侍タイムスリッパーのレビュー・感想・評価
全188件中、61~80件目を表示
まだ見てない人にもぜひ見て欲しい
「侍タイムスリッパー」を見てきました。とても良い!!
過去と未来がひっくり返って、もう何もできなくて後悔ばかり。でも、今できることを今頑張ろう!と思える作品です。前向きな気持ちになれました。
140年前どうだっただろうと思うとともに、140年後どうなってるだろうと思いました。
20年前どうだっただろう、20年後はどうなってるだろう。
過去から見た私は、今どんなだろう。
未来の私はどうなりたいんだろう。
そんなことを考えました。
過去からの眼差しに恥じないように、できるだけ後悔をしないように、今できることを精一杯頑張って生きていきたい。
ケーキのシーンと喫茶店のシーン、からの中打ち上げ
この映画で、私が大きく胸を打たれたシーンが三つ有るんです。
まず、ケーキのシーン。
高坂が、庶民も高級菓子を食べられる世の中になっている事を喜ぶの。
私、時代劇を見る時、侍の目先の格好良さばかり見ていました。
時代劇の侍たちは、もっと高い志を持っていた事を思い知らされたシーンでした。
続いて喫茶店のシーン。
ここは、時代劇に限らず物語の作り手たちの心意気を知るシーン。
高坂の台詞は受け手側の感想であるんだけど、この感動を届けたいんだっていう作り手の心意気が伝わってくるんです。
そして、一番感動したのが、中打ち上げの風見の挨拶のシーン。
ケーキのシーン、喫茶店のシーンの思いが、風見の言葉に乗っかってくるの。
それに、風見を演じた冨家さんの思いも重なってるんじゃないかな。
冨家さん自身のキャリアも言葉に重みを増してると思う。
釣られて拍手しちゃいそうになるくらい、感動したシーンでした。
それから、この映画で良いと思ったのが、風見が時代劇を引退した理由。
時代劇では、殺陣の格好良さばかり見ていたけど、人を斬るということは、斬る側にも重荷を背負わせてしまうんですよね。
これは当然、現代でもそうなわけで・・・。
こんなレビューを書くと、しっかり身構えて観ないといけない映画みたいだけど、肩の力を抜いて観ても楽しい映画だから、この映画は素晴らしい作品だと思うの。
ショートケーキに、豊かで平等な現代日本を感じとれる侍
やっと観れました。8月の公開から10週遅れ。やっと我が街にも届きました。
公開から時間が経っているので、ネタバレを気にせず雑感を記録します。
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1. 現役の侍が斬られ役に甘んじられるか?
カメ止め同様、単館で評判を呼び全国に展開されるまでに、メティアに前評判が拡散される。高坂新左衛門が現代で斬られ役うになる粗筋も繰り返し耳にし、鑑賞前から1つの疑問が頭を占めていた。
「幕末に命のやり取りをしていた武士が、演技であっても斬られる事を受け入れられるか? 武士の誇りを捨てられるのか?」
鑑賞中も、倒幕派を斬らんとする血気盛んな冒頭から斬られ役に順応する過程が想像できなかった。変にバニクったり、通りすがる現代人が無防備に鞘に触れたら、刃傷沙汰になりかねない。
しかし、何気ない掲示物から幕府の終焉を悟ったり、現代の町並みに圧倒される描写や、おやつのケーキで誰しもが豊かで穏やかに暮らせる現代の日本に涙ぐむシーンで氷解した。論語も諳んじる新左衛門は、粗野な暴れ者ではなく教養を兼ね備えた武士だった。山口馬木也さんの出しゃばり過ぎない演技は絶妙。偉ぶらず、周囲の善意に感謝できる新左衛門が、人を斬らずに剣の腕を活かす為には斬られ役しかなかったのかもしれない。
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2. 脇役の演技力と明快な山場
本作は脇役も素晴らしい。ユルさと自然さを兼ね備えた住職夫妻は、程よいコメディリリーフ。撮影所長の井上肇さんの小市民ぶりも絶妙。殺陣の師匠(峰蘭太郎)が魅せた威厳は、クライマックスの緊張感を高めた。剣心会メンバーも自然で違和感がなかった。「本身を用いた撮影」という明確なクライマックスで、本作に対する評価が跳ね上がった。撮影に至る過程の状況づくりも巧く、武士時代の遺恨もあるが、仲間意識もあり認め合ってもいる2人が繰り広げる真剣勝負には迫力があった。オチの付け方も巧く、本当に斬っちゃったの!とバッチリ焦った。
映画もドラマも需要がなければ採算が取れない商業芸術。時代劇がかつてのように量産される事はないのかもしれない。大河ドラマ等、NHKが制作する時代劇には根強いファンも居るので、「Shougun」でも重用された、時代劇専門スタッフの知識や技術は何らかの形で保存してほしい。
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3. ベタさと既視感も愛嬌
