スオミの話をしようのレビュー・感想・評価
全124件中、41~60件目を表示
舞台演劇をスクリーンに持ってきたようなコメディ。
三谷幸喜のミステリーコメディーとのことだったけれどミステリーだったのだろうか。
長澤まさみ演じるスオミの誘拐をめぐる話なのだけれど
誘拐が狂言誘拐っぽいことはネタバレという程もないほど感じていたので
このドタバタが破綻しながらもたどり、どこに着くのかというのを
楽しみに観ている感じはとても楽しかった。
大河ドラマのようなドラマに比べると
三谷さんの映画は舞台の印象が強いけれど、今回は特にそう感じた。
主な舞台となる今の夫の自宅の作り方は奥行きのある、ほんとうに舞台のように感じた。
5人の歴代の夫たちと今までのスオミとの馴れ初め、そして結婚生活を描いていく。
どうやってみても無理がある設定を喜劇として観ている観客を十分にしりながら
楽しませているのは、演劇の手法なんだと思う。
リアリティを妙に持たせようとしながら
イメージの空想になるとファンタジーになるけれど
最初から笑わせるネタであれば、その無理筋を演じる姿はコメディーになるんだと思う。
とても、素敵なコメディーでした。
知ってる?滑っている人って、自分が滑っている事に気づいていないんだぜ?
相変わらず、映画とは関係の無い与太話から始まるけどいいですか?
嫌と言われてもやるからしばらく我慢してくれ。
自分がとある地方の小劇団に所属していた時の話しなんだけど、地方劇団にも二種類あって、オリジナルの脚本で公演をやるところと、鴻上尚史とか、キャラメルボックスとか、つかこうへいとかプロが演じた芝居を脚本使用料を作家に払って演劇をする劇団があります。
自分達で台本を書けば、脚本使用料を払わなくていいのに、頑なにプロの書いた台本で演劇をするのです。試しにオリジナルの脚本を提出してみたら、
「 私達が演じる事ができるオリジナルの脚本が無い!」
と言われちまったよ?
「 まぁ随分天狗でございますわねぇ?」
と言い返す事もできずに周りの劇団員もその通りだと頷いていた時にその劇団を退団しとけば良かったのにずるずると在籍していた。
で、次回の公演が決まって自分も好きだった作家の演目をやる事になったのだが、ここで演目を書くと誹謗中傷になって特定されてしまうのでぼやかしときます。
その演目は普通の登場人物が登場してきて、ある謎を追求していく会話劇で普通の登場人物が時々変なコトを言ったりする芝居で普通に演出すればいいものを、野田秀樹のNODAMAPの不条理演劇みたいな...、いや伝わらないな。
志茂田景樹みたいな奇抜な衣装に身を包んだ役者達が、普通に会話するところを全くを持って面白くないギャグを繰り返して間にダンスを挟んだり、ミュージカルが始まったりとオリジナル作品の原型を留めない芝居になってしまった。
映画に例えるならば、小津安二郎の静かな映画を、サンバダンサーが情熱的に演じるようなものです。
「 あなたにこの役をやってもらうから」 と演出家に言われていたが、脚本の本読みの段階で、
「 そこはもっと面白いアドリブを入れて!」と言われるのだけど、演出がOKを出したアドリブが寒くて寒くて、笑っているのが演出だけという地獄のような時間で、
「 この演劇という名の船は沈没する!」 と思い、役者は辞退して制作にまわった。
芝居の稽古中も笑っているのは、演出家だけ。制作とはいえ、劇団員なのでチケットノルマもあるし、公演日までが憂鬱で憂鬱で...。
そして、芝居が始まったのだが案の定、矢吹丈、喜劇なのに誰も笑わない客席の寒いコトといったらもう、あれを耐えられたから何か辛いコトがあってもあれよりマシだと思い人として強くなれました。
芝居が終わってから、アンケートを回収したらもう、ありとあらゆるダメ出しの嵐。まぁ、当然だわな?演出家も反省するかな?と思っていたら、演出家は
「 この芝居は地方の人間にはわからない!東京で上演すればウケる!」
と、かく語りき。
これを機にその劇団には関わらないようになったのだが、これが原因かどうかは分からないが、今現在その劇団は公演実績が無い。
さぁ、長い前置きはようやく終わるが、この映画の脚本と監督をしたのって、本当に三谷幸喜ですか?
