「最初に結末を明らかにしてしまうのは、いかがなものだろうか?」ディア・ファミリー tomatoさんの映画レビュー(感想・評価)
最初に結末を明らかにしてしまうのは、いかがなものだろうか?
ある程度の結末は予想できるとはいえ、最初に、人工心臓を作れなかったことや、娘が亡くなってしまったことが分かってしまうのは、物語の作り方としていかがなものかと思ってしまう。
父親がどれだけ苦労しても、人工心臓の開発に頓挫しても、意地悪な教授が障害になっても、最後にはバルーンカテーテルの開発に成功することが分かっているので、あまり深刻さが感じられないのである。
心臓病の娘は助かるのかという興味も、早々に消え去ってしまうため、後は、いつ、別れの時が来るのかということばかりが気になってしまう。
ただ、これについては、「自分の命は大丈夫だから、苦しんでいる人を助けて」という娘の思いは心に響くし、彼女が父親の町工場に就職したり、成人式を迎えることができて本当に嬉しいと感じるし、終盤で、彼女が、日記を通して家族のそれぞれに感謝の気持ちを伝える場面では、やはり涙腺が崩壊してしまった。
父親が自分の願いを叶えてくれたことを見届けてからという、彼女が息を引き取るタイミングも、ある意味、幸せな最期を迎えることができたのではないかと思えて、胸が熱くなる。
ラストで、インタビュアーの女性の過去が明らかになり、それで、オープニングのシーンが回収される形になっているのだが、それでも、最初に結末を明らかにしたのは、やはり、失敗だったのではないだろうか?
変に細工をしなくても、娘の命を救えなかったことを悔やむ父親が、バルーンカテーテルで命を救われた女性から礼を言われる場面だけで、素直に感動できると思えるのである。
それから、父親が、人工心臓を自分で作ることを決めたシーンでは、常識はずれな父親と、その背中を押す母親に対して、長女の理性的な反応が面白かったのだが、そんな長女には、成人になってからも、暴走する両親にブレーキをかける常識人として活躍してもらいたかったと、少し残念に思ってしまった。
史実としては、分かりきっていることなのかもしれませんが、フィクションとしては、一つの見所として、もっと「引っ張って」もらいたかったなぁと思ってしまいました。
なにせ、映画を観るまで、「人工心臓」の話とばかり思っておりましたので・・・