クラメルカガリのレビュー・感想・評価
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終盤は爺さん無双
全体的に雰囲気がいいが
独特の世界観や用語が多く
ストーリーを把握しにくい
主役のカガリも顔に傷があったりして
過去になにかありそうだが特に語られなかった
人物像などについても掘り下げが少ない
幼馴染のユウヤも裏切ったやつというイメージで終わった感じがする
シイナと飴家は全体的にとくにいなくても
ストーリー的には問題がないような気がしたがどうなんだろうか?
カガリたちは地下の地図にはいって地図をつくる仕事をしていて
その中で地下にかかわるヤクザの抗争みたいな世界観があるように思うが
正直全体像がわかりにくい
上映時間が短めなのでしかたないのかもしれないが
全体的にとっちらかった感じがある
過去がわかったのは
クチナワ爺さんだけだったかな?
終盤はクチナワ爺さんの活躍が多く
いいところを完全にもっていってしまったように感じた
同時上映の「クラユカバ」は見るかどうかはわかりません
本作はクチナワ役の寺田農さんの遺作になるのかな?
ご冥福をお祈りいたします
僕らの箱庭
オリジナルアニメ映画ってだけでとりあえず食いつく人なんですが、今作は歴史ファンタジーもので監修に「デュラララ!!」や個人的には「ステルス交響曲」の成田良悟先生が携わっているのでこれは見ねばと思い突撃。
特典はポストカードでした。
全体的にもう少し尺があれば…!と思うところはありつつも、オリジナリティ全開で、世界観の独特さにキャラクターのコミカルさとコンパクトにまとまった面白い作品に仕上がっていました。
とある町の地図を描いて生計を立てるカガリという少女が、崩落事故によって多くできた穴について調べまわっていると、町の謎が明らかになってきて…といったストーリーなんですが、世界観はフワッと説明されるだけで、あとは背景で語っていく感じなのでちょっと分かりづらい作品かもしれません。
キャラクターの過去が語られないのもあって、どうしてもキャラクターに感情移入する前に映画が終わってしまったのはむぅ〜って感じで惜しく悔しかったです。
予告では汲み取れなかったんですが、スチームパンクな世界観で虫×ロボットが今作のヴィラン的立ち位置になっていて、しかもそのデザインがかなり好みだったのが思わぬ掘り出し物でした。
キャラデザはとてもシンプルで飲み込みやすく、カガリのデザインも個性は見せつつも造形はTHE・大正浪漫って感じで好みでした。
声優陣はこれまた豪華な面々がキャラクターに命を吹き込んでくれていたので、これは大変なこっちゃと拝みながら観ていました。純朴なキャラクターに佐倉綾音さんの声が活きる活きる〜。
あと20分あればカガリの過去や、爺の戦争時代の話なんかを掘り下げて濃厚な作品になったんじゃないかなと思いました。でもこういう挑戦的な作品は大好きですし、いつかこの制作チームが大きな作品を作ってくれる事を期待して今作も応援していきたいと思います。
願わくばコミカライズで長い事見てみたい…。
鑑賞日 4/16
鑑賞時間 12:10〜13:20
座席 D-12
カラクリガタリ
『クラユカバ』のスピンオフということだが、各一回の上映でもこちらが先で…
不安はあったが、単体で完結はしている模様。
世界観は面白そうなのだけど、いかんせん設定や用語がイマイチ入ってこない。
キャラクターの関係性なども含めて、常に考え、引っ掛かりながら観ることになってしまった。
悠木碧の演技もあり飴屋は好きなのだが、シイナ共々カガリとの絡みがなく残念。
だったらキャラ数を絞った方が分かり易かったのでは。
独特のキャラデザや色彩、カラクリ含めた動きや演出などは非常に良かった。
ただ、カガリの顔の傷や「親譲り」の台詞すら未回収で、他キャラも背景はほぼ明かされず終い。
ある程度拾われたのは朽縄博士くらいかな。
『クラユカバ』に比べてポップで見やすいのは美点。
活発キャラの多いあやねるのポワポワ演技は新鮮だし、伊勢屋の不敵な感じも上手かった。
キャラは魅力的なのに描ききれておらず、また続編もなさそうなのが勿体ない。
カガリの地図好きも突出したものでなく、終盤の逃走経路に活かされる程度なので主役感薄し。
せめてもう30分あればなぁ、と思わずにいられない。
クラユカバよりもマイルド
説明が省略されている部分も多少はあるものの、短めの上映時間の中でストーリーをうまくまとめている。
クラユカバと同じ世界感の作品ではあるが、本作のほうがクセが少ないため、比較的気楽に観ることができる。
戦車やドローンに似た機械が人間を攻撃するシーンもあるが、実弾ではなく粘着液を発射するなど残虐な表現を排除し、子供にも配慮して制作されている。
成田良悟氏の作品であるデュラララからのオマージュと思われるキャラクターが何人か登場するため、同作を読んだ人はより楽しめるかもしれない。
時間が…
短い!