三谷幸喜が大好きな、三谷幸喜の偽物の地方劇団員が脚本と監督をしたのじゃないよね?
「 記憶にございません!」を監督した人と同一人物とはとても思えない。
全体的につまらなくても、映画冒頭で少しでも笑いをとれれば何とか最後まで見れるんだけど、
「 遠藤憲一の7000円 」 以外の台詞は、どの台詞も予想通りの凡百な台詞で聞き流してしまいがち。
長澤まさみが外国語を喋るところも、いつもの三谷幸喜なら笑いどころなのに空回り、カランコロン。
長澤まさみに振り回される元夫達の掛け合いや、友情が芽生えるシーンも面白くなる筈なのに、何故だろう?全く笑えない。
EDロールのミュージカルシーンも本編で散々滑り倒していたから、おどけてダンスするシーンは見ていて若干イラッとした。
誰か、三谷幸喜監督に、
「 三谷監督。滑ってますよ?」
と、撮影中に言えれば...、変わったかなぁ?
面白い演劇からは、面白い映画はできるけど、台詞回しと場面展開が舞台演劇のような映画で面白い映画って、あまりないよね?昔の行定勲とか、篠原哲雄の映画がそうだったな。
この映画の見どころは、長澤まさみの七変化くらいでしょうか?長澤まさみ好きなら満足することでしょう。
もう一度確認するけど、この映画は三谷幸喜の偽物が撮ったんじゃないよね?
長澤まさみを観る映画
祝日の振替休日にイオンシネマで鑑賞
シニア料金+docomoポイントで1000円ナリ
三谷幸喜×長澤まさみ
オラとしては今年の最大の期待作だった
ラ王を食べ損ねた男 西島秀俊とか
松坂桃李との化学反応も楽しみだった
結果としてはうーん
長澤まさみ愛に溢れた一作に間違いない
彼女の現在の完璧な美しさを記録するのは必要だ
オードリーヘプバーンのサブリナだとか
イングリッドバーグマンの何とかみたいな
観ていないが
確かにそれを期待していたのだけど これは三谷映画
それにしてはコメディが足りない
なんだかストーリーが平板で重層的でなくて
リアリティは全く求めていないのだけれど
あまりにも遊離しすぎというか
運転が下手だった彼女がタクシードライバーを経て
上手くなったのはそうかと思う
しかし料理は下手なまま というところが
シンメトリーになっていなくて 生理的にしっくりこない
あえての設定なのか なんだか整理されていない感じ
小ネタでもところどころ笑ったし
間の取り方が秀逸な箇所があった
・マネージャーでなくて出版社の社員
・西島に対する松坂の無視っぷり
・レジャーシート飛行
・寒い
・いよいよ悪の本性をばらすときの横入り
…が大爆発には至らず
期待が高すぎた オラが悪かった
中井貴一とか佐藤浩市の力が必要だったかも
小池栄子とか 西田敏行はいいや
宮澤エマは期待に応える活躍なのだけどちと上滑りの感
舞台での再演は大いにありうると思う
それならばラストのステージも自然だ 観たい
あくまでも長澤まさみを観る映画ですよと 七変化
脚本監督のクレジット
他のスタッフと同格に控え目だったのはそういう意図かも
西島と遠藤憲一 昨年のたけし映画の明智光秀と荒木村重
複雑な三角関係
終了後は最近恒例の公園でビール×2と自作弁当
無事食べ終わったらなんかパラパラと雨
イオンに戻って3時間くらい意味なくウロウロ
このところ急に寒くなってきたなぁ
映画劇場で演劇の舞台を見ているような感覚です!