気になった点としては、コメディシーンの妙な音効。ここが爆笑のし処ですよって感じ音が入るが、クスッともできないベタなシーンに入っていると、苦笑もできずに心がベタつきかけた。
また、風見恭一郎(冨家ノリマサ)も違う年に time leap した仇だったと分かる展開に驚く完走もあったが、time leapモノにはありガチな設定。すぐ思い浮かぶ限りでも、「信長のシェフ」(2011)「信長協奏曲」(2014)でも、戦国時代に time leap した主人公が、自分より前に time leap してきた現代人と会う。オリジナリティこそないが、時代劇に恩返ししたという心情と巧くマッチしていて佳かった。
見ごたえのある時代劇コメディ
ゴジラで賞をとった某監督が絶賛していたのを思い出し見に行きました。いわゆる低予算映画ですが、カメラを止めるなのパターンもあるので期待を込めて見に行きました。申し訳なのですが存じ上げない役者さんばかり。前記したきっかけがなければスルーしていたかも。読んで字のごとく、侍が現代にタイムスリップ、時代劇で切られ役として活躍していく。序盤のコメディ要素ではクスリとさせられつつその圧倒的な殺陣のクオリティ。演者の技量が凄いです。後半で主人公が大抜擢されるのですがその経緯に胸が熱くなります。そしてどんどん引き込まれていきます。新規に時代劇が作られにくくなっている現状に一石を投じたい。そんなパッションあふれる作品です。オチもコメディらしくフワっとしていて良かった。
ベルばらのオスカルと高坂新左衛門
常々、最も難しい役は宝塚のオスカルではないかと思っている。
オスカルは男性として生きていく女性だが、傍らにはアンドレという男性がいる。
そのどちらも女性が演じるところがオスカル役の難易度を引き上げている。
両者ともに男性らしい振舞いを習得しなければならないが、オスカル役はさらにそこから努めて演じていると見せなければならない。
決して男役と同じであってはならないのである。
本作の高坂新左衛門役は、これと同等かそれ以上の難易度だったと思う。
序盤の「侍を演じる役者とそれに混ざる本物の侍」の違いにとどまらない。
やがて高坂は劇中劇のオンオフをこなすようになる。
「侍を演じる侍」と「侍を演じていない侍」を演じなければならないのである。
山口馬木也氏はこの難役を全編会津弁でやってみせた。
積み上げてきた侍の姿が無ければ成立しなかったであろう、映画史に残る静かなクライマックスの幕開けは、息はおろか瞬きさえもさせてはもらえない。
侍魂がここに
今までのタイムスリップ系にはない、覆す作品だと高評価だったので、どんな展開でどんな結末になるのか期待しすぎていたのか…映画館じゃなくてもよかったかも。
ですが見終わってから、そういう意味で覆すんかぁ。という印象。確かに今までにない作品ですね。
侍がいきなり現代にきてはじめは可哀想でした。
途中でどうなるのか予測がつかず…斬られ役ばかりしてたから、過去に戻って本物の戦いで、つい斬られ役になってしまって死ぬんかな…とか考えたり。
タイムスリップというより、本題は本気の時代劇を作る話…。過去の人々のおかけで今があるんだと改めて実感し感謝できる話…。殺陣やドラマ映画制作に詳しくなれる話…。
長らく侍のチャンバラばかりみせられるので、バーのシーンが雰囲気変わって好きでした。
映画館ではみなさん、何度も声をだして笑いが起きてました!(笑うとこだとはわかってたし癒されるシーンでしたが、声を出して笑うほどではなかったです。相性があるんですかね。なんかシュールなとこはふふっとなります。)
最後の真剣勝負は見ものですね!あそこはハラハラします。
結局みんなくるんかぁ…時差があるんかぁ。というオチで…
戻ったり行ったり死んだりすることはなく、侍が現代で時代劇の役者になるという。シンプルなものでした。
エンドロールは太鼓でよかったです。太鼓のショー見に来てる感ありw
追記🪭
視聴中、なんかしょーもないなぁ。と一回だけ思いましたが、今はなんか心に残るなぁ。いいものみたなぁ…と思います。心に届くまでも時差あり。
みんな笑ってて幸せな気持ちで眠れたので⭐︎を0.5増やしました。今では映画館でみてよかったなと思います。心を覆されました。
息を呑む刀さばき!一番強いのは優子さん!?
侍が出るくらいの予備知識で観に行きましたが、評判通りの面白い話でした。
冒頭の続きがやはり見たいと思っていたラストの真剣勝負は、他の時代劇が踊りに見えるくらい見応えがありました。
主人公の山口馬木也さんが、何となく安田顕さんに似ていると感じました。冨家ノリマサさんも強敵と感じる風格をかもし出し、しゃがれた声に味がありました。沙倉ゆうのさんも面白いキャラクターでいいですね。
とにかく役者が群を抜いて良かったです。
タイトル地味だが良作!!
ス⭕️ミを、観た後こちらみたら、同じ金額払ってこうも違うか?と痛感!
