12日の殺人のレビュー・感想・評価
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モヤモヤの持って行き処
夜に一人で歩いていた若い女性が無惨に殺された事件を追う刑事の物語です。
『落下の解剖学』同様に、事件の真相よりもその背後の社会や人間性に注目すると言うのは現代のフランス映画の流行なのでしょうか、本作も、作品開始早々に「これは迷宮入り事件」である事が告げられます。そこで、「え~っ」と鼻白んだものの、「女性だから殺された」の社会性、「容疑者の男はクズばかり」に焦点を当てた展開に緊張感が高まります。しかしそれだけに、「映画としては、きっちり決着付けなきゃいけないんじゃないの?」と強いモヤモヤが残りました。
監督のセンスの良さを感じました
前作『悪なき殺人』は、強烈な印象を残す作品だった。
ほとんど内容を思い出せない映画も少なくない中で、それは忘れようとしても忘れられない1本となった。
そんな前作と同様に、本作も我々が持つ本質的ななまなましさ、つまり人間の大きな欲望の一つである愛欲がストーリーの根底にある。だから性描写が一切ないのにもかかわらず、この作品にはどこか淫靡な性のにおいが漂っている。
そして、描かれていない回想シーンが観客の頭に浮かぶように仕掛けているところ、「描かずに描く」といった手法が効いている。
セリフのディテールも練られていたし、それから巧いなと感じたのは、ヨアンの乗った自転車のシーンが何度か印象的に映し出されること。人工的なコースをぐるぐるとまわる描写――それはヨアンの心理を象徴しているのでしょう――から、最後はマルソーの言葉に従って、クネクネと曲がりながらも自然の中の公道を前進していくという場面に変わるのも暗示的。
あと、音楽もとてもよかった。サントラ欲しい♪
本作はいちおう “サスペンス・スリラー” という扱いになっているようだけど、単純な “犯人探し” のストーリーだと思って鑑賞すると、期待はずれということになりかねない。殺人事件の犯人探しという形をとりながら、ここで重点を置いて描かれているのは「人間そのもの」としての刑事たちの姿である(それから男と女の「溝」も大きなテーマになっているのかな?)。
というわけで、ドミニク・モルの新作『12日の殺人』。前作ほどのインパクトはなかったものの、監督の映画づくりのセンスの良さを感じた1本でした。
次の作品も楽しみです。
追記
好きな作品なので2回観たよ。
2013年に起きた「モード・マレシャル殺人事件」を元にしたフィクション
12月の殺人
兵庫県尼崎市の映画館塚口サンサン劇場にて鑑賞 2024年6月1日(土)
パンフレット入手
原題「LA NUIT DU 12」
イントロダクション
フランス警察が捜査する殺人事件は年間800件以上だが役20パーセントは未解決、これはそのうちの1件だ。
SYNOPSIS
2016年10月12日夜、グルノーブル署で引退する殺人捜査班の班長の壮行会が開かれていた頃、山あいのサン=シャン=ド=モーリエンヌの街で、21歳の女性クララ(ルーラ・コットン=フラピエ)が、友人たちのとのパーティーの帰り道、突如何者かにガソリンをかけられ火を放たれた。
翌朝、無残にも彼女は焼死体で発見される。すぐに後任の班長ヨアン(バスティアン・ブイヨン)率いる新たな捜査班が現場に駆けつけ、クララが所持していたスマートフォンから、彼女の素性が明らかになり、ヨアンたちはクララの自宅を訪問した。母親に彼女が殺害されたことを伝えるか、ヨアンはその時ふと目にしたのは生前のクララがかわいいネコちゃんと共に写った写真が頭から離れなくなる。捜査会議の席で、ヨアンの相棒のマルソー(ブーリ・ランネール・ベテラン刑事)が、ジャンヌ・ダルクのように火あぶりにされるのはいつも女だと呟く。
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クララの親友のナニー(ポーリーヌ・セリエ)の協力もあり、クララと交際歴があったバイト先のウェスリー、ボルタリングジムで知り合ったシェール。そしてあろうことか彼女を「燃やしてやる」というラップを自作していた元カレのキャヒなどの男たちが疑惑の対象になっても消えていった。だが男たちは一様にして彼女が奔放な女性だったとことを示唆している。