正直今日は「夏目アラタの結婚」を観るつもりで映画館へ。見事満席で爆死でした。それでつい低評価のこの作品に触手が伸びてしまいました。こんなことがなければ観なかったかもしれませんから、逆に言えば宇宙に感謝です(笑い)。この作品はセリフがかなり多い感じがしました。つまり演劇スタイルのように出演者はよく喋りますし、細かいところにとことんこだわっていることに気付かされました。ですので、まとめて言えば「長澤を中心とした明るい饒舌な演劇」というイメージでした。評価が低いのは、この冗長(述べ方が長たらしい?)なシーンが炸裂しているからでしょう。個人的には、長澤の美しい脚を拝めたのでもう大満足です(笑い)。全体を俯瞰して観れば、ある意味結婚というシステムへのささやかな抵抗と捉えることができるかもしれません(誰と結婚しても修行である?)。長澤は5.5人?の人間を好きになり、それぞれの男性に自分を合わせます。しかしその合わせることに疲れて離婚を繰り返します。そして結局は自分の生まれた地であるヘルシンキ愛が全てであることに気づくわけですが、自我が強くて好きなように生きる女性像は、逆に言えばめちゃくちゃ可愛いのかもしれません?彼女にいつもよりそう宮澤エマの存在もジグソーパズルのピースのようにハマりすぎていました(笑い)。そして松坂桃李の溌剌とした演技も見ものです。いずれにしても、みなさんおっしゃっているように、長澤まさみのディナーショーと割り切って観れば最高に楽しいエンタメと言えるかもしれません。笑えるシーン多かったです。
ラストダンス以外は楽しめた
スオミの目的は「?」でしたが、コメディ映画として割と楽しめました。
ラストダンスはポカーンとしてしまって、センス良い人なら面白さが分かるのかなとレビューを見たら評価高くなかったので、センスの問題ではないと知り安心しました笑
ただ、自分は三谷ギャグと相性が良いのか、劇中は結構笑いました。
ストーリー度外視のコメディというのは分かってますが、ラストにあれだけ「ヘルシンキ~」言うなら、もっとスオミがヘルシンキに固執する場面を描いて欲しかったなと思いました。
幸喜三谷のダダすべりな話
♬それは
ヘルシンキー ヘルシンキー
オープニングで
「Fuji Television」
と出た瞬間にヤな予感がした😱
西島がメイン張ってる時点で期待は低かった。
彼はコメディには不向き。
神経質な役柄は当て書きだろうが、
どうにも違和感満載。
上司の妻を略奪しておいて、
普通に会話してるのは全く笑えない。
おじさんたち(坂東、遠藤、小林)は
妙に負荷の掛かった演技で活かし切れず。
松坂はいつもあの程度。
頑張ってたのは、
瀬戸康史と戸塚純貴。
特に戸塚は顔芸が秀でてるので、
どんな場面でもインパクト残してくれる。
ただラストの走り去るシーンはバッド👎
瀬戸は不要なセリフさえ無ければ、
もっと活きたはず。
登場人物も少なく、
場面転換も少ないので、
舞台演劇として観れば良いのかとも思うが、
それにしてはあの豪邸が広過ぎる。
フラッシュバックが長いのも冗長。
宮澤エマの「詐欺師」っぷりと、
長澤まさみの華麗な七変化が見所。
全員踊り出したら離席してOKです🤣
でないと、
自分みたいになります。
このサイトでの低評価で、
それを確かめに敢行しましたが、
やはり苦行でした😩
♬それは
ヘルシンキー ヘルシンキー
予告編の功罪
三谷作品は過去に『記憶にございません!』を鑑賞済。これが結構面白かったことに加え、長澤まさみをプッシュした作品ということで劇場で見るしかないなと思いました。
とにかく予告編の小気味いい感じに惹かれたので、笑いあり涙ありのコメディとして仕上がっていることを期待していたら、、、、
蓋を開けたら「長澤まさみで何とか画がもっただけのB級ドタバタ群像劇」でした。
5人の夫も、最後のミュージカルも、すべて長澤まさみという女優を最大限に魅せる装置でしかなく、誰にも感情移入できずに終わりました。
登場人物がひと癖あるようなキャラばかりなので、しっかりと深堀りしてスオミとの関係を描いていたら面白い結末になっていたかもしれません。もっとも、それを2時間の映画ですべて描き出すのは不可能であり、その意味でこの作品は舞台かドラマのような形式が合っていると思います。
スオミという人物を「周りに合わせることでしか生きられない現代人の象徴」として捉えることもできそうですが、そういうメッセージ性を持たせるには中途半端なギャグや小ボケが多く、振り切れていないなという印象です。スオミという人物がなぜそうなるに至ったか?という観覧者が一番気になる点に一切触れず、ご想像にお任せしますというスタンスであるため、見終わったあとに突き放された感じがします。
長澤&宮澤ペアの息の合った演技、突拍子もない設定にもかかわらず違和感を感じさせない男性陣、愉快なテーマ曲、良い点ももちろんありますが、全体を通して振り返るとあまり良い映画とは言えないかな、といったところです。
何が言いたいかと言うと、予告編が巧みに作られすぎていましたということです。
5つの顔を持つ女スオミとは何者?