映画は豪華俳優陣や金かけたら良い作品が作れるわけではない!
それを証明する映画です。
侍の魂を失った、現代の日本人皆見てほしい映画!
侍魂
とりあえずめっちゃ良かったよ。お金が無くても、役者が知らない人でも情熱なのかな。面白いものは作れる。現代を感じ涙する主人公の気持ち。泣ける。先人の歴史の上に今がある。
素晴らしい作品だった。
みんなが「真剣」に頑張ったら奇跡が起きた!
「一生懸命、頑張っていれば、どこかで誰かが見ていてくれる」の言葉が刺さった。
私自身は「私の今の頑張りは世界中の誰も知らないけど頑張るしかないな。」と思って過ごしてきたので。
脚本を書いている時も演じている時も、このあと、超速のスピードでこの言葉が本当になるとは誰も思っていなかっただろうな。脚本が良いので制作の段階で目利きの映画のプロ達の協力を集めることに成功していたけれど。
前半は軽快なコメデイで場内あちこちで楽しそうな笑いが聞こえてきました。
和楽器のアップテンポなBGMも良かったです。
現代文明に驚愕してのけぞりまくる姿にテルマエのウォシュレットを思い出し、お寺の住職ご夫婦とのアットホームなシーンにほっこり。住職の奥様の絶妙な間合いとトークに吉本劇場を思い出し、時代劇の行く末を憂う言葉に失われつつある殺陣の技、時代劇の裏方の匠たちをハリウッドに集結させた真田広之さんを思い出し、楽しかった。
なのに泣いてしまうとは!
脚本の変更を読み、会津の人達の悲しい末路を知って涙を流すシーン、涙が出ました。
戦乱の世に生き武士道を貫き亡くなっていった仲間を思い涙する。そしてここから、笑いは消え、真剣勝負に至るまでの間、客席のみんなが緊張感にあふれるのが感じられました。
そして、その緊張感に終止符を打ったのが優子さんの一撃でしたね。一瞬でコメデイ路線に戻ったのはさすがと思いました。
そしてラスト、もしかしたら忘れていた人もいたかも、場内は「あ〜!?」というざわめき、ため息?「そうか!君はここに!?」という感じ。
良かった。なんとなく心に引っかかっていた。漆黒の闇の中一人残され彼はどうしたのだろうか。最後に、解決した安堵感。
でも大丈夫、頼れる先輩が2人いるから君は大丈夫という安堵感、満足感を持って映画館を後にしました。面白かった!
胸躍る映画でした。
映画館で映画を観る回数が激減していた昨今、単館から全国に拡がったという謳い文句に釣られて観に行き、満足して帰ってきました。
本作はいくつかの対比や暗示が上手く紡がれて物語を作っている感想です。
同じ殺陣を演じる役者として精進を重ね、片や人気の時期にスターとなってスポットライトを浴びる仇役に対し、斜陽の時期に大部屋俳優としてスポットライトの陰の立場にいる主人公。それは奇しくも、等しく信じる士道を歩んでいるのに光と陰になってしまった長州と会津に重ねられている。また最後の立ち合いのために型をつかっている最中、殺陣として上段の刃を天に向けていた構えを、刃を寝かせた構えに直す。それは様式美である殺陣から、相手を斬る為の剣術(斬る意志)に戻った事を暗示させる。さらに共に時代劇を愛し盛り上げようとしているはずなのに、武士の意地が故に本身を使い、殺陣でなく立ち合いをしてしまう。所々に散りばめられた主人公のヒロインへの淡い思慕や周囲の人達の温かさにほだされながら、それら全てを捨ててもとどめられぬ武士の意地。
これらのいくつもの段落がバラバラにならずきちんとした物語となっていて見応えがありました。
また最後の決闘のシーンは本当の武士同士の命をかけた斬り合いの様な気迫がかんじられ、肘掛けを掴んでしまう程でした。
唯一物足りなく思ってしまったのは、主人公が現代を認識し、殺陣に生きようとするまでの部分が薄く感じたところ。今を受け入れざるを得ないと納得する部分をもう少し厚くしても良かったのかな〜と。(長さの問題や、描きたい部分ではなかったとかテンポが悪くなるとか理由があったのかもしれませんが。)
タイムスリップ時代劇コメディ
笑いあり、涙ありこれが自主映画なのかぁ、凄い。しかも安田淳一監督は米兼業農家の方。
自腹をはたいて製作したのもあっぱれ。
発送の着眼点も面白いし、適応能力の高い侍も
なるほどと思った。舞台挨拶で侍タイムストリッパーと間違えて言ったのも功を奏したよね。
ある意味この話で一生、旨いお酒が飲めるに違いない。
京都の撮影所の方々が脚本が面白いから
協力してくれたのも納得。
『今はその時ではない』は日常的に使いたくなる
名言。
殺陣は立派な仕事であると改めて認識。
爽やかで楽しい作品でした。
時代劇がまた、元気になる事を願います。
みんなあったかい。
お寺のお父さんも、助監督のゆうこちゃんも優し〜〜〜!!!私はお寺のお母さん、1番好きだなぁ〜。
笑っていいのか?ダメなのか?となってしまうことが幾度かあった。(特にビンタのところは劇場でチラホラ笑いがあったけど、次のコマでスンと消えた)
主役の人は、訛りが染み渡っていて、本当に迷い込んだみたいだった。感動してたお米も普通に食べるようになったり、住まいとかも無償だし、その他、もっと大袈裟に感謝するシーンが見たかったな〜。人情と義理堅い役なのだから、