「彼女は恋人なんかじゃない」「ただのセフレだった」
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ある日匿名の人物から、クララに火をつけた際のライターと思しきものが署に届き、チームはどよめく。早速犯行現場で張り込んでいると、ある人物が現れた。それは近所の菜園小屋に住む無職のドニで、彼は今までの捜査では明らかになっていない男。クララと関係を持っていたという。
こうしてクララの奔放な男性関係が次々と明らかになるなかで、ヨアンはナニーに「なぜドニのことを知らせなかったのか」と迫る。ナニーは涙を流しながら「クララを尻軽女のように見ないでほしい、彼女が何か悪い事をしたのか?」
なぜ彼女が殺害されたのか、それは女の子だからだと、ナニーはヨアンに詰め寄った。
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ヨアンはマルソーとは対照的ににほとんど感情をあらわにしない。そんな彼が激高するのは、捜査班の同僚がクララを好きものだと喋ったときだ。彼は同僚からご立派な善人だと揶揄されるが、その正義感や男社会への違和感を募らせている。
ヨアンは捜査や生前のクララのことを考えて夜も眠れない日々が続いた。一見するといつも冷静沈着なヨアンがそれでも何とか精神の均衡を保っていたのは、非番の時に自転車競技場で自転車を走らせることであった。
一方、ついカッとなる同僚のマルソーは夫婦関係に苦しんでいた。そんなマルソーを自宅に招くのであった。
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パンフレットに記載がないが、マルソーの夫婦関係について追記します。
マルソーの妻との間に子どもが生まれない。病院で調べてみると二人ともは全くの健康であることが分かっている。ある日妻が外出して、他の男と関係を持ってしまい、妊娠してしまったのだという。
妻からは離婚を求められているが、自分は今も愛しているのです。
世の間はなんて不平等なのだと嘆いている。
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さらに捜査はつづくクララの殺害場所に、なぜか血のついたTシャツが置かれていたのだ。DNA鑑定から、DVで逮捕歴のあるヴァンサン(ピエール・ロタン)のものだということが分かった。彼もクララと交際歴があった。結局彼にもアリバイがあったのだが、ヴァンサンのあまりももふてぶてしい態度に怒りが収まらくなったマルソーは、彼の家に尋ね暴力をふるってしまい、異動となって、捜査班も解散となった。
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3年後、ヨアンは女性の判事(アヌーク・グランベール)に呼び出され、捜査の再開を希望される。その間もずっとこの事件のことが頭から離れなかったヨアンは、新たなチームを作り再捜査に乗り出すことになった。男所帯だったチームに、女性捜査官のナティア(ムーナ・スアレム)が加わり、クララの三周忌に彼女の墓で張り込みをすることになった。
隠しカメラに映っていた男がいた。チームは活気づいたが、犯人ではなかった。
「フィクション」である、と流れる
追記
2013年に起きた「モード・マレシャル殺人事件」を元にしたフィクションだが未解決事件となっている。
監督 モード・マレシャル
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感想
作品では「自転車競技」の映像が何度も流れているので、犯罪と繋がっているのかと違和感を抱きながらの鑑賞だったと感じています。
フランスの警察官たちの日常生活が見られたことは良かったと思います。
そして未解決事件に関わる警官たちの思いが伝わってきました。
フランス人は解らない
男女平等社会が日本より格段に進んでいるフランス社会、男も女も幸せそうに見えないのが恐ろしいね。15人の少年が無人島に漂着し、大人の束縛から解き放たれて自由に暮らすとしたら、蝿の王の世界になるか、十五少年漂流記の世界になるか。どうも蝿の王のような感じがする。後味が悪い。儲けようなんて気はさらさらないとは思うけど、なんのためにこの映画を撮ったのかその意図すらわからない。フランス人は解らない!