富豪の夫人スオミが失踪したことで、現在の夫の邸宅に元夫4人が集合する。
ケチで傲慢な詩人、教えたがりの刑事、ドMの使用人など5人の男たちが順々に、自分の妻だったときのスオミの話をするが、話が全く食い違う。
いったいどのスオミが本当なのか? また、スオミを誘拐したのは誰でその目的は?
初めから終わりまで劇場内にクスクスと笑い声が漏れ、ときにはハハッと声をあげる場面もある、とても楽しい映画でした。
そのわりに低評価なのが不思議です。
5つのキャラを見事に使い分けるコメディエンヌ長澤まさみさんの真骨頂は、お金を払って見る価値大だし、ちょっとしたミステリーとたっぷりのコメディを楽しめる佳作だと思います。
減点ポイントは、映画館の大きなスクリーンを活かした作品ではない点。
でも低評価以上に十分面白いですよ!
長澤まさみの華麗な演じ分けが良い。
長澤まさみが長澤まさみだったのでとても満足。
コンフィデンスマンJPが大好きなので、ダー子感があってとても好感が持てました。
スオミの印象が全く違う男たち。お面を被り過ぎて自分が分からなくなったスオミが哀れでした。エンケンさんにキレるスオミとか、笑っちゃいそうだけど笑うには一度だけ微妙な塩梅の演技があった、と思う。
男たちと対面して、それぞれの理想のスオミにそれぞれ演じ分けるあのシーンは良かったなぁ〜!長澤まさみ凄い!美しさもありとても良かったです。
セーラー服の長澤まさみは「おぉ…ちょっと無理あり過ぎんか…」とは思ってしまった。貴重なもの観せてもらいましたがね…!?
次点は二つくくり。エンケンさんのパートは全て笑ってしまう。
掛け合いが面白かったです。テンポも良いんですよ。劇場でも何度も笑いが起きました。
舞台チックで良いなぁ〜。今の時期宝塚で「記憶にございません!」もやってましたけど、三谷脚本の舞台をいつか観たいなぁ。
スオミの舞台化もいつかしてくれると期待したい。小磯が飛び降りるところはどうやるのかと想像するの楽しいです。
薊もとても良いキャラしてました。良いコンビです。
あと序盤でスオミを哀れと言ったけど最終的に小磯が6番目なのでこ…こりねぇ…!!!と笑ってしまった。
エンディング、ミュージカル調が好きな私はとても好きです。なんて素敵なエンディング。小磯 6 は笑う。あと乙骨5.5も笑う。
ヘルシンキで幸せに暮らしてくれ。
何を観にいったんだろう?
この映画は長澤まさみさんのファンが、
いろんなキャラを演じている彼女をみることを
内容考えることなく楽しむだけの映画。
三谷幸喜監督の最高傑作といわれているけど、
あれが最高傑作って言われる三谷幸喜さんもお気の毒。
映画サイトで酷評されている同作品だけど、
そんなことないじゃん、、、と序盤は思っていたが、
ボストンバッグとセスナのくだりあたりから、
設定に無理はあるし、これはもういいや、、、
と思うようになった。
これはコメディなのか、喜劇なのか、ミステリーなのか、
コメディライクな要素は昭和の感覚から抜け出られていないし、
ミステリーかといえば中盤あたりから誘拐犯はあいつでしょ?