他の人のコメントにあった、真剣の時に上段の構えをもとの位置に戻す、みたいなシーンがあったら嬉しかったな。
もとの時代で主人公がどんな生活してたか〜と、もとの時代を捨てて今を生きると覚悟する場面も、あるとよかったな。。相手との因縁も(自分に教養がなく)分かりづらかった、、。(それは自分のせい)
ドラマ、不適切みたいな印象。
カメトメみたいな、ミニシアター系映画で若干点数が高めだなと思った。
主人公は師匠の言葉に従い、刀を捨てるべきだった
時代劇ラバーの自分としては、本作の監督とスタッフ、俳優陣の時代劇に対する熱意に頭が下がります。今の時代にこんな時代劇トリビュート映画を観ることができること自体、幸せなことです。ありがとうございます。
本作は3つのパートに分けることが出来ます
A:会津藩家老から密命を受け、同僚と二人で長州藩士を襲撃するが…
B:2007年頃の京都にタイムスリップし、周囲のサポートを得て時代劇の斬られ役になるまで
C:本格時代劇映画「最後の武士」の敵役に大抜擢されるが…
以下、パートごとに良かった点と気になった点など。
Aパート。
ここはガチの殺し合いシーンなので、Cパートよりもリアルさが要求される場面です。標的を待ちながら暗殺者の二人での思い出話は緊迫感が削がれます。これから人を斬ろうとする人間のようには見えませんでした。そういうのは前日の居酒屋で最後の盃を交わす設定にしておけば、もっとよかったかも。あと、斬り合いのシーンのライティングが白じらしい気がします。あれじゃ満月。しかもその後いきなり雷雨。このAパートの斬り合いにこそリアリティを込めて欲しかったです。
次に本作唯一のコメディタッチのBパート。
山口馬木也さんはじめ役者陣の熱演が光ります。時代と文化のギャップギャグ、武士が平和と繁栄を享受してしまうおかしみ、斬られ役の師弟関係、大変楽しめました。しいて言うなら、風呂とかトイレとか服とか、もっと身近な風俗についての驚きや戸惑いを見せてもらえるとより楽しめたと思います。
Cパート。
物語はここから一気にシリアスに。斬られ役の役者として軌道に乗った主人公は、会津藩の悲劇を知り深い葛藤に陥ります。「斬られ役の自分は偽物の存在に過ぎない…。必死で戦い、死んでいった者たち(本物)に申し訳ない…」この葛藤を乗り越えるためにどうするか。
主人公は抜擢された大作映画の中で、同じ武士である相手に本当の斬り合いを申し込みます。「大義のために命を捨てることこそモノノフの本懐である!」勝負は決し、相手は潔く死を受け入れます。主人公は思いとどまり、作り物であることを受け入れます。
本作の山場であるこのシークエンスが、実は時代劇が死んでしまった最大の原因でもあるという皮肉な構造になってしまいました。会津藩の悲劇も昭和の戦争も、すべてこの「大義」とやらのせいです。彼らの思想や生き様は戦後民主主義に受け入れられるはずもなく、「大義」を失った時代劇は勧善懲悪のチャンバラ活劇となり果て、衰亡しました。「武士道」や「大義」へのこだわりが時代劇衰退の大きな理由の一つです。
もう一つの理由は「本物らしさへのこだわり」ではないかと思います。厳格すぎる時代考証、本身を使っての死亡事故など、本物へこだわるあまり、時代劇は創造性を失い硬直化してしまいました。そもそもわれわれは「本物」など知らないのに。本物らしさを追求し本身でチャンバラすれば客は感動するというのは安易な思い込みです。チャンバラせずとも、言葉遣いや立ち居振る舞いで十分武士としての本物らしさは出せますし、山口馬木也さんの演技は見応えありました。
武士道に凝り固まった武士が、平和と繁栄を享受し、本物へのこだわりを捨て、作り物としてのプライドを獲得し、ラストで髷を落とす、そんなストーリーであればもっと若年層にも受けるのではないでしょうか。劇中で出てくる不良少年3人組。彼らに訴求する新しい時代劇を作ってこそ、時代劇復活の道があるのでは。ウェス・アンダーソン監督のように、あえて作り物感を主張するような時代劇映画があってもよいのでは。関本師匠の言う、「作り物を本物らしく見せることこそ、我らのプライドだ」という言葉は映画製作全体に当てはまる言葉だと思います。主人公は師匠の言葉に従い、刀を捨てるべきでした。
時代劇の歴史は3つのパートに分けることが出来ます。
A:チャンバラ活劇映画の量産時代
B:1954(S29)の「七人の侍」に始まる時代劇映画の黄金時代
C:勧善懲悪チャンバラTVドラマの量産時代
山本優子が好きな時代劇として口にするのは全部C時代のテレビドラマばかりです。時代劇業界は活況で、撮影所や役者陣は儲かったでしょうが、同じパターンの繰り返しに陥った時代劇はそのまま死んでしまいました。そういう意味で、劇中の無邪気な心配無用ノ介の姿には先の不安を感じました。やっぱり時代劇はチャンバラ活劇でしかないのでしょうか。変なこだわりに囚われず創造性に富んだ面白い時代劇がまた観られる日が来ますように。
時代劇に愛を込めて、真剣勝負は続く
都内1館からの公開が、評判が評判を呼び、現時点で全国200館以上に!