「未解決」に着目
帰宅中に突然現れた何者かに火をつけられ焼死する大学生のクララ。度々登場する黒猫が不穏な未来を予知しているかのようでした。また、事件と同時に男女の社会問題にも触れています。班長のヨアンと相棒のマルソーを中心に地道に調査。実在の未解決事件に終始没頭です。
刑事たちのドラマが見応えあり
若い女性がガソリンをかけられて生きたまま焼き殺されるというショッキングなシーンから始まる本作。フランスで実際に起きた事件を元にしているというから、何とも衝撃的である。
映画はこの事件を書いたノンフィクション小説をベースに敷いているということである。ただ、物語に登場する刑事や容疑者等は、必ずしも事実に即しているというわけではなく、そこには脚色が入っているらしい。
しかし、それでもかなりのリアリティが感じられる映画だった。カタルシスを極力排したストイックな作劇が、事件の悲劇性をヘビーに物語っている。
逆に、エンタメだと思って観てしまうと物足りなく感じる作品かもしれない。事件捜査の過程を綿密に盛り上げるのではなく、事件の謎に翻弄される刑事たちの姿に重点を置いた作りは、サスペンス的な面白さを失している。
例えば、劇中には何人か有力な容疑者が登場してくるが、ヨアン率いる捜査チームの追及が淡泊に映ってしまい、観てて歯がゆく感じられてしまった。また、被害者であるクララの家庭事情や交友関係といったバックストーリーも形骸的で、捜査の中心となる部分が完全にぼかされてしまっている。こうした作りからも分かる通り、本作は本格的なミステリーとは言い難い。
とはいえ、捜査の舞台袖で描かれる刑事たちの人間ドラマが中々魅力的で、これがあることで面白く観れたのも事実である。
捜査の指揮を務めるヨアンは冷静沈着で真面目な男。ユーモアには欠けるかもしれないが、時折見せる人情味あふれる表情が魅力的で、事件に真摯に向き合う姿勢にも好感が持てた。
また、ヨアンの相棒となる中年捜査員マルソー、後半から登場する女性捜査員ナディアのキャラクターも中々に良い。マルソーは家庭内に問題を抱えており、それが原因で捜査にトラブルを持ち込んでしまう。ナディアは本作のテーマを語る上では欠かせないキャラクターであろう。男性社会における女性の生きづらさを象徴するキャラクターとなっている。
監督、脚本は「ハリー、見知らぬ友人」のドミニク・モル。シュールでブラックなコメディだった「ハリー~」に比べると、まったく毛色の異なる本作だが、人間の深層心理に潜む”嫉妬”だったり、”悪心”といったイヤな一面をフィーチャーした点は共通している。
特に、本作では”嫉妬”という言葉が度々登場してくるのが印象的だった。今回の事件も”嫉妬”からくる私怨が原因だと思うのだが、この”嫉妬”という感情は非常に厄介なものである。恋愛関係や仕事等で、人はどうしても他者と自分を比較してしまいがちになる。そこで生まれる”嫉妬”は時に人を狂気へと走らせてしまう。
ヨアンは常にポーカーフェイスで感情を表に出さないように自制している。時折ロードバイクでトラックを周回している姿が映し出されるが、そうしてストレスを発散することで、どうにか心のバランスを保っているのだろう。”嫉妬”や”悪心”と無縁そうに見える彼だが、そんな彼でもやはり自分の心の弱さには勝てないのだ。そこに人間の本質を見てしまった。
サスペンスかと言われると…?
単純に事件を解決していく
サスペンスやミステリーというわけではなかった。
事件そのものより、
事件を捜査する捜査官の心情や
捜査官同士の関係性に重きをおいて描かれていて
その視点が面白く興味深くみることができた。
個人的な感情が捜査に影響を与えることは
実際あるだろうなとも感じた。
結局、事件が解決するわけではないが
サスペンスやミステリーではなく
ヒューマンドラマとしておもしろい作品だった。
事件がどのようにして未解決になっていくのかを描いた映画
予告やチラシで完全にミスリードしていて、ミステリーサスペンスではないなあというのが率直な感想です。
12日の夜に起きた殺人事件がいかにして未解決となっていく様を
事件の捜査状況を詳細に描いています。
ミステリーサスペンスときたら、事件がどのように解決されるのか、犯人を特定するのかが見どころだと思うのですが
そうではなく、どのように未解決になっていくかが、この映画の視点ですね。
新しいと思いました。
しかしながら、ミステリーを期待した方は大空振りな気がしますね。
ポスタービジュアルの女性、クララはほんのちょっとしか登場しないにもかかわらず、
聴き取り捜査が進むに連れて、人物像が浮き彫りになっていくのは、すごいと思いましたし、怖いとも思いました。
かなりやんちゃな女の子だったようで、そりゃあ事件に巻き込まれてもおかしくないよな〜とも思いました。
出てくる容疑者の男たち、全員怪しいですからね。それもどうかと思うくらい怪しいですよ。
でも特定はされないんです。決定的な証拠が何ひとつないんですね。
現代において、殺人を犯して犯人の特定ができないことなんてあるのか!?と不思議に思いつつ
こうやって未解決事件化していくという、やるせなさを感じました。
主人公の 刑事、ヨアンとマルソーの関係性がすごく良くて、
お互い本音でモノを言えるって素晴らしいなと思いました。本当の親友とはこういう関係性なのでしょう。
というわけで、新たな視点のミステリー作品でした。
賞を取る作品なのかいまいちわからなかった。男社会としての形状の社会...