って気づいたし、内容はうすっぺら。
そして何より、こんな女、ほんとにいるのかよ、
それを演じさせられてる長澤まさみさんもお気の毒。
フェミ様だまってないよね、このキャラ。
とどめは、エンディングのわけのわからない変なヘルシンキの歌唱とダンス。
最後にダンスがあるインド映画かよ!!ってツッコミを
いれたくなるレベル。
申し訳ないけど誰にもおすすめできない。
俺が見たい長澤まさみまとめ&地雷モラハラ夫大集合!映画
たくさんの男を手玉に取る女に見えるか、
男に依存して生きる女に見えるか、
人によって変わるのかなあと。
「あなたが望んだ私になる」という性格の美女の話。
ミステリジャンルだと思うんですけど、いかんせん予測がすぐ立つのでミステリ感はめちゃくちゃ薄いです。
個人的には壮大なブロマンス百合だなあと思います。
変な感想になるんですけど、アニメで見たい感じでした。アニメ化しないかな〜。スオミは林原めぐみさんとかで。
どうでもいいんですが、初対面の他人に対して「あなたのネックレスはチェーンが長すぎるのでもっと短くした方がいい」といきなり言うのはマジでカスと思われるだけなのでどれだけ顔が良くてもやめた方がいいです。
なんだ、面白いじゃないか
評判が芳しくないとの噂で少しビビりながら見に行きましたが、結果は大満足です
しみったれだが愛嬌のある寒川さん、罵られると嬉しい魚山さん、軽薄で見栄っ張りの十勝さん、だまされやすいが切れるとヤバそうな宇賀神さん、俺様だけどビビりの草野さん、名探偵になりそこねた小磯さん、不気味だけどいちばんまともな乙骨さん、ある意味スオミより変幻自在な薊さん、怖かわいいスオミさん、それぞれ芸達者が三谷さんの無茶ぶりに全力で応えている姿は感動すら覚えます
笑いが寒い・セコイというのは、見るポイントが違ってるんではないでしょうか
おそらく、三谷さんは最初にヘルシンキのミュージカルシーンを思いつき、颯爽とした女性陣に不慣れな男性陣が振り回されている滑稽さをベースに、あとは、そこまでのストーリーをあてがきで書き、さらに、撮影時に思い付きの設定やシーンを追加して仕上げたように思われます
観客は、スオミと薊の鮮やかさを堪能しつつ、男優陣の右往左往を三谷さんの立場から見るというのが一つの楽しみ方のように思いました
長澤まさみの限界(ネタバレ含む)
「三谷幸喜の舞台は好き・映画は期待しない」というスタンスの自分です。厳しいレビューが多いですが「三谷映画はこんなもん」と思っているのでそんなにガッカリ感はありません。不味いと評判のラーメン屋に行って「やっぱりマズいよな笑」「でもクセになるよな笑」という感じです。
さて、自分が今作で一番気になったのは長澤まさみさんです。映画の設定として「誰もが認めるいい女」かつ「5つの顔を持つ女」だが、5つが演じ分けられていない。これは脚本のせいもあるが、もっと演技力のある女優ならもう少し何とかなったんじゃないかと思う。
ただ、ここで「誰もが認めるいい女」という設定が邪魔をする。実際、他にこの役を演じる女優は誰が良いかと言われれば思いつかない。
三谷作品は舞台も映画も全部観る、という人にはオススメ。安定の「三谷幸喜感」が味わえます。
民放でも苦情来るんじゃレベル
映画館で放映する意味あるか?ぐらい内容が無いよう…。
結局スオミの人生の掘り下げもほぼなくフィンランド行きたいだけ?友達の女性があれだけ協力するようになった理由は?