あの“カメ止め現象”再び…!
ファーストランや全国拡大から2ヶ月。やっと福島でも公開スタート。
と言っても隣町の映画館で一週間限定上映。急いで行ってきた。
“カメ止め”はゾンビ×映画愛だったが、こちらは時代劇愛と現代にタイムスリップしてきた侍…!?
幕末の京都。会津藩士の高坂新左衛門は、密命を受けて長州藩士と対する。
刃を交えた時、落雷が。
目を覚ますと、見知らぬ城下町。さ迷っていると、か弱きおなごの悲鳴が…!
不届き者め、成敗致す!
その時、“心配無用ノ介”と名乗るご仁が。
助太刀致す!
カット! お前何やってんだ!?
…!? !? !?
やがて分かる。徳川幕府が滅んで百四十の歳月…。
ここは、時の果ての日ノ本。時代劇の撮影所だった…!
大昔の侍が現代にタイムスリップ。特別目新しい設定ではない。幾つか思い浮かぶほど。
使い回されたネタだが、それでもまた作られるのは、侍×現代、そこに何か面白さと魅力のケミストリーがあるから。
本作もベタと言えばベタなのだ。
“撮影”を“本当”と思って助太刀。タイムスリップ時代劇のTHE定番。
重石(作り物)を軽々持ち上げるおなごに驚き、幽霊(特殊メイクした怪談映画出演者)にこれまた驚き…。
コントか!漫画か!
でもそれを、こちらの期待通りに面白く見せてくれる。
これも監督の腕。自主製作映画を撮り続け、本作が3作目の安田淳一。
超低予算故、インタビュー記事なんか見ると相当苦労して完成に漕ぎ着けたという。
それが最高の形となって報われ、花開いた。
映画は予算や話題やビッグネームなんかじゃない。面白いアイデア、情熱や愛があれば、飛びっきりの映画は作れる。
これもベタな事だが、それを体現した。
『男はつらいよ』の大ファンだと言う監督。山田洋次に本作を見て貰うのが夢。
だからか、あのシーン(笑)。とあるシーンで、“滑る”とか“落ちる”とか禁句。寅さんでも定番のこのネタに、私ゃ堪らなく嬉しくなった。
新さんが周囲への把握を出来る人物で良かった。いつまでも“ここはどこ? わたしはだぁれ?”だったら話にならないし。
とうの昔に侍の時代は終わった。侍はもう不要。ならばここで惨めに生きてたって…。
一度は命を絶とうとするが、救いの手が。
撮影所の助監督・優子。現代に来たばかりの新さんを最初に相手にしてくれた人であり、新さんは一度病院に運び込まれるも逃げ出す。気に掛け、探していた。
居候させてくれた寺の住職夫婦。
彼らの善意が優しい。この人情も寅さんだね。新さんの事は記憶喪失者と思ってるけど…。
握ってくれたおむすびが美味しい。米の美味しさは変わらない…いや、自分のいた時代よりずっと美味しい。本当にあのおむすびが美味しそう。監督は米農家でもあるとか。
ケーキなるもの。これほど美味なる菓子が…! そうか、こんなに美味なものを皆が食べられる時代になったのか…。涙を流しながらケーキを食べる新さんに、何故だか私も貰い泣き。
絵が動いた!(TVです) あの“心配無用ノ介”! TVにも驚いて、興奮して、ぼろ泣きして…。
もうとにかく、新さんの人間力にやられる。
真面目。実直。謙虚。感謝を忘れず、礼儀を通し、忠義を貫く。
本物の侍にしか見えない。
THE侍であり、人情侍であり、恋する侍でもある。
時代劇を中心に多くの映画やTVに出ていたようだが、キャリア25年にして初の主演映画。
山口馬木也。もう誰もが彼を忘れないだろう。
パッと見渡辺謙を彷彿させる風貌。
体現した新さんがやがて見出だした道は、“アノ人”。
寺で時代劇の撮影。
が、斬られ役の一人が体調不良に。
何処かに侍の格好をした代役が…いた!
