Hawkさんの映画レビュー(感想・評価)
イマジナリーを呼び起こしたい時は、記憶に結びつく五感を刺激してみよう
2024.6.14 字幕 イオンシネマ京都桂川
2024年のアメリカ映画(104分、G)
他人のイマジナリーも見えてしまう少女を描いたファンタジー映画
監督&脚本はジョン・クラシンスキー
原題は『IF』で「イマジナリーフレンド」の略
物語の舞台は、アメリカのニューヨーク
母(Catharine Daddario)を早くに亡くした12歳の少女ビー(ケイリー・フレミング、幼少期:アンドレイ・ホフマン)は、父(ジョン・クラシンスキー)と一緒に暮らしてきたが、今度は父が難病に罹ってしまう
父は入院することになり、祖母・マーガレット(フィオナ・ショウ)と暮らすことになったビーは、ニューヨークにあるマンションにやってきた
時間ができては父の見舞いに訪れ、主治医のジャネット(Liza Colón-Zayas)と話したり、他の病室にいる少年ベンジャミン(アラン・キム)と関わりを持ったりしていた
ある日、街角でてんとう虫の人形を見かけたビーが彼女を追っていくと、人形はビーの住むマンションの中へと入って行った
だが、人形は最上階で姿を消し、それ以上のことはわからなかった
物語は、人形が気になるビーがその部屋の出入りを監視し、そこにカル(ライアン・レイノルズ)という男性が住んでいることがわかるところから動き出す
彼は人形と共に出かけ、ある住宅へと入っていく
そして、紫色のでっかいモフモフと共に出てきてしまう
ビーは訳がわからなかったが、人形はブロッサム(声:フィービーウォーラー=ブリッジ)といい、モフモフはブルー(スティーヴ・カレル)という名前で、彼らは子どもにだけ見えるイマジナリーだった
カルは役割の終えたイマジナリーたちの次の友だちを探そうとしていて、イマジナリーが見えるビーもそれに加わることになった
イマジナリーたちの面接を行なって、その適性を探っていくビーは、手始めにベンジャミンのイマジナリーを探そうと考える
だが、誰を連れてきても、ベンジャミンには見えず、イマジナリーにはなれないのである
物語は、マーガレットの持ち物にブロッサムが映り込んでいたことに気づいたビーが、元のところに戻すことを考える様子が描かれ、大人にもイマジナリーは必要で、彼らは生涯の友であることがわかるように作られている
レコードを聴かせて祖母の夢を思い出させたり、ブルーの友だちであるジェレミー(Bobby Moynihan、幼少期:Davis Weissmann)にはクロワッサンの匂いを嗅がせたりして、元の関係に結びつけていく
ビーは「空腹を刺激する」ことで記憶を想起させることに気づいていて、それによって、これまでできなかったことができるようになっていく
映画は、ブルーが主人公のような邦題になっているが、これは「ビーがブルーに語りかける言葉」と解釈すればOKだと思う(映画ではブルーがジェレミーに語りかける言葉になっている)
後半には、カルの正体が何か判明する流れがあるのだが、この見せ方はとてもうまいと思う
前半でそれとなく出てきたビーが書いた絵には左側があって、そこにカルヴィンと書かれているピエロがいるのだが、カルが父親似の男性であることにも意味があるように思う
彼女は自分のイマジナリー探しはしないのだが、それは彼女が欲していないということではなく、彼女こそがイマジナリーは生涯の友だちであることを体現しているからなのだと感じた
いずれにせよ、子ども向けの内容に思えるのだが、実際にはイマジナリーを忘れて苦しんでいる大人に向けての映画になっていた
子どもにはイマジナリーが見えることの意味を説き、大人には忘れかけていたものを取り戻すきっかけを与えている
大人が彼らを想起するのは空腹や匂いではないが、迷った時に立ち返る原点と、それに付随する記憶というものが必要になるのだと思う
ジェレミーはクロワッサンだったから匂い(嗅覚)だったけど、マーガレットはダンスだったから音楽(聴覚)というふうに、それぞれの思い出と密接に結びついて、五感を刺激するというのが転換点になっているのは理に適っていると感じた