ほとんど伏線回収せず最後は歌って踊って終わりて…。
逆ハーレムものの皮を被ったオッサンのオッサンによるオッサンのための夢みたいな話。
三谷幸喜はドラマは良いのになんで映画になるとこうもつまんなくなるんだろう。
それなりに楽しめたけど、なんか残酷と思ってしまった
「クボタのCMか?」と思った予告、前評判の悪さにハードルを思い切り下げていたので、それなりに楽しめました。ただ、見終わった感想は「なんつーか、残酷じゃないか?三谷さん」でした。
主演は長澤まさみであり、この映画は間違いなく長澤まさみが演じる前提で、長澤まさみのために作られているとは思うんですよ。
映画公開前、三谷さんはあちこちのインタビューで長澤まさみは天才だとほめちぎっていたけれど、確かに彼女のスタイルのよさや、最近の作品で発揮しているぶっちゃけたコメディエンヌぶり、もっともチャーミングに見える表情がフルに生かされている。それは間違いないと思います。
ただ笑いどころは彼女よりも、彼女を取り巻く俳優陣のドタバタで、それを演じる役者はみんな(西島さんの薄さも含めて)強い個性を持った芸達者。長澤さん演じるスオミ不在の冒頭から終盤まで、この役者陣の演技合戦がとことん見所なんですよ。
一方で、いよいよスオミが登場してからが弱い。「いろんな側面を持つ女」であるスオミも、シチュエーション含めて描かれた回想シーンこそ多面的だけど、いざ当人が出てきて演じ分けるとそんなに違いがわからない。
そして彼女がなぜああいう人間になったのかも一応書かれているけど不十分。多分ここが低評価の人が多い要因の一つだとも思います。
結果的に私には長澤さんは主演でありながら、共演俳優陣の魅力を引き出すための仕掛けにしか見えませんでした。
多面的な顔を見せていたスオミという人間の根っことか、唯一彼女に寄り添い続けている親友(宮澤エマ)との関係をもう少しきちんと描けば、多分こうはならなかったと思います。
で、本来三谷さんはそれができる人だとも思うんです。三谷さんのこれまでの作品、特に演劇を見ていると、彼の持ち味は喜劇の中の悲劇というか、悲劇の中の喜劇です。まあそれが喜劇の本質だとも思いますが。
実際、例えば(私が彼の真のディーバだと思っている)戸田恵子さんの一人芝居「なにわのマダムバタフライ」は、コメディの要素がありながら、主人公の悲劇も喜劇も喜びも悲しみもがっつり描かれています。
戸田さんは脇役だった映画「ラジオの時間」でさえ、千本のっこという強キャラが割り振られ、最後は彼女を賛美する歌で終わります。
斉藤由貴主演の「君となら」は、バタバタするコメディだけど、周りのバタバタの中で主人公の人物像こそが浮かび上がってきます。
しかも、戸田恵子、斉藤由貴はこの人たちだからこその力量が発揮されているんですよ。
女優、主役に限らずとも、三谷作品にはそんな例がたくさんあります。
それなのに、なぜ今作のスオミはそこまで書いてやらなかったのか。長澤まさみは天才だとは言っているのは嘘ではないにしろ、上記のような俳優陣とは位置付けが違うように思えて、前述の
「なんつーか、残酷じゃないか?三谷さん」につながりました。
なお、瀬戸康史、宮澤エマのお二人は持ち味フル発揮で、「三谷組確定」感がありました。
あと得したのは松坂桃李さんですかね。これまで見たことがない役で、印象が変わりました。
評判&予想どおりですかね
初期の三谷脚本のドラマや何度か見たサンシャインボーイズの舞台は大好きでした。
あまり評判がよくないなか、拝見してきました。
本作に関して予告を見る限りは期待と不安が半々で、面白そうなプロットだけど、三谷幸喜の脚本や演出では厳しいのでは? と思っていたところ、予想どおりでしたね。
役者陣のパフォーマンス含めて期待外れで、長澤まさみさんと宮澤エマさんが辛うじて悪くなかった印象。ただ、夫によって変わる長澤まさみさんのキャラは元々キャラ作りが弱く、ラスト近い演じ分けのシーンがほとんど見せ場として機能してなかったので、脚本や演出面で足を引っ張られた印象です。
三谷幸喜さんについては、映画監督としての資質に前から疑問でしたが、脚本家としては揺るぎない信頼はありました。しかし、本作を見ると脚本のクオリティそのものもダメになったのかな、と思わざるを得ませんでした。
ひたすら残念です。
三谷幸喜監督映画
良くも悪くも三谷幸喜監督の作品でした。
三谷幸喜さんの作品は、どれも舞台で観たいと思わします。反面、いつも映画としてはどうか?と思ってしまいます。
元々舞台の作・演出家なのだからか、一幕物が多くなります。
けど、脚本が悪いという訳では決してない。他の監督が三谷幸喜さんの脚本を映像化した作品は、名作が多い。
という事は、やはり三谷さんの演出が舞台っぽいんだろう。
芝居がオーバーだったり、抑えて喋るべきところで大声で表現したり、おそらく舞台なら効果的な事も、映像になると不自然になってしまう。
今回もやはり、舞台で観たかった、と思ってしまった。
#スオミの話をしよう
万華鏡のような映画
見た直後は、あれ?これで終わり?