急遽撮影に参加。言われるがままに。
ド緊張の中、“坂本龍馬”の名に会津藩士の目が光る。
本物のような(本物なんだけど)気迫。“斬られ役”を見事こなす。
すると、スタッフ/キャストの間で評判上々。
それがし、この時の果ての日ノ本で、何の道を行くか。分かった気がするでござる。
いざ、撮影所へ。
弟子入りも志願。
時代劇の斬られ役…!
新さんは腕の立つ侍だ。落雷のあったあの夜、対した長州藩士が名を聞いたほど。
そんな本物の侍が現代に来たんだから、誰にも負けず、時代劇でもスターとして…じゃない所が本作のミソ。
侍としては本物だが、斬られ役としてはズブの素人。教えを乞う。
斬られ役をコツコツコツコツと。
声が掛かるようになり、次第に多忙に。
そして遂には、一話限りだが“心配無用ノ介”のライバル役を務めるまでに。
まさかまさかの名斬られ役に…!
時代劇ファン、映画ファンならすぐ分かる。新さんの新たな人生は、日本一の斬られ役、故・福本清三氏。100%、モデルと言っていい。作品も福本氏に捧げられているし、新さんが教えを乞う殺陣の師範役は福本氏の弟子でもあった峰蘭太郎。
福本氏の生きざまを彷彿させる新さんの姿と物語に、また私の涙腺が…。
福本氏の生きざまって、誰にも通じるものがある。
目立たなくたって、華やかでなくたってもいい。地道にコツコツコツコツと。
頑張れば、どこかで誰かがきっと…。
この福本氏を表した格言でモットーは劇中でも。
福本氏はハリウッド映画『ラストサムライ』に抜擢されたが、新さんにも思わぬオファーが…!
撮影所で久々に製作される大型時代劇映画。しかも主演は時代劇のスター・風見恭一郎で、10年ぶりの時代劇復帰作。そのライバル役=準主役!
斬られ役にとっては一生に一度かもしれない大チャンス!
ところが新さん、これを断る。自分は一介の斬られ役。分不相応。
そんな時、風見が驚きの正体を告げる。
これには唸った。脚本の妙。
風見は、あの落雷の夜、対した長州藩士であった…!
新さんより30年前の時代にタイムスリップした風見。
新さんと同じ。訳が分からず。次第にここが遠い時代だと知る。
時代劇の撮影所をうろついていたら、端役と間違われ、斬られ役としてスタート。大成し、主演を務めるスターに。
この時代にもすっかり順応した。スターとして。
そんな時、TVで時代劇の斬られ役として出ていた新さんの存在を知る。
あの時の会津藩士…!
ここで会ったが百年目。決着を付けに…ではなかった。
会った一番の理由は、共に時代劇を撮ろう。侍が失われたこの時代に、本物の侍の生きざまを見せてやろう。
もう我らの時代ではないのだ。藩の為とか密命とか遺恨など下らない。
新さんは侍としてそれを捨てきれない。断るのもそれ故。
双方の言い分は分かる。時代に順応する。己の信念を曲げない。譲れないものがある。
が、今の自分は何なのか。
師範の言葉。斬られ役の悲願。
新さんは出演を決める。
作り物の時代劇に、本物の侍が二人。
その構図だけでもユニークだが、しっかりとこの二人の関係性も描いている。
かつては本気で斬り合おうとした二人。何かといがみ合う。と言うか、風見はオープンだが、新さんの方がそっぽ向く。
端から見れば大スターに斬られ役がタメ口で。
しかし、撮影をしていく中で…これもベタながら胸がすく。
徐々に打ち解けていく。分かり合っていく。
時には助力にもなり、貸し借りナシ。
風見が時代劇を10年も離れた…いや、捨てた理由。元の時代で自分が犯した罪。
時代劇で本当に人を殺めないとは言え、あの時の悪夢が脳裏を過る。堪えられない。
風見もただの大スター然ではなく、味わい深く内面も。終盤のドラマを支える。冨家ノリマサの風格。
ライバル同士が交流を深める。出演する映画の設定ではそうとは知らず交流を深めた二人が斬り合う運命に。『座頭市』第1作を彷彿。
撮影も佳境に。中打ち上げで盛り上がる。
脚本に追加部分が。それを読んで新さんは嗚咽する。
会津藩の悲劇…。
何かを失ったように。飲めない酒を飲み、町中を放浪する。チンピラに絡まれる。
惨めな自分。会津藩士が悲惨に死んでいったように、自分も惨めに朽ち果てていくのか…?
自分は何者だ? 斬られ役か? 侍か?
斬られ役ならば、このままおめおめと斬られるだけなのか…?
侍ならば、何の為に生きるのか…?
