「それぞれ違った悩みがある、それはどの家族も同じ」ぼくが生きてる、ふたつの世界 ニコさんの映画レビュー(感想・評価)
それぞれ違った悩みがある、それはどの家族も同じ
ろう者の両親を持つコーダの主人公、大の人生の描写は赤ん坊の頃から始まる。
原作者の五十嵐大氏は1983年、宮城県生まれ。両親から愛される素直な子供だった大が、年頃になり「普通でない」両親を嫌悪するに至る過程が丁寧に描かれる。
市場の鮮魚屋で初めて母の「通訳」をして店の人に褒められて以来、誰が強制したわけでもないが自然と、両親と健聴者の通訳が彼の役目になっていったのだろう。相手から褒められ、両親の助けにもなることで幼い大は単純に嬉しかったかもしれないが、その役目が固定化され当然のものとなったまま思春期を迎えると、だんだん両親が疎ましくなった。
一見「普通でない」家庭の、世間的にはマイナーな苦悩の物語のように見える。確かに、大が家庭の内外で苦悩する理由は、コーダ独特のものだ。
だが、彼が母親に対して抱く嫌悪感は、誤解を恐れず言えば、どこか私自身の思春期の感情にもかすかに重なる部分があった。コーダ独特の悩みの中に、誰もが通過する反抗期に共通する感情も透けて見える。だから、全く違う境遇なのにどこか不思議な共感を覚えた。
彼の両親が一貫しておだやかな愛情を我が子に注いでいることは、節々のさりげない描写から伝わってくる。大が自分のフラストレーションを母親にぶつけることができたのも、本人は意識せずとも、母親の愛情への信頼が根底にあったからだろうという気がした。
彼らの物語を見て、ろう者を両親に持つ人は「普通の人」より特殊で大変だな、とか、ましてやかわいそうだなどという気持ちにはならなかった。
海沿いの道で、父親の陽介が母の明子に伝えた言葉の通りなのだ。
「まあでも、どんな家も、それぞれ悩みがあると思うよ。多分ね」
それぞれの家庭で、家族の悩みは千差万別。そういう意味では、「普通の」家庭の定義などないし、裏返せば五十嵐家もそのバリエーションの中のひとつの形に過ぎない(彼らの苦労を軽視する意味合いでは決してない)。家族の在り方そのものよりも、彼らと接する周囲の人々がそのような理解で受け止めないことが、大の苦悩を大きくする原因だった。
一方、大は上京して両親以外のろう者と出会い、同じ手話でも地方によって表現の違いがあることや、進んで通訳をすることが時にろう者の自立した行動の妨げになるという視点を知った。この考え方は、両親を故郷に置いて来たという大の罪悪感を和らげたに違いない。
コーダという立場を疎ましく思って逃げるように家を出た大だったが、上京したことで結果的にろう者の世界の広さを知り、両親との関わりを素直に見つめ直すことができた。
静かで切なく、そして最後に清々しい気持ちになれるひとりの青年の成長譚だ。
ラストに長い回想シーンを持ってきてほぼそのまま終わる(電車の中でPCを打つタイトルカットはあったけど)というのはちょっと意外だった。一般的に、終盤の回想というのはクライマックスを盛り上げるための足掛かり的な使われ方をすることが多いので、あのあと進行中の時間軸に戻ってひと山あるのだろうと、漠然と思っていた。
駅のホームで、人前で手話を使ったことに母から礼を言われて初めて、大は自分の言動が母をどれだけ追い詰めていたか気づき、罪悪感と後悔に苛まれ、自分を恥じて泣く。彼の気持ちが変化する節目の場面だ。
上京後、祖母に取り次いでもらった電話で大声で母に話しかけた場面や、父の入院で帰省した時に「俺、帰ってこようか?」と言う場面は、時系列的にはこのシーンの後の出来事になるが、20歳の大の涙を知らずに見るのと知って見るのとでは彼の気持ちの解釈が全く変わってくる気がする。
原作では時系列通り中盤に描かれているこのエピソードをラストに持ってきたのは、単にもっともエモーショナルな場面だからか、あるいは他の意図があるのだろうか。個人的には、時系列で感情を順番に積み重ねてもよかったかな、と思った。
あと、手持ちカメラの揺れが多用され過ぎてノイズに感じる時がちょっとあった。この手法、言うほどリアリティに貢献するかなあ、と思うことがある。
吉沢亮が大の中学生時代から演じていたのは驚いたが、あの年頃の難しい感じを絶妙に演じていて嫌な違和感はなかったし、成長していく様子も自然でよかった。
ろう者の役は全て実際のろう者が演じたとのこと。「コーダ あいのうた」に影響を受けてそうしたと呉美保監督が語っているが、当事者性からくる説得力はもちろん、みなさんの個性が物語によく合っていて魅力的だった。大の両親の雰囲気もよいし、河合祐三子の演じるパチンコ屋で出会ったお姉さんが自由で、大の世界を広げるキーパーソンとしても効いていてかなり好感を持った。
パチンコ屋のお姉さん、よかったですね。
飲み会の後で、てっきりほめられるのだろうと思っていたら、まったく逆の反応をされたのにビックリしました。
この映画を見て、いろいろなことを知ることができました。
見てよかったです。
共感ありがとうございます。
ニコさんの深い考察に大変感銘を受けました。映画の感動が鮮明に蘇ってきます。また時系列の話も大変興味深かったです。言われてみれば確かに不思議な構成と思いました。
それを受けて僕が思ったのは、時系列をわざと入れ替えて後からあれこれ「思い出させる」ように仕向けたのかな?という事です。過去を伏線に使いつつ現在で回収するオーソドックスな形ではなく、あえて現在を伏線に使いつつ過去(回想)で回収するという仕掛けだったのではないか、と。
それによって親子のお互いの「深い愛情」を観客はリアルタイムでなく後から気付かされるわけで、まるで「ニュー・シネマ・パラダイス」のようなノスタルジックな感動に包まれる。どれほど愛されていたかを後から知るほど泣ける事はないんじゃないかと。
僕もレビューを書いていて気づいたのですが、この映画を思い返す度に感動が深まっていく感覚があります。ひょっとしてそれも監督の狙い通りだったのかも知れません。
またニコさんもおっしゃるように、コーダという枠に留まらないストーリーも素晴らしかったと思います。
私は原作未読ですがお母さんとの触れ合いから吉沢亮さんの無音の号泣、その後のエンドロールまでの流れがすごく良かったです。小説を買ったので比べてみたいと思います。
間違いなく 最初から 観客 パーフェクトで静かでした。 ラストはご指摘のとおり 唐突感ありました。
時系列もチコっと・・・・
台本全部載ってたのは すばらしき世界 以来です。ありがとうございました。失礼します。