と拍子抜け。
というのも“結局スオミはこんな女性なんですよ”っていう「答え」が提示されると思って観てたら、されないまま終わったから。消化不良のようななんとも言えない気分。
単純に見れば、この映画は5人の夫がわちゃわちゃしてスオミは相手の理想を生きる女性なんです、なんですが、細かな伏線がそれだと全部説明しきれない。
例えば、
・スオミ、ファザーコンプレックス説
→父と同じ髪の匂い(整髪剤)の年上の魚山と結婚。(幼い頃別れた父の面影を夫に求めた?)
→父のペンダントを褒めてくれた草野を好きになる。
・スオミ、草野だけは本当に恋してた説
→離婚届を毎回、草野に渡すのは“独身になりました。誰かと自由に恋できる立場になりました”と伝えてる?
→草野にだけ大切なペンダントの中を見せるシーンがある
・スオミ、女性の自立アイコン説
→フィンランド=男女平等、自由で幸福度の高い国=理想の世界を望みもがく女性の象徴?
→薊の花言葉に自立がある
コメディの中で社会風刺を表現している?
(ただ三谷さんのインタビューでスオミ(フィンランド)はたまたま偶然目にした、とのことでそんな深い意味はない??)
などなど
つまり、夫達だけじゃなく映画を見る人の「スオミはこーゆー人(映画)だ」という思い込みにより、毎回スオミは姿を変える。
それこそが、この映画の本質で
見る度に姿を変える、掴めそうで掴めない、捕まえられそうで捕まえられない、そんな魅力的な女性を描いた映画なんじゃなかろうか。
タイトルの意味は、映画を見た後「スオミってどーゆー人なんだろうね」とあーでもないこーでもないと話して楽しんでね、という監督からのメッセージなのかもしれない。
余談ですが
年々自分の中で、笑いのオチを求める感覚が早くなっている。「有頂天ホテル」の時はドンピシャで大笑いできたが、今回の場合、自分の求めるテンポより1秒くらい遅くて、笑いづらかった。
笑いのテンポは国や人によって違う。
もしこれが劇場ならお客さんの反応で調節できるけど、劇を映画に落とし込んだ場合そこが難しいんだろうなぁ。
このタイミングがハマる人はすごく楽しいと思うし、実際映画館でとても楽しそうに観劇されている方もいた。
いずれにしても、今の日本でこれだけのコメディ映画が作られること自体が素晴らしいので、もう少し自分なりにスオミを捕まえようと試みてみようと思う。
なぜに酷評が多いのか?
確かにオイラの中での大傑作「ラヂオの時間」には及ばなかったが、オモロかった。
反して酷評が多いようですが、長澤まさみ見たさに見たせいか、オイラはそうは思わなかった。最後の最後まで、ほとんどスオミは出てこないが、男同士の駆け引きで、十分楽しませてもらった。1番最初の反抗期のスオミと3番目の大陸のスオミはキョーレツだったわ。
全124件中、41~60件目を表示