「この映画が批判されている、私的見解について」スオミの話をしよう komagire23さんの映画レビュー(感想・評価)
この映画が批判されている、私的見解について
(完全ネタバレなので必ず鑑賞後にお読み下さい!)
9月は気になる映画が多く、今作は優先順位が低くて観に行く予定ではなかったのですが、あまりに周りで批判されているのでその理由が知りたくなって(失礼な動機で恐縮ですが)観て来ました。
すると、おそらく今作の三谷幸喜 監督のやりたかった事と、観客が観たかった事の、決定的なズレが、今回の批判を呼んでいると思われました。
三谷幸喜 監督が今作でやりたかった事は、(おそらく)長澤まさみさんがスオミを演じる事を通して、様々なキャラクターを演じ分けるのを見たかった、のだと思われます。
ところが、(おそらく)多くの映画の観客は、元や今の夫(男性)に対してそれぞれバラバラの性格であるスオミが、なぜこんな言動を続けているのか?‥その理由であるスオミの深い内面を知りたいと、映画を観続けていたと思われます。
この、それぞれの夫の前でバラバラの性格であるスオミを面白がっている監督と、一体このバラバラな性格のスオミの意図は何なのだ?と、スオミの人間性の裏の真相を深く探って観ている観客との、決定的な溝が、多くの観客にとって今作への批判につながっているように感じました。
さすがに三谷幸喜 監督も脚本の執筆時点では、スオミに限らず、それぞれの登場人物の内面造形を深く考えて執筆していたと思われます。
ところが、今回の映画撮影の現場で、三谷幸喜 監督はそれぞれの登場人物の深い内面にその都度、立ち返ることが疎かになってしまい、現場のノリで軽い表層的な演出に終始してしまったのではないでしょうか?
仮に舞台であれば、その登場人物よりも演じ手の俳優が前面に出てきた方が面白くなる場面はあろうかと思われます。
特に今回はコメディーだったので、舞台であればそれは許されたようには思われます。
ただ、(舞台と違って)カメラワークやカットの積み重ねでそれぞれの人物にフォーカス出来る映画作品において、それぞれの深い人物内面から遊離した演出は、映画の世界をぶち壊す作用しか働かないように思われました。
今後もこのような演出を続けるのであれば、三谷幸喜さんは舞台以外は脚本に集中した方が良いのではないかと、最近の傑作ドラマ「鎌倉殿の13人」などを思い出しながら、僭越ながら思われていました。