設定もキャラも雰囲気もいいんだけど、時間が短いせいかテンポは良いんだけど若干観客を置いてけぼりにしている感が。
なんかもう少しストーリー背景を追加して、地下の地図を作るという話でテレビアニメにしても良さそうだけど…
クラユカバよりはいいが
クラユカバの方で現代のエンタメ(興業・商品)としての違和感は書いたので、その点は基本的に省く。
クラメルカガリで「原案・成田良悟」となったが、
本作も結局は「原作・監督・脚本 塚原重義」となっており、
補修の効果は薄いまま留まってしまった。
脚本は本職の誰かに、そうでなくとも成田氏に任せるべきだったと感じる。
例えば、本作は脚本を田中仁氏に丸投げしていればぜんぜん印象が変わってゲ謎級に届いた可能性はかなりある。キャラクターデザインはもっと力点だと認識してほしいが、動画や演出は文句無しなので。
謎多く終わったクラユカバと世界観をうっすらと共有しているだけで、物語は全然繋がっていない点は残念。成田氏によるスピンオフなのでそういうものとはいえ、1作目が何もわからず何も解決せずで終わった劇場映画であるので、少しは関連から見えてくるものがあると期待してしまった。クラガリの中には、こんな地域(箱庭)もあるんだねという程度。
本作は北九州の炭鉱街のような、喧嘩っ早い昭和レトロの係争がモチーフ。
それにオーパーツ化した戦車やら殺戮無人機やら現代的なモチーフまで入れてしまい、一方で主人公とヒーローの唯一の属性・特殊性たる「地図」(≒坑道)が印象としては霧散し、機能しなかったのが残念。言葉の上で思い出したように地図が大事と言われても、視聴者にとっては「そういうことにしてほしい」とお願いされてる感じで、納得感はない。
それでも、単品の話としてのまとまりはクラユカバより上だが……
クラユカバもクラメルも、「主人公」という存在が弱い。
いわゆる視点人物(映像を切り取るカメラ)でしかなく、物語の中心にあって物語を動かすキャラクターになりきれていない。
結果、没入感や感情移入が捗り「続きを追いたくなる」心理的な導線となれていない。
一方で、監督が好きになってしまったであろうサブキャラクターたち(伊勢屋、栄和島、朽縄)の持ち上げと活動に大きく尺が割かれ、時間が経過するほど物語の主従が逆転していってしまう。主役級たちが立っていないのと、サブキャラを気に入りすぎるのが問題点。
駆け出し気の物語創作ではだいたいそうなるが、映像等の製作技術はプロ中のプロなので、やはり脚本は別人に任せた方がいいように思う。
例えば、
A「クラガリという不思議な世界の生活観を魅力的に描く」(映像)
B「ユウヤはこんな底辺の生活を抜け出したいともがいている」(脚本)
この2つは二律背反で、AをやりきればBは共感できず、Bを重視すればAは描けなくなる……と、すでにメインプロットの段階で差し戻し級の大きな問題がある。
物語を牽引するメインキャラクターに共感できないというのは、絶対にゴーサインを出してはならない。
そこを軽視した結果、動かしづらい主人公たちが善なる薄味に留め置かれ、「実は」を込めやすいサブキャラクターばかり万能化して描れてしまった。
とはいえサブキャラたちの役回りの天井は決まっているので、これもよくある「実はすごいキャラたちなのだが、本作では活躍しきらないまま終わった。裏設定では…」という、よくある創作初心者のやらかしにとどまっている。
朽縄博士はいいとして、
・栄和島は存在自体カットすべき
(対むぢなで大立ち回る役割はシイナを厚くするべき。栄和島とカガリの縁は無い)
・伊勢屋は「実は何でも知ってました設定」を抑えるべき
(結局、事前に避難させました程度なので。人々を動かす役をカガリに持たせるべき)
・ササラをもっと立てるべき
(今回のゼロ地点に最も近く、主人公らとも縁があり、単体でヒット性があるため)
……など、足し算による逃げではなくて引き算も用いた取捨選択による調整で、本作の伸びは大きく変わったように思う。
シナリオのプロと組むことは間違い無く正解だが、その相手として成田良悟氏だったのはミスマッチに感じた。
成田良悟氏と言えば「街もの」だが、今や「街をしっかり描けば(群像劇として)物語ができている風に観てもらえる」時代ではなくなっている。「雰囲気系に逃げて収集つかなくなった作品って、なんか最後らへんに群像劇名乗り出すよね」というぐらい冷静なのが現代のユーザー目線だ。
また、成田氏は奈須氏に頼み込んでFate/S.Fを書いた経歴があるが、スピンオフ作家として特段辣腕という風には見えない。
監督と成田氏の感性は合うだろう。だからこそ組む効果が薄かった。監督には「街を丹念に描ききれば、物語はできているはず」という勘違いがあるように見受けられるが、成田氏はそれに太鼓判を押してしまうスタイルだ。クラユカバというIPを伸ばすものは「街もの」としての認識ではない。「物語って、心が乗るように丁寧に魅力のレールを作っていかないと、観客の先を見たい気持ち・見終わった後に語りたい気持ちは走り出さないんですよ。その丹念なる敷設工事が脚本です」というような、苦い一言だ。
脚本への造詣が深ければ(脚本で滑る怖さを知っていれば)、カガリはもっとかわいくなれたし、ユウヤはもっと迫真性のある懊悩少年になれただろう。
ササラちゃんはかわいかったです。なのでもっと絡んで欲しかった。
もしカガリを立てるのが辛かったのなら、実質の主人公としてササラちゃんを軸に組む、ぐらいしていたらたぶんキャラ的にも物語的にも腰が据わり、勝っていたであろう作品。シン仮面ライダーが仮面ライダーと言いつつ浜辺美波を軸に組んでいたアレぐらい。
美少女や美人で媚びろと言っているのではない。花ある役者にはその人にしかできない舞台上での役割があり、凄みある強面にはその人にしかできない舞台上での役割があり、全員が分を弁えながら効果的に機能しあって高めあい、舞台が作られると言っている。
監督は脚本からは離れて、キャラものかつ骨太を成功させてきた脚本家に丸投げするのが一番だと思う。それができるかできないかが、商業クリエイターとして周囲が観て測る器の大きさそのままであると感じる。
映像表現がすごいだけに、及第点に達していないキャラや脚本が非常にもどかしい作品。
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