賞を取る作品なのかいまいちわからなかった。男社会としての形状の社会の中にいる主人公。
「彼女が殺された理由を私は知っている。それは女の子だから」と親友の女の子は泣きながら言った
未解決事件の話だから解決しない。ただ事件に女性判事が関わり、新人の女性刑事ナディアが事件後2年たってチームに加わったことで少しずつ風穴が開いてきた。
何も変わっていないといえばそうかもしれない。でも主人公も彼女達と出会い先輩の刑事から花の写真を送られて変化していった。同じ所をぐるぐる回るのでなく、自然の中でサイクリングするようになった。
男だけの世界、加害者も男、捜査する側も男、男の世界の中でぐるぐる回る異常さと息苦しさに気がついていく。
こういう刑事ものもあっていいなと思った。新しい!
刑事が殺人犯を突き止める為、多くの人に聞き取り調査をする会話劇。 本年度ベスト級。
本作の上映10分前まで若葉竜也さんのタイムループ系の作品を観ていたので心の準備もままならずに鑑賞。
そんな状況に不安はあったけど、何とか鑑賞する事が出来た(笑)
本作の監督の前作のフランスの山奥で女性が殺された作品が面白かったので鑑賞。
本作は終始会話劇って感じで前作とは違った意味で楽しめた感じ。
ある女子大生が深夜、何者かに殺され2人の刑事が犯人を捜しだそうとするストーリー。
刑事が殺された女子大生の知り合いに聞き取り調査をして行く展開。
刑事が怪しいと思われる人物を犯人にしようと早く事件をクローズさせたい感じがちょっと恐ろしい。
どこの国の警察も怪しい人物を犯人に仕立て上げようとする感じに考えさせられる。
本作は実話ベースの作品との事で、犯人が解らず迷宮入りするんだけど、映画と言うことで意外性のある犯人だったとか一捻りして欲しかった感じ。
刑事が自転車に乗って競技トラックを走っているシーンが散見されたけど何の意味があったのか?
解りませんでした( ´∀`)
警察24時
みたい、オーソドックスな造りで凄く観易い。本当の事件じゃあこういった結末を迎えるものの方が多いんだろう、予算が無くて防犯カメラ止まりっ放しとかありそう。刑事たちはマシンじゃないので日々消耗、すり減らしていく、そんな二人は退職した事で、また公道に出られた事で少しは救われたのだろう。
「落下の解剖学」と真逆の部分が興味深い。いじくりのない手法とか、声のある音楽の多用とか、ラストも観客に委ねるというより誰でも納得するしかないというか・・・
フランスで高い評価を得ている映画
この映画を最後まで楽しむことができた。フランスでは、随分高く評価されたようだ。きちんと細部まで作りこまれていたからだろう。これまで知らなかった彼の地のこと;
一つは、殺人事件が起きた時、警察が担当する場合と、憲兵隊に任せる場合がある。都市部は警察、周辺部では憲兵隊。警察の担当になったのは、あの美しいグルノーブルの都市部と周辺部のボーダーの辺りで事件が起きたということ。入れ子の国だから、内務省の管轄する警察の事件であったとしても、国防省直下の憲兵隊も横目でみていることになる。例外も多いのだろう。ある種の緊張感がある。
美しい女子大生クララが焼死した事件そのものは、昇進したばかりのヨアンとベテランで家庭に不安のあるマルソーが活躍したが、迷宮入りし、捜査チームも一旦解散した。フランスでは、年間800件に及ぶ殺人事件のうち、2割が未解決とか。
ところが、クララの3年目の命日を前にして、予審判事からヨアンに呼び出しがあった。これが、二つ目のポイント。もう日本では、とうになくなってしまった予審判事の制度があるのだ。日本だと、美しい検事が活躍するドラマはあったが、法廷外で判事が出てくるなんて。予審判事には、捜査の指揮権がある。実際、資料をよく読みこんでおり、捜査の方針をアドバイスして予算を工面する。その再捜査の過程も非常に魅力的だった。あらたなキャリア出身の捜査員も投入される。捜索する警察と、本来ならば裁判をすればいい判事が交錯して捜査が進む。そうしたところがフランスで評判を呼んだ背景か。
不思議なことに、フランスと日本の警察制度には共通性がある。東京とパリには、警視庁があり、パリの方は最近変わったみたいだけど。日本の警視庁の捜査第一課長はキャリア出身でないこと。幕末、フランスの制度が導入されたことが関係しているのか。
自転車の好きなヨアンがベロドローム(競技場)でのルーティンの訓練から、チームを去ったマルソーのアドバイスに従って、ツール・ド・フランスに出てくるような山道に挑戦するところがよかった。その昔、ビートたけしがドラマ「張込み」で、ベテランの巡査部長を務め、若手エリート警部の緒形直人と共演したことを思い出す。女性ヒロインの鶴田真由が魅力的だったことも忘れられない。
