「耳の聞こえない両親のもとで育った五十嵐大は、ごく普通の家庭として過...」ぼくが生きてる、ふたつの世界 るる 移行さんの映画レビュー(感想・評価)
耳の聞こえない両親のもとで育った五十嵐大は、ごく普通の家庭として過...
耳の聞こえない両親のもとで育った五十嵐大は、ごく普通の家庭として過ごしていたが
小学生頃から、何気ない友達の一言や、周囲の目線で、ふつうではないんじゃないかと思うようになる。それから、母には反抗的になってしまう、一度にたくさんのひとと関わるようになって比較対象がたくさんできてしまう時期なので仕方ないことはあるなと思った。
ずっと、長い間、話すことを避けてきた母親に
「みんなが周りにいる中、手話で話してくれてうれしかった。」といわれて
いままで、ひどい扱いをしてきてしまった、母親の気持ちが強く伝わってきたのかもしれない。むせび泣く吉沢亮の芝居が胸に迫るものがあった
耳が聞こえなくても特別ではない
私自身ろう者の人と出会ったことはないけど、特別扱いするのはやめようと思った。
エンドロールは、母親の手紙が英語で歌われていて、そんなかんじで、言語が違うだけで何ら変わらないと伝えたいのかなと思った。英語をしゃべる人と会話したいときは英語を学ぶのと同じ
中学生になって、突然吉沢亮になって自転車を漕いでくるのが映った瞬間ちょっとおもしろかった、でも意外と中学でいけてたね。
出演者みんな演技が自然でよかった。
家に遊びに来た男の子が、大の母を不思議そうに見る表情がじわじわきたし、
花壇の犯人だと決めつけてきた女性は、絶妙にむかついた(笑)
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