「救世主現る」VESPER ヴェスパー R41さんの映画レビュー(感想・評価)
救世主現る
『ヴェスパー』──種子と通貨と、少女の歩く未来
風が吹いていた。
少女は、焼け落ちた家の前に、そっと種を植えた。
それは、彼女が自らの手で作り出した、世界で唯一の「実を結ぶ種」だった。
この物語は、未来の話だ。
けれど、どこかで見たことのある風景が広がっている。
荒廃した大地、空を覆う灰色の雲、そして「シタデル」と呼ばれる富裕層の塔。
そこでは、食料も、空気も、命さえも、特許と契約で管理されている。
種は、実を結ばない。
それは、現代のF1種と同じだ。
一度きりの命。
再生を許さない設計。
農民は、毎年、企業から種を買わなければならない。
それは、まるで通貨のようだ。
いや、通貨そのものかもしれない。
アフリカの国々が、いまだにフランスの中央銀行に通貨を握られているように。
CFAフラン。
ユーロと連動しながらも、主権を持たない貨幣。
それは、経済という名の檻。
努力しても、自由にはなれない。
『ヴェスパー』の世界もまた、同じ構造の中にある。
少女ヴェスパーは、その檻の中で生きている。
母は去り、父は動けず、叔父は支配者の手先となり、
人造人間のカメリアだけが、彼女の心に寄り添ってくれた。
だがそのカメリアもまた、シタデルでは「存在してはならないもの」だった。
なぜだろう?
なぜ、心を持つ者が排除され、
心を失った者たちが世界を支配しているのか。
ヴェスパーは、知らない。
けれど、知ろうとする。
そして、歩き出す。
自分の作った種を手に、
それを風に乗せて、塔の上から放つ。
それは、希望だった。
スターウォーズのレイア姫が、R2-D2に託した設計図のように。
絶望の中にある、たったひとつの光。
それが、ヴェスパーの種だった。
この物語は、未来の寓話であると同時に、
私たちの現在を映す鏡でもある。
種を奪われ、通貨を奪われ、
それでもなお、希望を手放さない者たちの物語。
少女は歩く。
誰も知らない未来へ。
その背に、兄弟姉妹たちが続く。
彼女のまいた種が、いつか芽吹くことを信じて。
そして、風が吹く。
それは、変化の風かもしれない。
あるいは、まだ名もなき革命の予兆かもしれない。
エッセイの原文
2024年 フランスなどの合作作品
解説にはSFダークファンタジーと分類されている。
この作品には人類の未来に向けた「思考」が描かれているが、そもそもユーロ圏の人類がこの思考を持っていることになる。
近未来のディストピア
描き切れない伏線のようなものが多数埋没するかのように置き去りにされている。
母が家を出た理由
今現在の父と事故と補償
叔父の謎
ジャグと呼ばれる人造人間カメリアと、それを作ったイリアスは何がしたかったのか?
合成植物
そして食料となる植物の種は、今でいうF1種 今でもすでにそうなっている。
そして格差社会 富裕層の住むシタデルという居住地
このディストピアの中でたくましく生きようとする主人公ヴェスパー
物語の型にスターウォーズやナウシカなどの要素を入れている。
この世界の問題を、種を付けない植物とその専売特許によっているというのは、フランスがアフリカ諸国に押し付けているCFA(セーファ)フランと同じ構造だろう。
これはフランスの中央銀行(フランス銀行)が保証しており、ユーロと固定レートで連動しているが、問題は通貨主権の欠如で、アフリカ諸国が自国の金融政策を自由に運用できないことや、結果自国努力では自立できないようにされている。
この物語の背景だ。
そして使用されているモチーフは「モンサント」
自国の悪を他国の悪と置き換えているのが、この作品の評価しにくい点でもある。
さて、
一人の人間として、ヴェスパーは立派だ。
人類の未来を考えながら行動している彼女はまさしく救世主だろう。
面白いのが人造人間のカメリアで、彼女は非常に心が豊かだ。
まるで心を失った人間よりもずっと人間的だ。
彼女の存在はシタデルでは禁止されている。
それこそが謎で、この世界を格差的にした張本人が、ディストピアを作ることでシタデルが維持されると思っているのかもしれない。
まるで陰謀論でもあるフリーエネルギーの存在と同じだ。
叔父が殺されたのも、カメリアの発見が遅れたからだろう。
そしてよくわからないのが、何故ヴェスパーは種を付ける品種のことを叔父なんかに話したのだろう?
それは当然シタデルに伝わってしまった。
逃げきれないことを悟ったカメリアは、あの不思議な能力でヴェスパーを眠らせてしまう。
彼女は朝目覚めるが、爆破された自宅の前に彼女が作った種を植えた。
そして歩き始めると、ヴェスパーの後を着いてくる4人の兄弟姉妹
そしてピルグリムたちの後を尾行する。
そこにあったタワー
ヴェスパーはそこによじ登り、遠くにシタデルを見る。
そして風に任せて種を飛ばした。
何もかもが象徴的過ぎてよくわからない。
この社会のことをよく知らない少女ヴェスパー
彼女を守るために犠牲になった父とカメリア
人の心を失ってしまった人々
タワーへ登り、シタデルを見た時、ヴェスパーは「彼らとなど取引できない」ことを悟ったように思った。
いつか自分も捉えられてしまう。
この種は「希望」
これこそまさにスターウォーズのデススターの設計図をR2-D2に仕込んだレイア姫を連想とさせる。
絶望の淵と、それでも「ある」希望
これこそこの作品が言いたかったことなのだろう。
もう妄想でしかないが、この作品を通し、自分たち自身を引き合いに出しつつ、希望を指し示せるのは非常に人間らしいと感じた。