惜しい
基本的に劇的な作品にしよとはしていない事は分かる。淡々と事件を追っていて。
しかしうまく行っていない。後半で突然動きだす操作も取ってつけたような話だし、判事を何等かで出しておくべき。
前回の「悪なき殺人」もそうだがなにかが足りないように思う。
つまらなくないけど惜しい
ある未解決事件についての捜査を、担当刑事の視点でじっくり描いたサスペンス。
実際の未解決事件をベースにしているため、本作も未解決のまま終わります。凄惨な殺人事件であることから、主人公の刑事が精神的に疲弊していく…のですが、当の主人公よりも病んでいく同僚刑事がいるので、そのあたりも若干散漫に。
捜査や容疑者の取り調べについてもかなり強引というか、この段階で決めつけるの早くない?みたいなことが多発するので、共感性は低め。
全体的な構成は面白いし、地味ながらも最後まで飽きずに観れたのですが、最後が投げっぱなしというか、未解決だからってもう少し良いまとめ方あったんじゃない?という印象。スッキリしないなー。
237 あまり探偵映画的に煽らないでほしいね
“未解決事件ものの新たな傑作”
やめてよ。探偵小説好きにこう言って煽るのは。
デカ長は同じ景色をぐるぐる回っているのから
峠を越えるようなところへステージが上がりました!
僕は満足です!ってなるかもしれんが
観てる方はそれをやられてもなあ。
そらなんとなくジェンダー的な訴えが裏であるのはわかるけど
あたしゃあそんなものは観たくないんですわ正直。
この領域で話すと長くなるんで割愛しますが
カネ払いたくないです。
もっと未解決ならそれなりに見せ方があるでしょうに。
映画の雰囲気がよかっただけに残念です。
60点
アップリンク京都 20240330
フランスにおける黒猫ってどれくらい不吉なのでしょうか
観終わって「何もかもがスッキリした!」というタイプの映画ではないので、好みの合う合わないは分かれる作品だとは思う。
生きたまま焼かれた少女。怨恨が疑われることから、彼女の異性関係が捜査対象になるが、排除しようとしても、どうしても予断が入り込む。その予断も、刑事一人一人が抱えている状況や、事件そのものへの思い入れによって違う様子も丁寧に描かれる。
やがて、予想以上に容疑者が増えていくにつれて、被害者側を責める論調や、犯人を決めつける者も出てくるのだが、それを見せられている我々観客もそれに共感しかけたところで、被害者の親友から、投げかけられた言葉が強烈だった。
彼女が例えどのような男性と付き合っていたにしろ、生きたまま焼かれなければならない理由にはならないし、親友や両親にとっては、かけがえのない人だったという当たり前のことも丁寧に描かれ胸を打つ。
作品の中で「犯罪を犯すのも男性で、それを捜査するのも男性」という言葉が出てくる。本当にそうだろうかと思いながら調べてみると、犯罪の9割は男性が起こしていた。その割合の多さに、正直驚いた。同時に「本当にそうか?」と思った時点で、自分も無自覚で無反省な男性優位思想にどっぷりだったのだと反省した。
ただ、この映画における性差の問題は大きな柱の一つだが、そこに単純化させていないところがこの映画のよさだと感じる。
例えば、日常生活の中では、明快に何かが解決することばかりではない。モヤモヤを感じていることも、何となくうやむやな着地のまま、次の新たな問題に向かわなくてはいけないことも多い。けれど、解決はしなくても、その問題と向き合ったことで、自分の中に生まれたわずかな前向きな変化を見つけることもある。
その様子が、主人公の趣味としている自転車になぞらえて表現されているところなど、とてもよかった。
また、途中で退場した同僚のその後も、象徴的な描き方で多くを語らない所もよい。
あえて、問題の解決を中心に持ってこないことで、人々の複雑な心の動きを複雑なまま提示する企てにより、味わい深い作品になっていると思う。(ここが評価の分かれ目かも…)
ところで、この映画の中では、黒猫ばかりが登場するのだが、フランスでは、黒猫はガチで不吉の象徴なのか、それとも迷信程度なのか、そのニュアンスにとても興味がわいた。
思っていた映画とは違っていました
闇とは何なのか…
事態が変わらず閉塞感が続くこと
義務的な仕事の繰り返しなど、日常への埋没
口には出さないが、被害者女性への偏見があった(男性関係など)
単なる仕事のストレス
そんなところでしょうか。
途中で凄く眠くなってしまって、残念ながら見落とした部分も多いです。
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