新さんは風見や監督に提案する。
真剣勝負がしたい。
真剣を使って撮影する。
おいおい、幾ら何でもそれはあり得ないだろ?
…まんざらそうでもない。かつては本当にあったとか。が、『座頭市(1989年)』の撮影で真剣を使って事故が起こり、禁止に。
無理もない。一大事。どころではない。一命に関わる。
新さんの気持ちは変わらない。
撮影の為のリアリティー追求ではない。
侍としての生きざまを刻む。この一瞬に全てを。
誰も賛同しないと思われたが…、監督は熱狂。風見も承諾する。
この時、風見が流した涙…。彼も失ってはいなかったのだ。侍の精神を。
全ての準備や安全を整えて、いよいよ当日。
もはや映画の撮影じゃない。本当の闘い。
あの落雷の夜から、こうなる事は運命だったのかもしれない。
新左衛門対風見。本物の侍二人が見せる真剣勝負。
緊迫感溢れる睨み合い。実に40秒近く。やはりこのシーン、『椿三十郎』へのオマージュ。
遂に刀と刀がぶつかる。
劇中劇云々ではなく、本作は映画だ。だから勿論、真剣など使われていない。
が、二人の気迫、ぶつかり合う刀と刀…。
真剣は使われなくとも、そこに漲るは紛れもない真剣であった。
果たしてオチはどうなるのか…?
一瞬、アッともさせられたが…。
当人同士は本当にそうだったかもしれない。生きるか、死ぬか。でも、もしそうなったら、映画として後味が悪い。時代劇映画ならまだしも、本作はあくまで時代劇撮影。
オチ、そう来たか~!
ちゃんと映画作品としての捻りや笑いも忘れない。
あの優子さんのビンタ。誰もが沙倉ゆうのに胸キュンなっただろう。
満足感、充実感、面白さ、感動、後味も最高!
ラストシーンもナイス! 『侍タイムスリッパー2』…?
期待以上。評判に便乗してじゃない。
見ていて笑いがこぼれ、自然と涙も溢れ、やっぱり映画って最高。幸福感にも包まれた。
本年度BEST!
優れたタイムスリップSFであり、笑えるコメディであり、感動のドラマであり、本格時代劇である。
時代劇の今の現状も訴える。
かつては毎週毎日のようにTV放送されていた時代劇。それがいつの間にか民放から姿を消し、今時代劇と言ったらNHKかたまの特番か映画くらい。
時代劇は日本の伝統。宝でもある。
それはもう、消えゆく運命しかないのか…?
否!
今年ハリウッドが見せた本気の時代劇。
本作のようにユニークな形でも。
今後も時代劇映画の期待作もある。
そしていつの日か再び、あの頃のように民放TVで時代劇を楽しめるように。
時代劇は失われちゃいない。
日本で、世界で、時代劇の精神は受け継がれている。
今日も新さんたちは挑む。
時代劇に携わる者、愛する者の真剣勝負は続いていくーーー。
これがエンタメだ
山口さんのお芝居が本当にタイムスリップした侍のよう。
故にあまりに滑稽で前半は涙を流して笑いました。そして最後の殺陣は本当に真剣を使っているような緊張感。
何に感動するとかはないですが、単純に最高に楽しいエンタメ、『これが映画』と最高に楽しませてもらいました。
日ごろ溜まった心のコリを「喜・怒・哀・楽」でジワーっとほぐしてくれる映画。
口コミでの評判が良いということは知っていたが、いつものように、何の予備知識や事前学習もなく鑑賞。ネットの予約時に、全く席が埋まっていなかったが、当日はなかなかのお客の入りようだった。
私は、そのタイトルから、過去から現代へタイムスリップしてしまった武士が直面する時代ギャップをコミカルに描いた「笑える」映画だと単純想像していたが、私の考えは安直すぎた。良い意味で。私の考えは大きく外された。
まず、最初にタイムスリップした時に、「え?なぜ同じような時代に?」、「これタイムスリップじゃないよ。」、と思わせる設定が秀逸で、私はこの場面、完全に騙されてしまった。騙されたと気づいたと同時に、この映画は何か「やってくれる」という、大きな期待感を抱いた。
映画は前半、確かに、私が想像したように、日常生活の「過去」から「現代」へのアップデート作業を、「笑い」を交えて進行していく。
でも、必然的にアップデートが終了すれば、「笑い」もなくなる。
そして、何となく感じ始める、このまま「笑い」だけでいけるわけがないよなぁ、という妙な感覚。
でも、無用の心配、心配御無用だった。後半は、前半の「笑い」とは打って変わって、武士の本気の「怒り・悲しみ」が用意されていた。
後半から終盤へかけては、この鑑賞する受け手側の心情が、「笑い」から「怒り・悲しみ」モードへと大きく変換させられ、全く飽きることがないストーリー展開となっていた。
とくに、前半は、主人公の武士1人がメインであるため、単調になりやすかったが、後半はさらに準主人公の武士が加わって、文字通りの「真剣」勝負が用意されている。
また、「真剣」勝負に辿り着くまでの経緯が、破綻なく綺麗にストーリー展開されているので、鑑賞する側も、自然と、涙したり、怒ったりすることができ、飽きることがない。
最後まで鑑賞すると、人間の基本感情である「喜・怒・哀・楽」をバランスよく感じられ、ほど良い心地よさを味わうことができる。
普段は、さほど邦画を鑑賞する方ではないが、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」や「ターミネーター」的要素も入っていて、充分、楽しむことができた。
そして、映画の中盤からずーっと気になっていた「彼」が、最後の最後、登場したとき思わずニヤリとしてしまった。
なので、「おわり」となっていたが、「つづく」ではないかなと思った。
次回作があれば、是非、鑑賞したいと思う。期待。
これはいい。
「インディーズの監督作った映画で、単館上映のはずが評判が評判を呼んで全国ロードショーに」映画ファンなら誰しも「カメラを止めるな」を思い出す前向上です。
カメ止め並みにハードルがあがりますが、それでも見に行きました。これはすごい。
カメ止めが「脚本の勝利」ならば、侍タイムスリッパ―は「演者」の勝利です。
いちいち演技の仕方が良い。その演技をしっかりと作品に落とし込んだ製作陣の大勝利でしょう。
序盤から中盤まではちょっとしつこいくらい「朴訥な田舎侍でござるよ」アピールをされているなと思っていたのですが、それが丁寧に丁寧に新さんのキャラクターを作りこんだ結果へとつながります。
その作りこまれたキャラクター性があってこそのあの斬りあいと雰囲気につながるのでしょう。
ものすごい長尺の「間」が苦行にも飽きにもならず、この先が見たいけどケガをしてほしくはない。「来ます。来てほしくなけど」の思いを視聴者に共有させるのはそこまでの新さんのキャラクターが成立していてこそでした。
一方で脚本・ストーリーそのものに大どんでん返しを、そこまでの伏線が一気に回収されるカタルシスを期待するとずっこけます。王道です。
これについては良い悪いではないと思います。素材の味を生かすために変な変わり種をぶちこまないで「この演者、すごいでしょ!」と押し出す形。
劇中の風見さんも新さんも、きっとこういう演技と演者のスゴみで評判をあげていったのでしょう。
映画館で見てよかった。
サブスクサービスで見ていたら、おそらくスマホ片手に見てしまって最後のシーンにたどり着けるかどうかわからなかった。
これはじっくり向き合ってみるべき映画、真摯に画面を見つめる映画館でこそ、クライマックスを最大限に楽しむための土台を作っていける映画でした。
何より、主演の熱演が最強の映画です。この人を超える演技をしている主演級の俳優がいったい何人いるというのでしょうか、、、
どんぐりさんよろしく、今後、別の映画やテレビで見たいものです。
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ところで山本優子さんの関西弁がちょっと気になりました。
明確に違うわけでもなくエセではないです、でもな~んかちょっとイントネーションがズレているのではと……。
「関西弁なら関西人使えや」と思っていたのですが、どうやら演者さんは兵庫県出身のご様子。うーん、何が違うんでしょうね。
兵庫の人が京都に寄せようとしたらこうなるのでしょうか???
他の演者さんの関西弁がそのまま関西弁なので、すーっと入ってきたのでその一点がやけに気になったのでした。
べっぴんな姉ちゃん。……が、ヒロイン役というにはトシ食ってないかな。20代後半くらいかなぁ、と思っていたら……。俳優のWiki見てびっくりしました。
【小ネタ】
・「東京にくだりはってん」わかるわかるwww
・師匠と弟子という関係になっている時の稽古中にも「なんでやねん!!」のノリつっこみ、わかる。超わかる。関西人だもの。
・安藤彰則さんの印象に残りまくる顔と表情。良い。
・「オチ」はそうだろうなと思っていたので、もうちょっとびっくりさせてほしかった。
・「上段の構え」はもうひとひねりできたんじゃないかな。「殺し合いを前提とした上段の構え」→「演技を前提とした周囲に配慮する上段の構え」という仕込みができていたので、あのシーンを「殺し合い」と印象付ける要素にできた気がする。いや、あれは「俳優」としてそこにいたのだから成長した新さんを出すからあの上段でもいいのだ。いや、それでも…。……と堂々巡り。もしそこまで考えさせることを狙っての演出だとしたら白旗ものです。
気持ちのいい映画
出ている俳優はほとんど僕の知らない人ばかり。知っているのは紅萬子さんぐらい。悪人がひとりも出てこないので観た後の気持ちがいい。同時に雷に打たれた二人が時間をずらして同じ場所にタイムスリップをする、というのは新しい。おにぎりを食べるシーンは泣きそうになった。そして最後の真剣(という設定)での斬り合いのシーンは特に良かった。本当に真剣での斬り合いのような緊張感がある。終わり方も意外で面白い。
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